文化祭とクリアリーブル事件㊴
数分前 沙楽総合病院 休憩所
椎野が櫻井と出会う数分前、沙楽総合病院に残っている結人はソファーに深く腰をかけ、あることを考えていた。
先程までは椎野からの連絡を今か今かと待ち侘びていたが、思っていた以上にすぐに来ず櫻井から別のことへと意識を移していく。
初めに考えたことは、もしも自分が文化祭に出ることができたなら、ということだった。 そこで結人の頭の中には、色々なことが次々と思い浮かんでくる。
風紀委員で色々な仕事を頼まれていたが、入院してしまったせいで全ての責任を彼女である藍梨に任せてしまっていること。
そして、結黄賊の仲間と忘れられない思い出を作ろうとして、今頑張って練習しているダンス発表のこと。
最後に、1年5組の出し物は劇に決まり、主役である櫻井を中心にみんなで今まで頑張って完成に近付けてきたこと。
そこで結人は5組でやる劇のことを思い出し、ふとあることが頭を過った。
―――もし劇のセットが明日までに直されていて、俺が明日文化祭に出れるのだとしたら・・・。
―――俺、未だに頼まれている台詞を考えていないんだよな。
―――・・・どうしよう。
そう思い劇の台詞を頑張って考えようとするが、どうやら結人の心理は言うことを聞かないようで自然と劇から離れ再び違うことを考え始めてしまう。
―――そういや・・・文化祭が終わった後、本格的にクリーブル事件とぶつかることになりそうだよな。
病院ではニュースなど全く見ないため、クリアリーブル事件が今でも動いているかどうかは分からなかったが、きっと完全には終わっていないだろう。
クリアリーブルの目的は結黄賊のため、文化祭間近で事件に関わっている暇などない結人たちを見て、今の彼らは大人しくしているだけなのだろうか。
―――未来が勝手に行動しているって言っていたけど・・・大丈夫なのかな。
そこで結人は、どうして自分がこんな目に遭ってしまったのか根本的なところから考え始めた。
―――俺・・・階段から、突き落されたんだっけ。
―――俺を階段から、突き落した奴は・・・。
―ブルルル、ブルルル。
そんなことを考えていると、ふいに結人の手の中で震え出す携帯電話。
―――ッ、椎野!
そのバイブ音と共に、結人の思考はクリアリーブル事件から櫻井のことへと瞬時に切り替わる。
「もしもし、椎野か?」
突然の電話に驚きを隠せないまま、慌てて出た。 その声を聞き、椎野は余裕そうに笑いながら答えていく。
『あぁ、そうだよ。 どうしたんだよ、そんなに慌てて』
「いや、その・・・。 あ、櫻井は見つかったのか?」
『櫻井くんなら見つかって、今俺の3メートルくらい前にいるよ。 でもこれ以上は近付けないんだ、悪い』
「え?」
彼の言っていることが分からず、つい聞き返してしまう。 そして続けて椎野は、電話越しから言葉を発した。
『だからさ、スピーカーにするからそれで話してくれないか?』
「・・・あぁ、分かった」
その発言に結人は様々な思考が巡り行き交う。
―――櫻井は今、危ないところにいるのか?
―――それとも、櫻井自身が危ないのか?
そんなことを自分に問うが、当然答えは出てこない。 だけど椎野が言ったことを何となく察し、電話越しにいる櫻井に向かってゆっくりと話しかけた。
「・・・櫻井? 聞こえるか?」
『・・・』
遠くに離れていて櫻井からの返事が聞こえないのか、それとも櫻井がただ返事をしないだけなのか、向こうからは何も聞こえてこない。
その状況に少し不安を抱きつつも、結人は言葉を紡ぎ出した。
「・・・メールの返事、できなくてごめんな」
それでも相手からは、返事が来ない。 この状況が更に結人を苦しめる。 だがそんな不安なんかに負けじと、電話越しにいる櫻井に向かって言葉をかけ続けた。
「なぁ・・・櫻井。 お前は今、俺のこと・・・どう思ってる? 返信しないなんて、最低な奴だと思ってる? ・・・それと、どうせ俺は明日文化祭には出れないって思ってる?」
そして、明日迎える文化祭について話し始める。
「でも俺は、ちゃんと出るよ。 明日の文化祭。 ・・・まぁ、まだ確定はしていないんだけどな。 でも絶対に外出許可をもらって、明日文化祭へ行く。
そのためにも、俺は今リハビリを頑張っているんだ。 言うことを聞かない自分の身体を、どんなに苦しくてもどんなに痛くても動かし続けている。
このリハビリが、俺にとって今の試練だと思っているから。 だから今日も一日リハビリを頑張ってちゃんと動けるようになって、俺は明日、文化祭へ必ず行く」
これが結人の本心だった。 言ったことについては後悔なんてしていないし、迷いなんてものもない。 結人は最初から、そう強く思い続けていた。
すると突然、電話越しからはか細くてとても弱々しい声が、かすかに聞こえてくる。
『色折・・・くん・・・』
―――ッ、櫻井か?
聞こえた声に結人の感情は一瞬高ぶるも、無理に押し込み平常心を保った。 櫻井にはちゃんと自分の思いが聞こえていると確信し、更に言葉を綴っていく。
「櫻井・・・本当、ごめんな。 不安な思いをたくさんさせちまった。 約束も守れなかった。 俺が入院なんてしなければ、櫻井はこんなに思い詰めるようなことなかったのにな。
我慢もいっぱいさせちまったし、苦しい思いもさせちまった。 全部、俺のせいなんだ。 ・・・本当に、ごめんな」
結人は謝罪の言葉を何度も述べる。 簡単には許されないことだと分かっていながらも、顔も見えない相手に何度も謝り続けた。
だがこの行為は櫻井に向けたものではなく、結人自身を更に苦しめるものだった。 櫻井のせいではなく、全ては自分のせい。
そのことを深く心に刻み付けるために、何度も自分に言い聞かせていた。
『色折・・・くん。 俺・・・』
電話越しから聞こえる櫻井の声。 先刻よりも声が少し大きくなっているため、椎野のもとへ自ら近付いたのだろうか。
結人はこの時、これから続ける櫻井の言葉は謝罪するものだと察した。 その行為を否定するよう、彼よりも先に口を開く。
「櫻井は、悪くないよ。 全ては俺のせいなんだ。 ・・・劇のセットを壊しちまったのも、仕方ないさ。 それだけ櫻井が、追い込まれていたっていうことなんだから。
・・・あと、俺が目覚めていない間、見舞いに来てくれたんだろ?」
『え・・・? どう、して・・・』
「椎野から聞いたんだ」
『し、椎野くん・・・から・・・?』
そこで、彼に向かって感謝の言葉を述べる。
「あぁ。 ありがとな、見舞いに来てくれて。 嬉しかったぜ」
結人から櫻井に伝えたいことは全て伝え終わった。 ちゃんと彼に謝ることができたし、感謝することもできた。 これで、心残りなんてものは一つもなくなる。
この後はどうやって櫻井を誘導し、どのタイミングで電話を切ろうかと考えていると、電話越しからは小さな声が聞こえてきた。
『色折くんは・・・明日、本当に文化祭に来れるの?』
その問いに対し、迷いも見せず即答する。
「行くよ。 絶対」
『本当・・・?』
「・・・」
もう一度聞き返され、一瞬言葉を詰まらせる。 かつては守れなかった約束。 そのことが、自分の心に重くのしかかり結人を苦しめる。
それを感じつつ櫻井との過去のことを思い出しながら、ゆっくりと言葉を紡いでいった。
「・・・劇の練習をするっていう約束は守れなかったけど、俺は櫻井のこと、絶対に裏切らないから」
この言葉は櫻井だけでなく、結黄賊の仲間にも言える言葉だった。 約束は守れなくても、仲間のことは絶対に裏切らない。
リーダーだからとかは関係なく、仲間のことを裏切りたくはなかったのだ。 そしてその言葉を発してから数秒後、彼からの返事がきた。
『・・・分かった。 待っているよ。 ずっと、待っているよ』
「おう」
『色折くんがいないと、俺・・・生きる意味、ないから』
―――・・・櫻井。
たったの一言だけど、結人の心には重く響き渡る言葉。 あまり軽々しく言えないその言葉に、結人の心は少し揺らぎ始める。
―――・・・そういう風に、思っていてくれてたんだな。
だが彼には感謝しつつもこれ以上重たい話にならないよう、いつものように調子に乗った雰囲気を出しつつ返事をした。
「素直に言われると照れるだろー! ははッ」
『・・・』
―――・・・あれ?
どうやら櫻井はそんなノリではないようで、電話越しからは何も返ってこない。 返事が来ないと気付いた時には、結人は心の中で溜め息をついていた。
『・・・セットを、壊して・・・ごめん、なさい』
するとふいに聞こえる、彼の謝罪の言葉。 それを聞いて、結人は再び櫻井の方へと意識を向ける。 そして彼に向かって、優しく返事をした。
「いいよ。 壊したのは、俺と櫻井のせいっていうことで」
結人はこれ以上『櫻井のせいじゃないよ』と言っても無駄だと思い、彼の罪を認め自分の罪と重ねてあげた。
その発言が嬉しかったのか、櫻井はもう謝るような言葉は言ってこない。 この後彼と少しの間会話を交わし、キリがいいところで電話を切った。
そして、目の前に広がる長い廊下を見つめる。
―――・・・俺も、頑張らなきゃいけねぇな。
―――この長い廊下を、何度も往復するか。
最初からリハビリをする予定だったが、櫻井と話したことにより結人は先刻よりもやる気が出ていた。 目指すは明日の文化祭。
それまでにはせめて、普通に歩けるようになっておかなければならない。
―――そうでないと、外出許可ですらもらえないからな。
そう思い、結人はソファーからゆっくりと立ち上がり、廊下へ向かって一歩を踏み出した。