第32回「大聖堂の地下に」
大聖堂の地下に首尾よく入ることができた。警備や聖職者との遭遇もない。ここまでの流れだけで言えば、順調ではある。しかし、解せないことがあった。通路を進むに連れて、多くの人間がいる気配を感じてきたからだ。
「いる」
「ああ、えらく多いな。僕も感じる。こんな時間、地上の空間でなく、地下で。悪魔崇拝でもやってるのかな」
「だとすれば、話のわかる人間たちだ」
悪魔の種類にもよるだろうが、人間社会における敵役は、魔族社会における味方役であろう。
「違いない。だが、生贄の儀式なんてことをやってたら、僕の呆れは時空を超えて加速するね」
ふいに、プラムが僕の肩を掴んだ。止まれということらしい。
「待て、空間が……広い」
ちょうど分岐路で、角の奥側からは明かりが差し込んできていた。人間たちが多数いる気配も強い。
「見てみよう」
プラムと僕は慎重に、曲がり角の先の様子を覗き込んだ。
異様な光景があった。少なくとも、大聖堂の地下という雰囲気ではなかった。そこはまるで研究所だった。病院のように並んだベッドの上に、人間が横たわっている。それらの人間の周りで、魔道士らしき者たちがレポートを取ったり、話し込んだりしているのが窺える。
「何だ、これは」
「研究所らしいな。ああ、生贄の予感が当たっちまった。僕としては、もう少し目に優しい光景のほうが良かったよ。見た感じでは、何か人体にまつわる研究をしているようにも思えるが」
「あは、あは、その通り」
突然、背後から声がした。全く気配を感じなかったので、僕は柄にもなく驚いてしまった。うかつに驚きの叫びを漏らさなかったのは、誰かに褒めてもらいたいくらいだ。
プラムと僕が振り返ると、胸の大きい猫背の女がいた。彼女もまた魔道士の格好をしていた。左胸のあたりに名前らしきものが刺繍されている。ビンドゥ・サトーと読めた。
「気づかなかった」
「僕もだ」
「あははは、そいつは仕方ない。サトーはそういうのを悟らせない。あは、こんな夜中に何用だい、観光客のお二人。ここは死人か、死人になりに来る人間だけが入れる場所だ」
不気味な物言いだ。どこか壊れている印象も拭えない。常識的な対応が通じる相手ではないようなので、それ相応のリアクションを取ることにした。
「ちょうど良かった。観光ガイドさんが必要だと思っていたんだ。悪いが、脅迫させてもらう。案内してもらいたい場所があってね」
「あはは、サトーが付き合う義理はないね。研究素材になってくれるかい。明日も雨だろうから、実験にはちょうどいい」
因果関係がわからない。思考が飛んでいるのか。
「経済じゃない言い草だ」
ともかく、会話が容易に成立しないのであれば、リスクを速やかに排除すべきだった。僕は手を広げ、すぐにでも眠るほどの威力の睡眠魔法を発動する。チャンドリカで広域に渡って発動したのとは違い、目の前の女一人に的を絞っているため、劇的な効果を挙げるはずだった。
だが、女は眠らない。あは、あは、と笑っている。
「睡眠魔法が効かない、か」
「サトーは食べない。サトーは眠らない。無意味だよ、無意味。でも、勘違いしちゃいけない。騒がしいのも嫌いじゃないんだ。きみたちを軍警察に通報することもない」
僕はマルーの攻撃魔法の中和能力を思い出していた。受けた感触は非常にあれに近かったのだ。
「君の体にも魔法を中和する魔法印を彫り込んであるのかな」
「あはははは、サトーの体にはそんなものはない。危ない。志願者なら別だけど、自分にやったりはしない」
志願者。その言葉を聞いて、僕の頭の中には一つの映像が作られた。強さを追い求め、危険な魔法印の実験に協力するマルー・スパイサー。施術を担当するのはこの女、おそらくはビンドゥ・サトーという名の魔道士。
いや、妄想だ。無用な先入観を持つのは避けた方がいい。
サトーはなおも「あは、あはは」と笑いながら、僕たちの間をすり抜けて歩いていく。
「おい、どこへ行く」
「あは、観光案内、してほしいんだろ」
プラムの静止に対し、サトーは実に簡明にそう答えた。
不気味な女だ。およそ理性というものを失っているかのようにさえ思える。ただ、そういう相手には常識が通じないのも事実だ。ここは彼女に従ってみるのも得策だった。プラムにその旨を伝えると、不承不承という感じではあったが、応諾した。
かくて、僕らはサトーというツアーガイドを先頭に、明かりのある地下空間へと進んでいった。