scene:03 蠢動
「――以上のことから、公女様はどこかしらの貴族との
「ふむ」
チェルノート城から北へ2キルトほど離れた森林地帯。
その奥地で、王政府の役人――エッジリアは一人の騎士へ
騎士は腰に下げた
「貴様が見たのは確かに
「はっ」
「……元々、城に所蔵されていた可能性は?」
「はっ、その可能性を考え、かつての財産召し上げにおける目録を再度確認致しましたが、そのようなものは見受けられませんでした」
「なるほど。つまり貴様は、かの娘が他貴族――もしくは
「はい。……たとえ事実が異なろうとも、
「そうか。そうだな。いやはや――まったくその通りだ」
騎士はひとり「ふむ、早い方が良いかもしれんな」と顎に手を当てて考え込むと、そのまま
エッジリアは慌てて「あ、あの」と呼び止めた。
「ん? なにか」
「…………や、約束の件は、いかに?」
「あ? …………ああ」
騎士はそこでようやく『約束』について思い出したのか、ポンと手を打った。
止めて良かった。と、エッジリアは思う。
このまま見送っていれば、約束を
エッジリアは、この騎士の上司たる伯爵から中央官庁への転属を条件にエリザベートの監視役として雇われていたのだ。『後見人代理』という役職もその大貴族から与えられたもの。名目上は王政府直属ということになっているが、エッジリア自身は王都にすら行ったことがない。地方の魔導学院を出たあと税務仕事で各地を転々とした挙げ句、出世コースからも外されてしまったからだ。
これが、起死回生の唯一のチャンス。
伯爵からの『ボロを出させろ』という指示に従って、
だが、騎士はそれきり何も言わない。
何かを考えているのかすらも分からなかった。
不安のあまり、エッジリアはチラリと騎士の表情を
それは良かったのか――それとも悪かったのか。
騎士がエッジリアへ向ける瞳はまるで、畑に湧いた
途端、エッジリアの腕輪の宝玉が割れた。
エッジリアは
そしてズドンと、
生命の危機がエッジリアのすぐ傍に落ちてきた。
地面を揺らして現れたのは、獅子のようなタテガミと、二頭引きの馬車よりも大きな
――魔獣だった。
そう気づいたエッジリアは、周囲の
不完全燃焼を起こした〔爆裂式〕は爆音と共に大量に煙を放出し、エッジリアの姿を隠した。
同時に
「クソッ! クソが! これだから貴族は嫌いなんだチクショウ」
〔音響制御式〕に負担がかかる事は分かっていたが、エッジリアは悪態を止められなかった。平民から成り上がるために地方魔導学院を次席で卒業して、中央官庁と
と、森を駆け抜けるエッジリアの前に光が差した。
森を抜けたのだ。
遠くにはチェルノートの街並みが見えた。山岳地帯の斜面に段々畑のように石造りの家が生えている。あそこまで逃げれば、あとはどうとでもなるだろう。エッジリアは万が一に備えて、ガルバディア山脈を抜けられるルートを隊商から教えて
あと少し、
エッジリアの周囲に影が落ちた。
エッジリアは〔音響制御式〕を切って、〔筋力増強式〕へと
そして力任せに地面を蹴って横に跳んだ。
途端、一瞬前までエッジリアが居た場所に、魔獣が着地する。「バカの一つ覚えかよ」と悪態をつきつつ、エッジリアは今度こそ最大火力の〔爆裂式〕を
それだけの武器を持ちながら、先ほどエッジリアが全力で式を打たなかったのは、目の前に騎士が居たからだった。
騎士に魔導式は通用しない。『
――――そこまで考えたのなら魔獣の姿をよく観察しておくべきだった。
爆炎が晴れたあと、そこには炭化した魔獣の死体が転がって、
「な、」
現れた魔獣は無傷だった。
それだけではない。魔獣の周囲でバチバチと〔雷火式〕にも似た火花が散っている。つまり異なる魔力が干渉し合っているのだ。間を置かず、魔獣の周囲で円球状に広がっていた火花は唐突に消え去る。それはエッジリアが組んだ魔導式が崩され、単なる魔力へと還元されたという事。
その現象を引き起こすものを、エッジリアは知っている。
エッジリアを
薄暗い森の中では
鉄色に光る
――『
そんなものを身に着ける魔獣など聞いたことがない。魔獣は魔導干渉域を生成できるほどの
もし、それが可能だとすれば、
「こ、コイツ
エッジリアの意識は、そこで絶たれた。
◆ ◆ ◆ ◆
「ふん、思ったよりやる男だったな」
森の中、ひとり
魔導干渉域が防ぐのは魔導式そのものだけ。魔導式で副次的に生成された
と、そこへ、
「いかがでございましょう?」
森の奥から、ひとりの男が
高原の羊飼いのような
「魔獣――ティーゲルのちからは」
「悪くない。敵国の兵器を褒めるのは
「今は、王国の兵器にございます」
「違う」
騎士は男の言葉を訂正する。
「あれは今でも帝国の兵器だ。――間違えるな
「……失礼しました」
「あれならば、確実にバラスタインの娘を葬ってくれよう」
「では、いつに致しましょう」
「今晩だ」
「御意に」
「もうよい、下がれ」
「はっ」
森の奥へ消えていく
その古城に住むであろう公女を思い出しながら、騎士はひとり
「これでようやく、戦争を再開できる」