6月2日
「おはよ」
「…おはよう」
にこにこ。そう言う表現がピッタリな表情で、随分と早くに登校してきた俺の後ろの席の
いや、正確に言うと、俺は日直の仕事の一つ、黒板掃除をしているので、照屋の顔は見えていないのだが、楽しい、嬉しい、という照屋の雰囲気が後ろからだだ漏れなのである。
「…一応、聞くが」
「何でも聞いて!」
くる、と後ろを振り向いて声を掛ければ、一番前のクラスメイトの机に座っていた照屋が、ぐい、と前のめりになり、顔が目の前に来て、思わず肩がビクッとあがる。
「あ、ごめん
「…いや」
「…何で俺なんだ?照屋なら、他にも仲の良い奴がいるだろ。何も、たいして話したことが無い奴を誘わなくても」
そう問いかけた俺に、照屋は、今までとは違う笑顔を浮かべた。
事の始まりは、昨日の放課後だった。
教室にとどまり、人の流れをぼんやりと眺めていた俺に、照屋が「1ヶ月間のアルバイト」の提案をしてきたことが始まりだった。
正確には、アルバイト、というよりは、ほぼ、ボランティアに近いもので、その内容としては、「駄菓子屋の店番をしないか」ということだった。
「何で店番?あそこの店、夫婦で店やってなかったか?」
あそこの店、というのは、高校からは少しだけ距離があるものの、俺や、照屋、この周辺に住む子どもたちが利用する駄菓子屋で、俺と照屋は小、中学校は別々だったが、お互い、その駄菓子屋の爺ちゃんと婆ちゃんにはお世話になっていたことを昨日、知った。
「それがさぁ、この間、婆ちゃんに久々にあったら、爺ちゃん、骨折しちゃったらしくて。ほら、駅前に総合病院あるじゃん」
「ああ、あそこ」
「うん。あそこ。で、婆ちゃんも見舞いやら何やらで病院通わなきゃ行けなくなったって言ってて」
「そんなに悪いのか?爺さん」
「んー、まぁ、年齢が年齢だから、リハビリが必要みたい」
「あー…そうか。しばらく行って無かったけど、いい歳だよな。二人とも」
「そうそう」
確かに、俺たちが子どもの時にはもう60代か70代くらいだったから、もう結構な年齢になっていてもおかしくは無い。
「んでね、爺ちゃんの見舞いも行かなきゃいけない。けど、お店を楽しみにしてる子たちもたくさんいる。爺ちゃんも、見舞いはいいから店を、って言ってるらしいんだけどさ」
「…ああ、うん」
自分の記憶の中の爺さんを思い出してみるが、いつも俺たちに構っていた爺さんを思い出し、あの爺さんなら、言いかねない気がする、と一人頷く。
「でも、婆ちゃんにとっては、どっちも大事でさ。店もやって、病院も行って、ってしてたら、ちょっと疲れちゃったみたいでさ。駅前でフラフラしてるのを見かけて、思わず声かけちゃったんだよねえー」
机の上に座ったまま、少し俯いて話す
「そしたら、そんなことになってるって言うじゃん?オレに何か出来ることある?って聞いたら、放課後の、ちょっとの時間だけ、お店にいてくれるかい?って婆ちゃんに言われてさ。昨日と一昨日、婆ちゃんが帰ってくるまで店番してたんだけど」
「へえ…」
気軽に店番を頼む婆ちゃんも婆ちゃんだが、照屋も大概お人好しなんだろうな、と相槌をうちながらぼんやりと考える。
「婆ちゃんが、少しなら駄菓子食べてもいいよ、って言ってくれたから、ちょっとつまんだりしながら…あ、ちゃんと金は払ったよ?あ、いや、そこじゃなくて。駄菓子つまんだりしながら、店番してたわけさ。そしたら、店の奥にあった棚に、めちゃくちゃ本が詰まっててさ」
「…本?」
「そ、本!」
思わず聞き直した俺に、
「太宰さんとか、芥川さんとか。夏目先生とか、もう本当、図書館かよ、ってくらいの多岐にわたる本の種類でさ」
「…へえ」
「しかも、初版か、初版の復刻版」
「は…?」
「な!凄くね?!」
「…ああ。それは、凄い」
色々な意味で、だ。あんな、と言ったら失礼だけれど、こんな町の小さな駄菓子屋の店奥に、何でそんな貴重な本があるんだ、とか。照屋もよくそんなの見つけたな、とか、色々とツッコミ所が多い気がする。
「で、その本も、読んでもいいって許可もらったから、読んでたんだけどさ。そういや、
「…ボランティアねぇ…」
昨日の放課後のやり取りを思い出しながら、
「自分で言うのもアレなんだけどさ。ムードメーカーじゃん?」
「…自分で言うのな」
「だから前ふりしたじゃん!」
「すまん」
「コホン。まぁ、いいや。
「ああ、そうだな」
学校でよく本を借りる俺は、図書室で照屋と遭遇することは多々あるし、照屋も俺に気づいていた。
「オレ、本好きなんだよね」
「だろうな」
「うん」
これまでの会話から、これで照屋が本が嫌いだと言われるほうが、理解し難いくらい、照屋が本が好きなことはただのクラスメイトである俺でも十分に理解出来る。
「高校入ったら図書委員やろう!って思っててさ。もともと、立候補するつもりだったんだけど」
「…ん?あれ、でも確か、図書委員って」
男子は半ば押し付けられるような感じで決まってなかったか?と4月の委員会決めの時のことを思い出しながら言えば、照屋が寂しそうな表情を浮かべながら口を開く。
「そ。まぁ、結果オーライって言えばオーライなんだけどさ。皆には、そんなキャラじゃない、って思われてるらしくてねー。ムードメーカーも楽じゃないよね」
にっこり、と笑いながら言う照屋の笑顔に、違和感しかなくて、思わず眉間に力が入る。
「…何?どうしたの
「顔コワイってお前な」
いきなり失礼だな、と思いながら答えるものの、照屋の変な笑い方が気になって、「照屋さ」と言葉を続ける。
「その笑い方、かなり胡散臭いけど、気づいてやってんのか?」
「…は?」
笑顔を浮かべているけど、目元がそんなに笑っていない笑顔を浮かべられ、思わず指摘をするものの、あまり笑っていない俺よりマシか、と思うものの、気になるものは、気になる。
「本の話してた時は、普通だったのに、急に変な笑いかたするから、そっちのほうが気になる」
そう告げた俺を、きょとんとした表情を浮かべたあと、
「…
「……そうか?」
「そうだよ」
クックッ、と笑いを堪えながら言う照屋に、首を傾げつつ答えれば、照屋はまた可笑しそうに笑う。
「あー、やっぱ、千家に声かけて正解だったわ」
「俺にはさっぱり分からんが」
「そう?オレにはしっかり理解出来たけど」
「ふうん?」
なんだかよく分からないが、まあ気になる胡散臭い笑い顔じゃなくなっただけ良しとするか、と勝手に完結していれば、「なあ、千家」と照屋がまた、俺の名前を呼ぶ。
「やっぱり、一緒に店番しない?」
にっ、と笑った笑顔は、やけに楽しそうに見えて、人付き合いに不慣れな俺は、返答に困り、「あー…」と照屋から視線を反らしながら返事を保留していれば、「あれ、照屋くんだ」という声と同時に見えた人影に、ホッと小さく息をついた。
「あ、はじろん。おはよう」
「…はじろん?」
「そだよ。
「今の所、そう呼ぶの、照屋くんだけだけどね」
聞き覚えの無い言葉に首を傾げながら問いかければ、何故だか照屋がドヤ顔をしながら答え、話題の中心の
「そういえば」
パタン、と職員室に取りに行っていた日誌を教卓に置いた羽白さんが、照屋と俺を見て、思い出したように口を開く。
「
「へ?」
「…あ」
「…?」