(合間にあんバタークロワッサン)
バン!
ガタン!
「新作が出来たと聞いて!」
「いらっしゃいませ、師匠。すみませんが、扉壊す勢いで開けないでください」
「あ、ああ、すまんすまん」
ついつい、時間が迫りかけていたので突風の如く急いでやって来たのだが、まだ建て替えて数ヶ月程度の大扉を壊したら大変だ。
ヴィンクスは一度咳払いをしてから、そっと扉を閉める。
「ロイズやルゥは?」
「まだお仕事みたいです。師匠が最初ですよ」
「……む? ラティストは?」
「ちょっとお使い頼んでますよ、少ししたら戻ってきます」
「……そうか」
ヴィンクスと同等か、それ以上に食い意地の張ってるあの大精霊にはあまり好かれていない。
スバルに錬金師として指導する時は何も言わないが、昨日のようにからあげパンに飛びつこうとすれば、軽々と持ち上げられるなどと扱いが雑。
とは言っても、昨夜カーニャと確認し合った事を今日確認する予定でもいる。
「それにしても、試食会のために……早めに閉店にしたのか?」
ヴィンクスが来るまで無人とは不用心な。
いくら、ラティストと言う大精霊の加護や術があちこちに施されていても、自分達錬金師の作るポーションはとても高価だ。
特に、スバルのパンは奇跡のポーションとまで噂されてる逸品揃い。
「あ、はい。今日は試食会優先にしたので、売る個数も少し減らしたんです。他の売れ残りはいつも通りですし」
なのに、この美少女顔の弟子は、相変わらず危機管理能力が低い。
最も、転生して長く生きたヴィンクスとは違って、日本で何不自由のないパン職人として働いてただけのスバル。
こちらに転送されて、たった数ヶ月でも似たような生活をしてたら自覚を持つかも怪しいところだ。だが、ひと月前からラティストが共に住んでるので、本人の知らないとこであの大精霊が色々施してるはず。
そう信じて、追求するような発言は飲み込むことにしておく。
「で、新作の出来はどうなんだ⁉︎」
「わ、師匠⁉︎」
防犯云々はさておき、今日食べれるパン達が楽しみで仕方なかった。
飛びつきはしたものの、早く答えが知りたくて弟子の肩を強く揺さぶっただけだが。
「し、師匠師匠! ゆ、ゆゆゆゆすらないでください!」
きぼちわるいと聞こえた時には、さすがのヴィンクスもすぐに手を離した。
「す、すまん、つい……」
「ついで済むなら、師匠の分は全部カーニャちゃん行きですよ……」
「それはやめてくれ!」
昨日のからあげパン以降、まともに食事をしてないのだから勘弁してもらいたい。
あれからなんとか風呂に入って寝て起きたが、他の依頼が舞い込んでて食事どころではなかった。
スバルからの伝書蝶で時間をずらされたのは、ある意味救いだったがある意味地獄。
カーニャにもぼやかれてしまったが、昼飯がお預け状態だった。彼女は基本的には食さなくても問題ないのに、いちいちうるさかったものだ。
「……いちいち暴れません?」
「しない!」
質問に即答すると、スバルは何故か小さく笑い出した。
「冗談ですよ。僕とラティストだけじゃ食べきれませんから」
「……からかったな、スバル」
「師匠が必死過ぎますよ。お金はあるのに不摂生過ぎるんですから」
「出不精なだけだ」
あまり威張れない事だが、前世でも似た生活環境ではいた。
それを今更直すのは難しいし、同居人のカーニャも基本的には諦めてくれてる。
基本的には。
「けどその割に、今日は身綺麗にされてますね?」
「……カーニャに、全部な」
そのカーニャに、土産は
風呂で丁寧に髪や体を洗い、服や小物もどこから出してしたのか研究者風情でも新品のものを。
だから、今現在ヴィンクスはスバルよりひと回り上でも、なかなかに男前と化してる。
今の容姿について幼少期から自覚はあったので、逆に前世からの性格を利用して薄汚くしてた。理由は、こう言う時ならラティストが共感するはず。
その結果、道中、年齢問わず視線が痛いで済まなかったが。
「なんだか、昼ドラとか月9とかのドクター役ですね?」
「……と言うと、鑑定官か?」
「あ、それですそれです! キャラは師匠と違いますけど好きだったなぁ……」
「ああ、わかる。じゃなくて!」
「新作は皆さんが揃ってからです。代わりに、好きなの一個はどうぞ?」
その言葉は、まさに天使か神か。
外見通りに可愛らしい笑みを向けられてしまうと、素直に感情が幼児化してしまいそうだったが、30も半ばのいい大人が出来るわけがないので慎重に棚を見ていく。
「……スバル、今日のは基本的に惣菜パンでよかったか?」
「ええ。いただいた材料からだとさすがに菓子パンとかは」
「なら、これにしよう」
サクサクのクロワッサンに挟まった黒い艶やかなあんこと板状のバターが美しい、『あんバタークロワッサン』を。
【スバル特製クロワッサン】
《あんバターサンド》
・食べれば、大抵のすり傷切り傷を治してくれる優れもの!
・
・食べ過ぎると太りやすいのがオチ
・お値段210ラム
「それでいいんですか?」
他にもデニッシュ生地なら、クリームやフルーツを使ったものが多少残ってはいる。
だが、ヴィンクスの気分としてはこのクロワッサンがベストだったのだ。
「もう日本人ではないが、再び出会えた日本食も食べたいと思うからな」
転移者のスバルと違って、本当に望み薄な事だから。
そう思って、クロワッサンの端を噛もうとしたが、いきなりクロワッサンが浮き出した。
「カーニャ⁉︎」
思わず叫んだが、余程の事がない限り彼女はあの店から出ない。
となれば、とスバルの方を向いたが、居たのはラティストではなかった。
「わっかい子の傷を抉るような真似しちゃダメよ〜、ヴィー?」
露出し過ぎな肌色。
どの女性も羨ましがるだろう、抜群のプロポーション。
だが、ヴィンクスはその尖った耳と少女のように笑う美しい笑顔には騙されない。
「ラーシャルゥ、それを返せ!」
実年齢はよぼよぼの老婆よりもはるかに超えてる、食いしん坊のハーフエルフだと言うことを知ってるからだ。
彼女の魔法で浮かされたクロワッサンに飛びつくも、カーニャより長く生きてるために魔法の扱いが上手い。
ジグザグに動かしながら、ヴィンクスが追いつかないように長い指だけで操作している。
「だぁって、不躾な事言う君が悪いのよぉ〜? 懐かしがるのは無理ないけどー、スバルちゃんはまだ四ヶ月も経ってないんだから」
「お気遣いありがとうございます、ルゥさん。でも、僕より師匠の方が懐かしがるのは無理ないですし」
「んもぉ〜、君は優しいんだからぁ」
「あ、ルゥ!」
スバルが礼を言った矢先に、操作してたクロワッサンを自分の元へ引き寄せてしまい、そのまま女性にあるまじき大口で半分もクロワッサンを口に入れた。
「んー、サックサクなのにバターの塩っぱさとアンコの甘さがちょうどいいわぁ! 売れ残りになるのがもったいないくらい!」
「お粗末様です」
「わ、私のクロワッサン……」
「師匠、まだありますから急いで急いで」
その後は、なんとか残ってた最後の一個を食べれて、ヴィンクスは口福に包まれた気分になれた。
「サクサク過ぎる! 時間が経ってるからより一層美味い!」
デニッシュ生地の部分は歯で噛み砕きやすいが、舌の上に落ちると味蕾が甘味と塩気を感知する。
甘さは甘さ。塩気は程よく。
土台の生地だけでも十分に美味いが、ルゥも口にした通りに挟んでるあんこの甘さと、黄色いバターのハーモニーは答えようがない。
和洋折衷。
その懐かしい四字熟語がすぐ浮かぶくらい、ヴィンクスの脳はこの甘さと塩気を求めていた。
箸文化主流の国に行けば、和食に近い物は食べれても味付けがやはり洋食か中華寄り。
甘さと塩気のバランスが程よいこの味は、記憶と魂が識ってるのは日本人だから、時たま欲しくなる。
それを、今は唯一の弟子となったこの若手パン職人が叶えてくれるようになったのだ。嬉しくないわけがない。
「ほんと、美味しいわぁ。今日の新作も、期待大ね〜」
「お待たせしてすみません、色々試してたんで」
「ほとんどタダで食べれるんだからぁ、気にしないで? 具体的に何を作ったの?」
「僕と師匠の出身国、日本ももちろんですが、イタリアのサンドイッチにしたんです!」
「スバル? ピザじゃなかったのか?」
てっきり、あのジャンクフードを食べれると思って来たのだが、彼は師の疑問にほっぺを赤くさせながらこう言い出した。
「味付けはピザもありますが、イタリアのサンドイッチ『パニーニ』に挑戦したんですよっ!」
「……なるほど」
いくら庶民が買いに来るにしても、ほとんどが冒険者御用達のポーションパン屋。
購入者のために、趣向を変えたのだろう。