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scene:01 円卓を燃やす種火

 ダリウス・ヒラガという男がチェルノート城へ訪れるのは()()()だった。

 ようやく雨は()んだが、(いま)だ月も顔を見せない曇天。
 そこかしこで()かれ始めた火の(あか)りだけが、ぼんやりとチェルノート城の正門前広場を浮かび上がらせていた。避難してきた600名余りの町人たちは、幾つかの集団に別れて(たき)()を囲んでいる。彼らの表情は一様に暗く、ボソボソと交わす言葉も陰鬱なものばかりだ。

 その様を、ダリウスは城壁近くから見守っていた。

 もう二度と来るまいと思っていた。
 ――いや、正確には『来られないだろう』と思っていた。

 ダリウスは知らず知らずの内に、刺青(いれずみ)の入った右腕を擦る。無傷のはずの腕が、痛みを訴えていた。そこは()()と感覚共有をしていた際、この城のメイドが放った()()によって吹き飛ばされた()(しよ)である。

 ダリウスはいわゆる魔獣使い(ビーストテイマー)だ。

 つい昨晩の事だ。その能力を期待され、エッドフォード伯爵家からバラスタイン辺境伯公女エリザベートの暗殺を命じられた。ルシャワール帝国の仕業に見せかけるため魔獣ティーゲルを用いて公女を襲い――返り討ちに遭った。

 これだけ重要な命に失敗すれば、行き着く所は決まっている。
 ダリウスには処罰――より正確に言えば、()()が決まった。
 なにしろダリウスは、エッドフォード家がバラスタイン家の公女を暗殺しようとした証拠そのものだ。政敵や憲兵に捕まって脳内の『思考洗浄』でもされれば、洗いざらい吐かざるを得ない。ならば(うしな)われた秘術である〔死者蘇生魔導式(ネクロノミコン)〕でも復活できないほど、バラバラにして殺すしかないだろう。

 そうして処刑の日取りを待つばかりだったダリウスだが、たった半日で状況が変わった。

 第二案実行のため、チェルノートへ出撃した炎槌騎士団の魔導士隊が全滅したのだ。誰がやったのかは見ていなくても分かる。()()()()()()

 それにブチ切れたエッドフォード伯爵家次男坊のリチャードは、【断罪式】で町を焼き払った上で、ダリウスを呼び寄せてある命令を下した。

 それは『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』というもの。

 成功すればダリウスは無罪放免。
 失敗した時の事は考えたくないが、ダリウス一人の命では済まないだろう。二度も失敗したという事実から『(はん)()があったのでは』と疑われれば最後だ。『思考洗浄』によって同志たち――『憂国士族団』のことを吐かされるかもしれない。
【断罪式】で町ごと焼かれてしまったグラマン(たち)(ため)にも、それだけは避けなくては。そう、ダリウスは決意を新たにする。

 それでも今の所は、まずまず()()くやれているはずだ。

 騎士(たち)の宣告に動揺する避難民たちを(なだ)めようとしたエリザベート。その言葉に「どうやってだ?」や「俺たちを助けたいなら、いま死んでくれよ!」と返したのはダリウスだった。
〔音響制御式〕を使って誰の発言か特定できないよう偽装し、〔感覚共有式〕を応用して幾人かの避難民が感情的になりやすいように誘導。そうする事で領民たちの間に『公女を殺す』という選択肢を抱かせ、ダリウスの言葉に追随させた。
 正直、扇動工作などは専門外もいい所なのだが、初めてにしては上出来だろう。

 しかし、出来たのはそこまで。

 公女が城内へ姿を消してから今まで、避難民たちが公女を殺そうと行動を起こすことはなかった。(たき)()を囲んで町の有力者たちが話し合っているようだが、公女を殺す算段を立てている素振りはない。むしろ、どうにかして騎士の目を盗んで逃げ出せないかと話し合っているようだった。

 ――それでは困るのだ。

 どうにかして話を『公女を殺して騎士様へ許しを請う』方向へと持っていかなくてはならない。幸い、常とは異なり、商人も職人も農民も分け隔てなく話し合っている。羊飼いに偽装しているダリウスも、会話に加わる余地はあるだろう。だが、相手は慎重に選ばねばなるまい。

 なら、アイツだ。

 ダリウスは少し離れた場所の(たき)()に照らされている、見知った顔を選ぶ。
 先ほど、避難民の名簿を作るからと(しつ)(よう)にダリウスの名を聞いてきた神経質そうな男だ。〔音響制御式〕で話し声を拾ってみれば、どうやら町長などという立場にいるらしい。名前は――『カヴォス』と呼ばれている。
 あいつを懐柔できれば、あるいは。

 そう考え、ダリウスは壁際を離れて歩き出す。
 こちらへ背を向けているカヴォスへと一直線に近づき、声をかけるためその肩へ手を置こうとして、

「おい、あんた」

 ――その手を何者かに(つか)まれた。
 ダリウスの手を(つか)んだのはやたら太い腕だった。見れば、腕の主は商会の荷役と(おぼ)しき格好をしている。
 男はダリウスと目が合うと、ニカリと笑い、

「その刺青(いれずみ)――魔導陣か?」
「……そうだが。一体何だ? 急に腕なんか(つか)んで」
「おお、悪い悪い」

 男は理由も言わずに、ダリウスの腕を放す。

「俺はエンゲルスってんだ。商会で荷役をやってる」
「……そうか」

 一体何なんだ。一刻も早く避難民たちを扇動しなくてはならないこの時に。と、ダリウスはエンゲルスと名乗った荷役を(にら)む。 
 リチャードは刻限を夜明けまでと定めたが、実際にはその前に判断を下すだろう。時間を長く取ったのは単に、何の武器も持たない貴族とはいえ、平民が殺すとなればそれなりに準備と時間がかかると考えているからだ。いつまで()ってもその気配が無いとなれば、方針を変えてもおかしくない。

 そんなダリウスの焦燥を知ってか知らずか、エンゲルスは妙に余裕のある態度で「一つ()きたいんだが」と顎をさする。

「なあ、その腕の魔導陣って何に使うんだ?」

 ダリウスは一瞬だけ緊張する。もちろん、魔導神経を持たない者が魔導式を操る(ため)、肌に魔導陣を描き込むことは別段珍しくもない。特に畜産系の職業人には多い。簡易な〔思考制御式〕によって牛や馬を操り、指示を飛ばす(ため)に必要なのだ。
 だが本当の身分を隠している身としては、どうしても身構えてしまう。
 それを悟られないよう、ダリウスは慎重に言葉を選ぶ。

「犬を操るのに使うんだ。羊に指示を飛ばしても言うことを聞かんからな」
「お! 本当か!?」

 途端、エンゲルスは破顔してダリウスの両肩をバンバンと(たた)いて「そうかそうか!」と笑い始めた。何なんだこの男は、とダリウスが逃げる算段をしていると、エンゲルスはダリウスの肩に片手を置いたまま「おーい! シュヴァルツァーの旦那ぁ!!」と大声をあげる。
 それにつられて、ダリウスもエンゲルスが手を振った方向を見やった。

 そこに居たのは、(かつ)(ぷく)の良い裕福そうな男だった。
 男は何かの台帳を見ながら、他の荷役や鍛冶屋と(おぼ)しき連中に指示を飛ばしている。
 どこかで見たことがある。ダリウスは記憶を探り、エンゲルスが発した『シュヴァルツァー』という名から一人の人物を思い出す。たしか、商会のまとめ役がそんな名前だったはず。――チェルノートという小さな町ではそれなりに発言力のある男だ。

 シュヴァルツァーはエンゲルスの大声に気づくと、チラリと視線を飛ばしてから『ちょいちょい』と羽ペンを持ったまま手招きをする。「悪いな、兄ちゃん。ちょっと来てくれ」とエンゲルスはダリウスの背後に回り、その肩を押してシュヴァルツァーの方へと()()()()連れていった。
 
 そしてダリウスとエンゲルスが目の前までやって来ると、他の荷役たちを追い払うように手を振ってから、シュヴァルツァーは眉尻を釣り上げた。

「エンゲルス、てめえ馬鹿声張り上げてんじゃねえよ。他の連中に聞こえるだろうが」
「すんません、旦那。つい――」
「……まあいい。で、あんたか? 羊飼いってのは」
「あ? ああ……」
「実はひとつ、頼まれて欲しいことがある」

 状況が飲み込めない。
 商会の主人が、羊飼いに何の用なのか。
 ダリウスはその内心を隠すことなく「こんな時に何を頼むってんだ?」と(いぶか)しむように問い返す。

「あんたにしか出来ないことだ」
「だから、なんだそれは」

 ダリウスが(いら)()ちを見せると、シュヴァルツァーはチラリと周囲を(うかが)って、 

「ここじゃ話せない。場所を移そう」

 と、小声で告げて、視線だけで城の勝手口を指し示す。

 怪しすぎる。
 何か後ろ暗いことでもあるのか。

 ダリウスはそこまで考えて、もしや――と、ある考えに至る。
 そして探りを入れるため「せめて何に関係する事が教えてくれ」と、小声でシュヴァルツァーへと問いかける。内心の(はや)りを悟られぬよう、可能な限り嫌そうな声で。察しの悪い馬鹿を演じる。

 そしてシュヴァルツァーは、ダリウスが期待した通りの言葉を返した。

()()()のことだ」



    ◆ ◆ ◆ ◆


 野心と立場のある人間は、必ずと言っていいほど自身の運命を自分で決めたがる。

 彼らは話し合いもするし、皆と協力もする。
 だが、それは形だけだ。
 話し合いの主導権を握って結論を誘導し、協力と言いながら他者を()()く利用する。そういう人間にとって他者という存在は、自分の手足として利用するもので、その逆はあり得ない。対等な立場での取り引きがあっても、相手にだけ利用される事を許さない。

 そんな人間が「公女を殺さねば全員殺す」と神のような力を持つ存在に言われて、大人しく『町の皆で話し合って決める』なんて事をするだろうか?
 ――するわけがない。

 つまりシュヴァルツァーという男も、そうだったということだ。

「さあ、こっちだ」

 そう促され、ダリウスはシュヴァルツァーとエンゲルスと共に城内を進む。

 先頭を歩くシュヴァルツァーの背中を眺めながら、ダリウスはほくそ笑んでいた。

 なにしろ町の有力者に近づかねばならないと思っていた所に、まさにその有力者が向こうから声をかけてきたのだ。しかも『公女様のこと』を『他の連中に聞こえては困る』から『場所を移して』話したいという。そしてそれはダリウスの腕にある魔導陣を確認した上で『あんたにしか出来ないこと』らしい。

 これで、シュヴァルツァーの頼みが『今度羊を商うから、助言が欲しい』なんてわけがない。

 ――十中八九、公女殺しの協力依頼だ。
 望外の奇跡と言える。

 と、シュヴァルツァーが唐突に立ち止まった。

「ここだ」

 ろくに魔導灯も()いていない廊下を、手燭の(あか)りを頼りに進んで辿(たど)りついたのは他の部屋よりも少し豪華な扉の前だった。ダリウスは魔獣で侵入した時の記憶を探る。

 確かここは――応接間だったはず。

 シュヴァルツァーはその扉を開けて「さ、中へ」とダリウスを促す。魔導灯も()いていない部屋の中へ入るのは少し(ちゆう)(ちよ)したが、ここでシュヴァルツァーの機嫌を損ねても良いことはない。ダリウスは部屋の中へ足を踏み入れる。後ろからはシュヴァルツァーとエンゲルスが周囲を(うかが)いながら扉を閉める音。
 
 途端、部屋の魔導灯が()いた。

 暗闇に慣れたダリウスの目が、一瞬だけ潰れる。
 (とつ)()に〔身体強化式〕を応用し、眼球の(こう)(さい)を調整して視界を確保。何事かと、部屋を見渡した。

 ――と、

「お久しぶりですね」

 ダリウスの正面。
 応接室の上座で(ほほ)()んでいるのは、(うわさ)では一張羅らしいドレスを着た銀髪(ブロンド)(きら)めく()()
 エリザベート・ドラクリア・バラスタインだった。

 どういう事だ?
 ダリウスは混乱する。
 何故(なぜ)ここに公女が。シュヴァルツァーは一体どういうつもりでここに。今すぐに問い詰めたいが、しかし公女を無視して突っ立っているわけにもいかない。平民が貴族に対して(こうべ)を垂れず、返答もしないという事は許されない。
 ダリウスは膝を床につき、頭を下げる。

「これは公女様、お会い出来て光栄でございます。――しかし失礼ながら、お会いするのは初めてかと存じますが」
「あら、そんなことはありませんよ?」

 公女エリザベートは鈴を転がすような声で笑って、ダリウスの間違いを指摘する。

「昨晩お会いしたばかりではありませんか。――魔獣使い(ビーストテイマー)さん?」

 ――バレてやがる!
 視線を床の(じゆう)(たん)へ向けたまま、ダリウスは()()みする。俺は(だま)されたのだ。シュヴァルツァーも荷役も公女と(つな)がっていて、分かっていてここへ俺を呼んだのだ。思えばやたら荷役は俺の身体を触っていた。それは俺を逃がさない(ため)にしていた事だったのか。

 ダリウスは「畏れ入りますが公女様。どなたかとお間違えではないでしょうか?」と(とぼ)けつつ、体内の個魔力(オド)を練り上げる。
 ここは(いち)(ばち)か公女を殺すしかない。
 避難民に殺させろとの命令だが、何とか()()()すしかないだろう。
 使う魔導式は〔爆裂式〕。本来大魔(マナ)によって引き起こす魔導式。ダリウスの個魔力(オド)だけでは大した爆発は起こせないが、大魔(マナ)を使っては悟られる可能性がある。
 それでも娘一人を殺すには充分だ。

 ダリウスは意を決して、〔爆裂式〕を放とうと立ち上が

「お待ち下さい、ダリウス様」

 後頭部に硬い物を突きつけられた。
 その声を、ダリウスが忘れるはずがない。
 ――痛むはずのない右腕が、再び痛みを訴え始める。

「ここで魔導式を使うのはお止めになった方がよろしいかと。――()()()()()()()、この武器がどんなものなのか想像できますでしょう?」

 ダリウスの背後にいるのは、魂魄人形(ゴーレム)のメイドだった。
 突きつけているのは、(やじり)を飛ばす妙な魔導武具の仲間か。
 ――もう、どうにもならない。 

「…………殺せ」
「はい?」

 公女が、ダリウスの(つぶや)きに驚いたように聞き返す。

「あんたを殺せなきゃ俺は終わりだ。手ぶらで帰るって選択肢は無えんだよ」
「どうして?」
「リチャードとかいう貴族が、公女様を殺したくてたまらないからに決まってんだろ。……まあでも、本当は避難民を扇動して殺させろって話だったからな。俺が直接殺しても、任務失敗で処刑かもな」

 そう、どうせ死ぬのだ。
 ならばせめて、マシな死に方を選ぶべきだろう。
 リチャード(たち)に拷問や思考洗浄をされて、同志(なかま)のことを吐かされてから死ぬか。ここでメイドに殺され、死体を公女様ごと【断罪式】で焼かれるか。

「は、」

 ダリウスの口から自嘲の笑いが(あふ)れる。

 考えるまでもない。
 ここで死のう。

 だが舌を()んで死ぬには、持ち合わせの勇気が足りない。……そういえば、丁度良い具合に俺の頭に武器を突きつけているメイドがいるじゃないか。この魂魄人形(ゴーレム)メイドの武器なら、一瞬で頭を吹き飛ばしてくれるだろう。公女を殺す素振りを見せれば、(ちゆう)(ちよ)無くやってくれるはずだ。俺はついてるな――本当に。

 ダリウスは公女を殺すべく〔爆裂式〕を放とうと右手を伸ばし、

「――火に入る羽虫こそ、円卓を燃やす種火となる」

 あり得ない言葉を聞いた。

 (きよう)(がく)のあまり、思考が一瞬漂白される。
 魂魄人形(ゴーレム)メイドが発した言葉。
 それはダリウスたちの同志――『憂国士族団』の仲間を示す()(ちよう)なのだ。

「お前……どうして、」

 ダリウスが腕を下げたのを認めて、メイドはダリウスの正面に回る。
 焼かれてボロ切れのようになったメイド服から(のぞ)く、ひびの入った白木の脚が目に入った。恐らく町でグラマン(たち)と戦った時の損傷だろう。よくもまあ、こんな状態で城へ帰ってこれたものだ。町はあんな状態だって言うのに――

 と、そこまで考えて気づく。

「お前どうやって――【断罪式】から生き延びたんだ?」

 ダリウスが見上げた先。
 そこには赤髪の魂魄人形(ゴーレム)メイドの不敵な笑みがあった。


「エリザベートお嬢様のお陰でございますよ、ダリウス様」

しおり