第三章 火曜日のバグ
「どうしたの? りっくんもあいちゃんも、元気ないわね」
遅れてリビングに来たお母さんはそう言ったけど、元気がないわけじゃない。
僕はいつものように、食パンとサラダという朝食を食べていた。
テーブルの向かい側には愛里が座っていて、同じように朝食を食べている。
会話は……ない。
昨日あんなことがあったから、何を話すにしても気まずい。ただ静かに淡々とトーストにマーガリンを塗り、サラダを挟む作業をして口に運ぶ。
愛里もそう思っているのか、いつもと同じ焼かないままの食パンをもそもそと黙って食べている。たまたま一瞬目が合って、でも愛里はすぐに目を逸らした。
何も知らないお母さんの目には、その様子が元気がないと映ったのだろう。ちなみにお母さんが僕たちより後からリビングに来たのは、食パンをトースターに入れたっきりで焼くのを忘れていた、というのが理由だ。いかにもお母さんらしい。
お父さんは今日も朝早くから会社に行っている。いつもと同じ、三人での朝食だ。
「昨日は突然女の子になっちゃってびっくりしたけど、今日はどうなっちゃうのかしら? 早く遊びに行きたいわね~。でもりっくんもあいちゃんも、ちゃんとしっかり噛んで食べなきゃダメよ!」
気持ちが逸っているのはお母さんだけで、僕も愛里も別に急いでなんかいない。ちゃんとしっかり噛んで食べている。だけどお母さんの話が飛躍してしまうのはいつものことだから、いちいち気にしないで聞き流す。
「お母さんね、あんな小さな女の子になれるくらいならもう誰にだってなれるような気がするのよね! あ、でもお爺さんにはまだならなくていいかなー。やっぱり若いほうがいいわね!」
お母さんはアーピが本当はNPCで、バグで自分がアーピに入り込んでしまったのだということを知らない。仕様で誰かになってしまえるのだと思い込んでいる。昨日、「ハルナが来なくて、別の人間であるアミカが来た」のではなくて、「ハルナがアミカになって来た」と思ったのもそのせいだ。
お父さんも言っているけど、お母さんが『リュンタル・ワールド』を楽しんで遊ぶことが一番だ。その邪魔をしたくはない。でもだからって、こんな大きなバグを使って遊ぶのがいいことだとは思えない。それで本当に『リュンタル・ワールド』を楽しんでいることになるのだろうか?
「お母さ……ぷぷっ、お、お爺さんって……ぷっ」
愛里が食べかけの食パンを口に入れたまま、必死に笑いをこらえている。
そして、必死に口をもごもごさせて中のものを飲み込むと、
「あはははははっ。もうダメ。想像したら止まんなくなっちゃった。お母さんがお爺さんって。あははははははははは」
両手でテーブルをバンバン叩きながら、笑いを爆発させた。
よくわからないけど、何かスイッチが入ってしまったらしい。
「あら、そんなにおかしなこと言ったかしら?」
お母さんは自分の発言を振り返っているようで、トーストを食べながら軽く上目遣いになって虚空を眺めている。
僕は軽くため息をついた。
「じゃあ、僕は先にログインしてるから」
事務的な報告のように二人に伝え、トースト一枚だけで朝食を終わらせると、僕は部屋に戻った。
◇ ◇ ◇
「あ、リッキ、おはよう」
『
今日もまた、シェレラの胸の谷間にはアミカの顔が埋まっていた。シェレラの両腕が、アミカを優しく包み込むように抱いている。
「あのさ……シェレラ」
僕は挨拶を返さなかった。
「昨日も言おうとは思ったんだけどさ……シェレラ、この辺りは『門』があって人通りも多いし、あんまりそういうのはちょっと……」
「だって、アミカちゃんと会った瞬間、もう我慢できなくなっちゃって」
そう言いながら、シェレラはアミカの後頭部をなでた。
「ぅんん~ん」
体のどこから出てきたのだろうか、という悶え声をアミカが発している。すっかり抱かれ慣れてしまっているようだ。
「もうちょっと、もうちょっとだけ……」
アミカが小声で呟く。
アミカも僕が来たことには気がついているんだけど、なかなかシェレラから離れようとしない。ほんのり顔を赤く染めたまま、シェレラの胸の谷間で頭をもぞもぞさせている。
二人は平気なようだけど、さすがに僕は周囲の目が気になる。
「あのさ、ちょっと話しておきたいことがあるんだけど……そろそろいいかな?」
三人で噴水の近くにあるベンチに座ると、僕はアーピについてお父さんから聞いたことを、二人に話した。
僕自身がちゃんと理解しているとは言い切れないので、二人にきちんと伝えられるのか、そして納得してもらえるのか、ちょっと不安だ。
でも、
「うん。わかった」
シェレラはすぐにそう言ってくれた。いつものように、優しく微笑んでいる。でも、昨日もこの状況ですぐに「わかった」って言ってくれたけど、あんまりわかってなかった感じもするし、今日も本当にわかってくれているのかどうか、ちょっと疑わしい。
それに引きかえ、
「そんなこと……ほんとうにあるの?」
アミカは戸惑い、慎重に考え込んでいる。
本物のリュンタルに行ったりして不思議な事に慣れているシェレラと、単なる仮想現実型のゲームの一つとしてしか『リュンタル・ワールド』を知らないアミカとでは、こういう常識では考えられない事が起きた時の反応に差ができてしまうのかもしれない。
もしかしたら、深く考えることなくなんにでも寛容な智保と、理知的で計算高い玻瑠南の違いなのかもしれないけど。
「僕だってなかなか理解できないんだ。だってお母さん、アミカのことも『オートなんとか』で動いてるんだと思っちゃってるみたいだし」
「え、そうなの!?」
「うん、そうみたいだよ」
あはは、と僕は苦笑を付け加えた。
元々、玻瑠南は自分がハルナでもありアミカでもあると明かすつもりでいたから、そう思われてはまずい、ということはないと思うんだけど……。
「え、えっと、えっと……うん、それでいいよ」
よかった。受け入れてくれたみたいだ。
「ごめんね。混乱させちゃって。でもさ、実際そうなっちゃったんだから、アミカにもわかってほしいんだ」
「うん……よくわかんないけど、わかったよ。これからもきのうみたいになかよくするよ。だってアミカ、アーピのフレンドだし」
そうだ。アーピはフレンドだ。
僕がリュンタルで出会った人の中で、初めてフレンドになったのがアミカだった。それまでアイリーとシェレラ、そしてお父さんの名前しかなかったフレンドリストに新しく名前が加わった時は、本当に嬉しかった。アーピの中にはお母さんがいるから、アーピがリュンタルで出会った人かどうかは微妙だけど、フレンドであることに変わりはない。
アーピがNPCだと知ってしまった今、アーピとどう接すればいいのか迷っていたところもあったけど、アイリーが言うようにアーピはアーピとして、アミカが言うようにフレンドとして、難しいことは考えずに一緒に遊んで楽しめばいいのかもしれない。
でも、バグはバグだし、お母さんが中にいるアーピはNPCともPCとも言い切れない、不思議な立場だ。僕はアイリーとは違って、NPCはあくまでもNPC、PCとは違うのだと割り切っている。どうすればいいのか、やっぱり迷う。それに、こんな状態がお母さんに何か負担がかけてしまわないだろか、というのも気になるし……。
考えがまとまらないうちに、『門』が光り出した。白い光の円筒が上に伸び、数秒後にだんだん下に降りて消えていく。
現れたのは、アイリーと――。
アーピ、ではなかった。
髪の色も瞳の色も、セキアやアーピと同じ黄緑色。
身長はアーピと同じくらいだ。顔立ちからもアーピと同じくらいの年齢に見える。
ただ、どう見ても……。
男の子、にしか見えない。
水色の長袖シャツに、ポケットがたくさんついた茶色いベスト。それよりちょっと薄い茶色のハーフパンツにも、大きなポケットがついている。腰には髪や瞳と同じ黄緑色のウエストポーチ。
昨日アーピが現れた時のように、僕だけでなくシェレラもアミカも、呆気にとられている。アイリーだけは落ち着いていて、一緒に『門』の中にいる少年の様子を見ている。
少年は体の前で右手を素早く動かし始めた。アーピの時と同じように、名前を入力しているのだろう。
動きが止まったのを見て、隣で見ていたアイリーが軽く膝を曲げ、少年と目の高さを合わせて挨拶をした。
「こんにちは」
「あ、こんにちは」
急に話しかけられてびっくりしたみたいだったけど、少年は挨拶を返した。アーピの声とは違う、少年らしい声だった。でも、アーピがそうだったように、これもきっとお母さんの声なのだろう。バグのせいで何が起きてもおかしくないとは思っていても、やっぱり不思議だ。
◇ ◇ ◇
「俺の名前はカイ。みんなは?」
昨日アーピとしたように、まずお互いの自己紹介から始まった。
それよりも――。
どうしても、ヴェンクーのことを思い出してしまう。
ヴェンクーは僕より一つ年上の十五歳のわりには体が小さく、まるで小学生のようだった。ちょうどカイと同じくらいの身長だ。他にこれくらいの男の子とリュンタルで一緒になったことはないし、ついカイにヴェンクーを重ねてしまう。
ただ、髪の毛があっちこっちに撥ねまくっていたヴェンクーと違って、カイの髪は耳を隠すくらいの長さのストレートだし、話し方からは利発で社交性があるように思える。喧嘩っ早くて見た目通りの子供みたいな性格だったヴェンクーとは、やっぱり違う。
もしかしたら、お母さんはこれからずっとログインするたびに違う人になってしまうのだろうか。
その度に、中にお母さんがいるとわかっていながらこうして自己紹介をして、会ったことがない他人として振る舞いながら行動を共にすることになるのだろうか。
そんなことを考えているうちに自己紹介が終わり、フレンド登録も済ませた。次にやることと言ったら――。
「ねえ、今日は何して遊ぼうか?」
アイリーがそう言い出すのは、自然な流れだ。
「私は、思い切って全然知らない場所に行ってみたいんだけど」
おいおい。僕たちに意見を訊いたんじゃないのかよ。
「あたしもそれでいいかな」
「アミカもそれでいいよ」
「じゃあ決まりね」
結局、僕が一言も発しないまま、あっという間に決定してしまった。
◇ ◇ ◇
ブンシェマという、山のふもとにある小さな村に来た。
ピレックルやギズパスからも遠く離れた場所だ。『門』に表示されたマップをアイリーが目をつぶってタッチした結果、とんでもない田舎に来てしまった。もしマップがなかったら、名前どころか存在自体を知ることもなかっただろう。ブンシェマはセジェーという国の辺境ということになっているんだけど、セジェーどころかその周辺地域すら行ったことがなく、本当にアイリーが言うように全然知らない場所だ。
辺りを見回すと、面白そうなものは何もない。屋根の茅葺きがところどころ崩れている古い家が点在しているくらいで、あとは収穫後っぽい畑と自然の草木、そして土がむき出しの空き地があるだけだ。NPCの村人も見当たらない。
家の横や道端に立っている木が、熱帯風の色鮮やかな実をつけている。一本の木に赤や黄色、紫の実がなっていて、大きさも指先でつまめるものから人の頭より大きなものまで様々だ。現実世界にあれば珍しいだろうけど、『リュンタル・ワールド』の中では、こんな現実にはないものの存在はよくある光景だ。
畑に沿って流れる水路の水は山から引いてきているのだろうか、とても澄んでいる。しゃがんで中を覗くとメダカのような魚が泳いでいて、水面に映る僕の顔を揺らした。
本物のリュンタルにもこういう小さな村があって、お父さんはそこに行ったのだろうか。だとしたら本当にお父さんはリュンタルのあちこちをくまなく旅していたんだろうな。でもたまに『ゲームだから』という理由で本物のリュンタルとは違うことを混ぜてくることもあるし、やっぱりこんな小さな村までは行っていないのかもしれない……。
「……ちゃん! お兄ちゃん!」
アイリーの呼ぶ声ではっと我に返り、顔を上げた。
「何やってんの! ぼーっとしちゃって。置いてくよ!」
いつの間にか、他のみんなは少し離れた場所に行ってしまっていた。アイリーだけでなく、みんなが振り向いて僕を見ている。
「あーごめんごめん」
すぐに走って追いついた。
「で、どうするんだよこれから」
「んもう、何も聞いてないんだから!」
アイリーはちょっと怒っている。
歩きながらアイリーが説明してくれた。どうやら僕が水路のメダカを見ていた間に、山の頂上を目指そうという話になったらしい。
そんなに高そうな山ではない。簡単に登れそうだ。現実世界の登山と違って、疲れることもないし。あとはどんなモンスターが出現するかだ。全く来たことがない場所だから、これだけは予測がつかない。注意しないと。
◇ ◇ ◇
「ねえ、カイの服っていっぱいポケットついてるけど、何が入ってるの?」
誰とでも積極的に友達になろうとする性格からだろうか。それともバグについてしっかり把握しているからなのだろうか。アイリーはカイと話すことになんのためらいもない。もっとも、ただ黙々と歩くのもつまらないし、僕はあまり自分から進んで会話を切り出す性格でもないから、こうしてアイリーが積極的に話そうとしてくれているのはありがたい。
「いろいろ入ってるけど。例えば……」
カイはポケットに右手を入れた。ベストの右側に縦に並んでいるうちの、一番下のポケットだ。
ポケットから手を出したカイが、握っていた手を開いた。掌の上には、長いひもの先に黒い小石がくくりつけてある、なんだかよくわからない物が乗っている。
カイは道端に立っていた木を見上げた。
「アイリー、どれが欲しい?」
「どれって……果物のこと? じゃあ、あの赤いの」
アイリーが指差した先には、トマトのような真っ赤な実が枝の先からぶら下がっていた。五メートルくらいの高さだ。
「うん、あれだな。アイリー、受け止める準備はいい?」
「え? 受け止める?」
戸惑うアイリーをよそに、カイはひもの一端を手に巻きつけると、もう一端にくくりつけられた小石を赤い実に向けて勢いよく投げた。
ヒュッ、と空気を切る音を残し、小石が飛んで行く。小石は赤い実の付け根で円を描いた。付け根に巻き付いたひもが締まり、赤い実を枝から切り離した。落ちてきた赤い実を、アイリーはあたふたして腕をばたつかせながらなんとか両手で受け止めた。小石は弧を描きながら戻ってきて、待ち構えていたカイの右手にすっぽりと収まった。
「あっ、意外と固い」
アイリーが指先で叩いたり弾いたりしても、赤い実の皮には傷一つつかない。
「これ使って」
カイはベストの左側のポケットからナイフを取り出した。果物を切るにはちょうどいい大きさだ。
ナイフを受け取ったアイリーが赤い実に刃を当てると、実は綺麗に真っ二つに分かれた。
「えっ何これ? 私全然切ってないよ?」
赤い皮に包まれた実は意外にも中は真っ白だったけど、それよりもナイフの方にアイリーの視線と興味は注がれていた。
「勝手に手が動いて、勝手にナイフで切って……っていうか、ナイフが自然に沈んでいった。カイ、これって一体」
「リッキはどれがいい? あの紫の大きいのでいい?」
アイリーの言葉が聞こえていなかったかのように、カイは木のてっぺんを指差した。十メートルくらいの高さのところに、遠近法を無視したような大きい紫の実がなっている。
「え、ちょっと待てよ、あんなとこ届くわけないだ……ろ……」
僕が言い終わるのを待たず、カイは小石を空に向けて放った。小石が実に届く前に、ひもが伸び切ってしまった。完全に失敗だ。やっぱりあんな高いところ、無理なんだ……と思ったら、小石はさらに上昇を始めた。その動きに合わせて、ピンと張ったひもがどんどん伸びていく。小石は勢いを失うことなく大きな紫の実の根元に近づき、ひもを巻きつけた。
ただでさえ大きな実が、さらに大きくなりながら僕に向かって落ちてきた。上にあるときはよくわからなかったけど、長いトゲがまるでハリセンボンのように全方向に突き出している。こんなの、一体どうやって受け止めたら……。
「リッキ、逃げろ!」
カイが叫んだ。
とっさに反応して後方にジャンプ。直後、さっきまで僕が踏んでいた地面がドスンと響いた。トゲだらけの紫の実が、あの高さから落下したにも関わらず割れることなく、一メートル近い大きさのまま圧倒的存在感を放っている。
思わず息が止まる。
「よかったねお兄ちゃん。ちゃんと避けられて。受け止めてたら死んでたよ? ちゃんとカイに感謝してね。それにこの果物、果肉は濃厚なのに甘さはあっさりしていておいしいよ!」
アイリーは赤い皮をきれいに剥いた白い果肉をもしゃもしゃとかじりながら、前半は棒読み、後半は感情を込めて言った。どうやらアイリーにとっては僕の命より果物の味のほうが大事らしい。
「うん。のうこうであっさり」
半分をもらったアミカも、おいしそうに食べている。
アミカまで果物のほうが大事なのか……。まあ、無事だったからよかったんだけど。
「はは、ごめんごめん。ちょっと思ってたより大きかった」
カイは軽く笑いながら謝った。
さっきのアイリーが話しているのを完全無視して次の実を落とそうとした時もそうだけど、大きなミスを笑ってすまそうとしたり、カイにはちょっとお母さんを感じてしまうところがある。
「カイ、そのアイテム、見せてもらってもいい?」
シェレラが右手を伸ばす。
「ああ、いいよ。シェレラも使ってみる?」
カイからアイテムを受け取ったシェレラは、すぐに小石を投げた。小石は全く実がついていない枝の先へと斜めに飛んでいった。シェレラらしい。
ところが。
小石は急激に角度を変え、幹から直接生えている黄色く細長い実の根元をしっかりと捉えた。
「僕に任せて!」
垂直に落ちてきた黄色い実を、僕が横から左手を伸ばして掴んだ。戻ってくる小石と落ちてくる実を同時にキャッチするのが、シェレラには難しそうだったからだ。
一メートルくらいの長さの黄色い実は、やや弾力があった。
「お兄ちゃん、このナイフ使ってみて。すごいから」
アイリーがカイから借りたナイフを僕に差し出した。
受け取って、黄色い実を地面に置き、刃を当ててみた。するとアイリーが言ったように、本当に何もしていないのに勝手にナイフが沈み、実を二つに分けた。
なんだこれは。切ったという実感が、まるでない。
もう一度その感触を味わいたくて、別の場所に刃を当てた。同じように、ナイフはすっと沈み、実を切り分けた。
もう一度、もう一度。
切ったという感触がまるでないまま、細長かった実は五つに分けられていた。
◇ ◇ ◇
「バナナだね」
「うん。バナナだ」
人数分に切り分けられた黄色い実を食べながら、僕たちはまた山に向かって歩き出した。トゲトゲの巨大な紫の実は結局手を付けることができなかった。そのまま放置してもよかったんだけど、せっかくだからアイテムリストに加えておくことにした。必要がなかったらあとで売ってしまえばいい。大したことないと思っていたアイテムが意外な高値になることだってあるし。
「カイ、さっきのアイテム、一体どういう仕組みになっているんだ?」
「ああ、これは」
僕が訊くと、カイはポケットにしまったひもと小石のアイテムをまた取り出した。
「この石は、魔石を加工しているんだよ。だから、魔力で狙ったところにピンポイントで飛ばすことができるし、ひもも魔力で伸ばすことができるんだ。それと、このナイフも」
ベストの左側のポケットから、さっきのナイフを取り出した。
「刃の原料に魔石の粉が含まれていて、魔力で綺麗に切ることができるんだ。でも、人間を切ることはできない。だから、不器用な人が間違って自分の指を切ってしまうなんてことは、絶対に起きないんだ」
カイは自分の掌にナイフを当て、すっと引いた。あんなに鮮やかに果物を切ったナイフなのに、カイの掌には全く傷がつかない。
こんなアイテムがあったなんで、僕は全然知らなかった。
「すごいな……。カイ、そのアイテムはどうやって手に入れたんだ?」
「違うよリッキ。これは俺が作ったんだ」
作った?
「俺、魔石を使ってアイテムを作るのが得意なんだ。だからこうして作ったものを入れたり、あと材料を入れたりとか……とにかく、ポケットはたくさんあったほうがいいんだ。それとこのポーチには工具が入っている。これさえあれば、俺はなんだってできるんだ」
カイは左手でウエストポーチをポンポンと叩いた。
僕は、NPCのカイにすっかり心惹かれてしまっていた。
「――で、ここに魔石をセットすると、ズザーフ塗装の導線がこう流れているから……」
「うんうん」
「それと、無駄がないように全体をきちんと磨いて」
「研磨剤は……ジュイヴィオンでいいよね?」
「そうそう! あれ、すごい滑らかになるよな。ツヤも出るし」
「何番がいいかな? 二番?」
「三番のほうがいいよ」
「ってことは、赤の水滴が二つと水色の三角形、それと紫の星ね」
「うん」
さっきから、カイとシェレラの会話が弾んでいる。目の前の空間を指差しながらいろいろ言っているんだけど、僕にはさっぱりわからない。何かの図面が開かれているらしいんだけど、そもそもカイとシェレラの二人しか見られないようになっているし、専門用語らしい単語がいくつも出てきたりして全く理解不能だ。かろうじてわかったのが、赤の水滴とかの部分だ。必要な希石の色と形は何か、ということを言っているはずだ。
「アイリー、アミカ、何言ってるかわかる?」
「わかんない」
「アミカも」
やっぱり。
おそらく、モノ作り職人という点で、アクセサリーを作るのが得意なシェレラと重なる部分が多いのだろう。非公開データをいろいろ持っている僕だけど、こういうジャンルはさすがに専門外だ。
二人の会話に気を取られているうちに、いつの間にか村の外に出ていたようだ。全然気がつかなかった。壁や柵はなかったから、どこが境界だったのか、思い出そうとしてもわからない。知らないうちに畑はなくなり、遠くにある丈の長いシダのような草の隙間からは、ホワイトワームが大きな姿を見せていた。
結局僕は理解不能な二人の会話をBGMにしながら特に何も話すことなく歩き続けた。アイリーとアミカも、最初のうちは掲示板などでこの村についての情報を探していたんだけど、結局これといった情報がなくて、僕と同じくただ歩くこととなった。
僕はカイが楽しそうに話しているのが嬉しかった。カイが楽しんでいるということは、お母さんも楽しんでいるということだからだ。だから僕はずっとカイを見ていた。また夕食の時に、今日の出来事を楽しそうにお父さんに話すであろうお母さんの姿を想像しながら。
そうしているうちに、山の入口に到着した。山の周囲に沿って道があって、草木が茂っている山との境目がくっきり分かれている。僕たちが歩いてきた道は、山の周囲の道と交差してそのまま真っ直ぐ山の中に伸びている。
「二人とも、もういいかな? ここからはいつ戦闘になるかわからないから」
おしゃべりをしちゃいけないということはないけど、周囲を警戒することなく戦闘と関係ない画像を展開してそれに夢中になっていたのでは、さすがに困る。街道沿いの開けた場所とは違って、草木に覆われた山の中では不意にモンスターが現れることがあるからだ。だから僕は一旦立ち止まって、戦闘に備えるように促した。
それなのに。
カイもシェレラも、会話を続けたまま二人だけで山の中へと進んでいく。
「お、おい! カイ! シェレラ!」
僕が大声をあげると、やっと二人は歩くのを止め、振り返った。
「どうしたのリッキ。急に大声なんか出して」
「そうだぞリッキ。びっくりしたじゃないか」
不満そうな表情が、はっきりとわかる。
「どうしたのじゃないだろ。ここから先はいつ戦闘になるかわからないんだから、ちゃんとそれに備えないと」
「「えっ……」」
二人は辺りを見回した。
「あら……ここ、山の中?」
「俺、もうそんなに歩いたっけ?」
「気づいてなかったのかよ!」
天然のシェレラはともかく、カイまで気づいていなかったなんて。やっぱり……中にいるお母さんが、カイのAIに影響を与えているんだろうな。お母さんならこういうこと、絶対にあり得るし。
山全体が森になっていて、その森を割るように道が伸びている。山頂に向かって一直線なのではなく、山全体を巻くような、かなりなだらかな上り坂だ。道は二人が並んで歩けるくらいの幅で、でこぼこだし石は多いし、日光があまり届かなくて薄暗いし、お世辞にも歩きやすいとは言えない。倒木が横たわっている時もあるくらいだ。ここに来るまで見てきた木とは違って、この森の木には実はなっていない。
モンスターが全然現れない。もしかしたらあまりに田舎すぎて存在が忘れられていて、プログラムする時にモンスターを配置し忘れたんじゃないだろうか、誰も来ないから指摘する人がいなくて修正されないまま放置されているんじゃないか、とすら思えてくる。わざわざカイとシェレラに注意をして戦闘に備えたのに、なんだか拍子抜けだ。
道幅が狭いから、五人並んでは歩けない。僕が先頭、その後ろにカイとシェレラが並んで、さらに後ろにアイリーとアミカが並ぶという隊列になっている。
「シェレラもアイテム作れるんだろ? どんなの作ってんの?」
「あたしが作るのはアクセサリーだから。ただの飾りね」
「そうなのか? シェレラだったらもっといろいろ作れると思うけどな。だって俺とこんなに話が合う人なんて他にいないもん」
「あたしも話が合う人なんてなかなかいないなー」
僕の後ろで、またカイとシェレラが話を始めた。全然モンスターが現れないから、気が緩んできたのだろう。
確かに、シェレラと話が合う人というのはかなり貴重な存在だ。内容が……というより、言っていることが噛み合わずに会話にならないことが多い。幼なじみの僕ですらそうなのだから、初めて会った人ならなおさらだ。それなのにカイとこんなに話が合うなんて、よほど相性が良いのだろう。
「でも、リッキはちゃんと話を聞いてくれるよ」
僕の名前が出て、思わず振り返った。
「なぜかみんなあたしの話について来られなくて、途中で諦めちゃう人もいるんだけど、リッキは頑張ってちゃんと聞いて、ちゃんと答えようとしてくれるから」
「それはだって、人が話していたら、聞くのは普通のことじゃないか」
振り向いたまま、シェレラが言うことに答える。
「うん、リッキはちゃんと聞いてくれる。こっちが思ったことを答えてくれないことも多いけど」
「それはシェレラがとんでもないこと言ったりするからだろ。僕だってシェレラについていけない時はあるって」
「どうしてあたしのことを好きだって言えないのか、全然わからない」
「そ、それは」
「アミカのことが好きだからに決まってるじゃない!」
シェレラとカイの間をぐいっと割って、アミカが前に出た。
「リッキはアミカのことが大好きなんだもんね!」
二人の間を抜けたアミカが僕の隣に来て、手を握った。
いつもならそのまま握り返すんだけど、今はシェレラが目の前にいるし、さすがにちょっとやりにくい。
「むっ」
シェレラが口を尖らせて僕を睨んだ。
カイは頭の後ろで手を組んで、僕を見上げている。
「なんだよ、リッキってモテモテじゃないか。知らなかったよ」
ヒヒッ、と白い歯を見せて笑っている。
「いやその、これは、僕はそんなつもりじゃなくて」
「うん。リッキはあたしだけが好き」
シェレラも前に出て、僕の手を握った。
二人分の道幅しかないのに、シェレラとアミカに挟まれて三人並んで歩いている。自然と、両側の二人が僕の方に寄ってきて僕を挟み込む。
「ちょっと二人とも、歩きにくいから下がって!」
左右を見ながら言ったんだけど……それでも僕は挟まれたままだ。
「シェレラが下がればいいじゃん!」
「アミカが下がればいいのに」
また始まったよこの二人。
そして――。
「くっくくくく」
「あははははは」
背中から笑い声が聞こえてきた。
それを見たアイリーが笑っている、というのが定番のパターンだけど、今はカイも加わってしまっている。
「アイリー、リッキっていつもこんななのか?」
「うん。そうだよ」
「へーっ、すごいなー」
そしてまた二人で笑っている。
こっちは困っているっていうのに、ずいぶんとお気楽なもんだ。
「アイリーはともかく、カイまで笑わないでくれよ」
僕は振り向いて言った。
「カイは魔法のアイテムを作れる技術や知識を持っているし、性格も明るいし元気だし、今はまだそんなことないかもしれないけど、笑ってなんかいられなくなる時が来るのもそんなに遅くないんじゃないかな」
僕なんかより、将来はカイのほうが絶対に魅力的な男になるはずだ。僕はただ、背が高いから目立っているだけだ。
「へ? ……う、うん」
なんだかうまく伝わっていない感じがする。カイの返事には、あまり理解している様子がない。言っている意味を飲み込めないまま聞き流しているようだ。カイはまだ子供で、自覚が持てないのかもしれない。
あっ。
もしかして、NPCであるカイのAIには、年を取るっていう概念がないのか?
NPCが年を取るのか取らないのかって、気にしたことなかったな。どっちなんだろ。
「いや、なんでもない。気にしないで」
僕はまた前を向いた。そしてシェレラとアミカに握られていた両手を振りほどいて、一歩前に出た。
話しているうちに、景色が変わっていた。
「何かあるかもしれないから、気を抜かないで行こう」
ずっと薄暗い森の中だった道の先に、日光が降り注いでいた。
森を抜けた。
道幅は変わっていない。二人分のままだ。
でも、景色はだいぶ違う。
山頂に近い左側は、赤茶色の土がむき出しになった、崖のような急斜面の山肌。十メートルくらいの高さだろうか。その上はまた木が生えていて、緑に覆われている。右側は一メートルくらいの長さの草が一面に生い茂っていて、ゆるい下り坂になっている。その先には川が流れているのが見える。村にあった水路は、ここから引いているのだろうか。川の向こうは森だ。
「いかにも何かありそうな地形だな」
僕は左側の崖を見上げた。
「例えば、あの上の木の辺りにモンスターが潜んでいて飛び降りてくるとか、岩が落ちてくるとか」
「お兄ちゃん、考え過ぎなんじゃないの? さっきからずっと何も出てこないじゃん。そんなことより今の状況を楽しんだほうがいいんじゃないの? っくくく」
最後のほうは笑いを漏らしながら、後ろからアイリーがからかう。
本気で危ないと思っているのに、両隣の二人は相変わらず場所を譲らず、僕を挟み込む体勢のままだ。
「シェレラ、アミカ、本当に危ないから、いい加減に――」
――ガサガサッ。
草むらの一部が、不自然に波打った。
他のみんなも気づいたようだ。
僕は寄り添うように歩いていたシェレラとアミカの間から抜け出し、剣に手をかけた。
両隣にいた二人も、僕についてくることはなく身構える。
「ついにお出ましか」
僕は剣を抜いた。アイリーも杖を構えている。
草むらを動く波は、ガサガサと音を立てながら不規則に動いている。右に左に、そして時には遠のきながら、それでも徐々に近づいて来ている。
絶対に、何かがいる。おそらくモンスターだろう。
波の動きに目を合わせ、草むらを抜け出し飛びかかってくるであろうモンスターを待つ。
「上!」
シェレラが振り返って叫んだ。
僕も振り返る。
背後となっていた赤土の崖の上から、小石や土がパラパラと降ってきていた。
それに続いて落ちてきたのは大きな岩。
細い道を前後に分かれて回避。草むらの動きに気を取られて、ついさっきまで警戒していたのに気がつかなかった。でもシェレラは僕ではわからないような小さなことに気づくことがよくある。本物のリュンタルに行った時だって、きっかけとなるバグを最初に見つけたのはシェレラだったし。
岩が道に落ち、地響きが足の裏から全身に伝わる。岩は重い音を響かせややバウンドすると、そのまま草むらに転がり落ちて止まった。
赤土の崖を見上げると、森から姿を現したのは小さな人影。
魔人だ。
禿げた頭に尖った耳、三日月のように裂けた口、しわくちゃな顔。くすんだ灰色の肌をした魔人が、数人がかりで次の岩を落とそうとしていた。
「まだ来る! 気をつけて!」
そう叫んだ瞬間。
「シャアアァァァッ」
枯れた叫び声とともに、草むらにいた魔人が次々と飛び出してきた。道の後方に立ちはだかり、僕たちの退路を断つ。ピレックルの南の荒野に住む魔人は希石と同じ色鮮やかな服を着ているけど、この魔人たちは服の色まで肌と同じくくすんだ灰色だ。これでは草むらの中に潜まれたら発見しにくい。数は五匹。僕たちと同じ数だけどシェレラとカイは武器を持っていないし、一対一というわけにはいかない。アイリーと並んで隊列の後ろにいたカイが、先頭の僕のところまで来て身を隠した。
僕は草むらから現れた魔人を警戒しつつ赤土の崖を見上げ、次の岩が落ちてくるのを回避しようとした……が。
「――っ!」
一ヶ所だけではなかった。
急斜面の上にある森から続々と魔人たちが現れ、ずらりと横に並んだ。
その魔人たちが、一斉に岩を落とした!
こうなると道の上に逃げ場所はない。僕たちは草むらに飛び込むように逃げた。それと同時に、
「シャアアァァァッ」
「シャアアァァァッ」
草むらの中から、乾いた雄叫びが上がった。魔人の群れが潜んでいたんだ!
魔人の身長は一メートルくらいだ。草の長さとちょうど同じくらいで、どこに魔人がいるのかよくわからない。
魔人はどこだ?
背後では魔人が落とした岩が一列になって道に落下して砕け、轟音が鳴り響く。
思わず後ろを振り返った。
その瞬間。嫌な感覚。
僕が振り向いたタイミングに合わせて魔人が突撃してきていた。湾曲した刀が僕の右脇腹に食い込んだ。幸いにも一撃で死ぬほどの深い傷ではなかった。僕は魔人を蹴りつけた。草むらの中なので吹っ飛びはしなかったけど、多少は距離ができた。体勢を崩した魔人に剣先を突き付け、そのまま貫いた。魔人は光の粒子となって消えた。
周囲を警戒しつつポーションを飲む。斬られた右脇腹が修復していき、破れた服も元通りになった。
「みんな! 大丈夫?」
周囲を見渡す。
岩から逃れ、魔人に襲われ、草むらの中で僕たちは離ればなれになってしまっていた。
「全然大丈夫じゃないよ!」
一番遠くにいるアイリーが叫んでいる。アイリーは杖を前に向け、火炎放射器のように炎を吐き出し続けていた。草むらに火がつき、燃え広がろうとしている。あんなことを言っているけど、焼き払おうなんて考えるくらいなら大丈夫だ。
その間にシェレラとアミカがいた。二人とも魔人に襲われているけど、
「カイ! カイはどこだ!」
姿が見当たらない。
「カイ! 返事をしてくれ!」
まさか……どこかで倒れているのか?
草を切り分けながら歩く。
すると、前方の草が一瞬だけざわざわっと揺れた。
「カイ? そこにいるのか?」
急いで草をかき分けながら近づく。
しかし。
「シャアアァァァッ」
僕はまた魔人に突撃されてしまった。
今度はなんとか受け止めた。魔人の湾曲した刀と僕の細身の長剣がぶつかり、甲高い金属音を響かせる。魔人はすばしっこいが、戦闘力は高くない。動きが封じられた草むらの中で一対一で戦うのなら僕の敵ではない。僕は難なく魔人を仕留めた。
それからも魔人は次々と襲ってきた。草むらに潜んでいて突然現れてくるから先手は打てないけど、戦闘力の違いもあり全て倒すことができた。
魔人が落とすアイテムといえば希石だ。中には希石を残して消えていく魔人も何匹かいた。これだけの数の魔人がいれば、拾える希石も多いだろう。
でも。そんなことより。
「カイ! どこにいるんだ!」
希石を拾っている場合ではない。カイが見つからない。草むらが広すぎてどうにもならない。アイリーが放った火である程度は灰になっているけど、全体から見ればまだまだごく一部だ。
もしかして、草むらの中からまた道に戻って逃げたのだろうか? もし逃げのびていたのなら、それが一番いいんだけど。それを確かめるべく、草むらの奥のほうまで進んでいた僕は道のほうに戻ることにした。
とは言っても元々いた場所は落下した岩が砕けて散らばっている。だからその先へと向かって草を切り分けて進む。その間にも魔人は襲ってきた。何度も魔人に襲われ足止めされ、なかなか草むらから抜け出せない。また魔人に襲われ、倒し、進む。
その瞬間。
「――っ!」
横から足首を掴まれた!
引き寄せられ、バランスを崩す。
よろけながらもなんとか体勢を保ち、足元の先へ剣を突きつけた。
「リッキ、俺だよ、俺」
剣の先から囁く声がかすかに聞こえた。
密集した草の隙間から見える、しゃがんだ少年の姿。
「カイ!」
「しーっ! 声が大きい!」
カイは口に指を当て、静かにするよう促す。
「ごめんごめん」
僕は周囲を見ながら剣を引き、小声で謝った。
カイは手先だけを上下に振った。それに促されて、僕もしゃがんだ。
「草の上に顔を出しているから見つかって襲われるんだよ。こうしていれば大丈夫」
耳元でカイが囁く。
「……だよな」
単純だけど気がつかなかった。襲われても斬って倒せばいいと考えていたからかもしれない。攻撃も防御も手段を持たないカイにとっては、じっと身を潜めるのが一番だ。それに、黄緑色の髪の毛や茶色いベストとハーフパンツがちょうど保護色になっていて、草むらの中に自然に溶け込んでいた。
「それでもずっと一ヶ所にいればいつか見つかってしまうだろうから、少しずつ動いて離れることにしたんだ。リッキが俺を探してくれていたのはわかっていたけど、見つかってしまうから返事ができなかった」
焦って探し回ったのがバカみたいだ。僕よりもカイのほうがよほど冷静に考えて行動している。
でも、これからどうする?
立って歩いたほうが速いけど、カイを守りながら魔人と戦わなければならない。
このまま身を潜めながら草むらを抜け出すのは、より安全だけど時間がかかってしまう。
「リッキ、他のみんなはどうしたんだ?」
「大丈夫。ちょっとバラバラになっちゃったけど、魔人と戦って負けるようなことはないよ。それに、みんなちゃんと見える範囲にいるし、このまま離ればなれになってしまうことはないさ」
僕はゆっくりと目から上だけを草むらから出し、周囲を窺った。
僕とカイは、岩の襲撃を受けた場所からはだいぶ先へ行っていた。進んできた方向を振り返って見ると、道には落下した岩の破片が散らばっている。その近くの草むらはアイリーが魔法で燃やしてしまっていた。ほとんど消えかけているけど、アイリーはもう炎を放ってはいない。ずっと炎を放ち続けていたら、さすがにMPが尽きてしまうからだろう。シェレラとアミカはアイリーと合流して、灰となってしまった場所に三人一緒にいるのが小さく見える。
「三人とも一緒にいる。後は僕たちと合流するだけだ」
これなら道へ抜け出すだけでなく、アイリーたちのいる場所まで戻り合流するという選択肢もある。このままじっとしていて、アイリーたちがこっちに来るのを待つという手もある。
カイの表情にも安堵の色が見える。
「どうする? 思い切って立って歩いてアイリーたちと合流しないか? 魔人に見つかっても僕が守るから大丈夫さ」
カイが頷き立ち上がろうとした、その時だった。
草むらの中から魔人たちがアイリーたちに襲いかかるべく次々と飛び出してきた。アイリーは炎の玉を放って応戦しているけど、魔人が避けてしまい、なかなか当たらない。ピレックルの近辺にいる魔人にならちゃんと当たるはずなんだけど、ここにいる魔人たちは敏捷性が高いのか、アイリーの攻撃に対応できてしまっている。
助けに行かなきゃとは思っても、途中で潜んでいる魔人からカイを守りつつ戦って倒して進んでいたのでは時間がかかりすぎる。かと言ってカイを置いていくわけにはいかない。いい方法が思い浮かばなくて、僕は身動きが取れなかった。
アミカが炎の雨を降らせた。しかし魔人たちはそれすらも見切って躱してしまった。仕方なく弓を手に取り、光の矢を放つ。光の矢はなんとか魔人を射抜いた。ただ、魔人の数が多すぎて弓では対応しきれない。ついに至近距離にまで迫ってきた。
その瞬間。
空がオレンジに染まった。
アイリーが炎を放つのと同時にシェレラが突風を起こし、炎の爆風を発生させたのだ。炎は魔人たちを燃やし、さらに草むらを燃やした。草むらの炎は風の勢いで一気に燃え広がり、巨大なオレンジの波となって辺りを覆った。
「ギャアアァァァッ」
「ジャアアァァァッ」
草むらに潜んでいた魔人たちが、炎から逃れるべく奇声を発しながら一斉に風下に向かって逃げ出した。小さな炎の点が草むらの中を移動しているのが見える。体に炎が燃え移ってしまった魔人が逃げ惑っているのだろう。
そして、最悪なことに……。
風下ってのは、つまり、こっち側だ。
炎と魔人が一斉に、僕たちに向かってきた。
あんな状況になってしまって、アイリーたちにとっては戦闘に勝つためのとっさの判断だったんだろうけど、僕たちにとっては、最悪の結果だ。
「カイ! 逃げるぞ!」
僕はカイの手を掴んで走りだした。
左手の剣で草を払いながら、右手でカイの手を引く。カイも状況を理解して、素直に僕についてきている。
とりあえず、草むらを抜けて道に戻れば、炎からは回避できるだろう。
そう考えて進んでいたのに。
赤土の崖の上にある森から、岩を落とした魔人たちが一斉に道に飛び降りてきた。それだけでなく、新たな魔人がどんどん森から現れて次々と飛び降りてくる。
道に戻ることは、これではできない。
「リッキ、川のほうに逃げるんだ」
道とは反対側にある川。魔人と炎から逃れるためには、カイの言う通り川へ行くしかない。左側にある道に戻ろうとしていた僕は、逆に川がある右側へと進んだ。
しかし、そこにも魔人が潜んでいた。突然僕の前に現れ、湾曲した刀を振りかざす。僕は右手でカイの手を握ったまま、左手で剣を振り魔人を倒した。カイを守るために体の動きは制限されてしまうけど、元々草むらの中でそんなに自由には動けないし、魔人を相手にするくらいなら問題ない。
――はずだった。
魔人と戦って負けることはないにしても、どうしても戦っている間は足止めを食らってしまうことになる。その間に炎に煽られた魔人がどんどんこっちに押し寄せてきた。赤土の崖の上の森から現れた魔人たちもどんどん草むらの中に入ってきているし、今も次々と新たな魔人が森から現れては赤土の崖を飛び降りてきている。僕は追ってきた魔人たちに追いつかれ、三方向から魔人の攻撃を受けることになってしまった。
僕一人ならなんとでもなる。でもカイを守らなければならない。さすがに厳しくなってきた。一匹ずつ戦っていたのが、二匹、三匹と同時に戦わなければならなくなってきた。それに倒しても倒してもキリがない。魔人の数と勢いに押され、時にはカイの盾となって体を張って魔人の剣を受けなければならなかった。さらに炎の壁も着実に迫ってきている。僕たちには全く余裕がなくなっていた。
「カイ、大丈夫だ。絶対に僕がなんとかする」
カイの表情を見る余裕がない。でもきっと怯えているに違いない。僕の手を握るカイの手に、さらに力がこもるのを感じた。
「リッキ、強いんだな。俺、全然戦えなくて……」
震えて上ずったカイの声。恐怖を感じているのが伝わってくる。
「そうさ。僕は強いんだ。だから心配いらないさ」
カイを安心させるのと同時に、自分を奮い立たせる。
何が何でもカイを守るんだ。
それだというのに。
草むらを抜け、川岸に到達したのと同時だった。
魔人の刀が、僕の右手首を斬りつけた。
ここは仮想世界だ。痛くはない。
しかし、深々と傷を負った手首のその先に、力が入らない。
さらに別の魔人が何匹もまとめてぶつかってきた。勢いに押され、仰向けに倒れた。
僕とカイとをつなぐ手が、離れてしまった。
「リッキ!」
僕を起こそうとするカイを、魔人は許さなかった。
魔人はカイにも襲いかかった。逃げるカイと僕との距離が広がっていく。
僕は襲ってきた魔人を蹴り上げ、なんとか立ち上がった。
カイはナイフを取り出した。果物を切った時に使った、決して肉体を傷つけることがないあのナイフだ。あれでは魔人を攻撃することはできない。
魔人たちは怯んで、やや距離を取ってカイを取り囲んだ。でも、脅しが効くのは最初だけだ。魔人に見抜かれたら、もう終わりだ。
僕は力が入らない右手の指で空間をなぞった。
希石を取り出す。種類なんか選んでいる場合じゃない。手当たり次第だ。掴めるだけ取り出した希石を、カイがいる場所とは正反対の方向に大きく腕を振って放り投げた。
「魔人ども、こっちだ! お前らの好きな希石はこっちだ!」
魔人といえば希石だ。
こんなのやったことないけど、今はこれしか思いつかない。
魔人たちは……一斉に希石が撒かれた方向に振り向いた!
僕はさらに希石を掴んで取り出し、放り投げた。
希石に向かって魔人が殺到した。群がった魔人たちが、我先にと希石を拾う。
「カイ! 今のうちに逃げるんだ!」
「リッキも一緒に!」
希石を拾えなかった魔人たちが、僕に向かってきた。もっと希石をよこせってことなんだろう。僕を仕留めれば丸ごと手に入れられる、そう思っているやつもいるに違いない。
「いいから! 逃げろ!」
せっかく魔人がカイを忘れて僕に向かってきているのに、僕も一緒に逃げたのでは意味がない。
「俺、わかってるからな! リッキは強い、負けるはずないってこと!」
カイは川の中へと走り出した。川幅は広いけど水深は浅く、カイのハーフパンツが濡れるか濡れないかというくらいだ。流れも緩く、カイの逃走を妨げることはなかった。
真っ先に僕に近づいてきた魔人を斬り捨てる。カイが川を渡り切って向こう岸の森の奥へと走っていくのを横目で確認し、次に迫る魔人を真っ二つに切り裂いた。
これでもう安心して戦うことができる。僕はポーションを取り出して飲んだ。HPが回復し、斬られた右手首の傷も治っていく。しばらくは大丈夫だろう。
僕はスキル<両利き>を発動させた。右手にも剣を持ち、ちょうど突っ込んできた魔人を、右手の剣で貫いた。光の粒子と化す魔人に目をやることもなく、湿った土を踏みしめて、両手の剣を構える。魔人たちは僕を取り囲んで、一斉に襲ってきた。僕はひたすら二本の剣を振った。僕の周囲では光の粒子が生まれては消え、そしてまた生まれ、途切れることはなかった。
そうして戦っているうちに、いよいよ草むらを焼く炎が目の前に迫ってきた。僕は魔人の群れをなんとか突破し、川の中に逃げた。魔人たちも僕を追って次々と川の中に入ってきた。
それだけではなかった。
炎と並ぶように、川の下流から魔人たちがこっちに押し寄せてきた。炎の向こうはアイリーたちがいるはずだ。赤土の崖の上の森から現れた魔人たちは一斉に飛び降りてきたから、当然アイリーたちにも襲いかかっている。その魔人たちがこっちに向かっているってのはどういうことなんだ? アイリーたちは逃げてしまったのだろうか? 魔人たちはきっと戦う相手がいなくなったからこっちに向かっているのだろう。状況を確認したいけど、元々いた場所とはだいぶ離れてしまっているし、炎と煙に遮られて、アイリーたちの様子を目で確認することはできない。
尽きることなく押し寄せる魔人たちを、二本の剣で斬り続ける。電子音が音楽を奏でた。レベルが上がったんだ。魔人の経験値なんて大したことないけど、それだけ多くの魔人を倒したってことだ。それなのにさっぱり数が減らない。
ついにスキル発動のためのポイントが尽きてしまった。右手の剣を重く感じる。仕方なく僕は右手の剣の装備を解いた。
もう同じようには戦えない。僕は逃げるように川の上流へと走り出した。川底には大小の石が転がっていて、思うように走ることができない。水面から顔を出している岩を蹴って、魔人が飛びかかってきた。僕は振り向きざまにその魔人を斬り、また上流へと走った。
魔人たちはどんどん追ってくる。特殊な仕様なのか、下半身がほとんど水に浸かっているくせに魔人の動きは素早い。焦った僕は川底の石に躓き転んでしまった。水飛沫が大きく跳ね上がる。倒れ込んで全身ずぶ濡れになった僕を、魔人たちは取り囲んだ。
魔人たちが前後左右から一斉に襲ってきた。魔人の湾曲した刀が届く寸前、僕はなんとか立ち上がった。目の前の魔人は斬った。でも後ろや左右から来た魔人からは攻撃を受け、背中と両足に傷を負ってしまった。僕は上流へと走った。何重にも取り囲む魔人に、滅茶苦茶に剣を振り続けた。全部の魔人を相手になんかしていられない。僕はひたすら上流方向への一点突破を試みた。目の前にいる魔人だけに集中し、ひたすら斬って斬って斬りまくった。モンスターは決められた範囲を超えて移動することはない。走り続けていれば、いつか魔人は追ってこれなくなるはずだ――。
◇ ◇ ◇
僕は、川岸に座り、ぼうっと水面を眺めていた。
川の流れは急だ。水面に突き出た岩が水流を割り、あちこちに白波を作っている。水はとても綺麗で、岩がない場所では川底を埋めている丸い石がはっきりと見える。深さは足首くらいだ。
川岸は河原になっていて、川底に見えているような石が広がっている。石はあまり大きくはない。灰色の玉砂利だ。
川幅は狭い。五メートルもないだろう。向こう岸の先のほうには森が広がっている。川のこちら側は、背後に切り立った崖がそびえている。見上げると、崖のはるか上の部分がせり出していた。上流の方向を見ると、河原の幅がだんだん狭くなっていて、その先では崖が直接川と接している。さらに上流へ行くには、川を渡って森のほうから行くしかなさそうだ。
僕は川岸から崖に向かって歩いた。十歩で到達した崖の岩壁に背中を預ける。
どこなんだ、ここは。
記憶を辿る。
襲ってくる魔人の群れから逃れるため、川の中をひたすら走った。途中で川が左にカーブして、草むらがなくなり、炎に追われる心配がなくなった僕は、川から出て川岸を走った。魔人の群れは何度も僕に追いつき、僕を取り囲んで攻撃した。その度に僕は剣を振り、傷つき、ポーションを飲み、そしてまた走った。
いつしか魔人は追ってこなくなった。設定された行動範囲を抜けたからだ。それでも僕は……ただ漠然と、歩き続けていたように思う。はっきり覚えていない。長い長い戦闘が終わり、精神的にちょっと参っていたのかもしれない。
みんなはどこにいるんだろうか。
そう思った時、メッセージアイコンが点滅していたことに気がついた。
着信音には気がつかなかった。いつから点滅していたんだろう。
急いで開く。
Airy: お兄ちゃん大丈夫?
時刻表示を見ると、三十分くらい前だったようだ。
三十分前にどこにいたのか、まだ戦っていたのか、逃げのびていたのか、それも思い出せない。
Rikki: なんとか大丈夫
Airy: 生きてた!
そりゃ、生きてるだろ。
死ねば強制ログアウトされるんだし、フレンドリストを見ればログインしているかいないかわかるんだから、アイリーだってわかっててメッセージ送っているくせに。
Shelella: 良かった。助かったみたいね。
Amica: すっごいしんぱいしてたんだよ!
シェレラとアミカからもメッセージが送られてきた。
二人とも、なんでわかりきったことをそんなに気にしてるんだ?
個別にメッセージを送るのはめんどくさい。
僕はパーティ用のメッセージウィンドウを開いた。
Rikki: みんな一緒にいるの?
Airy: うん。一緒にいる。お兄ちゃんは? カイと一緒にいるの?
カイ!
僕は岩壁から背中を離した。
川の下流方向へ数歩駆け出す。
誰もいない。
川はすぐ右側にカーブしていて、見えるのは向こう岸の森ばかりだ。
思い出した。カイは森に逃げたんだった。
向こう岸の森を見渡す。
やっぱり、誰もいない。
Rikki: 僕一人だよ。
Airy: カイいないの? どこにいるのかな。ログインしているのは間違いないはずなんだけど……。カイにもさっきメッセージも送ったんだけど出てくれなくって。NPCだとメッセージの仕様が違うのかな? それともバグのせいなのか、お母さんがメッセージの使い方がわからなくてカイに影響しちゃってるのか、どうなのかな?
そうだ。
カイはNPCだけど中にお母さんがいる、という特殊な状況のキャラクターだ。
お母さんが心配だ。
僕は向こう岸の森を見ながら、下流方向へ走り出していた。
NPCって一人の時はどういう行動をするんだ? 町の住民としてのNPCなら、AIが決まったルーティンをこなしてゲームの機能としての役目を果たしている。店の店員だったり、クエストの発注をしたり。あるいは日常会話をするだけの、ただの一般人だったり。
パーティに加わるとしたら、クエストのシナリオに沿った形で加わるのが普通だ。クエストが成功しても失敗しても、終了した時点でパーティから離れ、元の位置に戻ってまた決まったルーティンを始める。それがNPCだ。
でも、カイは、どちらでもない。
そもそもカイは未登場のNPCだ。本来いるべき場所なんてない。帰る場所もなく、もしかしてずっと彷徨い続けるのだろうか。
カイ、どこにいるんだ。
カイが生きているってことは間違いない。
絶対にどこかにいるんだ。
カイは、お母さんは――。
どれくらい走っただろうか。
見つけた。
「カイ、お、おまえ……」
僕はそのまま呆然と立ち尽くした。
「あ、リッキ、どうしたんだ? そんな所につっ立って。こっちに来なよ。……走っちゃダメだぞ。ゆっくり、ゆっくり静かにな。ちょうど今いいとこだから……よし! それっ!」
僕が探していた少年は、川の向こうの森ではなく、こちら側の河原にいた。両手に棒を持ち、川と向き合っている。
その棒の先には糸が繋がっていて、糸の先には……宙を舞う魚。
棒を真上に向けると、魚はカイの懐に飛び込んできた。
左手で棒……いや、竿を持ち、右手と胸でしっかりと魚を抱えている。
「やったよリッキ! 俺、釣り竿作ったの初めてだったん――」
「やったよじゃねーよ! なに呑気に釣りなんかしてんだよ!」
僕は大声を上げ、また走り出した。そして、
「心配したんだからな……」
カイが釣り上げた魚ごと、僕はカイを抱きしめていた。
うっすら涙が滲んでくる。
アイリーたちが僕に送ったメッセージを見た時は全然気持ちがわからなかったけど、その立場になってわかった。
生きているとわかっていてもやっぱり心配するし、無事がわかればうれしさがこみ上げてくる。
「良かった、会えて良かった」
「リッキ、く、苦しい」
「あ、ご、ごめん」
つい力を込めすぎてしまっていた。抱きしめていた腕を離す。
カイの顔が赤らんでいる。そんなに息苦しかったのかな。
◇ ◇ ◇
一度は森の奥に逃げたカイだったけど、僕のことが心配になって戻ってきてくれたのだそうだ。魔人の群れが川の上流に向かって行っていたのが見えていたので、とにかく上流に行けば僕がいるんじゃないかと思って歩いていたら、途中で魚が泳いでいるのを見つけて釣り竿作りを始めてしまったらしい。
カイと合流したというメッセージを、アイリーたちに送った。アイリーたちもほっとしたらしく、返信のメッセージから喜ぶ声が聞こえてくるかのようだった。
なぜカイがメッセージに出なかったかというと……。
「ごめんごめん。釣り竿作りに夢中でわからなかった」
という、カイらしい単純な理由だった。アイリーが気にしていたメッセージの仕様の違いというものはないらしい。今は僕だけでなくカイもメッセージウィンドウを開いている。
Rikki: アイリーたちはどこにいるんだ? 早く合流しなきゃ。
Airy: お兄ちゃんはどこにいるの?
どこって言われてもな……。全く見当もつかない。
「カイ、ここ、どこだかわかるか?」
カイに訊いてわかるとも思えないけど、藁にもすがる思いで訊いてみた。
「わからないけど」
やっぱりな。
「でもさ、アイリーたちに居場所を伝えられればいいんだろ? だったら」
カイはベストの左側の内ポケットを探っている。
「これで」
カイはポケットの中のアイテムを取り出した。
――――っ!
僕は言葉が出なかった。
この世界に、こんなアイテムが存在しているとは、全く考えたこともなかったからだ。
カイが右手に握ったアイテム――拳銃。
別のポケットから取り出した弾を込める。
「お、おい、カイ、それ」
やっと声が出た。
それでもカイは僕に構わず薄灰色の拳銃を真上に向けて掲げると、引き金を引いた。
やや広めの銃口から発射された、虹色の光。
虹色の光は青い空の中を音もなくぐんぐん伸びていく。そしてはるか高くまで伸びたところで止まり、爆発した。遅れてやってきた爆発音とともに、虹色の細い光が糸を引いて四方八方へと散っていく。
「は……花火?」
「本当は夜のほうが綺麗なんだけどな。でも昼間でも見えることは見えるし、これで大丈夫だと思うけど」
Airy: わかった。そこで待ってて。
どうやら居場所が伝わったらしい。
僕たちはおとなしくこの場にいることにした。
◇ ◇ ◇
「リッキ、魚料理作れる? 俺、料理できないんだよな」
「いや……僕もできないけど」
「そっか。じゃあ逃がそう」
川の端に河原の石で囲った即席の生け簀で、さっき釣った魚が窮屈そうにひれを揺らしている。カイが石の壁を崩すと、魚は激しく体をくねらせ流れの中へと去っていった。
僕は『リュンタル・ワールド』では料理をしたことがない。現実世界で持っている技能は『リュンタル・ワールド』の中でも失われることはないから、たぶんできるとは思う。でもリッキとして料理をしたことがない以上、「できない」と答えても構わないだろう。
逆に、カイが料理ができたら面白いのに。全然料理ができないお母さんが中にいるのに、カイが釣った魚を綺麗に捌いたりなんかしたら……。
思わず吹き出しそうになって、それを見たカイが怪訝な顔になる。
「いやあ、なんでもない。ははは……」
僕とカイは、川から離れて崖のところまで行った。崖の近くは河原の石が砂のようになっていて、石ででこぼこの川のそばにいるよりはこっちのほうがいい。
崖の岩壁を背に、二人並んで腰を下ろす。
「ところでカイ、さっきのアイテムは何なんだ?」
「説明してもいいけど……リッキ、わかるのか?」
カイはウィンドウを開いた。
何やら複雑な図や式がたくさん書いてあるウィンドウが、いくつも展開される。
カイは図の一部を指差した。
「ここに魔石をセットするんだ。そうすると、ズザーフ塗装の導線を通って魔力が抽出されて――」
カイが説明を始めた。
これは……たぶん、道中でシェレラと話していた時のやつだ。
聞いたことがない単語をたくさん並べてカイは説明しているんだけど、でもなんとなく聞き覚えがあるのは、きっとそういうことなのだろう。だからさっきの虹色の光を見たシェレラが、カイが放ったものだと理解できて、居場所がわかったってことなんだな。
僕が知りたかったのはアイテムの内容や効果なのであって、構造を知りたかったんじゃないんだけど、でもカイが嬉しそうに説明をするのを止めたくなかったから、僕は全く理解できないカイの説明を結局最後まで聞いてしまった。
「――ってことなんだ。……どっかわからないとこあった? なんでも質問して?」
ずっと図を指差しながら説明に夢中になっていたカイが、ここで初めて僕のほうに振り返った。
「……ごめん。全く何もわからなかった」
嬉しそうに話していたカイの表情が固まる。
「え……全くって、最初から最後まで全部、ってこと?」
「うん……」
「そっか……。そうだよな……」
カイはウィンドウを閉じた。
「さっきシェレラに説明した時はちゃんとわかってくれたんだけど」
「ごめん。僕はシェレラと違って、そんなに頭がいいほうじゃないからさ。でも、なんか難しいことをたくさん知っててカイはすごいなって思った。僕なんかじゃどんなに覚えようとしたって無理だよ。それにただ考えるだけじゃなくて本当に作っちゃうんだからさ、やっぱりカイはすごいよ」
カイは僕の顔を見たまま、また動かなくなった。
ただぼーっとした、少しだけ何かに驚いたような、戸惑ったような、そんな表情。
「ん? どうかした?」
「え、いや、なんでもない」
カイは少し俯いて、また顔を上げた。
「リッキは悪くないよ。普通はわかってくれないんだ。だから俺、シェレラがわかってくれた時はすごく嬉しかったよ」
「僕は……シェレラが何を考えているのかわからない時がよくあるよ。僕が想像できないような、とんでもないことを言ってることがよくあるんだ。シェレラが僕のことをわかっていたとしても、僕はシェレラのことが理解しきれないんだ」
「でもさ、シェレラが言ってたけど、リッキはちゃんとシェレラの話を聞いてあげてるんだよな? それってすごく大事だぞ? 俺もさ、作ったアイテムのことを話そうとしても、どうせ聞いてもわからないからって言って聞いてくれない人ばっかりなんだよ。そのうち、変なやつだなとか、なんだかよくわかんない子だなとか言われるようになっちゃってさ」
シェレラも――というか、智保もそうだ。
智保の話が飛躍しすぎてしまって、会話の輪の中から浮いた存在になってしまうことは、決して珍しいことじゃない。僕はずっと隣の家の幼なじみとして親しい間柄だし、智保はそういう人だってわかっているからいいけど、赤の他人からは「ただの変な子」「どうせ天然だから」などと思われたって決しておかしくない。実際、そういう風に智保を見る人は、いる。
「やっぱ辛いんだよ、そういう時って。自分ではすごいことをやってるつもりでいるのに、ううん、そんなんじゃなくて、普通のことを言っているだけのはずなのに、周りの人たちからけなされちゃうとさ。
でもさ、俺、ばあちゃんに育てられたんだけど、ばあちゃんがなんでも話を聞いてくれる人でさ、ばあちゃんはアイテムのことがわかっていないはずなんだけど、それでも俺がアイテムを見せて話をするとちゃんと聞いてくれて、それから褒めてくれるんだ。こんな便利なものを作れるなんてカイはすごい子だねとか、カイは頭がいいねとか、手先が器用だねとか、いろいろ工夫できてすごいねとかさ。カイのことを変な子だっていう人もいるけど、カイは全然変な子なんかじゃないよ、カイは立派な子だよって。それがわからない人もいるだろうけど、ばあちゃんはわかっているからねって。いつもばあちゃんはそう言ってくれるんだ。それでまたやる気になって、新しいアイテムを作ろうって思うんだ。今もさ、リッキは全然わからないのにちゃんと話を最後まで聞いてくれて、それだけじゃなくて俺のことをすごいって言ってくれただろ? 本当に嬉しかったよ。
きっとシェレラもさ、話してもわかってくれない人がたくさんいると思うんだ。でもリッキがちゃんと話を聞いてくれて、シェレラはすごく嬉しいはずなんだ。別にさ、全部わかってくれなくてもいいんだよ。それでもちゃんと聞いてくれて、何か言葉を返してくれれば、それでいいんだ。そういう人が一人でもいれば、それを心の支えにしていけるから」
智保は……本当に、そんな風に僕を見ているのかな。
僕は、智保の心の支えになっているのだろうか。
「そうかな……。むしろ、僕が支えられているように思うけどな。だって僕はいつも勉強がわからなくなるとシェレラに教えてもらっているし、迷っている時にはシェレラに勇気づけられて決断できたし、とにかくいつも優しくてシェレラの笑顔を見ると心が安らぐし」
僕が智保に何かをしてあげているとは思わないけど、智保が僕にしてくれていることなら、次々と思いつく。
「そっか。リッキはシェレラが好きなんだな」
「はあっ!?」
「だってさ、好きでもなんでもないのに、そんなにシェレラのいいところ言えるわけないし」
「シェレラはただの隣の家の幼なじみなんだって! だから仲がいいんだよ! カイのおばあさんだって同じことだろ?」
「まあそうムキになるなって」
「ムキになってないし!」
「なってるなってる」
「うるさいな!」
「あっはははははははははっ」
「何がおかしいんだよ!」
僕は立ち上がった。カイを真上から見下ろし、睨みつけた。
「ごめんごめん。リッキがちゃんと話を聞いてくれたから、つい調子に乗ってしゃべりすぎちゃった。悪かったよ」
素直に謝られたのならしょうがない。僕はまたカイの横に座った。
カイは笑いすぎて少しこぼれた涙を拭った。
「本当にリッキは話を聞いてくれる人なんだな。それにただ聞くだけじゃなくて、言いすぎた時はちゃんとわからせてくれるし。俺、夢中になると止まらないんだよ。アイテム作ってる時とかさ。さっきも釣り竿作ってて、メッセージが来てたのに気がつかなかったし」
それは智保も同じだ
智保も趣味の手芸に夢中になりすぎて、一個や二個でいいはずの小物を大量に作ってしまったり、妙に凝った物を作ってしまうことが珍しくない。そういう時の智保は、誰かが止めてあげないと止まらない。
「うん、シェレラもいつの間にかアクセサリーを作り過ぎてしまって、後になってからそれに気づくことがよくあるよ」
「だろ? やっぱ俺とシェレラって、似てるとこあるよな。でも、俺にばあちゃんがいるみたいに、シェレラにはリッキがいるから大丈夫だな」
「いやあ、そうかな……。僕はそんな大した人間じゃないよ」
「俺さ、ばあちゃんによく注意されるんだよ。夜遅くまで作業するのはやめなさいとか、ちゃんとご飯を食べなさいとか。気をつけなきゃとは思っていても、つい忘れちゃうんだよな。――あっ、そうだ忘れてた……」
カイは急に俯いた。
「どうしたんだカイ? 忘れてたって、何か大事なことなのか? お使いを頼まれていたとか?」
「いや、そんなんじゃなくて……」
なんだかもじもじしている。さっきまでの元気がない。
俯いた顔を、半分だけ僕に向けた。
「こういう言葉遣いをしちゃいけないって、ばあちゃんによく言われるんだよ。乱暴な言葉を使っちゃいけませんとか、礼儀正しくしなさいとかさ。このまま大人になったらお嫁に行けませんよ、こんな人に惚れる殿方なんていませんよ、って」
「うん、そうだね、礼儀とかは、ちゃんと気をつけな――」
お嫁に?
え?
「えええぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?」
僕はまた立ち上がって、カイを見下ろした。
さっきみたいに怒ってではなくて、自分でもなんだかよくわからないけど、とにかく立ち上がってしまった。
「カ、カ、カイって」
僕は慌ててフレンドリストを開いた。カイのプロフィールを確認する。
……………………。
そんな、まさか。
「カイって、お、女の子、だった、の、か?」
「え?」
きょとんとしながらも、首を上げて僕を見つめるカイ。
僕もカイを見ている。
気まずい。非常に気まずい。
でも、だからといって視線を逸らすのも、なんかまずい。
微妙な空気が漂い、微妙な時間が流れる。
「ぶっ」
その停滞を、カイが壊した。
「あっはははははははははははははははははははははは」
カイの爆笑が、川のせせらぎやささやかな風の音、時折跳びはねる魚が立てる水の音、小鳥のさえずり、そういった自然の音をすべて打ち消し、響き渡った。
「あははは、ごめん、さっき笑って怒らせちゃったのに、また笑っちゃった、あははは」
「……いや、いいよ。完全に僕が勘違いしてた。むしろ笑ってくれて構わないさ」
僕はやっと目を逸らす事ができた。
我ながら情けない。
どうしてフレンドリストに登録した時、気がつかなかったんだろう。
それに、今になってみればわかる。
森の中で、シェレラとアミカに迫られた僕を、カイが笑っていた時だ。
あの時、僕はカイのAIが年を取るという概念を持っていないから、僕が言ったことにカイがちゃんとした返事ができないのかと思った。でもAIはちゃんと年を取るという考えを備えていた。本当の理由は、カイが女の子だったからなんだ。
「リッキが気にすることはないって。やっぱ男の子に見えちゃうよな。俺がばあちゃんが言うことをちゃんと守っていればよかったんだ。でも、つい忘れちゃうんだよな」
あははは、とまた笑った。
「リッキはさ、こういう女の子、どう思う?」
「え、どうって」
「その……、俺みたいな人を、す、好きになってくれる男の人って、やっぱいないのかな? アイテム作りにばかり夢中になって、言葉も格好も男みたいで、おしとやかさとか全然なくてさ、やっぱダメなのかな」
カイは頬を赤らめた。少し声が上ずっている。
「大丈夫だって」
僕はカイの正面に座り、カイと同じ目の高さで言った。
「それがカイの魅力じゃないか。カイのことをわかってくれる人は、絶対に現れるよ」
「そ、そうかな」
「そうだって。心配するなって」
「……あはは」
カイは勢いよく立ち上がった。
「俺、こういう話ってしたことなかったからさ、不安だったんだ。ばあちゃんの言ったことを守れないと、大人になった時に一人ぼっちになっちゃうのかなって」
「いや……少しは守ったほうがいいよ。言葉遣いも、礼儀正しさも。人として大事なことだし、何よりおばあさんが悲しむだろ? 全然守らないとさ」
「あはは、そうだな。気をつけるよ。――それとさ、ちょっと気になるんだけど」
「ん? 何?」
「リッキはシェレラだけじゃなくて、アミカも好きなのか? アミカってさ、背の高さは俺と同じくらいだけど、俺よりずっと子供だよな? アミカはリッキが好きだって言ってたけど、リッキはどうなんだ? ああいう女の子は」
「なんかいろいろ間違っているんだけど……」
どこから直していけばいいのだろうか。
正直、僕の恋愛事情はほっといてほしい。
と、その時。
「おーい」
遠くから声が聞こえた。
「お兄ちゃーん、カイー、どこー」
アイリーが僕たちを呼んでいる。
「アイリー、こっちこっち」
カーブする川に沿って崖もカーブしている。遠くまでは見通せないので、大声で返事をすることで居場所を知らせた。
「あ、いたいた」
アイリーたちが姿を現した。
「お兄ちゃんはともかく、カイが無事でよかった」
「なんだよそれ」
「アミカはリッキがぶじでよかったよ!」
「あたしはみんなかなー」
シェレラはそう言って微笑みながら、アミカの襟首を掴んで僕に飛びつこうとするのを防いでいる。
「そういえばさ」
アイリーがふと疑問を口にした。
「さっき、すっごい笑い声が響いてきたんだけど、なんかあったの?」
「えっ、と」
聞こえてたのかよ。
「な、なんでもないって」
「ああ、あれはリッキが……むぐぐ」
僕はカイの後ろから抱きかかえるように口を塞いだ。
「なんでもなんいだ、本当に。あはは……」
不思議そうに僕たちを見ていたアイリーだったけど、
「そう? ならいいんだけど」
なぜか顔を綻ばせた。そして、
「お兄ちゃん、ポーション足りてる?」
「うーん、ほとんど使っちゃった」
こんなに長時間にわたってモンスターの群れと一人で戦ったなんて初めてだった。回復魔法を受けることができなかったから、ポーションに頼るしかなかった。
「じゃあどうしよっか? もしダメージがあんまりなかったらこのまま頂上まで行こうかと思ってたんだけど、どうする? やめる?」
「そっちはどうなんだよ。MP残ってるの?」
「まあそこそこってとこかな。マジックポーションもあるし、なんとかなると思う」
「だったら頂上まで行こう」
ここで引き下がるのは、なんだか悔しい。魔人程度のモンスターにやられたとあっては、なおさらだ。
「シェレラとアミカも、MPあるの?」
「あたしは大丈夫。まだまだ余裕」
「アミカもいっぱいのこってるよ!」
「じゃあ問題ないな。はぐれてしまわないように気をつけさえすれば、回復の心配はないんだし」
僕たちは河原を歩いて川の上流へと向かった。そして、水面から飛び出した岩の上を跳びはねるように川を渡り、そのまま森の中を川に沿って登っていった。
◇ ◇ ◇
僕たちは歩きながら、魔人と戦っていた時のことを振り返っていた。
「ごめんねカイ、まさかあんなに燃え広がるとは思ってなくって」
魔人と草むらを一気に焼いた、あの炎の暴風のことだ。
「ああ、気にしなくていいって。リッキがちゃんと守ってくれたし、こうしてまたみんなと一緒になれたし」
「……………………」
「……………………」
「それだけかよ! なんでカイにだけ謝ってんだよ」
「だってお兄ちゃんはなんとかなりそうじゃん」
「あのなあ……」
僕だってひどい目に遭ったのに。必死の思いでなんとか苦労して切り抜けて、それでこんな軽く扱われたんではたまったもんじゃない。
「リッキごめんねー。なんとなくやっちゃった」
風を発生させたシェレラも、謝っているのかどうなのかよくわからない、気の抜けたような言い方をしている。
まあ、誰もあんなことになるとは思っていなかったし、魔人たちの攻撃に対抗するには他にいい方法がなかったのも事実だ。別に謝ってもらわなくても構わない。仕方がなかったことだ。
魔人たちが赤土の崖の上から一斉に襲ってきた時、アイリーたちはそれまで通ってきた森の中の道まで引き返すことで戦闘を回避したらしい。魔人にとってはそこは行動範囲外だったようだ。魔人の姿が見えなくなり、再び森から出た時、戦闘は起こらなかった。特殊な戦闘は次に起こるまで一定の時間がかかる。おそらく、焼け野原となった草むらが回復するまでは、もう魔人は出てこないのだろう。
しばらく歩くと、川がなくなった。
小さな泉から水が湧いている。ここが川の水源なのだ。
密集していた森の木々もだんだん数が少なくなり、それにつれて見通しが良くなってきている。木が減った代わりに、灰色のごつごつした岩が増えてきた。頂上が近くなってきたのを感じる。
あれからモンスターは現れていない。ひょっとしてこのままモンスターと出くわすことなく頂上まで行ってしまうのだろうか。せめて頂上にはボス級のモンスターが待っていてくれないと、雰囲気が出ない。
「アイリー、今さらだけど、山の頂上って何があるんだ?」
この山を登ることが決まった時、僕は話し合いに加わっていなかった。いつの間にか決まってしまって、慌ててついて行った感じでの出発だった。
「わかんない。いい眺めとかじゃない?」
「……………………」
「いいじゃん別に!」
渋い顔を見せた僕に、アイリーは苛立ちを隠さなかった。
「何怒ってんだよ!」
「怒ってなんかない! 怒ってんのはお兄ちゃんのほうじゃない!」
「……だってさ、せっかく山頂まで登って何もないんじゃ、何のために来たのかわかんないじゃないか」
「それがお兄ちゃんの悪いところ! 無駄なことしたと思っちゃうんでしょ! そうじゃなくて、そこに行くまでの全部を楽しむの! 魔人と戦ったのも大変だったけどいい思い出だし、その前に歩きながら話したこととか、カイが作ったアイテムを見せてもらって使ったりとか、そもそもえっと……なんだっけ、えっと、この村…………そうそうブンシェマ! ブンシェマっていう村にたまたま来たところから、全部が楽しいんだって!」
アイリーは途中で何か操作をしていた。村の名前が思い出せなくて、マップを確認していたのだろう。
「リッキ、リッキ」
アミカが袖をくいくいっと引っ張り、小声で僕を呼んだ。
「リッキはアミカといっしょに戦った時、なにもなかったけどゆるしてくれたよ」
そうだった。
ギズパスの地下都市でアミカと二人で戦った時、アミカが買った宝の地図は偽物で、結局お宝は何もなかった。でもあの時はアミカと一緒に冒険をして、一緒に戦ったこと自体が楽しかった。アミカとの仲が深くなったのも、あの冒険があったからだ。アイテムやシルは手に入らなかったけど、それ以上のものを僕は手に入れることができた。
大切なことを、アミカが思い出させてくれた。
「そうだったね。アミカ、ありがとう」
僕はアミカの頭をなでようとした……が、頭に触れる寸前、その左手の手首を掴まれてしまった。
「楽しそうなお話をしているのね~。あたしにも聞かせてほしいな~」
僕を掴んでいる手の先を見ると……シェレラが優しく微笑んでいる。ただ、目尻や口の端がちょっとだけピクピク震えている。
怖い時のシェレラだ。
アミカは小声で話していたけど、全員まとまって歩いている以上、どうしても聞こえてしまう。
「えっと、その……」
「できるだけ詳しく話してほしいな~」
言えない。
言えるわけがない。
「なんでも、ないです……けど? ほら、アイリーが風邪引いてた時にさ、アミカと二人で戦ったんだよ。それはシェレラも知ってるだろ? な?」
「……で?」
「いや、だから、ただ戦っただけだって。それも前に言ったじゃないか。戦っただけだって。うん。ただ戦っただけ」
「……そう」
「痛ててて」
僕の手首を掴むシェレラの手に、ものすごい力が込められた。
もちろん実際には痛くないんだけど、つい口に出てしまった。
「おかしいな~。痛いはずないんだけどな~。嘘をついちゃいけないかな~」
表情だけではなく、言い方もものすごく優しい。とても穏やかで、力が抜けた、癒される声だ。
それなのに、どうしてこんなにグサグサ突き刺さるのだろう。僕の心はすっかり血塗れだ。
「リッキが言えないならアミカちゃんから聞こうかしら」
僕に向けていたシェレラの優しい微笑みが、アミカに移る。
「リッキとふたりで戦ったんだよ」
「それだけ? それとリッキ、何やってるの?」
シェレラの目がアミカに行った隙に、空いている右手でアミカに余計なことを言わないようにメッセージを送ろうとしたんだけど、あっさりバレてしまった。
「いやあ、別に何もしてないけど、あはは」
空間をなぞろうとした右手をごまかすために、後頭部に持っていって掻いた。
「アイリー、また始まったけど、いいのかあれで?」
「いいのいいの。お兄ちゃんニブいからあれくらいでいいんだって」
僕たちの前を歩いているカイとアイリーが小声で話しているけど、やっぱり全部聞こえてしまっている。鈍いとか言うなよ。
「でもさ、シェレラってちょっと大人気なくないか? アミカはまだ子供じゃないか。リッキと比べたってシェレラのほうがお姉さんだろ? それなりの振る舞い方ってのがあるんじゃないのか?」
いやだから全部聞こえているんだって。それに……。
やっぱり、シェレラは大人っぽく見えちゃうのかな。
「えっと……」
アイリーが振り返り、困ったように僕とシェレラ、アミカの三人を見ている。
確かに説明しづらい。中身は三人とも同い年で、とか言ったってNPCであるカイに中身の話をしたってしょうがない。
「リッキ、お姉さんの言うことはちゃんと聞きなさい?」
口元をにんまりとさせ、目はやや半開きにして掴んでいる手首を捻り上げる。
なんでカイの勘違いに乗っかってきているんだシェレラは。
「何がお姉さんだよ! たった一日先に生まれただけじゃんかよ!」
「そう、あたしが一日年上」
「年上じゃないだろそれは」
「お姉さん、って呼んでいいのよ?」
「話聞けよ! それといいかげん手を放してくれよ!」
僕とシェレラのやり取りを見て、カイが呆気に取られている。
「アイリー、リッキとシェレラって、本当にたった一日しか違わないのか?」
「うん、そうだよ。シェレラが四月十三日で、お兄ちゃんが四月十四日。どっちも十四歳」
「そ、そうなのか。二人とも十四歳なのか……。何食べたらそんなに大きくなれるんだ?」
僕の身長のことを言っているのかと思ったら、カイが見つめているのは僕ではなく、シェレラの胸だ。カイも女の子だ。気にしているのだろうか。気にする必要はないと思うんだけど。
ふと思い出したように、カイはアミカに目をやった。
「じゃ、じゃあ、アミカは何歳なんだ?」
「え」
アミカは一瞬、言葉に詰まった。
「カ、カイは、な、なんさいなの?」
「俺? 俺は十一歳だけど。アミカって俺より年下なんじゃないのか? それともひょっとして、アミカもリッキやシェレラと同じ……」
「ア、アミカは、アイドルだから、永遠の女の子だから、なんさいとか、そういうのはかんけいないよ」
ロリ声なりにちょっと声が裏返っている。
「……ふーん。そうなのか。よくわかんないけど、まあいいや。俺アイドル興味ないし」
カイは急に冷めた声になった。
アミカの顔がちょっと引きつる。
「きょうみないって言われた! リッキは? リッキはアミカのこと大好きだよね?」
そう言いながら僕に体をぴったり密着させた。
それと同時に、シェレラがさらに僕の手首を捻り上げる。
「シェレラ、手が、手がちぎれる!」
「回復魔法ならいくらでもかけてあげるから安心して?」
「そ、そういう問題じゃなくて」
「シェレラ、シェレラちょっと」
カイが小声でシェレラを手招きしている。
シェレラはようやく手を放してくれた。隣へ来たシェレラの耳元にカイが手を当て、こそこそと何かを囁いている。
何を話しているのだろうか。さっきとは違って、カイの声が伝わってこない。シェレラの「うん、うん」という相槌だけが聞こえてくる。
カイの話を聞き終わったシェレラは、まだ僕にくっついているアミカを見ると、
「あたしはお姉さんだから、アミカちゃんのこと怒ったりしないよ? 頑張ってね、アミカちゃん」
そう言って優しく微笑んだ。
な、何があったんだ? 一体カイは何を言ったんだ?
しかし、それを確かめようとする間もなく、
「ほら、頂上が見えてきたよ」
先頭を行くアイリーが、杖で前方を指した。
山頂は意外と広かった。
山頂に近づくにつれ多くなっていたごつごつした灰色の岩もここにはなく、乾いた土と小石だけだ。木も生えてなく、ほんの数センチの丈の草をまばらに見かける程度だ。
もしここが有名な登山コースなら、もっと人で賑わい、お店がいくつか並んでいても不思議じゃないだろう。それくらいの広さはある。
でも、実際には壊れかけの小さな祠がひとつあるだけだ。人はおろか、小鳥や虫すらいない。
その、不自然すぎる何もなさと、いかにも何かありそうな祠。戦闘には十分なスペース。
絶対に怪しい。
「いい眺めだねー」
そんな僕の考えとは裏腹に、アイリーが遠くの景色を見下ろして楽しんでいる。
僕も景色を見下ろしてみた。
「……………………」
いくら山頂から見下ろしても、やっぱり収穫後の畑と荒れた空き地、無秩序に生えている木と茅葺きの民家だけだ。あまりいい眺めという感じではない。なんでもかんでも楽しめるアイリーの性格がうらやましい。
しかたがないので反対側を見てみる。こっちは村の中と外との境界がはっきりわかる。川が流れていて、川のこちら側は雑然とした村、向こう側は草原だ。橋が一本掛かっていて、街道が草原を割って伸びている。その先には街がうっすらと青みがかって見えている。ここはセジェーという国の辺境だから、きっと国の中心へと繋がる街道なのだろう。
シェレラとカイは祠が気になるようだ。祠は僕も気になっている。きっと何かイベントが発生する鍵に違いない。でもうかつに触ると危ない。もしかしたらとんでもなく強いモンスターが出現するスイッチになっているかもしれない。
だというのに、二人はあまり考える様子もなく祠の扉に手を掛けた。
「シェレラ、カイ、あまり不用心に触っちゃいけな――」
「「え?」」
大声で呼びかけたけど、間に合わなかった。二人は扉を開いてしまった。
ゴゴゴゴ……と地響きが鳴り、地面が小刻みに揺れだした。地面には『門』を反転したかのような黒い円が現れた。そして、本来の『門』から白い光が立ち上るように、この黒い円からは黒い闇が立ち上っている。
ボス級のモンスターが出現するのだろうか。
僕たちは全員集まり、戦闘に備えた。僕が先頭、両側のやや後ろにアイリーとアミカ、後方でシェレラがカイを守っている。
黒い円筒の闇が、黒い『門』の中に収まっていく。
そこにいたのは――。
魔人、だ。
まさか最後の最後まで魔人だなんて。この山、やっぱり手抜きして作ってるんじゃないのか?
でも、普通の魔人とは違う。肌の色は灰色ではなく、もっと黒い、闇に近い色。しわくちゃな顔をしているとは思うけど、はっきりとは判別できない、それくらい暗い色。足元には黒い煙がうっすらと漂い、『門』の姿をやや不鮮明にしている。
電子音が音楽を奏で、視界の上部に『ニェジワ山の黒い魔人を倒せ!』とメッセージが流れる。強制クエストの発生だ。厄介なことに多額のキャンセル料が設定されていて、引き返してクエストを回避することは可能だけど、それ相応のシルを失うことになってしまう。
「この山、ニジェワ山って言うのねー。知らなかった」
シェレラが気の抜けた声を出す。しかも微妙に読み間違えているし。
僕も初めて知ったけど、山の名前なんて今はどうだっていいだろ。
魔人は『門』の中心に立ったまま、動かない。
こっちとしても、相手が動かないと、攻撃に踏み切るタイミングが掴めない。
「お兄ちゃん、とりあえず突っ込んできてよ」
「とりあえずってなんだよ! それに、なんか普通の魔人じゃないだろあいつ」
そんな僕とアイリーとの会話を尻目に、一筋の光が走った。光は一直線に魔人に吸い込まれていく。
振り返ると、弓を射終わったアミカの姿。
苦い表情。
「あたってない……」
アミカが呟く。
そんなことはない。僕ですら不意を突かれたくらい、見事な先制攻撃だった。光の矢が魔人に当たったところだって、ちゃんと見た。
「アミカ、当たってないって、どういう」
「あぶない!」
アミカが僕の腕を掴み、引っ張った。
その直後、一筋の光がさっきとは逆方向に走った。一瞬前まで僕がいた場所を通過していく。
僕はアミカに抱き寄せられたまま、また前を見た。全く様子が変わらない魔人が、『門』の中で佇んでいる。
「跳ね返された……のか?」
「ちがう。吐きだした」
「うん。一旦吸収して、発射した感じだね」
アイリーが補足する。
「アミカちゃん、どうしてリッキを抱き寄せたの? 普通は突き飛ばすパターンじゃない?」
シェレラがアミカに詰め寄った。言い方は優しいけど、内容は相反している。
「シェレラ、今そんなこと言ってる場合じゃないだろ」
「……そうだったね。あたしお姉さんだし」
まだ言ってるよ。もうお姉さんのことは忘れろよ。それに、ちゃんとカイから離れず守ってほしいんだけど。
戦闘中だってのにこんな行動を取るなんて、相変わらずシェレラのことはよくわからない。でも、本当に切羽詰まっていたらこんなことはしない。まだ状況に余裕があるってことの証拠だ。
「じゃあ今度は私が!」
アイリーの杖が、炎の玉を放った。
魔人は全く避ける素振りを見せず、炎の玉は魔人に命中――したかに見えた。
いや、命中しているはずだ。それなのに全く炎が炸裂した様子がない。
そして――。
魔人の体から、炎の玉が発射された。
炎の玉はアイリーに向かっていく。十分予測していたのだろう、アイリーは難なく躱した。
「やっぱりこいつ、魔法が効かない。魔人のくせに!」
悔しがって小石を蹴り上げた。
アイリーの言う通り、この魔人には魔法は逆効果だ。アミカの弓攻撃が通じなかったのも、光の矢が魔力で構成されているからだ。
「お兄ちゃん、やっぱり突っ込んできてよ!」
「……まあ、それしかないよな」
魔法が通じないなら剣で攻撃するしかない。僕は剣を抜き、突撃した。
――急激な悪寒。
僕の突撃に合わせ、魔人は足元の黒い煙を濃く、そしてその領域も広げていた。回避する間もなくそこに入ってしまった途端、僕の心身から力が抜けた。
僕はなんとか意識を集中させ、剣を振った。剣はへなへなと波を打った。やっぱり当たらなかった。だと思った。僕の攻撃なんてこんなもんだ。気分が悪い。吐きそうだ。HPが減っていく。体が動かない。毒? 麻痺? なんだろう? でもそんなことどうだっていい。もういい。何もやりたくない。全部捨てよう。捨てるのもめんどくさい。このまま死のう。そうだ、それがいい。なんだか眠くなってきた…………。
「――――ッキ! リッキ! しなないで! リッキ!」
目の前に、薄紫色の髪の幼い女の子の顔がある。髪と同じ色の瞳が、寝ている僕の顔を覆い被さるように見ている。
「――アミカ、どうしたの? 何かあったの?」
僕の声は、たぶん、弱々しかった。
「リッキ!」
「えっと……僕、何やってたんだっけ」
「おぼえてないの? なにもおぼえてないの?」
アミカはまるでこの世の終わりが来たんじゃないかってくらい動転してしまっているみたいだ。なんだか早口だし、声は上ずって時々裏返っている。何をそんなに慌てているんだろう。
アミカが嵌めている指輪が白く光り、僕にかざしている掌を通じて光が僕に注がれている。回復魔法だ。
「あ、僕、ダメージ受けたの?」
「そーだよ!」
「そんなに大きな声で叫ばなくっても聞こえるって」
「だって!」
アミカは涙を飛ばしながら叫んでいる。そんなに心配をかけたのだろうか。
「俺が説明するよ。リッキ、体、起こせるか?」
「あ、カイ、いたんだ」
そういえばカイが一緒だったんだっけ。
「いるに決まってるじゃないか……。そんなことも覚えていないのか?」
カイは僕の背中に手を回した。支えられて、僕は上半身を起こす。
「ほら、あれを見ろよ」
カイが指差した先。
シェレラが風を飛ばしまくっている。
その向こうには、黒い魔人。魔人の周囲には黒い煙が低く立ち込め地面を覆っているけど、シェレラの風に飛ばされて前のほうだけは煙が薄く、『門』の一部がかすかに見えている。
「リッキはあの煙に捕まったんだ。捕まったって言っても、リッキのほうから動くのをやめちゃった感じだった。シェレラがああやって風で煙を吹き飛ばして、なんとか救い出したんだ」
カイの話を聞いて、なんとなく思い出してきた。
「猛毒とか麻痺とか眠りとか、よくわかんないけど細菌とか? とにかくひどい状態異常だったんだ。中でも鬱が極めつけの重症で、回復しようって気力を失わせて殺してしまおうってつもりだったらしい」
「そうだったのか……。はっきりとは覚えていないけど、アミカが治してくれたんだね。ありがとう」
「ちがうよ。シェレラだよ」
「え、そうなの?」
でも、シェレラはさっきからずっと魔人に風を飛ばし続けている。
「俺、後ろで見てたけどさ、リッキがおかしくなったってことに最初にシェレラが気がついて、煙を吹き飛ばしてそのままリッキのところまで走り出して、俯いて突っ立ったままのリッキを連れ戻して、状態異常を治したんだ」
「すごく早かったよ。すくいだすのも、ステータスをなおすのも。ものすごく重いじょうたいいじょうだったのに、すぐなおしちゃった。アミカにはあんなことできない。リッキはシェレラにかんしゃしなきゃ」
「うん、後でお礼を言っておくね」
アミカがシェレラを褒めるなんてこともあるんだな。ちょっと意外だ。
シェレラが頑張ってくれているのに、いつまでも休んでなんかいられない。僕は立ち上がろうとした。
「まだじっとしてて。HPが回復するスピードがおそい。こういしょうなのかな……。シェレラはね、けむりが広がろうとしているから、風でふきとばしているんだよ。あとのことはアミカがまかされたから、アミカがちゃんとリッキのHPを回復させなきゃならないのに……」
アミカにそう言われ、僕は立ち上がるのをやめた。素直に回復魔法を受け続ける。
それにしても、どうして僕はこんなことになったんだっけ……?
そうだ。アイリーだ。アイリーに言われて突撃したんだった。
「アイリーは? アイリーは何やってるの?」
シェレラの右後方で、アイリーは魔人に何かを投げつけている……?
「魔法が効かないし近寄ることもできないから、爆裂玉を投げつけたんだ。最初の一回はちょっと効いたんだけど、魔人も学習しちゃって二回目からはちゃんと避けるようになってさ。アイリーの投げるスピードじゃ遅いんだよ。簡単に避けられてしまう」
アイリーはまた爆裂玉を投げた。投げ方は腕を振るんじゃなくて押し出すような、いわゆる「女の子投げ」ってやつだ。山なりの弧を描いた爆裂玉は、簡単に見切られてしまった。魔人はゆっくりと一歩だけ動いて躱した。爆裂玉は地面に落ち、小さく破裂したようだけど黒い煙が衝撃を押さえつけた。魔人にはなんの影響もない。
もっと速いスピードで投げろって言ったってアイリーには無理だろうし、そもそも爆裂玉程度じゃ大したダメージは与えられない。
「アイリー、いくら投げても無駄だって」
「そんなこと言ったって! 他にいい方法ないし!」
やけくそになったのか、アイリーは氷雪玉や雷撃玉など、爆裂玉以外のアイテムも次々と投げ込んでいった。でもやっぱり全然効かない。
いや、ひとつだけ効いた……?
地面に落ちて破裂した玉のうち、衝撃が黒い煙を通過したものがひとつだけあったような……。魔人も少し驚いたようだったし。
「アイリー、今、何投げた?」
「わかんない。適当に投げた」
なんなんだよ。いいかげんすぎるだろ。
「あれ、たぶん閃光玉じゃないか? 煙でよく見えなかったけど、それっぽい光り方だったような……」
僕の隣でカイが指摘した。
「それだ。見るからにあの魔人は闇属性っぽいしな。光属性の閃光玉が効いたんだ」
でもやっぱり威力が小さいし、直接魔人に当てることができなければもっと威力は小さくなる。これじゃ魔人は倒せない。
そう言った時だった。
「みんな! 下がって!」
前線で風を飛ばしていたシェレラが叫んだ。
「煙が押し寄せてくる!」
シェレラは風を飛ばしながら後退した。その風を煙が押し返し、魔人の足元を中心に広がる黒い領域が少しずつこっちに迫ってきている。
「ギヒャアアァァーーーーッ」
潰れた声で魔人が叫んだ。
閃光玉のせいで、魔人が本気になってしまったのだろうか。
さすがにこのまま寝てはいられない。
僕たちは後退して、煙との距離を保った。
「アイリー、マジックポーション」
「うん」
攻撃魔法しか使えないアイリーには、MPの使い道がない。持っているマジックポーションを全てシェレラに渡す。シェレラは受け取ったマジックポーションを使用し、風を吹かせ続けている。
おそらく、この山頂全体が戦闘区域なのだろう。煙から逃れて少しでも山頂から下ってしまえばクエストは途中のまま終了し、多額のキャンセル料を払う羽目になってしまう。それ以上に、魔人一匹に負けてしまう悔しさが残ってしまう。それだけはごめんだ。
このままではまずい。シェレラの風はあくまでも一時しのぎだ。風で魔人を倒すことはできない。魔人を倒すには、強力な閃光玉を避け切れないくらいのスピードで投げつければいいのかもしれないけど……。そもそも玉に上位バージョンなんてない。それに、玉を投げるスピードがこの中で一番速そうなのは僕だけど、アミカが言うように後遺症なのか、まだ体がだるくて全力で体を動かすことができない。
何か、いい方法は、いい方法はないのか…………。
あった。
「カイ! あの銃! あれに閃光玉詰め込んで撃てないか?」
手で投げるには限界があるけど、銃なら大丈夫だ。
でも、カイの反応は意外なものだった。
「銃……? 銃って?」
「何言ってるんだよ。二人でいた時に、アイリーたちに居場所を知らせるために拳銃を使ったじゃないか!」
「ああ、あの虹色の光を発射するアイテムのことか?」
「そうそう、それだよ! それで閃光玉を魔人に向けて発射するんだよ」
もしかして、カイはあれが銃だと認識していないのか?
やっぱり、この世界に銃という武器は存在しないんだ。だからカイはあのアイテムを銃だと認識することができないのだろう。カイにとって、あれはあくまでも光の発射装置なんだ。
「リッキ……優しそうなのに意外と怖いこと考えるんだな。俺、武器として使うなんて考えたことなかったよ」
カイが作るアイテムは果物を採ったり魚を釣ったり、戦闘ではなく生活のために使うアイテムばかりだ。果物ナイフだって、人を傷つけることがないように作られている。
「でも、魔人に襲われた時に救ってくれたのはリッキの剣だった。いくらリッキが強くても、剣がなきゃ戦えなかっただろ? だから、もしかしたら俺にも武器が必要なのかもしれないな。困った人を守るための武器が」
カイはベストの左側の内ポケットから薄灰色の拳銃を取り出した。
「カイ、それって」
初めて見た銃を前に、アイリーが驚いている。僕と全く同じ反応だ。アミカも同じ表情をしているけど、シェレラは図を見ながら話し合ったこともあるからか、特に驚いた様子はない。ちらっと目をやっただけで、風を吹かせることに集中している。
「ちょっと改造が必要だから、もう少し時間を稼いでほしい」
カイはウエストポーチから工具を取り出すと、素早く作業に取り掛かった。銃の中身は小さな部品や導線が絡み合っていて、僕には全く理解できない。
「これも魔力をつかっているの? あの魔人には魔力はつうようしないかもしれないよ?」
「大丈夫。発射の動力源として使うだけだから。弾は閃光玉を原料とするだけで、魔石を混ぜたりはしないから問題ない」
アミカの質問にカイが答える。その間も工具を持つカイの手は決して止まることはない。
「アミカ、マジックポーションある?」
シェレラが叫ぶ。
「ちょっとだけならあるけど……」
アミカはちらりと僕を見た。心配そうな目をしている。
「僕の回復のことならもういいから! シェレラに全部あげて!」
「……リッキがそう言うならいいよ」
アミカの指先が空間をなぞる。続いてシェレラの指先が空間を一回叩いた。トレード完了だ。
「カイ、まだできないのか?」
「もうちょっと。弾も作らないと。アイリー、まだ閃光玉残ってるか? リッキもアミカも持っていたら分けてくれ」
カイは銃の改造を終え、集めた閃光玉を原料とした弾を作り始めた。閃光玉をいくつも砕いて粉にして、弾の形をした型に詰めていく。
頼む。なんとか間に合ってくれ。
「シェレラ、まだ持ちそうか?」
「マジックポーション使い切ったから」
ということはあと何分、いや何秒持ちこたえられるだろうか。
「カイ!」
「できた!」
カイは拳銃に弾を込めた。
魔人に銃口を向ける。
外れたら終わりだ。命中したとしても、どれだけ効果があるかわからない。
でも、これに賭けるしかない。
カイの指が、引き金を引いた。
弾道を追う間などなかった。
カイが閃光玉の弾を発射した瞬間、魔人の体が破裂した。肉片が四方八方へと飛び散る。光の粒子と化した肉片が、低く立ち込めた黒い煙の中へと沈んでいった。
クエスト完了を知らせるメッセージが表示され、電子音が音楽を奏でる。
停滞していた黒い煙を、シェレラが吹き飛ばした。乾いた土と小石の地面が露になる。
「勝った……」
そう呟いた僕の隣で、拳銃を手にしたままのカイが呆然と立ち尽くしている。
「カイ、やったよカイ!」
僕は思わずカイを抱きしめた。
「お、俺が、倒した……のか?」
「そうだよ! カイがやったんだ! カイのおかげで勝てたんだ! ありがとうカイ! ありがとう!」
アイリーやアミカも、カイの活躍に感動している。
「カイ、すごいじゃん!」
「アミカならこんな武器つくれないよ!」
「う、うん、ありがとう」
カイはまだ夢見心地みたいだ。
遅れて、シェレラがやってきた。
そうだ。僕を救ってくれたお礼を言わなきゃ。
「シェレラ、さっきはありが――」
「カイ、どの部分を改造したのか教えて?」
「ああ、まず、横向きで発射することは想定していなかったから、この――」
シェレラに質問されて、どこかにあったカイの心が戻ってきた。カイはまた工具を手にして、銃の中身をシェレラに見せた。そして僕にはさっぱりわからない説明を始めてしまった。ウィンドウを開いているのだろう、たまに何もない虚空を指差し「――で、前との比較なんだけど」とか言いながらカイとシェレラだけの世界に突入している。
僕だけでなく、アイリーとアミカも途方に暮れている。
「……アイリー、アミカ、どうしよう? カイとシェレラのおかげで勝ったようなものだし、あまり邪魔したくはないんだけど……」
「うん……そうだね……」
「でも、カイとシェレラがほこらのとびらをあけたからこうなっちゃったんだよ?」
「あーそうだったね。でも、何も起こらなかったら、それはそれでつまらなかっただろうし……」
「どうするお兄ちゃん? ちょっと待ってる?」
「うん……とりあえず待ってみようか」
二人が話している間ただ何もせず待っているのも退屈なので、僕たち三人は戦闘後の状況を確認した。
まず、黒い魔人が出現した黒い『門』。今もまだ残っている。ただ、今は黒くない。一般的な白い線で描かれた『門』とほとんど同じだけど、外側が赤い円で縁取られている。これは特定の条件をクリアした人だけが使用できるという意味だ。今後はいちいちこの山のふもとから登ってこなくてもこの場に来られるようになった。でも、ここに来る用事なんてなさそうだけどな……。
それよりも祠だ。
中には希石があった。ただの希石ではない。なんと虹色の希石だ。七色で彩られた希石は、どことなく本物のリュンタルで魔力を封じた七色のコインを思い出させる。コインは円形だったけど、ここには三角形や星形など、全部で七種類の希石が置いてあった。
虹色の希石なんて、僕は初めて見た。存在すら知らなかった。
「お兄ちゃん、これどうする? みんなで分けるにしても、七個なんて割り切れないよ?」
「うーん……僕は一個でいいよ」
「アミカも一個でいいよ」
「じゃあ、カイとシェレラが二個でいい? 一番活躍したんだし」
僕とアミカは同意し、いつまでも話が終わらなそうなカイとシェレラを呼び、先に二個選んでもらった。二人もやっぱり虹色の希石を見るのは初めてで、目を輝かせながらどの形にするか迷っていたけど、何に使うのか、どの形がどんな用途で必要なのか全くわからないので、結局シェレラは「どれにしようかな♪」と歌いながら選んだ。カイはこの歌を知らなかったみたいだけど、ところどころ間違いながらまねて歌って選んだ。残りを僕とアイリー、アミカで分けた。
◇ ◇ ◇
僕たちはピレックルの噴水の広場に戻ってきた。
ポーションなど消耗品の補充を済ませ、今日はもうこれで終わることにした。簡単だと思っていた登山が、想像以上に時間がかかってしまったからだ。
カイとはこれでお別れだ。
また会える日が来るのだろうか。
きっと、明日のお母さんはまた別のNPCの中にいて、僕たちはまた新しい出会いと別れを経験することになるのだろう。
楽しくもあり、そして寂しくもある……。
◇ ◇ ◇
「今日は一人ぼっちになっちゃって寂しかったわ」
「ごめんせいちゃん! 怖い思いさせて!」
ちょっと語尾をとんがらせ気味に言うお母さんに、お父さんは手を合わせたり頭を下げたりして必死に謝っている。
「なんであんなにいっぱい小人が攻めてきたの? いくら小人だからって多すぎじゃないの?」
「ごめん! あとでバランス見直しておくから!」
今日の夕食もまた、お母さんを中心としたお父さんへの報告会となった。お母さんは魔人との戦いが不満だったみたいで、お父さんに文句ばかり言っている。お父さんは謝りっぱなしで、今日の夕食のメニューである煮込みハンバーグが全く減っていない。
一応、間違いを指摘しておいたほうがいいかな。
「お母さん小人じゃなくて魔人だよ、魔人」
「そうそう魔人よ、魔人」
お母さんは煮込みハンバーグを一口食べると、
「こうちゃん、なんであんなにいっぱい魔人が攻めてきたの?」
と、小人を魔人に直してさっきと同じことを同じ口調で言ってお父さんに詰め寄った。
「まあまあお母さん、許してあげてよ。こういうのもゲームのうちだからさ」
「……しょうがないわねえ」
愛里になだめられて、お母さんはしぶしぶお父さんを責めるのをやめた。また一口、煮込みハンバーグを食べる。
楕円を保っていたお父さんの煮込みハンバーグにも、ようやくフォークが入った。そして一口食べると、
「おっ、このハンバーグおいしいなー!」
と言って失った時間を取り戻すようにハイペースで食べ進めていった。
最初は黙ってその様子を見ていたお母さんだったけど、
「どうせわたしが作ったんじゃないですよーだ」
と、突然拗ねてしまった。
お母さんは料理ができない。今日もいつものように僕が料理している。煮込みハンバーグを作ったのも、もちろん僕だ。
「ごめんせいちゃん! そんなつもりで言ったんじゃないんだ! ごめん!」
また謝り始めたお父さんを無視して、お母さんはフライドポテトを口に運んだ。
「お父さん、訊きたいことがあるんだけど……いいかな」
「ん、どうした愛里」
謝り続けていたお父さんだったけど、愛里のおかげで止めるきっかけができた。揉め事にそれとなく入っていってその場を収めてしまうのは、愛里の得意技だ。
愛里は煮込みハンバーグにケチャップをドバドバ注いでいる。食べ始める前にも大量のケチャップをかけていたけど、愛里としてはそれでも足りなかったようだ。
「カイが使ってたアイテム、私も欲しいんだけど、どうすればいいのかな」
「アイテム? どんなの使ってたんだ?」
お父さんといえども膨大な数のNPCをすべて把握している訳ではない。アイテムも同様で、全部でいくつあるのかもわからないくらいの膨大なアイテムを完全に覚えるのには無理がある。
「あのほら、高いところまで小石が飛んでいって果物をもぐやつとか」
「うーん……」
そんな説明でわかるわけないだろ。お父さん困っているじゃないか。
「でもさ、あれってカイが自分で作ったアイテムだろ? 欲しいからって手に入るものじゃないんじゃないのか?」
「あ……やっぱり、作らなきゃダメなのかな」
アイテムは買ったり拾ったりできるものばかりではない。中には作らなければならないものもある。
「そうだな、それがカイのオリジナルのアイテムなら、どこかに売ってるってことはないだろうな。カイから譲ってもらうか、作り方を教えてもらって自分で作るしかない」
「だよねー」
入手が難しいことをお父さんから告げられた愛里は、椅子の背もたれに体を預け、天井を仰いだ。
「お母さんはわかる?」
「そうねえ、どうやって作ったのかしら? 元々持っていたものだし、作り方まではわからないわ」
「だよねー……っとっと」
愛里は背もたれに重心を掛けすぎて倒れそうになり、慌ててテーブルを掴んで体勢を立て直した。
「作り方、教えてもらっとけばよかったなー。人を傷つけないナイフも欲しいし、きっとまだ見てないアイテムもいっぱいあるよねー」
「いや、いくら教えてもらってもアイリーにはアイテム作るなんて無理だろ……」
そうだ!
「待てよ! あの拳銃! 花火を打ち上げたり、黒い魔人を倒したりした時のあのアイテム、シェレラなら構造を理解できている!」
「拳銃? …………???」
お父さんが困惑した眼差しを僕に向けている。手に持った茶碗からご飯を取ろうとして、箸が止まったままだ。
「ああ、あれ、シェレラだったら作れると思うけどな。俺が説明したこと、全部わかってたし。リッキは全然わかってなかったけどな」
カイの声だ。
昨日のアーピと同じように、お母さんはカイの声を完璧に再現してみせた。
のけ反って天井を仰いでいた愛里が、今度は逆に身を乗り出した。
「えっどういうこと? 私そんなの聞いてないよ?」
「ほら、山に登るまでの道で、カイとシェレラがずっと二人っきりで話していただろ? あの時だよ。だからカイが花火を打ち上げた時、シェレラがわかったんだろ?」
「あー、そういうことだったのかー。私あんまり考えてなかった。またシェレラが不思議パワー発揮してるとか、そう思ってた。シェレラはカイと気が合ってたみたいだし」
不思議パワーってなんだよ。そりゃあ、シェレラは理解不能というか、理解を超えた行動をとることがあるけどさ。
「僕はカイと二人になった時に聞いたんだけど、難しすぎて全然わかんなかったんだ。でもシェレラならちゃんと説明の内容をわかっているし、改造した部分の説明も聞いているから、もしかしたら作れるかもしれない」
「えっ、じゃ、じゃあ、あの果物をもぐやつは? あれもシェレラは作れるの?」
「いや、俺、他のアイテムの説明はしなかったから」
お母さんはカイの声で答えた。
「そっかー……。諦めるしかないね……」
愛里はがっくりと肩を落としてうなだれた。
「……そういえばさ」
顔を上げた愛里は、付け合わせの人参にフォークを刺した。
「お兄ちゃんとカイが二人だった時って、他に何してたの?」
「それは……」
カイが話してくれた、おばあさんのこと。
あれはきっと、僕一人しかいなかったから話してくれたことなんだ。だから――。
「あんまり言いたくないかな……」
「リッキってさ、俺のこと男だと思ってたんだよ」
また聞こえたカイの声。
それはいいんだけど、お母さん、それ、それ言っちゃうの!?
僕はゆっくりと、おそるおそる、右隣に顔を向けた。
「……………………えっ」
ずいぶん間を置いてから「えっ」とだけ言った愛里と目が合う。
ただ見ている。無表情で、何も言わず、凝視するでもなく、ぼんやりしているでもなく、まるで魚のような目で僕を見ている。
「な、なんだよ……」
確かにプロフィールを確認せず、カイを男の子だと思ってしまったのは完全に僕のミスだ。でもカイの姿や言葉遣いは男の子のものだ。一見して男の子だと思い込んでしまったのは、きっと僕だけではないはずだ。きっと愛里だって……。
と、思うんだけど。いや、思いたい。
「ぷっ」
愛里の口元が歪んだ。
「ぶあっははははははははははははははははははははははははははっっっ!」
家の外まで響きそうなくらい笑われた!
「あっはははははははははははははは」
「そんなに笑わなくったっていいだろ!」
カイ本人に笑われた時だって、これほどではなかったっていうのに。
「あはは、あは、だ、だって、だってお兄ちゃん、カイが男の子なわけないじゃん。お母さん女なんだから」
「え」
プロフィールじゃなくって、そこ!?
「いくらなんでも性別は変えられないって。基本中の基本じゃん」
「そうよりっくん。お母さんが男の子になんかなれるわけないでしょ」
愛里だけじゃなく、お母さんまでが「何言ってんの?」って目をしている。まるで見下されている感じだ。
性別は変えられない。
『リュンタル・ワールド』のアバターは、体格や容姿の修正は可能だけど、性別は必ず現実のものが反映される。
愛里の言う通り、基本中の基本だ。
「で、でもさ…………」
うっかり「バグで男になったと思ったんだよ」と言うところだった。お母さんはバグが発生しているということを知らない。お母さんの前で『バグ』は禁句だ。
「ぷっ、お、お母さん、お母さんだって男になれると思ってたでしょ。私が言うまで知らなかったじゃん」
「そうそう、本当は男の子になりたかったのよね。でもりっくんが朝ご飯食べ終わった後に、あいちゃんから女は女にしかなれないって聞いたのよ。残念だったけど、そういうゲームなんだから仕方ないわね」
そういうことか……。
お母さんは今朝、「お爺さんにはならなくていい。若いほうがいい」ってことを言っていた。その後、僕がいなくなった後に愛里から性別は変えられないってことを聞いた。それでゴーグルが、少年のようだけど本当は少女のNPC・カイを呼び出してしまったんだ。
「お兄ちゃんにしてはそそっかしいミスだね」
「悪かったな……」
なんだか居心地が良くない。
自分の思い込みが原因とはいえ、そしてお母さんにはなんの悪気もないとはいえ、やっぱり気まずい。
「お兄ちゃんデータ重視だから、こういう基本的なところが抜け落ちてることなんてないと思ってたのに」
「愛里! もう言うな! もうわかったから!」
「違うよ褒めてるんだって! 普段のお兄ちゃんは堅実でしっかりしてるって!」
「いいからもう言わないで! なんか恥ずかしいから!」
僕はひたすら急いで夕食を食べ終えると、
「ごちそうさま!」
椅子を蹴飛ばしそうな勢いで立ち上がり、そのまま駆け足で部屋に戻った。
◇ ◇ ◇
「銃なんてない」
「ない? ないなんてことないでしょ? だったらカイが使っていたのは何なの?」
「あー……やっぱりないんだ」
昨日と同じく、夕食が終わった後はお父さんと愛里が僕の部屋に来て、三人での話し合いになった。
愛里と並んでベッドに腰を下ろしたお父さんの最初の発言に、僕と愛里は正反対の反応をした。
「あれが銃じゃないはずがないって。愛里もそう思わないか? どこからどう見ても銃だろ、あれは」
「花火を打ち上げるアイテムなんじゃないの? だってカイも言ってたじゃん。『武器として使うなんて考えてなかった』って」
「いや、それはそうだけどさ」
「立樹、もう一度言うけど、リュンタルに銃なんてなかった。『リュンタル・ワールド』にも、当然だけど銃はない」
愛里が言うならまだしも、お父さんからこうも強く「銃はない」って言われると、本当にないんだと思わざるをえない。けど……。
学習机の椅子の上から、ベッドに座る二人に主張する。
「僕だって最初見た時は信じられなかったよ。まさかこの世界に銃があるなんて、って。でもさ、いくらないって言われても、あれは銃だって。それ以外考えられないって」
「お兄ちゃんの言いたいことはわかるけどさ、お父さんは銃はないって言ってるし、本当はないんだよ。これもバグなんだって。きっとお母さんが勘違いして、リュンタルに銃があると思い込んじゃってるんじゃないのかな。それでカイがあんなアイテムを生み出したんだと思うよ」
「うん……おそらく、愛里の言ったことが正解だろうな。せいちゃん本当は男の子のキャラになりたかったみたいだし、おもちゃの銃でも持っているイメージだったのかもしれない。花火は元々存在するアイテムだし、花火を打ち上げるアイテムをカイが持っていたっておかしくない。その二つがなぜか融合しちゃったんだろうな」
なんだか納得できるようなできないような説明だな……。
でも、それに反論できるだけのものを僕は持っていない。どちらかと言えば、僕より愛里やお父さんが言っているほうが正しいのだろう。
「それと、もう一つ言いたいことがある。これはゲームを壊すことに繋がりかねないから、ちゃんと聞いてほしい」
お父さんがこんなことを言うのは初めてだ。これまではいくらお母さんがバグを起こそうが、けっこう気楽に構えていたっていうのに。
「繰り返しになるけど、リュンタルに銃はない。銃の使用は禁止だ。智保ちゃ……シェレラには父さんから伝えておく。二人ともわかっているとは思うけど、今日のことは決して他人に漏らさないように。それと、一緒にいた女の子……」
「アミカ」
愛里が教える。
「そう、そのアミカって子にも伝えておいてくれないか。今日のことは絶対に内緒だよ、って」
「「……うん」」
僕と愛里は顔を見合わせ、同時に返事をした。
お父さんはアミカの中身が玻瑠南だということを知らない。お父さんにとっては、アミカは僕たちがゲームの中で知り合った、ただの幼い女の子だ。もしかしたら、あまりバグのことを知られるのはよくないからお母さんと一緒には遊ばないでほしい、とでも思っているのだろうか。
それは嫌だ。
僕はアミカと一緒に遊びたい。
でも……。
お父さんにそれを言うのは、最悪の返事が来た時のことを考えると、怖い。
「ねえお父さん」
愛里がそう言いながら、隣に座っているお父さんをちょっと不安そうに見上げた。
「……アミカも、一緒に遊んで、いいんだよね? アミカは大切なお友達だから、一緒に遊びたいの」
愛里も僕と同じことを考えていたんだな。一歩踏み込む勇気がなかった僕の心を、愛里が代弁してくれた。
お父さんは、少し考えていた。
「そうだなあ……。ゲームにとって致命的なバグが出てしまった場合に、あまり無関係な人を巻き込みたくないという気持ちはある。でも、もちろんそんなバグは起きないように父さんからもしっかりせいちゃんをサポートするから、ダメってことではないけど」
全面的に許可する、って考えではなさそうだな……。
と、その時。
電子音の音楽が流れた。
僕のスマートフォンからだ。
「玻瑠南からだ」
画面を見てそう言った僕の横を、お父さんが通り過ぎていく。
「父さんからは以上だ。大事な電話の邪魔しちゃいけないからなっ!」
「どうぞごゆっくり~」
お父さんに続いて、愛里も部屋から出て行った。
なんで二人とも余計な一言付け加えて去って行くんだよ。
◇ ◇ ◇
「立樹、どうしよう。私、明日からリュンタル行けないかも」
ひどく切羽詰まった玻瑠南の声。
何かあったのだろうか。
「どうしたの? ゴーグルの不具合とか?」
「そうじゃなくて、えっと……トラブルじゃないのよ。私、今度の土曜日にピアノの発表会があるんだけど、最近あんまり練習していなかったから、明日から集中的に練習しようってことになっちゃったのよ」
なんだ。何か重大なことが起きたのかと思ったら。
「それはちゃんと練習しなきゃ。発表会が終わったらまた遊べるんだろ?」
「それはそうなんだけど……。立樹のお母さんと一緒に遊ぶようになってから、大変な目にも遭ったけどこれまでにない楽しさがあったし、それに……何より、私は立樹と一緒にいたいのよ。だから、立樹に会えないんだったらいっそのことピアノやめちゃおうかって考えてる」
「それはダメだって!」
「どうして! だって私はいつも立樹と一緒に」
「愛里がさ、また自分のコンサートでハルナにピアノ弾いてもらいたがってるんだよ。だから、玻瑠南にはこれからもピアノを続けてほしいんだ」
お父さんと玻瑠南の話になった時、愛里はお父さんにずいぶん理不尽な態度をとっていたけど、それもきっとまたピアノを弾いてもらったり、勉強を教えてもらったりしてほしいという気持ちが強いからなのだろう。
「……そう、愛里ちゃん、そう言ってくれてるんだ」
「うん。まだ次のコンサートの予定は聞いていないけど、その時のために、もちろんその後のためにも、ピアノは続けてほしいんだ」
「……わかった。愛里ちゃんをがっかりさせることはできないしね。ちょっとの間我慢して、ピアノに集中することにする」
「ありがとう。玻瑠南がピアノが上手くなれば、それだけ愛里も喜ぶよ。僕だって聞いてて楽しいし。このことは僕から愛里に伝えておくよ」
「大丈夫。私から言う。もし次のコンサートの予定があるなら聞いておきたいし」
「じゃあ愛里とのことは玻瑠南に任せるよ。発表会が終わったら、また一緒に遊ぼう」
またね、と言って僕は電話を切った。
そっか。明日はアミカがいないのか。
明日だけじゃない。土曜日までだから……四日間か。四日間もいないのか。
なんだか寂しいな…………。
急に鳴り始めた電子音の音楽。
僕のスマートフォンのメロディではない。
音の出どころは……?
部屋のドアを開けた。
僕は怒りで体が震えた。
「何やってんのかなこの親子は……」
さっき部屋を出て行ったお父さんと愛里が、そこにいた。
「まさか盗み聞きしていたとはね……」
「いやっ、これは、立樹、そ、そのっ、その」
「あーハルナ? どうしたの急に電話なんて。 えっ忙しくなんかないけど? 慌ててるみたいだ? そっそんなことないって。うん、ほんとほんと」
何事もなかったかのように装って、愛里はすぐ隣の自分の部屋に入っていった。当然だけど、全くごまかせていない。
愛里に全くかばってもらえなかったお父さんが取り残された。
「こ、これは、たまたま通りすがりで」
「へぇ? 一体どこからどこへ行く途中だったんですかね?」
僕は残されたお父さんに詰め寄った。
お父さんは一歩下がった。
「あ、安心してくれ。立樹の声がちょっと聞こえただけで、ハルナさんの声は聞こえてないし」
「盗み聞きしようとしていたことは認めるんだね?」
僕はさらに詰め寄った。お父さんはさらに一歩下がった。
また一歩詰め寄る。また一歩下がる。
お父さんの背後に、階段が迫る。
足の下げ場をなくしたお父さんが、一瞬振り返る。
「残念だよ……。あの伝説の騎士『
僕はただ淡々と告げ、手を前に伸ばそうと――。
お父さんは鋭く体を反転させた。そして、
「ご、ごめんなさーーーーい」
光の速さで階段を駆け下りていった。
もちろん、手を伸ばして突き落とすつもりなんて全くなかったけど。
それに、お父さんのこと言ってられないや。
今の僕は、アイリーの言うノリノリのリッキだったし。
■ ■ ■
少しずつ、糸がほつれてきている。
微かに見える。間違いない。
でもまだ足りないわ。
ああ、早く、早く。