模擬戦闘
地下の控室で待機をする事一時間ほど。
ついに、アナウンスが流れた。
『まもなく、試合の開始時間となります。青生様、入場口までお越しください』
天井に備えてあったスピーカーから、お呼び出しがかかる。
ゆっくりと扉を開き、俺は入場口へと向かう。
そして、大きな扉の前まで来て、一旦立ち止まった。
扉の向こうで、何かが噴き出す音がする。
すると、間もなく目の前の扉はゆっくりと開かれた。
『現在五百九十九位、青生空人君の入場です!』
どこかで聞いたことがあるような声で、場内にアナウンスが響き渡る。
抗う事もなく、ただ扉の向こうへと足を進めると、そこは只の平地となっていた。
リングやステージがあるわけではない。ただ円形の壁に囲まれるだけの、平坦な地面があるだけなのだ。
どうやら、この中身までコロッセウムを模しているらしい。
中央にポツンと、女性が立っているのが見える。俺は、そこを目指して直進する。
壁を伝って視線を上げると、観客席には結構な人数が座している事が分かった。
既に広がってしまっているという噂に応じて、興味本位で集まってきた輩なのだろう。
中央まで進むと、そこで制止を命じられる。
そして、次のアナウンスが流れた。
『続いて、現在四百一位、海藤豪君の入場です!』
煙幕が上がり、ゆっくりと正面の扉が開く。
そして、中からその男が現れた。
一部の場所から、拍手と歓声が送られる。この兄様を信奉する広島国の人間だろうか。
彼は両手を上げてガッツポーズを作り、戦闘の前から勝利宣言をしているようだ。
そして、やはりその顔には爬虫類染みた笑みを浮かべていた。
「偉い偉い、逃げずにちゃんと来たんだな。ノコノコと、ぶっ殺されに来たってわけだ」
俺の目の前まで来た彼が、そう告げる。
その瞳を覗き込めばわかる。これは狩る側の、人間の瞳だ。
食うか食われるか、などとは微塵も考えてない。ただ自身が強者であることに対しての圧倒的な自信と、確信だけがそこには宿っている。
「おいおい、ブルっちまって言葉も出ねえか? 何だ、思い残すことがあるなら言っとけよ。その辺の便所に落書きとして残すくらいはしてやるよ」
――思い上がる事、甚だしい。
「悪いが、手短にシメさせてもらおう。今日はランチを共にしたい相手がいるのでね」
「シメる…だ? あ? 何を、誰に向かって言ってんだお前」
わかりやすく、コメカミ当たりの筋がピクピクと脈を打っていらっしゃる。
「昨日は色々とあったせいで、食事を逃してしまってな。ヒロインとボクっ子ちゃんと絆を深めう良い機会なのだ。食堂が込み合うと面倒なので、サクッといくぞ、サクっとな」
「ああ、わかった。お前が血迷ってるだけの、ただの馬鹿だって事がな。お望み通り、サクッとぶっ殺してやるよ」
俺と兄。
まさに一触即発の空間に、最初からその場所に立っていた女性が無言で割って入った。
『それでは、ここで最終確認をさせていただきます!』
それと同時にアナウンスが流れ、制止を促された。
『この模擬戦闘では、戦闘終了まで念動の無制限使用が認められています。決着の手段は二つ。選手本人による投了か、審判により、戦闘の続行が不可であると判断された場合となります』
両者頷く。
『それでは、カウントダウンをとります! テンカウント終了後、即時に戦闘が開始となりますので、ご注意ください! では、十、九……』
俺は首にかけていた南京錠へと鍵を差し込み、解錠した。
そうして、外れた鎖の片方へと再び南京錠を取り付け、片方を手錠へと括り付ける。
これによって、分銅鎖を模した武器が完成した。俺の準備は、これにて完了となる。
「おいおい、まさかそんなオモチャで、俺の才覚とヤり合おうっていうのか? 面白え、一瞬で溶かしてブッ千切ってやるよ」
フヒヒと笑う彼の周囲には、炎が漂っている。
正しくは炎とは異なるモノなのだが、事この戦闘においては同じ様なものだ。
"念動"によって生み出されたソレを受ければ、この鎖と身は焦げ付き、炭と化すだろう。
ソレは、水をかけて消せる類のモノではない。対抗して打ち消すには、同じく才覚を相対させるか、若しくは――
★
桜川奏は、会場の一席に座していた。
一年という間生活を共にしながらも、実力を図ることが出来なかったその男に対して、ありったけの熱視線を注いでいる。
「あの、奏ちゃん……」
「え?」
熱注するがあまり、昨日出来たばかりの友達が隣の席に腰を下ろした事にすら気付くことが出来ていなかった。
「ああ、萌ちゃん。体はもう大丈夫なの?」
「うん、朝のチェックでも問題ないっていわれたよ」
それはなにより。
言い終えた萌が、彼に向かって心配そうな視線を送っている。
明るい知らせとは裏腹に、彼女の周りの空気が重くなっていくのを感じた。
「アイツも幸せ者ね。美少女二人の視線を釘付けにしているんだもの」
少しでも和ませようと思い、軽口を叩いてみる。
「ボ、ボクは美少女なんかじゃないよ! それよりも、空人くん、五百九十九番って……。こんなことなら、もっとちゃんと引き留めておくべきだったよ……」
あまり効果はなかったようだ。残念。
正直自分自身も半信半疑ではあるけれども、ここは正直に話してみよう。
「きっと大丈夫よ、アイツなら」
「空人くんも、自分で同じことを言ってよ。でも……」
「心当たりが、あるの」
「心当たり……?」
俯き気味だった顔を上げ、萌がこちらを覗きこむ様にして見つめて来る。
「ええ。一年前、色々とあってアイツはワタシの家に引き取られたの」
「うん」
「ワタシの家は旧大和国王家なの。萌ちゃんのお兄様がワタシを知っていたのも、多分そういう訳だと思う。割と幼い頃から危険な目にも多くあって来たわ。それはもう日常とも言えるほどにね」
「……わかるよ。実はボクも、奏ちゃんの名前は聞いたことがあったんだ。ボクの家でも、似たようなことはしょっちゅうあったよ」
「でもね、アイツが来てからは、そんな生活が変わったわ」
「変わった……?」
そう、変わったのだ。
彼との同居が始まってから、奏の――引いては桜川家の生活は明確に変わった。
「アイツが来た日を境にして、全く現れなくなったのよ。ワタシたちを標的とする奴らが。ワタシ達の目の前に、誰一人として、ね」
★
『二、一、零! 試合を開始してください!』
「オラ、死んじまえよ!」
開始と同時に、七つの炎の弾が俺へと向かって飛ばされる。
まずは、正面に三つ。俺の頭、腹、膝を捉えている。
これを横に動いて躱そうとすれば、左右に二弾ずつ、広がりを見せながら迫ってきている弾に捕えられてしまう事だろう。
試合前の挑発に乗り、激昂して弾を発散させたわけではない。冷静に、クレバーに、確実にして俺を殺す為の攻撃を放ってきているのだ。
俺は、弾をよく見る。
到達までのコンマ数秒間で、最も正しい選択をする為だ。
あれが尋常の炎であれば、それこそ為す術はなかっただろう。だが、あれは才覚によって生み出された炎だ。あの男が見出し、束ねた力の塊なのだ。
ならば――そこに綻びはある。
「……見つけたぞ」
ほんの一瞬だけ残された時間を駆使して、俺は左へと飛ぶ。
それと同時に、鎖をしならせ、狙い定めた一点へと南京錠を伸ばした。
「馬鹿が! 血迷ったか!」
最初の予想通り、広がりを見せながら飛んできていた弾に位置を捕えられる。
――そして、狙い通り、俺の鎖は炎を貫いた。
「なっ……!」
驚愕の表情を浮かべて、兄様から力ない言葉が漏れる。
貫かれた炎の弾は、俺に到達する前に霧散した。
「うむ。威力、スピード、コントロール、そしてプラン。どれをとっても高水準だ。流石は広島一の実力者と言った所だろうか」
最初の一撃を受けての、忌憚なき感想を述べる。
「なんなんだよ、その鎖。あり得えねえだろ、俺の念動が一瞬で、こんな……」
せっかくの称賛の言葉を物ともせず、ひどく品を定めるような、冷酷な視線を送りながら兄様は問いを口にした。
「これは只の鎖だ。戦闘用という訳でもないぞ。ヒロインに通販で注文してもらった、一般的な南京錠ネックレスだ。つまりは、ファッションアイテムだな」
「ふざけやがって……フカすなよ。力を隠すってんならそれでも構わねえ。墓場まで持って行けや。火葬まではここで済ませてやるからよ」
兄様がそう疑うのも無理はない。
しかし、俺の言葉に偽りは含まれていないのだ。そう、鎖自体が念動なのではない。
只の鎖に、俺が念動を込めているのだ。俺の能力を知る傘木さんを持って『戦闘向きではない』と評された俺の念動を、だ。
強力な念動を打ち消すには、本来であれば同じく強力な念動を用いて相対するしかない。
だからこそ、兄は納得がいかなかったのだ。五百九十九位などという順位をぶら下げた俺によって、自身の強力な念動が打ち消されたという事実が。
その結果、俺の能力ではなく、この鎖が何か特殊な素材で合成されているのではないかという結論に至ったのだろう。
だが、それは事実とは異なる。
種明かしをしてしまえば、なんという事はない話だ。本来の使用法とは違う形で使用した結果、思いもしない効能が働いた。そんな、ありきたりな話でしかないのだ。
事俺の念動においてそれは、相手の念動を打ち消す働きを見せる働きをしている。
「お前の炎であれば、確かに可能な事ではあるだろう。しかし、そんなショッキングな光景を、友の前で見せるわけにはいかないな」
「何が友だ、馬鹿じゃねえの。昨日今日会ったばかりの奴の、何がわかるってんだ、オイ?」
「大切なのは時間ではない。ただ、俺は彼女の笑顔が見たいと思う。それだけで十分だ。知らなければ、これから知っていけばいい。知って、友情を深めていくとしよう」
「……やっぱ気に入らねえわ、お前」
言い終えると同時に、今度は無数の火の弾が兄様の周囲に出現する。
「防げるもんなら……防いでみろ!」
兄様が手を振ると同時に、一気に炎が俺へ向かう。
「ご期待にお応えして、御覧に入れよう」
これは、ただの暴力、パワープレイだ。
先程に見せた俺の防御から、最も効果的な選択を割り出したのだろう。
これでは、一点を突いて突破口を見出すことは難しい。
一発一発の威力で言えば、先とは比べ物にならないほど低下している。しかし、まともに生身で受ければ、致命傷は免れないほどの威力は残っているのだ。
まさに、絶体絶命の状況。
「と、普通なら考えるだろう。残念だが、相手はこの俺だ」
靴の踵を踏む。そして、無数の弾を見る。
決して、一弾たりとも逃さぬように見渡す。
そして、見出す。その、活路を。
「あまり、お行儀は良くないのだが。そうも言ってはいられない」
まずは、一つの弾へと向かって、足を振り抜く。
踵を踏み、脱ぎやすくなった靴が飛び、それを霧散させた。
「まずは、一つ」
続いて、振りぬいた足を戻し、着地したその足を軸にして後ろ回し蹴りを放つ。
先程霧散させた隣の弾を、今度はその足から放たれた靴が打ち抜いた。
「これで、二つ」
さらに足を戻し、地面を蹴って駆け出す。
全力でスプリントしながら、最後の弾に狙いを定め、鎖を放つ。
「最後……三つ!」
弾は霧散し、そこに僅かな隙間が生まれた。
人間一人が頭から飛び込み、やっとすり抜けられるか、という穴がだ。
一瞬の躊躇いが命取りとなる。大事なのは、タイミングと度胸だ。
俺は、自分を信じて右足に力を込め――跳躍した。