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第3回「破壊神への道」

 こういう時、緊張した沈黙の場面を表すものとして、時計がチクタクなっているような描写がある。だが、僕の隠れ家の場合はその心配は無用だった。何しろ時計そのものがないのだ。せっかく世間のいざこざから逃れられるというのに、時に縛り付けられるのは御免だった。

「破壊神とは恐れ入る。僕を買いかぶりすぎじゃないかな」
「いいえ、貴方は世界を変える存在です。人という肉の器に留めておくのがもったいないくらいに」
「生まれた時から人間なんだけどな。それに、死ぬ前は冴えない歴史オタクだった。たまたま運良くこの世界に召喚されて、しかも、すごく強くなれたけど、今はレベル9999を持て余した無職であることに変わりはない」

 レベル9999の無職と言ってはいるが、正式にはまだ賢者のままである。この世界における真の転職というのは、建築の女神マーグを祀ったリンドン神殿でのみ可能となる。建築の女神はまた仕事と冒険の女神でもある。いくらなんでも兼任しすぎだろ、と最初は思ったものだ。だが、「天までそびえる塔を一人で作り上げ、人間から神になった女」という神話を聞かされて納得した。バベルの塔は、この世界では成功したらしい。
 そういえば、テッド・チャンの「あなたの人生の物語」には、「バビロンの塔」なる短編が入っていたなと思い出す。あれはネビュラ賞を受賞した作品だったが、僕としてはもっと奇想を生かして欲しいと思ったものだ。その点では、こちらの世界で触れたマーゴ・ブラッドフォードの前衛小説である、「世界は猫の腹の中」の方が痛快だった。

「その無職から破壊神に転職されることを、私は懇望するのです」

 ああ、思考が飛んでいた。
 今、僕はリリ・トゥルビアスと話をしているのだ。
 彼女には、ちょっとだけ嫌われたくないと感じている自分がいる。

「なるほど、転職か。そういうものかもしれない。ああ、神が生まれた経緯なんて、きっとそれくらいでちょうどいいんだ」
「お引き受けくださいますか」
「君は面白い知見を与えてくれた。そうだな。今までなったことがない職業になるという意味では、すごく興味がある。……ちょうど防衛線が突破されたようだ。そろそろ、動くとしようか」

 僕は結界の一部が破壊されたことを知覚し、席を立った。
 それから、力強くうなずいた。これはリリの思い通りに行動しようという意思表示だった。

「ありがとうございます」

 自分の心が通じるというのは嬉しいもんだ。リリもまた立ち上がり、流麗な敬礼を決めた。何も知らない子どもだったならば、彼女に憧れて魔王軍に入っていたかもしれないと思うほど、美しい所作だった。

「ただ、一つ僕に付き合ってくれないかな、トゥルビアス将軍」
「リリとお呼びください、神よ」
「悪い。二つ目のお願いもしよう。僕のことは名前で呼んでくれ。誰かの主や父になれるほど、いい人格はしていないんでね。だから、君の願いも聞き入れよう。リリ、今やこのあばら家はならず者どもに包囲されつつある。僕の監視役という哀れな役目を負わされた彼らを吹き飛ばすのは簡単だが、それをするのは忍びない」
「慈悲深いことです」
「でも、それじゃあ、破壊神の初仕事としてはいただけない。よって、こうする」

 僕が力を籠めると、たちまち家の外壁が音を立てて崩れ、天に向かって放り上げられていった。先ほどまでは窓越しに見えていた風景が、今や視界の大半を覆っている。その中には、驚愕の表情を浮かべる監視者たちの姿もあった。
 吹き荒れる魔法嵐は僕らを傷つけることなく、僕の家や本たちを丸ごと天へと飲み込んでいった。
 そうだ。
 これで御破算だ。
 仕方ないじゃないか。楽しい読書以上にエキサイティングな未来が、向こうから転がり込んできたんだから。
 すべて破壊する。跡形も残さず。ここは元から廃墟だった。人間と魔族が争う大地であり、定住には適さなかった。僕がいなくなければ、麓の「監視村」も無くなるだろう。

「お見事です。さすが、としか言いようがありません。私は強い感動を覚えております」
「では、一つ目のお願いに戻ろう。僕と一緒に来て欲しいから、君を抱き寄せようと思う」
「かしこまりました。何なりと」

 僕は彼女を抱き寄せた。残念ながら鎧を着ていたため「柔らかいものが当たった」などとは言えないが、それでも気分がいいのは確かだった。
 転移魔法を唱えると、たちまち僕らの体は浮かび上がった。
 さあ、行こう。
 目的地は、リンドン神殿だ。

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