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 冒険者となってそれなりに経ち、多種多様な美醜を持つ依頼者や同業者も見てきた。

 最も身近なのは、直属の上司にあたるギルドマスターのラーシャルゥなのに。あのハーフエルフだからこその美貌のお陰で、美しい女性も見慣れてきたはずなのに。

 その彼女とは違う意味で、可憐さしか感じ取れない、エリーにとっては恐怖対象の『男』を。こんなじっくり見られるようになるとは思わなかった。

 それほど、パン屋の店主らしい『スバル』を目にしたエリーは、ラティストの時とは違った『鼓動』が高鳴って仕方がなかったのだ。


「キューっ」
「あ、サクラ。もう、ラティストがいいって言うまで大人しくしてなきゃダメだったんだよ?」
「キュー?」


 何か声をかけた方がいいのかと思っていると、咲き狐のサクラがそのスバルに前足を向け、『抱っこ』と子供のような甘え方をし出した。

 スバルは少しだけ脱走の件について叱ったが、抱っこについてはむしろ寛容的。

 仕方ないなと苦笑いしてからラティストから受け取ると、サクラは小さな舌をちろちろと出してスバルの顎を舐めた。


「キューっ」
「ちょ、こらサクラっ! く、くすぐったいってば!」
「キュキュー」


 咲き狐が主人やその関係者に懐くのは別段珍しくない。

 関係者じゃなくとも、元来人間にも懐きやすいからイレインやエリーにもすんなりと懐いてくれた。だが、彼は違う。

 文字通り、甘えられているのだ。

 顔を執拗に舐められてるスバルが降参と言わなければ。ラティストが仕方なくサクラの首根っこを掴まなければ。

 いつまでも甘えられていたと思われるくらいに、咲き狐に好かれていたのだ。まるで、親のような。


(そう、親……近親者に近いわ)


 兄弟のいないエリーだったが、親戚の子供は何人かいる。少し年上の従兄弟達のような、温かい空気をこの店主に感じたのだ。

 まだ、顔を合わせていくらも経っていないのに何故か。


「あ、申し遅れました。僕は、このパン屋の店主でスバルと言います」


 少しぼうっとしてる間に、いきなりスバルが名乗り出すと、笑顔全開で手を差し伸べてきた。

 その、男なのに細くて柔らかそうな手に、エリーは何故か躊躇うことなく自分の手を添える。そして、握手をしてしまったのだ。


「…………え、エリザベス=バートレインよ。ロイズさん達のように、エリーで構わないわ」
「よろしくお願いしますね? ランクの高い冒険者さんとは伺ってるんですが、今日はポーションパンの購入を?」
「そ、それもあるけれど……」


 礼を言わねばと思うのだが、手を離しても上手く言葉に出来ない。

 男性恐怖症のように、震えも何も起きずとも、言葉がつっかえてしまう。だけど、せっかく連れてきてくれたイレインにも申し訳無い気がした。

 そこで、スバルが現れてからちっとも言葉を発してないイレインはと、後ろを少し見ると目を見開きそうになってしまった。


「……いえ、スバルさんですから仕方ない。エリザベス嬢の許容範囲内に収まるのも……無理ないでしょうし」


 などと、少し青い顔色で聞き取りにくい独り言を呟いていた。

 何か不快に思うところでもあっただろうかと、振り返ってみても思い当たらない。だが、その姿を見たお陰で少し冷静になれたので、スバルとラティストに向き合う事にした。


「……この前、商業ギルドの方でメンチカツサンドをロイズさんから譲っていただいたの。そちらの……ラティスト、さんに聞いたでしょうけど、助かったわ。本当にありがとうっ」


 礼を言う時は、慎重にだけど気を引き締めて。

 父に言いつけられてた言葉を反芻しながらも、きちんと礼を言えたと思う。

 一度息を吐くと、スバルが小さく笑うような声が聞こえてきた。


「僕のパンがお役に立てて何よりです」


 顔を上げた時に目に飛び込んできた、スバルの笑顔が。

 隣のラティストの美貌が霞んでしまう程、華やかで可憐で。いつまでも、見てたくなるような幸福感が胸に広がる。

 この人は、精霊の何かかと勘違いしそうなくらい、神秘的でかつ優しい。他の男と同じに出来ないくらいに、すんなりとエリーの抱え込んでた恐怖症を打ち消しそうだった。


「……で、礼はともかく。イレインが言っていた試食会に参加するのは本当か?」
「あ」


 感動してた矢先に、咲き狐をあやしていたラティストが空気を壊してしまった。

 前に会った時同様、他者の都合を無視しがちな輩だが、雇い主である店主の前でも同じか。

 同じ人間なのにこうも違うと、美貌だけならどうということはないとエリーは思えてきた。


「そうなんだ? 僕は構いませんが、イレインさんいいんですか?」
「い、いえ。私がお誘いしたのでっ。何やら少しお疲れ気味だったようでしたから」
「あ、たしかに。エリーさん、少しクマ出来ちゃってますね?」
「け、敬語はいいわよっ。同じくらいでしょう?」


 疲れてる事を言われるのは気恥ずかしいが、口実にはなるのでイレインの発言は助かった。

 それと、商売上スバルが客に敬語を使うのは一般的な事だが、エリーとそんなにも年が変わらなさそうな見た目では、少しむずがゆい。

 出来れば、もう少し砕けた付き合いがしたかった。

 同性でも滅多に思わない事なのに、いったいどうしたのだろう。


「……そうだな。俺もだが、スバルよりも歳下であれば必然だが」
「……………………と、歳下?」


 ラティストは明らかにわかるが、細身で背も少しエリーよりも高いだけのスバルが歳上のようにも聞こえたが。


「あ、そうだね。僕間違えられやすいけど、10代じゃないし」
「う、嘘でしょ! いくつなの⁉︎」
「え? 22歳……だけど?」
「嘘でしょぉ⁉︎」


 どう見ても、エリーよりも5歳上に見えない。

 イレインに振り返っても、苦笑いしながら首を横に振られるだけだった。


「ご、ごめん、なさい。生意気な口きいて!」
「いいよ? 僕慣れてるし、エリー……ちゃんが良ければ全然敬語なしでもいいから」
「うっ」


 にへら、と音が聞こえるような柔らかい笑みですら、不覚にも鼓動が高鳴ってしまう。

 強力な拘束力はないが、何故か相手を頷かせてしまうような強制力が働いてしまうような。

 だからか、エリーも素直に数回頷いてしまった。


「じゃあ、立ち話もなんですから。皆さんどうぞ中へ」


 イレインはさすがに歳上だろうから、スバルは敬語で皆を店に入れるために扉を開いてくれた。

 中は、大きなガラス窓から見えてたのとだいたい同じだが、綺麗な木の棚に多種多様なパン達が置かれていた。

 ここで試食をするのかと思ったが、スバルは奥の壁にある扉に向かって歩き出した。


「こちらの応接室に」


 開けた部屋の中は、ロイズの執務室を思わせるような、しっかりとした造りの応接室。

 既に準備はされていて、ソファの間にある低めのテーブルには絹布巾がなにかを覆っていた。


「お好きな席にどうぞ。僕お茶淹れて来るから、ラティストはサクラ見てて?」
「ああ」
「キュー」


 厨房にでも行くかと思いきや、部屋の隅に設置されていた簡易型の台所で用意してくれるようだ。

 その間に、エリーはまた少し緊張しながらもソファに腰掛けたが、あまりの柔らかさに声を上げそうになる。


「な、なにこの柔らかいの⁉︎」
「毎度驚きますよね?」
「ルーチェウの綿毛をふんだんに使ってるとは聞いたが?」
「ルーチェウ⁉︎」


 ランクC以上の採取依頼(クエスト)では定番な魔物(モンスター)

 下級精霊の力を継いでるとの噂もあるが、危害を加えなければ抜け毛を譲ってくれる心優しい生物。

 見た目、羊毛の塊にしか見えないが、知能は高く、エリーは今でも時々採りに行くことはあった。


「それでも、こんなにも柔らかい?」
「……冒険者ギルドのマスターの厚意、らしい。よく来るしな」
「……ギルマス」


 美味しいモノに目がない、あのハーフエルフなら納得出来そうだ。

 そして、気に入った相手には最高品質の綿毛を提供するのも、対価ではなくとも気軽に手に入る美味を思えばなんてことはない。


「どうぞ。白鳳国のお茶です」


 離してる間に戻ってきたスバルが出してくれたのは、少し濁りのある黄緑色のお茶。

 薬草茶かと思いかけたが、原産国の名前を聞くとエリーも飲んだ覚えがあるのを思い出した。


「あそこのお茶……苦くない?」
「エリザベス嬢、ご存知で?」
「あんたもエリーでいいから。うちの父親の事知ってるでしょう? 手広く事業やってるから、白鳳国も取り引き先なの。小さい頃は時々飲んだわ」


 スバルが戻ってくれたお陰か、イレインに対しても少しだけなら応対出来た。

 ロイズが居てもあり得なかった事だが、不思議と自然に口から言葉が出てきたのだ。一度ロイズに確認しようと思ったが、せっかくスバルが淹れてくれたお茶だ。

 苦くても飲もうとカップを持つと、湯気からほのかに甘い香りがしてきた。


「……あ、甘い?」


 実際に飲んでみても、砂糖とは違う不思議な甘味を感じた。

 苦味も適度に抑えられてて、実に優しい甘さだった。


「ふふ。実は、(リーゾ)を炒ったものを混ぜてあるんだよ」
「リーゾ……って、白鳳とか黒蓮(コクレン)の主食の?」
「そうそう。僕はそこの出身じゃないんだけど、お茶っ葉に混ぜて淹れるのが好きなんだ。今日食べてもらうのにもきっと合うから」


 興味深い。

 メンチカツだけでも、パンは素晴らしく美味ではあったのに、茶だけでこれだけの幸福感を得られるとは思わなかった。

 イレインも少しそわそわし出していたが、スバルはまた小さく笑うとテーブルの上にかけてある絹布巾をさっと取り払った。


「「…………黒いサンドイッチ??」」


 イレインとほぼ同時にそう言ってしまうくらい、皿の上にあったのは不思議なサンドイッチだった。

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