③
スバルが手がけるパンのほとんどは、冷めきった状態で販売されているがどれも舌を唸らせるほどの美味ばかり。
それを、さらに上回る程の美味と出会えるなんて、空かせ過ぎた腹が持つだろうか。
まだかまだかと焼けるのを待っていると、やがて、ルゥの少しとがった耳に、鉄板の隙間からチリチリと何かが焼ける音が届いてきた。
そして鼻の方にも、少しずつだが焦げつくも香ばしい、いい匂いも。
「なぁにぃ、このいい匂い〜っ」
「挟んだチーズですよ。溶けたのがパンからはみ出して、鉄板に落ちたんで焼けてるんです」
「そうなのぉー?」
いぶしたり、生で食べることの多いチーズでも、焼く時は食材に混ぜ込んだり包む具と一緒に入れるのが普通。
それを、直に焼く発想なんて、若いロイズ達もだが最低120年以上生きてるルゥの知識にかすりもしなかった。
やはり、異界の知識は面白い。
が、同じ世界と国の出身らしいヴィンクスは、光景を頭の中で描いてるのか、ヨダレを気にせずに締まりのない顔をしていた。
「ちょっとぉ、ヴィーぃ? せっかくの綺麗な恰好が台無しじゃないのぉ」
個人的に見続けたくないから、問答無用で頭を叩く。
それでも依然として締まりのない表情のままだったが、ロイズも追い打ちをかけた時には痛みでそれどころではなかったようだ。
急に活動的になって床の上を転がっていった。
「い゛った゛たたた⁉︎」
「ルゥも言ってただろ、締まりのねぇ顔しやがって」
「だからって、本気に近いぐらい殴る奴があるか!」
「美味そうな匂いはわかるが、野郎の下品な顔は見たくねぇ!」
「……それ、そっちの精霊についても言えることかい?」
「は?」
ヴィンクスの言葉に、調理に集中してるスバル以外の者が顔を向ければ、ロイズもだがルゥも少し口を開いてしまった。
(あらあら〜、たしかにそうだけどぉ……こっちの方がずっといいわ〜)
先程もロイズの問いかけに、ほんの少し肌の色を変えるなどしていたが、今度は違う。
少しずつ部屋に充満していく、焦げたチーズとパンの香ばしい匂いに、ラティストも我慢できなくなっているのだろう。
ヴィンクスとは違って、締まらない顔どころか恍惚の表情。
いつもきつい印象を受ける紅い瞳は目尻を緩ませ、薄い唇をわずかに開けながら震えているも、下品どころか美しさしか感じさせない。
ルゥもハーフエルフとして人間以上の美貌を持っていても、やはり、純種の『大精霊』には敵わない。特に、ラティストはその精霊の中でも特殊過ぎるのもあるが。
「……お前よか、いいだろ?」
「何故だ!」
「客の女どもには見せらんねーが、こーゆーのが目の保養ってやつ?」
ロイズの言葉には、深く同意したい。
ラティストを人間だと思い込んだまま狙いに来てる、特に冒険者女性登録者には見せられない光景だ。
彼女達は普段こそ目の敵にはしてないようだが、普通の女性以上に綺麗で愛らしい顔立ちのスバルには敵わないと思ってる。
つまり、意中のラティストの興味をすべて向けさせてる同性のスバルにも、危険が向くかもしれないからだ。
「ラティストー、もうちょっとで焼けるから鉄板持ち上げるの手伝って?」
「あ、ああ……」
そんな事を考えてるこちらを気にせず、スバルはラティストに声をかけるだけで正気に戻せた。
出会って、同居してまだひと月でも随分とした信頼関係が築けている。ずっとこのままであってほしいが、ひとまず難しい事は後にしよう。
まもなく、完成のようだからだ。
「……開けるぞ」
出来るだけ無表情を装ってても、期待に満ちた瞳の潤み具合に思わず苦笑いしてしまう。
だが、開けられた鉄板の中身を見て、そんな驚きはすぐに霧散してしまった。
「格子のような焼き目がついてるが、たしかにホットパニーニだ!」
ヴィンクスがはしゃぐ声を上げる通り、ワッフル専用の鉄板を使ったので焦げ目の部分は格子柄についている。
だが、その箇所を除けば他はきつね色になってるだけなので逆に美しい。
スバルが言ってたように、パンからあふれ出て鉄板で焼かれたチーズは焦げてパリパリになっていたが、食欲をそそるいい匂いだ。それに混じって、炙ったベーコンやトマトのソースの匂いも。
「今回は試食なので、これを分けますね」
熱いだろうに、スバルはすぐに鉄板の上からパニーニを取り出してまな板の上に置く。それから、5人分均等に包丁で切り分けてくれた。
「どうぞ、召し上がってください」
切り分けられたパニーニは、本当にひと口サイズ。
ルゥの小さい口でもぱくりといけれそうだが、今回はそんなもったいないことはしない。
「すっげぇな、少し冷めても中から湯気が消えねー」
ロイズが驚くように、鉄板の熱のおかげでパンだけでなく中の具からも湯気が立っている。
切れ目からあふれそうになる、チーズやトマトのソースが殊更食欲をかき立てて、クロワッサンで軽く満たした腹を空かせていくようだ。
匂いは、切ったことで強く主張してくる治癒草の爽やかな香りも加わってきて、ますます食べたいと思ってしまう。
もう我慢が出来ず、かぶりつこうとしたその時。
「スバル、補正はどうだったんだ?」
食欲まみれだったはずのヴィンクスの言葉に、食らいつこうとしてた全員が手を止めた。
「んもぉ、スバルちゃんが勧める前に言ってよん! 目の前にあるのに出来立て食べれないじゃなぁい!」
「す、すすす、すまない⁉︎ お、落ち着けルゥ!」
「効果については後でもいいでしょぉ〜って言えないのが辛いのにぃ!」
危うく、本題を忘れるところだった。
ルゥが気がついてヴィンクスに八つ当たりするも、この試食会はただ美味を味わうだけではなかったからだ。
スバルはパン職人だけでなく、ヴィンクスと同じ『錬金師』の
その両方があるためか、時の渡航者の称号が働きかけたお陰なのか、食材をポーションと可能にさせてきたのだ。
今皆の手にしてるのは、食事でもあるが同時に何かしらのポーション、いわば薬だ。
味は当然だが、効果次第で店頭やロイズの商業ギルドへ卸す価格も決める必要があるわけで。
「い、今書きますね!」
ルゥが我慢ならないと駄々をこねたのを見兼ねてか、錬成時の表示が見えない自分のためにスバルは急いで紙と羽根ペンを用意し、説明内容などを書いてくれた。
【スバル特製パニーニ】
《ピザ味・バジル風味》
・乾燥させた治癒草の効果付与により、不眠症解消を55%まで回復可能
→注意、ひと口ずつよく噛んで食べるのがオススメ
・焼いてとろけたチーズが、手作りトマトソースや厚切りベーコンと絡み、少し半ナマのトマトとも相性抜群! 乾燥させた治癒草(バジル風味)のおかげで香りがいい
スバルがほとんど手を加えた割には、値が低い。
やはりそこは、くどいくらいに説明に書かれてる治癒草を乾燥させたところにあるのだろうか。
「ほーぉ? 不眠症解消はいいが、値が低いな?」
「やはり、乾燥させてあるのと通常のポーションとは違って、抽出の過程がない。粉末の加減によっては変わるかもしれないが……」
ロイズは鑑定眼を、ヴィンクスはスバルと同じ錬金師の
こう言う時は羨ましいと思うも、条件を満たしてなく手に入れれてないから仕方がない。
「多くすればいいんじゃねーの?」
「治癒草単体と言うより、私やスバルの知る『バジル』は香草の類だから風味づけくらいがちょうどいい。多過ぎると味を殺す」
「師匠、ニホンでは料理されてたんでしたっけ?」
「今とは違って、バイト三昧してたくらいだが」
ヴィンクスの前世もまた色々聞きたいが、今はそれよりも手元にあるパニーニの方が重大。
「それよか、早く食おうぜ!」
「異議なし!」
結局ロイズ達も我慢出来なかったのか、探究心を一時横に置いておくことになった。
これで心置きなくルゥも食べることができる。
「いただきまぁ〜す!」
まずはパンから。
ほんのひとかじりすれば、まだほのかに温かいパンの温もりが唇、口の中に伝わっていく。
味は普通の白パンより淡白で、柔らかさは劣るも歯ごたえは十分。具と一緒に食べるのが最適だろうと、二口めは勢いよく口に入れた。
「……ふぁ、美味しいわぁ!」
とろけた部分と、焦げてパリパリのなったチーズ。
熱を適度に加えたことで果汁があふれるトマト。
あらかじめ炙ったはずなのに、ベーコンの塩気とコクがすべてを包み込み、旨さを伝え。
そしてそれらを、中央部分に挟まれた治癒草の粉末が、爽やかな風味で覆って後味をさっぱりしてくれる。
これが、最初に食べたパンの味が淡白なのも頷けれた。味を濃くしない分受け止めやすく、見事に調和してるのだ。
「前世で食べたパニーニよりも確実に美味い!」
ひと口でもう食べ終えたのか、味に浸ってても相変わらず締まりのない顔なので見たくはなかった。
ロイズの方は、と見れば、食べ終えてはいたが何故か固まっていた。
「ロイズぅ?」
近づいて軽く突いても、いつものどころか無反応。
何度してみたところで同じだったが、ルゥはある点に気づいた。
「スバルちゃぁん」
「はい?」
スバルは、もう食べ終えて二作目を作ってるようだったがすぐに返事をしてくれた。
鉄板の側から離れられないようなのでルゥから近づき、そっと耳に唇を近づける。
「粉末でこれだけ美味しいのにぃ、生のを使うともっと凄いの〜?」
この言葉と同じことを、ロイズも考えてるようだから。