不穏と無謀7
そんな思いつきを試してみる為に、炎の壁を発現させている模様を一度消す。次に同じぐらいの規模で火の魔法を発現させる模様を描く。
炎の魔法に対して火の魔法は下位に当たる為に、魔力消費量が少なくなる。ただ、模様が連鎖して発生させている魔力も炎の魔法の時に比べれば少なくなっているのだが。
それでも、今回は増幅記号を少し多めにして描いたので、通常よりも連鎖反応で生じる魔力量は増えているはずだ。
「・・・・・・ふーむ」
火の壁を発現させている模様を観察していく。
通常では魔力消費量の方が多いので、徐々に魔力供給が追い付かなくなり自然消滅していく。しかし今回は、魔力生産量を増やしているのでどうかと思ったが、まだ若干消費の方が多かった。このままではゆっくり消滅していくが、あと一歩で拮抗しそうだな。
もう少し改良する為に一度模様を消すと、再度組み直す。しかし、増幅記号を増やすにも限度があるので簡単な話ではない。
それでも何とか組み直すと、再度発現させる。
「むぅ?」
魔力連鎖を重視して組んだ結果、魔法によって消費する魔力と、連鎖によって生み出される魔力が拮抗した。
このまま放置していれば、何事も起きない限りはこのままずっと魔法が発現したままになると思うのだが、どうやらその代わりに発現する魔法の威力が大分落ちてしまうようで、今目の前に発現している火の障壁は、模様の大きさは変えていないというのに、一番最初に発現させた小規模な火の障壁ぐらいの防御力しかない。
本来であれば、その分消費魔力量が減るはずなのだが、何故だか消費魔力量は変わらない。もしかしたら、模様の規模に応じて最低限消費する量というのが決まっている可能性もあるな。
そんな予想を立てつつ、威力を取るか持続を取るかという現状になってしまった。これ以上増幅させるのは難しいし、何よりこれ以上増やす意味が無い。生成する魔力量が多いと、魔力が消費しきれずに模様が崩れてしまう。
威力を出しつつ、それと拮抗するように生成する魔力量を増やすというのは、どうやら困難なようだ。少なくとも、現状のボクの知識では不可能だと思うから、永遠に稼働し続ける魔法というのは諦めるとするか。
とりあえず目の前の模様を消したところで、一息吐く。そのついでに時間を確認するといい時間であったので、腕輪の設定を解除してから片付けを済ませて、訓練所を後にした。
クリスタロスさんの部屋に戻ると、クリスタロスさんは前にボクが贈った置物を机に置いて眺めていた。そこに声を掛けた後、お礼を言って転移装置を起動させる。
転移時の浮遊感と視界からの色の消失を味わい、転移を起動させた場所に戻ってきた。
周囲を確認後、暗いなか駐屯地に向けて移動を始める。
暫くして駐屯地に入ると、そこから宿舎に向けて足早に移動していく。
◆
「南の森へ、ですか? しかし、まだ早いと思うのですが?」
豪勢な家具が置かれた一室で、派手な装飾の施された長椅子に腰掛けた神経質そうな男は、対面に座っている男へと困惑したように口にする。
「来訪者達の要望でもある。無視も出来んだろう?」
「それは・・・ですが、やはりまだ実力不足だと思うのですが?」
試すようないやらしい笑みを口元に浮かべながら、神経質そうな男の対面に座る、派手な服で身を固めた男がそう返す。しかし、神経質そうな男は尚も否定的な言葉を返した。
それに僅かに不快感を表しつつも、それ以上の嘲笑うような雰囲気で豪奢な見た目の男は、芝居がかった仕草で肩を竦める。
「来訪者達はあれから更に育ったと聞く。それに、これは公爵様も乗り気でね、今更どうしようというのかね?」
「来訪者達は無事でも、兵士達は無事では済みますまい。陰のエルフ共がそれだけ強いのは、公爵様もご存知のはずですが」
「なに、今回は来訪者を前面に押し出し、来訪者達が切り込んだ後に傷口を広げるだけだ」
「そんな簡単な話では・・・」
豪奢な見た目の男の言葉に、神経質そうな男は呆れたように言葉を濁す。
しかし、対する豪奢な見た目の男はそんな事は気にせずに、話を続ける。
「それに各方面の森を調査させたが、どうも以前にあった襲撃が各森にもあったようで、かなり荒らしていってくれたようだ。それは南の森も同様らしく、未だに慌ただしく何かしらをしているようだと報告が入っている。つまりは今が好機ということだ」
「それでは外側からの報告だけで、内情までは判らないではないですか」
「内情まで判るのであれば、ここまで苦労はせんだろう」
「それはそうですが・・・」
「実際、他の方面の森も騒がしかったり、数が激減していたりするのだ。ならば、南が騒がしいのもそれと同じと推測できよう?」
「そう都合よく解釈してもよいのでしょうか?」
豪奢な見た目の男の言葉に、神経質そうな男は懐疑的な反応を見せる。
そんな神経質そうな男を、豪奢な見た目の男は鼻で笑う。
「はっ。これだから臆病者は困る。来訪者だけでも十分だというのに、そこに先の報告だ。この好機を逃がせば、次いつこんな好機が訪れるか分からんぞ!?」
「それでも、もう少し来訪者が力を付けてからの方が確実かと!」
「くどい! 先程言ったが、これは既に公爵様が前向きに検討なさっているのだ。その際、公爵様が前に出てくださるという。最強位たるあの方がだぞ!!?」
豪奢な見た目の男の言葉に、神経質そうな男は苦い表情を口の端に僅かに浮かべる。
ナン大公国の最強位は、表向き公爵とは別に居るとされている。しかし、実際はナン大公国の国主である公爵こそが最強位なのであった。
強さを重んじる国なのだから考えれば当然ではあるが、しかし権力が集中して色々と面倒だというのと、自由に動けないという理由から、公爵が別人にその役を与えているのだ。無論、それは偽名を名乗っている公爵本人なのだが。
「それは・・・危険なのでは?」
「はぁ。戦場に立つのだ、危険は承知の上だとも。しかし、これはもう決定事項だ。後は公爵様が号令を下されるだけなのだよ」
「・・・そう、ですか。しかし、それでも公爵様には考え直して頂かなければ!」
「はぁ。まぁ、やってみるといいさ。無駄だとは思うがね」
呆れた声を出した豪奢な見た目の男は、ぞんざいに手を振って神経質そうな男の退室を促す。
それに神経質そうな男は長椅子から立ち上がると、一礼して早々に部屋を後にする。
その背を見送った豪奢な見た目の男は、馬鹿にしたような響きを乗せて呟いた。
「まったく、無駄なことをするものだ」
◆
ナン大公国中央やや南に在る公都から南門駐屯地へと延びる道の上に何台もの軍用車が走っていた。
「はぁ」
駐屯地に向けて進んでいる軍用車の列の後方を進む車に乗車している神経質そうな男は、疲れた顔でため息を吐く。その様子は、今にでも頭を抱えそうなほどに沈んでいる。
そんな神経質そうな男に、周囲の者達は狭い車中ながら居心地悪く少し距離を取り、近くの者同士で小声で会話して、神経質そうな男を見なかったことにしようと努めていた。
(何でこんなことに・・・)
そんな中、神経質そうな男は現状に至るまでの経緯を思い出し、疲労が増したように感じながら、内心で舌打ちをする。
(戦争をするって、勝てる訳ないのに・・・それに何で私まで)
男は細身で、袖から覗く手足も骨と皮のみに見える。それでいて肌も不健康なまでに白く、軍装に身を纏ってはいるがどう見ても兵士でなければ、勿論前線に立つような将軍でもない。しかしそれもそのはず、彼は普段から鍛えているような武官ではなく、いつも書類の山と向き合っている類いの文官なのだから。
それでも戦場に彼が連れてこられているのは、彼が補給将校の補佐を命ぜられたから。しかし実態は、補佐と付いてはいるが、実質彼が補給部隊の指揮官であった。
つまりは前線に出る可能性は限りなく低いのだが、それでも負けの見えた戦いなど、後方支援でも気が休まるものではない。むしろ後方支援の方が、戦場全体に気を遣う分苦労する。
(確かに来訪者達は強くなった。しかし、少し強くなった程度であの陰エルフどもに勝てるはずはないのだ)
ナン大公国の南、平原を挟んだ先に広がる森に住んでいるエルフの事を、ナン大公国では陰エルフ、または闇エルフと呼んでいる。というのも、南の森に住むエルフ達はその森から絶対に出てこないのだ。そして、その森は入り口の浅いところでも暗く、外からでは中が窺い知れないほど。
そんな森に住まうエルフの全容は、実はナン大公国では確認されていなかったりする。それでも森の入り口付近で目撃された事があるエルフの姿は、森の暗さの影響もあり、肌の色が黒かった。
その森の暗さを加味して推測された南の森に住まうエルフの肌色は、それでも褐色或いは黒色と思われたところからそう呼ばれている。他にもその暗い森から出てこないことにも由来しているとか。
因みに、人間界を囲む森の西側にもエルフは住んでいるが、そちらのエルフは肌が白い。
そんな南のエルフにナン大公国が最初に侵略戦争を仕掛けたのは、今から百五十年ほど前になる。それ以後何度も遠征が行われてはいるが、一度として遠征軍が森の中に入れた事はない。
そんな敗北が続いているナン大公国ではあるが、それでも未だに国が健在なのは、南のエルフが森から絶対に出てこようとしないからであった。
その為、ナン大公国は幾度敗北を重ねても、侵略を諦めようとはしない。幾度かの遠征の中では、エルフを挑発して森から引きづり出そうとした事もあったらしいが、それが上手くいったことは一度もない。
そして今回は、異世界から連れてきた来訪者と呼ばれる存在に協力を要請して攻め込むようだったが、男にはそれが上手くいくとは到底思えなかった。
(来訪者達は着実に強くなってはいる。それも信じられない速度でだ。それが何処までも強くなるというのであれば、何れは陰エルフよりは強くなる日も訪れるであろう。しかし、それは今ではない。それは断言できる)
男は文官で、戦場に出たとしても後方支援で精一杯なのだが、以前に一度だけ上官の命令で最前線砦への補給に付き合った事があった。その際、幸か不幸か男は森の中に居るエルフの姿を僅かにだが眼にする機会を得る。
(本当に僅かではあったが、それでも判った。あれには勝てない)
微かに震え始めた腕を組むことによって、男はなんとか震えているのを誤魔化す。
男は戦闘には向かないものの、能力的に補佐としては優秀であった。それは魔法も同じで、彼は偵察系統の魔法を得意としている。それ故に、森から離れた場所に立つ砦からでも、ギリギリ森の様子を観察できたのだった。
その確認出来たエルフは、彼が百人居ても相手にならないだろう強さ。そんな実力差を見せつけられれば、戦う気力も失せるというもの。
そんな男が視るに、現在の来訪者達を都合よく見積もっても、強くて男が二十人程の強さ。三人居ても南のエルフ一人にも勝てないだろう。
更に、南の森にはエルフの張った結界が張られている。その結界は、遠征軍全軍でも破れない強固さを誇っている。
(そんな戦力差で勝てる訳がないというのに、公爵様は何を焦っておられるのだ?)
男は少し前に話をした公爵の姿を思い浮かべ、不審そうに眉を寄せた。
公爵に派兵を考え直してもらおうと男が会いに行った時の事。いつもは悠然と構えたようにしている公爵だったが、その日の公爵は、男の目には何処か余裕が無いように見えた。単に焦っているとも違う、何かに急き立てられているような感じ。
(あれは一体?)
男は考えるも、公爵が焦る理由に思い当たらない。強いてあげるのであれば、大結界が変わったことによる各国の力関係の変化ではあるが、別にそれでナン大公国が不利になったという話は聞いていない。
あれの結果は、マンナーカ連合国の力が大きく削がれ、ハンバーグ公国が台頭してきたというもの。それとクロック王国がそれにつられて力を増しはしたが、マンナーカ連合国以外の四ヵ国は人類防衛の為に共闘しているので、力関係的に何処かに大きく傾くような事にはならなかった。
それでも、多少はハンバーグ公国の発言力が増したことは事実なので、男は公爵はそれが気に食わなかったのではないかと予想した。同時に、ナン大公国も発言力を増そうなどという稚拙な理由で戦争を強行した可能性が頭に浮かぶ。
(まさか、な)
そんな考えを馬鹿げた事だと一笑に付そうとして、男は失敗する。
公爵という人物は自尊心は高いものの道理を弁えている人物なのだが、同時期に国として独立したハンバーグ公国に対してだけは何故か妙にムキになってしまう面を持ち合わせているのだから。
その事に男が引き攣った笑みを浮かべそうになった時、一行は南門前に展開している駐屯地に到着した。
◆
見回りから戻ってくると、ちょっとした騒ぎがあった。
周囲に居た何か知っていそうな人物に話を訊くと、どうも公都から軍隊が来たらしい。
聞いた話でしかないが、規模から考えて南の森へと攻め込むつもりのようだ。
無謀な。と思ったが、今回は落とし子がついているので、それで戦力を見誤ったのかもしれないな。だとしても、勝てない戦いを仕掛けるなど愚かすぎる。
しかし、周囲の反応は比較的好意的というか、興奮している感じがしているので、もしかしたらそれを誉と思っているのかもしれない。ボクから見ればただの集団自殺にしか思えないのだが、ナン大公国の歴史を鑑みれば、国として集団自殺を栄誉にしていても不思議ではないかもしれないな。
まぁ、ボクには関係のない話だ。ボクは他国の者だし、ジーニアス魔法学園所属なので戦争に参加する事はない。南の森のエルフは森から出てこないので、ナン大公国へと攻めてくることもないからな。つまりは無関係という事。
そういう訳で、話を聞いた後は宿舎に戻ることにする。
それにしても、プラタから報告がなかったな。問題ないから構わないが、どうかしたのだろうか?
疑問に思いつつも、駐屯地全体でいつも以上の熱気があるなか、それらを努めて無視して足早に進んでいく。
宿舎に到着して中に入ると、宿舎内に居た兵士から通達があった。どうやら近々軍が平原に出るので、他国の学生は平原に出られなくなるらしい。
平原に出られない間の任務は見回りのみとなるようだが、その中には駐屯地周辺の見回りも追加されるとか。しかしそんな事はどうだっていい。問題は平原に出られないという方。それは討伐数が稼げないという事に他ならない訳で。
「むぅ」
通知を受けた後、部屋に戻り自分のベッドに移動すると、ベッドの上で座りながら腕を組む。
「どうしたものか。まだ少し規定討伐数が残っているんだよな・・・」
見回りだけでも任務に就いている期間は問題ないが、ジーニアス魔法学園では進級するのに討伐数も必要なので、このままでは不味い。戦争は直ぐに終わると思うが、それでも最短での進級は無理だろう。
開戦をもう少し遅らせてくれればいいのにと思うも、今更言ったところでしょうがない。
ここは素直に受け入れて、見回りに従事するとしよう。今回の戦いで落とし子達の実力が判明すると考えれば、そう悪い話でもないのかもしれない。
さて、明日から平原に出る予定だったのだが、急遽予定が変更になった。その辺りの予定も教えられたのでいいのだが、明日から駐屯地周辺の警備か。新しい任務なので少し楽しみだが、刺激は少ないだろう。しかし、まともな奴なら軍隊が集結している場所で問題を起こす訳がないので、もしかしたら? そう考えれば、少しは楽しめるかも。
・・・なんて思ったが、そんな事にはならないだろうから、諦めて眠る事にした。
◆
「はぁ」
平原を輜重隊を率いて進む神経質そうな男は、誰にも気づかれないようにそっと息を吐く。
周囲には護衛の部隊も居るが、周辺には警邏している兵士達も居るので、襲撃してくる敵性生物の数はそこまで多くはない。
男が率いている輜重隊は、最前線までは向かわない。途中の砦を経由して、最前線から少し後方の砦に物資を搬入して待機の予定だ。それでも男は、胃が痛くなるような気分に襲われていた。
(予定では、目的の砦に到着した辺りで戦端が開かれている頃合いか。森からは離れているからこちらまで被害は出ないとは思うが、それでも気が重い)
寝込みたいほどに憂鬱な気分ながらも、男はそれを表に出さないように努めて表情を固定する。
男の場合、物資の搬入を終えればそれで終わりという訳ではなく、そこから物資の管理や前後の部隊との連絡も密に行い、連携していかなければならない。
それ以外にも、部隊の管理や砦内の仕事なども在り、その仕事の範囲は多岐に渡る。男自身、何故ここまで自分が働かされる必要があるのかという不満が大いにあるものの、後方支援という安全な部隊である為か、隊長が箔付の為に派遣された名ばかりの貴族の若造であったり、他の副官までも似たようなものという大人の事情があり、まともに仕事が出来る者が少なかった。
その事がより男の胃を痛めつけるのだが、泣き言も言えないので、今は耐えるしかない。それに男の予想では、今回の戦争は例年よりも圧倒的に短いと予想している。というのも、今回の作戦自体が来訪者達に頼りきりである以上、最初の来訪者達がエルフ達に切り込むという部分で躓いて終わりと予想しているからだ。
そんな理由から、どんなに長引いても一月から二月ぐらいだと想定している。しかしこれは男の勝手な想像なので、搬送中の物資の量は半年分ほどあるのだが。
途中の砦に寄りつつ、物資を運びながら先へと進む。既に前線部隊は先行しているので、明日にでも最前線砦に到着する頃合いだが、男の率いる輜重隊が目的の砦に到着するには、更に二日ほど要するだろう。
男の心の中ではゆっくりと、それこそ終戦までのんびりと進みたくはあったが、流石に必要な物資を運んでいる以上、それは許されない。
その事を残念に思いつつ、男は着実に輜重隊と共に平原を進んでいく。そろそろ今日泊まる予定の砦が見えてくる頃合いであった。
◆
南側の平原と森の境界付近で勃発した争いは、面白いほど一方的な戦いで終わった。
人間側の先鋒として森に攻め入った落とし子達だったが、森の手前でエルフ達に迎撃され、森への侵入は叶わない。
それでも諦めずに攻める落とし子達に、ナン大公国軍も後方から魔法による支援攻撃を行う。しかし、エルフ側に対して有効な攻撃がないどころか、エルフ側の障害にもなっていない。
落とし子達の魔法も同様で、戦いはエルフ側が一方的に攻撃を行うだけの状況であった。
もはや戦争どころか喧嘩にもならない一方的な戦い。それでも諦めない人間側の無駄な抵抗により、戦闘は無用に長引く。
長引くと言っても、十日ほどで人間側が撤退したのだが。
その戦いで落とし子達は瀕死の重傷を負いはしたが、命までは落とさなかった。しかし、死にかけてもなお戦おうとした姿は狂気を誘うものがあったとかなんとか。
撤退にも時間は掛かるが、相変わらずエルフ達は森の外へは出てこない為に、追撃は無かった。ただし、森から魔法の攻撃はあるので、ある程度の距離まで離れなければ安心できない。
エルフ側は最前線の砦までは攻撃してこないので、とりあえずそこまで退ければ一安心といったところであった。
そんな報告を受け、神経質そうな男はやはりこうなったかと内心で溜息を吐く。しかし、立場上嘆いていてもいられないので、すぐさま各方面へと撤退の為の準備をするように指示を出していく。
(それにしても、予想通りだったな)
短期間で終わるという男の予想は当たったが、予想の中でも早い部類に入る。これは落とし子達が果敢に攻めた結果なのだが、どちらにせよ結果は変わらなかっただろう。
慌ただしく、それでいて秩序正しく行動していく部隊を眺めながら、男は手元の書類を纏めていく。
これから輜重隊の隊長が一部の部隊と共に駐屯地に下がるも、男は砦で待機し、前線部隊と合流する予定。その後、前線部隊と共に下がっていく手筈となっていた。
つまりは邪魔な者達を駐屯地への報告がてら先に帰した後、前線部隊と合流して補給を行い撤退を開始するという事だが、大敗を喫したとはいえ、前線部隊の数は結構多いので、撤退は時間が掛かりそうであった。というのも、撤退の直接的な原因は落とし子達が瀕死になったからであって、部隊の損耗が激しいからではない。
エルフとの戦いにおいて、ナン大公国の兵士達は離れたところからの魔法攻撃と補助しか担当していないうえに、エルフ側の攻撃はあまり兵士達へと行われなかったので、被害自体はそこまで多くはない。敵性生物による被害も軽微だという。
それとは別に、多少の混乱は予想されている。というのも、数少ないナン大公国側の被害の中に、公爵自身が含まれているらしいという報告があるのだから。
その報告と今後の予定を組み立てながら、神経質そうな男は、ただただ面倒だという思いしかなかった。それと共に、無駄に功に焦る公爵に少々の不信を抱く。
(ま、理解は出来るのですが)
男は公爵が焦る理由も一応解ってはいるも、それでも納得までは出来なかった。それに死にこそしていないが、報告では公爵は大怪我を負っているという。その辺りの情報は隠されているらしいが、噂というものは意外と流れるものらしい。
そして、撤退の隠された原因は、その公爵が負傷したことでもあった。
(はぁ。それで何故こちらまで指揮権が下りてくるのか)
輜重隊と合流後の撤退の指揮を任すという旨の書かれた紙を見て、男はやつれたような顔を見せる。
その書状が届けられたのがつい先ほど。前線部隊との合流までは事前に聞かされていたのだが、その後に届いた書状に頭が痛くなりそうであった。
そもそもの話、男は確かに結構高位の貴族ではあるが、役目は文官であって荒事は門外漢なのだ。一部隊の指揮ですら荷が重いというのに、残存兵力を纏めて撤退など、男に出来るとは思えなかった。救いは追撃がない事ぐらい。
(前線には優秀な指揮官ぐらい居るだろうに)
その辺りについては報告が無く、再三男が確かめてみても、特にそれに関する情報は無かった。
それが逆に不気味ではあるが、正式な辞令であったのは間違いないので、男に否やはないのだが。
ともかく、決まったものはしょうがないと、男は隊長と一部の部隊を送りだした後、前線部隊を迎える準備を始める。
砦の容量もあるので、前線の部隊も一気に合流する訳ではなく、幾つかの部隊に分けて合流してくる。なので、残った輜重隊もその部隊の数だけ分け、各部隊に食糧などの物資を十分量分け与えて各自に管理させ、待機させた。
それらの手配の途中で最初の部隊が砦にやってきたが、一度休ませてから送りだすので、焦る必要はない。
そうして着実に兵士達を送りだした男は、最後の部隊と共に駐屯地を目指す。
その頃にはある程度情報を収集し終えていたが、纏めると今回の戦争も完敗したという一言に尽きた。だが最大の問題は、大怪我を負った公爵や瀕死の重傷を負っている落とし子達がまだ諦めていない事だろう。
男はその報告を聞いた時、所属する国を変えようかと本気で考えたほど。
こうしてナン大公国の森への侵攻はあっさりと終わりを迎えたのだった。
◆
南門に来てから六ヵ月近くが経過した。
ボクはジーニアス魔法学園から南門に派遣されているのだが、それで任務に従事する期間は六ヵ月。それが過ぎれば進級出来るのだが、六ヵ月過ぎれば自動的に進級出来る訳ではない。
進級するには、六ヵ月間任務に従事する他に、一定数の敵性生物の討伐が必要になってくる。その両方が満たされれば進級という流れになるのだが、それが満たされない間は、両方の条件が満たされるまでずっと任務に従事することになる。
そういう訳で現在。南門に来て六ヵ月が経過しようとしているのだが、それで進級条件の一つが満たされるかといえば、実はそうではない。
ここでいう任務従事期間には、休日は含まれていない。なので、その休日分を別に任務に従事しないといけないのだが、これも大分改善された。以前はジーニアス魔法学園と各門の駐屯地との移動期間や滞在期間も任務期間に含まれていなかったのだから、大分進歩したと言えよう。
なので、普通は大体更に一ヵ月ぐらい追加で任務に就くことで、六ヵ月の任務の従事期間が完了する。
まぁ、それは今はいい。現在の問題はもう一つの方。
現状、敵性生物の討伐数が規定数に達していないのだ。それでいて、現在平原での討伐任務が凍結されているので、討伐数を稼ぐ手立てがない。
「・・・はぁ」
討伐任務が無い代わりに追加された、駐屯地周辺警固の任務に就きながら、そっとため息を吐く。
そもそも何故平原に出る事に制限が掛かっているのかといえば、ナン大公国が南の森のエルフへと戦争を仕掛けたからだ。その影響で、平原に出ているのは兵士とナン大公国の学生の一部だけになっている。
そうして平原に出れなくなってどれぐらいが経っただろうか。そろそろ十日は経ったと思うが、まだナン大公国軍は帰ってきていない。戦況が分からないので、どうなっているのか気になるな。
『プラタ』
『如何なさいましたか? ご主人様』
なので、戦況を把握しているだろう相手に教えてもらう事にした。
『現在ナン大公国が南のエルフに攻撃を仕掛けていると思うのだけれども、それは把握している?』
『はい。成り行きも見守っております』
『そっか、それは良かった。それで戦況がどうなっているか教えてくれる?』
『畏まりました』
ボクの要請を快く引き受けてくれると、プラタが戦況の説明を始める。
『現在南の森と平原の境界辺りて戦闘が勃発しておりますが、エルフ側の一方的な戦いになっております』
『一方的? 落とし子達はそこまで弱いの?』
少し前に見た落とし子達は大分成長していた。それでも弱かったが、それからも成長しただろうし、少しぐらい抗えそうな気もしたのだが、そこまで育っていないのか?
『弱いですが、それなりに育ってはいます。しかし、それ以上にエルフ側が強くなっていたのと、侵攻にしっかりと備えていたのが効いているようです』
『ふむ。強くなっているのは例の強くなったエルフの影響かな?』
『もっとも影響を及ぼしたのはそれだと存じます』
『侵攻に備えていたのは、事前に察知していたから?』
『それに関しましては、アルセイドがそれを予見したのだと存じます』
『予見? アルセイドは未来を視る事が出来るの?』
『いえ、そんな大層なモノではありません。アルセイドは戦いの気配に敏感なだけで御座います』
『なるほどね。それでも十分に凄いと思うけれど』
事前に戦争の気配を感じ取ってそれに備えられるというのであれば、それは十分に価値のある能力と言えよう。今回はそれのおかげでより有利に事を進められた訳だし。
『それで、戦いはまだ続きそう?』
『戦力差は圧倒的で、戦闘を続けることに意味はないのですが、人間側はそれを認めず、諦めるつもりは無いようです』
『なら、まだ時間が掛かるのかな?』
『いえ。落とし子達が保たないでしょうから、それほど掛からずに戦いも終わるかと』
『なるほど。ナン大公国軍の方は?』
『落とし子達を前面に出し、ナン大公国軍は後方支援を務めるようで、そちらの被害はあまり大きくはありません』
『ふむ。落とし子達頼りということか』
『はい。落とし子達に攻めさせ、エルフ側を崩したところで一気に攻め入る算段のようです』
『・・・・・・それはまた、相手を過小評価しているというか、自分達を過大評価しているというか・・・あまりにエルフ達を舐め過ぎているな』
『はい。妄想と現実の区別がついていないのでしょう』
プラタの辛辣な言葉だが、それには頷くしかない。エルフの正確な強さを把握しろというのは酷な話ではあるが、それにしても今まで散々痛い目に遭ったというのに、それでもまだ舐めてかかれるというのは、余程学習能力が欠如しているのだろう。
一応ナン大公国は、五大国と言われる人間界の大国の一角なのだが、それがこんなていたらくで大丈夫なのだろうか? 人間界の未来は暗いのかもしれないな。
まあそんな事は今はどうでもいいが、早く戦争が終わってくれないかな。このままいけば、余分に一二ヵ月は覚悟しなければならない。見回りをしなくてもいいならば、まだ間に合うかもしれないが・・・。
『しかし、落とし子達も彼我の戦力差が判らないものなのかな?』
『理解している様ではあるのですが、退くという発想が無いようです』
『なんでだろう?』
『不明ですが、様子がおかしいような気もします』
『ふむ・・・急に強気になったのが原因かな?』
『おそらくは。しかし、確証はありません』
そうプラタが付け足すも、他に変わったこともなかったので、多分そうなのだろう。破滅への道とは、中々に恐ろしい変化だな。