第51回「世界は贄を所望する」
サマーが軽々と階段を下りてきた。どうやら長い収監生活にもかかわらず、運動機能にはそこまでの支障がないようだ。獄中でも完全に拘束されていたわけではない様子だったし、運動くらいはしていたのかもしれない。
さりとて、それはまた一方で、彼女ほどの実力者を自由にさせていたということでもある。どういうことだろう。何か重大な秘密でも隠されているのだろうか。
「いない」
彼女は早口に言った。
いや、そうだ。今は目の前のことに対処すべきだ。
「下も頼む」
「もちろんです」
親指を立てて、彼女はすぐさま階下へ向かった。
入り口を崩しただけだし、そのうち敵兵がここに突入してくるだろう。あまり時間を掛けてもいられなかった。
だが、ともあれ僕は、自分が巻き込んだにもかかわらず、目の前の衛兵に同情心を抱いていた。
「こんな仕事、辛くないか」
「辛いさ。俺だって、もっと華々しく戦場で活躍したかった」
そうだよなあ。
守って当然。守りきれなかったら全責任。
そんなの、嫌だよな。
「兵士なんて嫌なもんだよな。一山いくらで扱われて、死んだって家族以外に顧みてくれるやつもいやしない。『一将功成りて万骨枯る』だ。注目されるのはいつも偉い人間ばかりで、そこで死んだやつらなんてまるで相手にされやしない。君の名前はなんていうんだ」
「ダヴィ・ラマッティーナ」
ほう、と僕は直感するものがあった。
「その名前の感じ。カランデンテ諸王国の出身かな」
「ああ、ブラーゾ藩王国から出てきた。でも、もうダメだ。お袋と一緒に逃げるよ」
ブラーゾ藩王国はカランデンテ諸王国を構成する王国群のうちの一つだ。ルテニア王国やアクスヴィル聖王国、さらには僕の拠点となるチャンドリカとは別の大陸にあって、異なる文化を育んできた。
それでも、人の野心というものは変わらないものだ。ここ十数年は人間同士の争い、さらに魔王の支援を受けた者たちとの戦いもあって、荒廃の一途をたどっているという。志ある者はルテニアなどの裕福な国家へと脱出し、新しい夢を追うのが定石だった。
「そうだ。それがいい。君が楽に逃避行できるように、僕もせいぜいここをぶっ潰しておこう」
彼もまた世界の激動に巻き込まれた被害者だった。今となっては僕も巻き込む側になってしまったが、元はといえば、そうした「政治的」なやり取りにも利用されたのだ。彼には幸せに暮らしてほしかった。
今こうして考えてみると、シャノンもロジャーも、そして最も性格に難があったと思うメルでさえも、何かに突き動かされて行動する被害者だったのだ。勇者なんて称号は与えられるもんじゃない。誰かから自然に呼ばれるのを待つべきなのだ。
世の中は狂っている。誰かが誰かを殺し、また誰かが誰かに殺される。そんなのがずっと続いているし、これからも続く。じゃあ、僕は何ができるだろう。既存の何かを壊して、何かを創り出すことができるだろうか。
「神、サマーが戻ってくる」
プラムの声を聞いて、僕は我に返った。
サマーが、階段を何段も飛ばして駆け上がってきた。