ありがとう
ふわふわとベッドの上に漂いながら、洸は笑った。ふわふわと漂うなんて幽霊にしかできないことで、高2が死んでしまっていると突きつけられた。でも、そんなことはもうどうでもよかった。
私の前に洸がいること、それが今の全てだった。
「なんで…」
「夏恋があまりにも泣いてるから」
驚きで止まったはずの涙がまた溢れてくる。
「何度もっ…呼んだんだよ、会いに来てって」
洸がスーッと私に私に近づいてきて、触れられない手で私を抱きしめる。暖かいはずがないのに、私は誰に抱きしめられた時よりも温もりを感じた。
「知ってる、全部聞こえてた」
ずっと聞きたかった声が、耳元で聞こえる。温かい涙が溢れる。言葉にならない嗚咽が、溢れて止まらかった。話したいことは山ほどあるのに、言葉にならずに頭の中でから回る。
「ごめんな」
洸のおでこと私のおでこが触れるギリギリまで近づく。洸の目が赤く充血していて、ああ、この人も寂しかったんだと、ふと思った。
「久しぶり」
「うん」
静かに、静かに、頬を涙が伝う。
私の世界が動き始める音が、体の内側で響く。
「夏恋、俺、夏恋が大好きだった」
「うん」
知ってたよ、私は小さくつぶやく。止まらない涙をごしごし拭って、洸を最後に目に、脳みそに焼き付ける。もう二度と会うことは出来ないんだと、心の直感が告げる。
「だから、生きてて欲しかった」
洸の目から涙が溢れ出す。
「どうしても、夏恋に生きてて、欲しかった…!」
「うん」
一文字だって聞き逃さないように、五感をフル活用して洸の言葉を脳に焼き付ける。決して、忘れないように。辛くなった時、思い出して立ち直れるように。
洸と会うだけで、こんなにも前向きになれることが不思議だった。でも、心のどこかで、その事を確信していたような気もする。
「俺と一緒にいてくれて、ありがとう」
「うん」
「俺のこと好きになってくれて、ありがとう」
大きくうなづく。私もだよなんて、分かりきっていることは言わなかった。
「先に死んで、ごめん」
「本当だよ、ばか」
洸がくすりと笑って、続きの言葉を紡ぐ。
その笑顔が、あんまりにも7年前と同じだから、ああ、洸の時間は止まってしまったんだと思い知る。私みたいに、止まってほしいと願っているだけではなくて、本当に、ピタリと、止まってしまった。
「俺、幸せだった」
洸の声が耳に届く。
一緒にいる時は当たり前すぎて、それがどんなに幸せでありがたい事なのかまるで分かっていなかった。
「夏恋と居られて、すげえ幸せだったよ」
洸の向こう側の景色がだんだん鮮明になっていく。それはもう、時間が無いのだと雄弁に物語っていた。
「うんっ、私も、幸せだったよ
洸と居られて、洸に好きになってもらえて、すごい嬉しかった。幸せだった…!」
私の気持ちが全部伝わるように、目を見て微笑む。洸はちょっと顔を赤くして、それから優しく微笑んだ。
洸の顔がそっと近づいてきて、私は目をつぶる。触れることの出来ない唇が、確かにそこに触れたとわかる。
目を開くと、そこにはもう洸が、いなかった。
寂しさと悲しさで、涙が溢れて止まらなかった。
きちんと動き出した私の世界は、きっと私を明日へと連れていく。私が、停滞を望むことはきっともうない。
だから、安心していいよ、洸。
下を向いたり、上を見上げたり、時々後ろを振り返ることもあると思う。でも、前に向かって進むよ。少しずつ、少しずつ、確実に。
ありがとう、洸。
__________さようなら。
涙が一雫頬を静かに流れ落ちた。