文化祭とクリアリーブル事件⑤⑥
振り替え休日二日目 日中 結人の病室
「よっ、ユイ」
「おっす」
結人は振り替え休日の二日目に、伊達にあるお願いをするためわざわざ自分の病室へ来てもらった。
伊達に頼むのは常識外れで空気が読めず腰が引けるのだが、今のこの状況において頼りになるのは彼しかいない。
「どうだー、身体の調子は」
伊達はベッドの傍にある椅子を手に取り、結人のいる真横に置いてそこへ座りながら話しかける。
「相変わらずさ。 歩くのは、ちょっとマシに見えるようにはなったかな」
「そっか。 リハビリも順調みたいでよかった」
その言葉に、結人は微笑みを返した。 そして窓の方へ目をやり、そこから入ってくる冷たい風を全身で感じながら言葉を紡ぐ。
「そういや、この後は未来たちと一緒に合流してどこかへ遊びに行くんだろ?」
「あぁ、そうだよ。 つっても、あと15分くらいで来ちまうけど。 いいのか? こんなギリギリに俺を呼んで」
伊達もつられ、窓の方へ目をやりながら静かにそう答えた。 そして視線を彼の方へ戻し、ぎこちない笑顔を見せる。
「大丈夫だよ。 話はすぐに終わる」
「?」
そこで結人は改まり、顔を真剣な表情へ変えていく。 そして未来たちとの約束の時間も刻々と迫っているため、早速頼み事を彼に向かって打ち明けた。
「今週の休日、藍梨を伊達に任せたいんだ」
「ッ・・・! はぁ!?」
伊達は驚きのあまり、その場に勢いよく立ち上がった。 その衝撃により、座っていた椅子は後ろに倒れ、この気まずい空気の中その音だけが静かに響き渡る。
彼は驚いて何も言えなくなっているというのに、結人は表情を何一つ変えず伊達のことをずっと見ていた。
もちろん任せたいというのは、日中だけでなく泊まらせてほしいという意味も込めてある。 そのことについては、彼も理解していた。
結人から感じる凄まじい圧迫感に、伊達は耐えられず先に口を開いてしまう。
「お前は・・・俺の気持ちを知っていて、そんなことを言ってんのか?」
「あぁ。 知っていて言っている」
やっとの思いで発したその言葉に迷いも見せず即答する結人を見て、伊達は更に感情的になっていく。
「おい・・・。 何だよそれ! 俺に対する当て付けかよ!? ユイは思いやりを持って言っているのかもしれないが、俺はそんなものちっとも嬉しくねぇ」
「違う」
「何が違うんだよ!」
結人は視線をそらし、そう小さく呟いた。 そして感情的になっている彼を目の前に、一つの単語を静かに口にする。
「クリアリーブル事件」
「ッ・・・」
その単語に言葉が詰まってしまった伊達を空気だけで感じ取り、再び視線を彼へ戻し静かな口調で言葉を綴った。
「クリーブル事件のことは、伊達でも知っているよな。 俺たちは次の休日、クリーブルと決着をつけようと思っている。
本当は伊達じゃなくて仲間に頼みたいんだけど、その休日で藍梨を巻き込みたくはない。 それに帰りも何時になるのか分かんねぇし、俺たちの身に何が起きるのかも分かんねぇ。
そんな不安定な状況の中、仲間に藍梨を任せることはできない。 だから唯一・・・俺たちの事情を知っていて、藍梨のことを安心して任せられるお前を選んだんだ」
「・・・」
その言葉を聞いた伊達は、俯いたまま何も言葉を発さず自然と手だけに力を込めていた。 そんな彼の気持ちを感じ取りながらも、更に言葉を発していく。
「なぁ・・・頼むよ。 お礼は必ずしに行く。 伊達が嫌がる気持ちも分かっている。 こんなのはただの嫌がらせにしか、思えないのも分かっている。
だけど・・・お前にしか、頼めないんだ。 仲間の他に、信用できる奴はお前しかいねぇ」
「・・・」
先刻から沈黙を守り続ける伊達に、結人は徐々に心が折れていく。 そして視線をそらし、溜め息交じりで彼に負担をかけないような言葉を吐き出した。
「まぁ・・・本当に嫌だったら言ってくれ。 無理に押し付けるのも悪いからな。 ・・・他に、頼めそうな奴を探すよ」
「・・・分かった」
「え?」
その言葉に思わず視線を戻すと、伊達は俯いたまま椅子をそっと立て直しそこへ座った。 そして突然、紅潮させた顔を一気に上げ、結人に向かって言葉を放つ。
「分かったよ! 休日は俺が藍梨に付いている。 それでいいんだろ!」
「・・・伊達」
「母さんはユイと藍梨を早く家に来させろとかいつも言ってきてうるさいし、藍梨だけでも丁度いい機会じゃんか! あと、礼なんていらねぇから」
「いや、礼はしに行くよ。 ・・・ありがとな」
なおも顔が赤く染まってそっぽを向いている伊達に、結人は優しい表情で礼の言葉を述べた。 その瞬間、タイミングよく病室のドアが開かれる。
「伊達ー、迎えにきたぞー」
「何だよ、入る時くらいノックしろ」
「悪い悪い、忘れてた。 話は終わったかー・・・って、あれ、どうして伊達は顔が真っ赤なんだ?」
結人が注意したことに対し、未来は適当に謝りながら堂々と病室の中へ入っていく。 そして二人のいるもとへ行きふと伊達の顔を見ると、彼の変化に気付きそれを素直に口にした。
だが伊達は答えることもなく俯きながらずっとうずくまっていると、ノックの音が聞こえそこからは仲間が次々と入ってくる。
「おうユイ―。 調子はどうだ?」
「俺は大丈夫だよ」
入院してから、仲間に会っては毎回最初に言われるその言葉に苦笑しながらも結人は答えた。 今この病室には、未来、夜月、真宮、悠斗がいる。
他のメンバーはというと、一度にたくさんの人間が病室へ来ても迷惑だと思い、ロビーのところで待ってくれているらしい。
待たせている仲間に迷惑がかからないよう、結人は早速彼らに遊びに行くよう促した。
「そんじゃ伊達、休日は頼んだぞ。 俺の分まで、楽しんでこいよ」
「あぁ、分かったよ」
「頼み事って何されたんだー?」
「何でもねぇ」
未だにふてくされている伊達に、未来は遠慮なしに問い続ける。 そして夜月の一言により、彼らがこの病室から出ようとした――――その時。
―ガラッ。
「ユイ!」
勢いよく開かれたドアに、自然と病室にいるみんなは彼に注目する。 そして彼らが目にしたのは、肩で呼吸をしながら静かにその場に立ちすくんでいる、椎野の姿だった。
「・・・どうした?」
動揺してそこから足が動かないのか、病室へ入ってこない彼に向かって結人はそっと問いかける。
すると椎野はその質問に、今にも泣きそうな顔をしながら独り言のように小さな声で呟いた。
「優が・・・やられた」
―――ッ!
その報告を聞いたと同時に、結人はすぐさま真宮の表情を確認した。 だが――――そこで目にしたものを見て、結人の頭はますます混乱の中へと陥っていく。
―――真宮・・・何だよ、その顔。
今の彼の表情は、あまりにも衝撃的な言葉を聞いて絶句しているかのように、その場に固まり呆気に取られているものだった。
―――もし真宮が優をやったってんなら・・・そんなに、驚かないはずだろ。
―――その顔は演技だとでも言うのかよ・・・!
そして――――結人が真宮を見ながら思い悩んでいる間、未来も真宮と同じような表情をしていたことについては、結人は当然知る由もなかった。
「優が・・・! ッ、おい、コウはどうした!」
夜月のその言葉により、結人は我に戻り現状を改めて把握する。 そして椎野の返しを聞いて、皆一様に勢いよく病室から飛び出した。
結人は動かない身体を無理矢理にでも動かし、コウのもとへと行こうとする。
そして仲間に支えられながら、時間をかけて彼のもとへ辿り着くことができた。
「コウ!」
人通りが少ない病院の通路の脇にある、いくつかの細いベンチ。 その中の一つにぽつりと座っているコウの姿を発見した直後、結人は彼に向かって名を叫ぶ。
コウは何も返事をしないまま俯いているだけなのだが、彼からは近寄り難い凄まじいオーラが一瞬で感じられた。
そんなオーラと葛藤しながらも、結人たちは一歩ずつ確実に前へと進んでいく。 そしてコウの近くまで行くと、もう一度名を呼んだ。
「・・・コウ」
彼は自分の膝の上に肘をつき、両手は強く握られていて、何か考えているのかじっとその場に座り込んでいた。
それは言うまでもなく優のことだろうが、そんな態勢は何かを願っているようなものにも感じ取れる。
「優は・・・どうした」
一言も発さない彼に、駄目もとで聞く未来。 そして少しの時間を置いて、コウは静かに口を開きその問いに答えた。
「・・・優は今、検査してもらっている。 ・・・多分、足の骨折だ」
「・・・」
その答えに返事ができなくなる結人たち。 そしてコウの言葉を最後に、この廊下にはしばし沈黙が訪れた。
―――優が骨折っていうことは・・・しばらく、歩けないのか。
優を同情するような声もなく、コウを慰める者もいなく、かといって犯人を突き止めようともせずにひたすら黙り込む結人たち。
そしてついに――――この沈黙を静かに破るかのように、コウは小さな声で呟いた。
「俺・・・優を、守れなかった」
―――ッ!
―――コウが危ねぇ!
その言葉を発すると同時に、コウの拳はより強く握られた。 その動作を見た結人は、今物凄く殺気立っている彼に向かって力強く言葉を言い放つ。
「おいコウ! 正気を保て!」
そう放っても、なおも苛立ちが治まらないコウ。 僅かに身体が震え、自分の怒りを何とか静めようと彼なりには努力していた。
それを見て、急いで周りを見渡し他の仲間の様子も確認する。
―――くそッ!
―――お前ら・・・!
コウ程までとは言えないが彼と同様、他の仲間も優がやられたということを聞いて落ち着きがなく、気が気ではなくなっていた。
今にでも何かをしでかしそうな彼らに向かって、結人は再び彼らに命令を下す。
「お前ら正気を保て! まだ動くなよ! 人数が足りねぇんだ。 いいか、未来も動くな!」
―――くそッ・・・!
―――もう少し、もう少しだけ耐えてくれ。
―――今はまだ・・・俺たちは、動けないんだ。
彼らの前では平然を装ってそう命令を下す結人だが――――仲間がやられ、みんなの精神も危ない中、結人の心にも不安が募っていくばかりだった。