第38回「聖女の槍の物語」
聖女の槍はもともと魔王の槍だった。
ジャンヌはそう言う。結構な変化と言えるのではないだろうか。
「魔王から聖女とはずいぶん変わったもんだ」
「アイテムにはね、ストーリーが大切なの。例えば、単なる一本の錆びた剣だって、それが魔王を倒すために勇者が使っていたものだと知れ渡れば、それは勇者の剣となる。付随する物語は事物の価値を高騰させ、哀れな俗物どもの欲望を煽るのよ」
真理ではあった。単なる量販品であろうとも、そこに苦難の歴史やすばらしい成果などのストーリーが付随すれば、たちまちそれはベストセラーになる。より正確に言えば、ベストセラーになる可能性を秘めることになる。マーケティング手法の一つではあった。顧客は常に気持ちよく買い物をしたいのだ。提供された物語に自分という物語を重ね合わせ、新しい物語を創造していく。その未来を感じさせた時、見込み客は財布を開く。
それにしても、火刑台の聖女を名乗るにしては、ずいぶんと卑俗な事柄に触れるものだ。
「持ち主は聖女らしからぬ言い回しをする」
「聖女の条件は若いうちに死ぬことよ。世の中は誰もが清いまま、無垢なままに死んだ者を礼賛する。処女信仰とは比べ物にならないくらいにね。だから、この槍を持っていたのは私ではない。先代の魔王から奪い取り、しかし、その恐るべき魔力によって寿命を断たれてしまった戦士の物」
「そういう遺物は返還すべきだな。僕が在るべき場所に返してきてあげよう」
ただし、その前に僕のためにしっかり働いてもらってからね。
その言葉を声に出して付け加えることはなかったが、この少女は何もかも承知しているような表情だった。にこりと笑った先には、凄絶な火の海が見えた気さえする。
「ふふ、でも、今は私のものよ。私は欲深くてね。この桜の園で、コレクションを眺めながら暮らすのが気に入っているの」
「大聖堂の地下で誰にも見られず、か。死体そのものだな」
「あら、私はこの通り生きているわ。もしも、あの場所に入り口を間借りしているのだと考えているなら、それは違う。後からいろいろくっついてきたのよ。私は知らない。ああ、ビンドゥは元気だったかしら」
「ビンドゥ……サトーだな。元気そうだったよ」
ビンドゥと言われてピンと来なかったが、ようやくあの猫背の魔道士のことに思い至った。何しろ自分ではサトーとばかり言っているから、僕もそのように認識していた。
「それは重畳。あの子は私に気質が似ているから、どうも放っておけないのよね」
見た目は少女だが、中身はとんでもなく古びている。そんな魔女的な性質を、ジャンヌからは感じた。そういう意味においては、歴史上の人物の名前を名乗っていることが、急にふさわしく思えてきた。それは史書の中で劣化しながらも、確かな存在感を放つのだ。
「この空間、出入り口は他にもありそうだな」
「当たり。いくつもあるわ。ただ、出入りできるのは貴方のように力にあふれている者だけ」
「僕は選ばれたってわけだ。光栄だね。せっかくなら槍も渡してもらえれば嬉しいんだが」
「神、もう強引に奪った方が早いんじゃないか」
プラムの声は苛立っていた。
僕が悪かった面は否めない。それが手っ取り早いことは承知していたためだ。ただ、この得体の知れない少女との会話を楽しんでいた自分も否定できない。
「そうね。貴方ほどの力があれば、私も敵わないかもしれない。でも、それならそれでいい。なぜなら、私には逃げるという選択肢があるから。残念ながら、この世界で私を追いかけるのは大変よ。何しろどこまでも逃げるんだから」
親愛なる書記官の意志を汲んで、話を一気に動かすとしよう。
僕はほのかに全身を魔力で高ぶらせながら、ジャンヌを威圧した。