6
「何も……ないな」
「そうでしょうとも」
一通り、小さな子が隠れられそうな場所を覗いて回ったおじさんはそう言った。
「香月はもう寝なさい。俺はちょっと話を聞いてくるから」
「……ちゃんと帰ってくる?」
要の裾を掴んで離さない僕の頭を優しく撫でて、安心させるように微笑む。
「大丈夫だよ。だって俺は何にも悪いことなんてしていないからね」
起きる頃には帰っているから、という要の言葉を信じて渋々布団に入る。
「…………嘘つき……」
朝起きて家中を探したけれど、要は帰っていなかった。
取り敢えず、手早く朝食を用意して食べる。
どんな時でも、食事を抜いてはいけないって言うのが要の教えだからだ。
「楓~。ルナ~?」
頼れる大人、と思い浮かぶのは楓しかいない。
家からそう遠くないこともあり、真っ先に尋ねてみたけれど誰もいなかった。
『坊や、この家のご夫婦なら昨日警察に連れていかれたよ』
帰ろうとしたら、正面の家の花壇に座っていたお兄さんに声を掛けられる。
お兄さんの顔は半分潰れていて、服も真っ赤に染まっている。
「楓とルナも?」
『何やら、男の子がいなくなったらしいね。飄々としてて怪しい奴だと思ったら、まさか誘拐なんてね』
「違う! 楓もルナもそんなことしない! 第一、昨日は夕方までずっと僕といたんだ!」
いつもなら無視するけど、今は非常事態だ。
「お願い、協力して!
警察を名乗っていたあのおじさん、最初から要を犯人扱いだった。
このままじゃ、要は帰ってこない気がする。
「昨日、慶太君の親と僕が揉めたんだ。楓は間に入ってくれただけ」
『ふぅん、じゃあ、それで疑われたって事か』
「そう。だから、今度は僕が皆を助けないと! 慶太君も心配だし」
『で? 手伝ったら、俺に何のメリットがあるの?』
お兄さんがゆらっと立ち上がり、僕の肩を掴む。
ふいに目の奥で強い光を視る。段々近づいて、それで、大きな質量に潰される――ああ、これは、このお兄さんの最期の記憶か。
トラックとぶつかったんだ、と映像でわかる。
今まで感じたことの無いほどの頭痛に襲われる。
「……伝ってくれたなら、お兄さんの言葉を伝えるよ……お父さんと喧嘩したの、後悔しているんでしょ?」
『何で、それを……』
頭を押さえながら言うと、お兄さんがうろたえたように離れる。
「わかったから。トラックにぶつかる瞬間、何であんなこと言ったんだろう、って思ったでしょ? だからお兄さんは
『……そうだよ。親父に、売り言葉に買い言葉で出てきちまった。夢を叶えたかっただけなのに、いつまで遊んでいるんだって言われてカチンときて。うるせぇっつって出てきちまった』
ここはお兄さんの家だ。お兄さんが座っていた花壇の向こう側では、お爺さんがぼんやりと外を眺めて座っている。
『あの日に限って、おはようも行ってくるも言えなかった。親父が見えるか? あれで、まだ五十代なんだぜ。俺が死んだせいで、一気に老け込んじまった』
お兄さんの潰れた顔がいつの間にか綺麗になっている。
少し長めのストレートヘアに濃いめの青色メッシュが一筋入った、整った顔のお兄さんだった。
『わかった。協力してやる。だから、お前も俺に協力しろ』
「OK、交渉成立。でも、僕の用事が先だよ。慶太君が心配だもん」
お兄さんと拳を打ち合わせる。
待っててね、皆。今度は僕が助けるよ。
『で、どこから探す?』
「うん、何も手がかりがないから、まずは慶太君の家に行くよ」
状況が全く分からないなら、わかっている人から読み取ればいい。
昨日の今日で、しかもこの状況で会うのは嫌だけど。
昨日楓が送ってくれたから、お金はまだある。大丈夫、行ける。
電車に乗って、昨日と同じ道順を辿る。
昨日と違って、ママの家の前にはパトカーが三台も停まっていた。
『普通、誘拐となれば警察に通報していないていで密かに捜査するもんじゃないの?』
「誘拐じゃなくて、いなくなったって話だからね」
『で、俺はこの辺で聞き込みすればいいのか?』
「それも良いけど……ついてきて欲しいかな」
またママに悪魔だなんだと言われるのが怖い。
手がプルプルと震えている。
『了解』
様子を窺う近所の人がジロジロと見てくる中を進む。
ピンポーン……
精一杯背伸びをしてチャイムを鳴らすと、ダダダ、と足音がして勢いよくドアが開いた。
期待に満ちた目が僕を見て歪む。
「……! この、悪魔! 慶太がいなくなったのもあんたの仕業でしょ?! 返してよ!」
あの子を返して、とママが半狂乱で僕に掴みかかる。
でも、僕だって怒っているんだ。
怒鳴るママに負けじと僕も大声を張り上げた。
「ふざけるな! 悪魔はどっちだ! 要を……お父さんを犯人扱いして! 僕からこれ以上家族を奪うな!」
ママに掴まれた時に、見えてしまったんだ。
お父さんを、楓を犯人だと決めつけて警察に訴えているママの姿が。
きっと、そのせいで皆まだ帰ってこられないんだ。
僕を悪魔だと言うのなら、なってやろうじゃないか。
僕はお父さんを助けるためなら、こいつらを傷つけたって構わない。