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第37回「桜の園のジャンヌ・ダルク」

 光が去った時、そこには幻想的な光景が広がっていた。果ての果てまで続く桜の木。いずれも満開で、儚く花を散らせている。ただ音もなく、ほのかな風に揺られる様は、まさしく天国や楽園といった単語を想起させるにふさわしいものだった。
 そんな風景の中、ティーセットを広げてお茶をしている人間を見かけた。青髪の少女だった。
 僕はプラムとともに、そちらの方に歩いていった。彼女こそが先ほどまで声を投げかけてきていた少女だと確信していた。

「ラネーフスカヤが戻ってきた桜の園は、しかし、ロパーヒンに奪われてしまうわけだが。さて、僕は果たしてラネーフスカヤかな、それともロパーヒンかな」
「貴方の後ろにはアーニャがいるじゃない」

 少女の声は、まさしく先ほどの声の主だった。チェーホフの「桜の園」になぞらえた問いかけにも応じるあたり、あの書庫の蔵書は彼女のものである可能性が高い。ラネーフスカヤはパリから戻ってきた時代遅れの女地主で、農奴上がりのロパーヒンに桜の園を奪われてしまうという筋立ては、今の状況に何か合致するものがあった。プラムのことをアーニャに例えるあたり、僕はラネーフスカヤらしい。だが、それは心外だった。

「そうか。だが、僕はトレープレフの方が好みでね。プラムにはぜひ『私は……かもめ』と歌い上げてもらいたいものだ」

 同じくチェーホフの『かもめ』の登場人物に擬した言葉を告げると、少女は声を上げて笑った。それから僕を見て、ゆっくりと席から立ち上がった。

「ようこそ、この世ならざる場所へ。私の名前はジャンヌ・ダルク」
「露骨に偽名だな。大体、ここまでロシア文学の示唆をしておいて、オルレアンの乙女の名前を引っ張ってくるなんてちゃんちゃらおかしい。エカチェリーナに改名することをおすすめするよ」
「神。こいつ、強いぞ」

 プラムに言われるまでもなく、ジャンヌなる少女の実力については察知していた。

「ああ、そうだな。しかも、ここまで『あっちの世界』の話題を引っ張るあたり、もしや僕と同郷かな」
「そのようね。まあ、ジャンヌだろうとエカチェリーナだろうとマリア・テレジアだろうと、好きなように呼べばいいわ。ただ、ジャンヌは私がここに来て最初に使った名前だから、愛しているだけのことよ」
「どうやら西洋かぶれらしい。それとも、単に西洋の出身か。どちらかというと東洋人に思えるんだけどな。趣味嗜好の部分で、僕に似通っているものがある」
「どうかしらね。もしかしたら、元はチュン・チャクという名前かもしれない」

 チュン・チャクはかつてベトナムが漢王朝に服属していたころ、反乱の首謀者になったとされている伝説の人物だ。妹のチュン・ニとともに歯向かいながらも、鎮圧されて首を撥ねられたという。彼女たちは今でもベトナムでの国民的英雄で、その名を冠した通りがあるほどだった。

「ベトナム人が怒るだろうな。ま、関係ない話はこれまでだ。僕は聖女の槍を取りに来た。ちょっとしたお使いクエストでね。どうしても、それが必要なんだ」
「その槍は確かに私が所有している。どんな魔法でも解けない呪いを消し去り、大いなる能力を覚醒させてくれるすばらしい逸品よ。もっとも、この槍は昔、聖女の槍ではなく魔王の槍と呼ばれていたのだけどね」

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