第三話 策士策に溺れる
敬愛するマスター・川端曰く、
今朝から、琴姉を探し求めること、早数時間――。
長い旅路の果てに、ようやっと
これといって会話を交わすでもなければ、聞えてくるのは、ノートの上を走るシャーペンの音だけ……。
おかしい。これは、明らかに何らかの異常事態が起きているのは間違いない。
俺はこれまでにも琴姉に連れられ、幾度となく生徒会を訪れてはいるが、皆、一定の緊張感は保ちつつも、和気藹々とした雰囲気の中、それぞれが伸び伸びと仕事に取り組んでいるといった
とりあえず話だけでも訊いてみようと、これまでにも何度か面識がある、書記を務める
「――⁉ ひ、ヒィイイイイイイイイイイイッ! ご、ごめんなさい、ごめんなさいっ!
「――⁉」
あ、焦ったぁ……。
一瞬、ひきつけのようなものを起こしたかと思えば、机に突っ伏し、頭を掻き毟りながら何かに怯えるように、ひたすら謝罪の言葉を繰り返している。
う~~む、どうやら、
しかも、どうした訳か、突然、発狂した安田くんを前にしても、誰一人として動こうとする気配もみせなければ、皆一様に青い顔をして下を向いているだけ。
な、何なんだこれは? ここは、カサンドラですか⁉
俺は、その惨状を前に、
うん。ここは一旦、退いた方がいいね♪
昼休みの決意は何処へやら。早々に退散しようと決めた矢先、
「――ぎゃぁあああああっ⁉」
いきなり背後から肩を掴まれ、ホラー映画さながら、慌てて振り返った先には、肩まで流れるワンレングス似合う見慣れた美少女の姿。
姿が見えなかったので、どうしたのかとは思っていたが、どうやらどこかへ行っていたらしい。
彼女の名前は、
現・生徒会副会長であると同時に、琴姉が入学するまでは生徒会長を務めていたお人だ。
俺も詳しい内容までは知らんが、先の会長選において琴姉との壮絶なデッドヒートを展開するも、僅差で敗退。
かと言って、その事にやさぐれるでもなければ、副会長として、常日頃から
性格的にも、とっても気さくで明るくて所謂、姐御肌ってやつな。学園の生徒たちはもとより、俺も何度か相談に乗って貰ったりと、何かと気が置けない先輩ってやつさ。
加えて、その整った目鼻立ち、スタイルの良さも相まって、琴姉と双璧をなす学園のアイドル的存在でもある。
中でも、その白い肌……って、白を通り越して青白くなってねぇか?
そんな俺の心配を余所に、葵先輩は肩に乗せていた手に力を込めると、ぼそりと呟いた。
「……後は、任せたぞ」
「はい?」
「――総員、緊急退避だっ‼」
事態が飲み込めてない俺を置き去りに、事態は急転していく。葵先輩の声に呼応するかのように生徒会の面々は、最後の気力を振り絞りながらヨロヨロと起き上がると、互いに肩を寄せ合い、ノロノロと、ゾンビのように部屋の外へと歩いていく。
「し、しっかりして! 大丈夫! 傷は、浅いわっ!」
「……っ……ぐす、え、遠藤さぁん……」
「――ひっ⁉ や、止めてよぉおお! そ、そんな
うわぁ~、あちらこちらで、阿鼻叫喚の地獄絵図が出来上がってるよ。
そして、葵先輩の『グッド・ラック』の口パクを最後に、再び水を打ったような静けさに包まれる生徒会室。
残されたのは、俺とこれだけの大惨事を前にしても、些かも動じることなく、先ほどから黙々とノートにペンを走らせ続けている琴姉の二人のみ。
予想していたことだが、琴姉からは、明らかに怒りのオーラのようなものが見てとれる。
その証拠に、何度か声はかけてみたものの、返事はおろか、こちらを見ようともしない。
うぅ、こういうとき、姉とはいえ、なまじ美人だとその静けさがかえって恐ろしくなる。
とはいえ、流石にこのまま突っ立っていても埒が明かないので、覚悟を決めると俺は、琴姉の隣の席へと腰を下ろした。
「…………………………」
「…………………………」
――三分経過。
あかん、ダメだ。空気が重すぎて……。せ、せめて、何か切っ掛けでもあれば……。
「え、え~と、そ、その、の、喉か――」
「渇いてません」
「…………」
「あ、それじゃあ、何か、手つ――」
「ありません」
「…………………………」
「…………………………」
……と、とりつく島がねぇ。
こりゃあ、そうとうキテるなぁ。敬語で応対するあたり、琴姉が本気で怒ってる証拠だ。
こりゃあ、生半可なことじゃあ、かえって逆効果になりかねん。
くっ、しゃあない……。こうなったら、こっちも腹くくるしかねぇ!
鞄から、例の物を取り出し、その場に誰もいないことを再確認するや、
「――琴姉……」
「――っ⁉ な、なな、ひ、ひひひヒナ……ちゃん……⁉」
驚くなかれ、俺は、椅子に座る琴姉に、後ろから覆い被さるように抱きしめた。
俺の奇行(?)を前に、御自慢の
「……琴姉。昨日は、酷いこと言っちゃって、ごめんな。傷ついたよな? 許してくれとは言わない。でも、俺は、琴姉のこと、嫌ってなんかいないよ?」
「――う、嘘! だ、だって、ヒナちゃん。お、お姉ちゃんのこと、こ、恋人には、出来ないって言ったもん!」
「あれは、そういう意味で言ったんじゃない……」
「じゃあ、何だっていうの? 嫌いじゃなかったら、どうしてあんな――」
「だって! 琴姉が、恋人になっちゃたら……。俺だけの『お姉ちゃん』が居なくなってしまうような気がして……。そう思ったら、寂しくなったんだよ……!」
「――⁉」
ぐわぁああああああああああああああああああっ! お、おおおお俺は、さ、さっきから一体、な、ななな何を口走っとるんだぁあああああああああああああああああああああっ⁉
うぅ、じ、自分でも顔が熱くなっていくのが分かる! はぁあああ、う、後ろ向きで、マジ、良かったぁああああああ……。こ、こんなの、面と向かっては、ぜ、絶対に出来ねぇわ……。
「そ、そんな……。あ、で、でも……。ひ、ヒナ……ちゃん。も、もう、お馬鹿さんなんだから、お、お姉ちゃんは、何があったって、ひ、ヒナちゃんの、お姉ちゃんだよ?」
そう言うと、俺の手に自らの白く柔らかい手をそっと添えてくる琴姉。
よっしゃあ! 掴みはオッケー! 後は、ここからだ!
その後も、
俺は、ついに、あるキーワードを引っ張り出すことに成功する。
「――そ、それじゃあ、ほ、ほんとに、ひ、ヒナちゃんは、お、お姉ちゃんのこと、嫌いになったわけじゃないのね?」
「当たり前だろ? むしろ、琴姉のことは、大好きさ(あくまで、兄妹愛だがな)!」
「ヒナちゃん♡ ……あっ⁉ う、で、でもでも、お、お姉ちゃん……。ひ、ヒナちゃんに、その、い、『意地悪』……しちゃったから、お、怒ってるでしょ?」
キタァアアアアアアアアアアアアアアッ! 待ってましたとばかりに、俺は、隠し持っていた弁当箱を、あくまでも、さりげなく琴姉の前へと差し出した。
「――⁉ え、う、嘘? ひ、ヒナちゃん、こ、これ、全部、食べてくれたの?」
「ああ。琴姉が折角、俺のために作ってくれたんだ。食べるのが当然だろ?」
くくく、どうよ、これぇ? 完璧じゃね? ここへ至るように上手く誘導していくこのテクニック! ここまでくれば、あとはこっちのもんさ。余程の事が起きない限り、終局まで一本道よ♪
俺の読み通り、案の定、琴姉はというと、
「ヒナちゃん……♡ そっかぁ、それで、ヒナちゃんの息……。ちょっと、青臭いもんねぇ」
青っ⁉ ――くっ、だ、誰のせいだよ、誰の! こ、堪えろ、俺! こ、ここが、正念場だっ!
言ってるそばから早くも若干のズレが生じたが、ま、まだまだ修正が効く範囲だ。ここはあえて琴姉の発言はスル―し、更に言葉を続けていく。
「あれも、ただの意地悪じゃなくて、俺の体……。心配して、入れてくれたんだろ?」
「――⁉ う、うん! そ、そう! だ、だって、ヒナちゃん……。お家でも、お野菜、全然食べてくれないし、このままだと生活習慣病とか患って、両足切断とかになっちゃうかもって、すごく心配だったんだもん!」
……いや、この年で、生活習慣病って……。てか、足切断⁉ それも、両足⁉
「う、嬉しい♡ ひ、ヒナちゃん、お、お姉ちゃんの気持ち……。ちゃんと気づいてくれてたんだね♡」
「ま、まぁね。で、でも、流石に、あの量は……ちょっと、どうかとも……」
「あ、それは、大丈夫だよ♪ なんたって、厚生〇働省が提唱する一日の野菜摂取量だもん♪」
「……そ、そう。こ、厚〇労働省の……ね……」
ゴラァアアアアアアッ! この木っ端役人共がぁ!
テメェらが余計なことしくさったせいで、どえらい量のグリンピース食わされる羽目になったわっ! テメェらもあの量を一度、食ってみろ! 危うく体から発芽しかけたわっ!
「でね、でね、あのグリンピースはね、善三郎さんが作った無農薬有機栽培のものなんだよ♪」
ぜんざぶろうさん? ……ああ、スーパーなんかでよく見かける『この野菜、私が作りました』とか言って自画自賛してるアレか……。
その後も琴姉は、塩がどうたらこうたら、聞いてもいないことまで事細かに説明してくれた。
「――そっかぁ。全部、お姉ちゃんの早とちりだったんだねぇ♡ てっきり、お姉ちゃん、ヒナちゃんに振られちゃってたのかと思ったよぉ。もう、お姉ちゃんってホント、お馬鹿さんだよねぇ♪ もう、お姉ちゃんの馬鹿馬鹿馬鹿……♡」
生徒会室へと足を踏み入れて、かれこれ四十分くらい経っただろうか?
当初の
その姿を目にするなり、俺は深く深く果てしなく深く嘆息した。
紆余曲折、色々あったが、どうにかこうにかここまで辿り着くことが出来た。
にしても、危ないところだった……。今回は何とか上手く切り抜けられたが、今後はもう少し、発言にも気を配るようにしないと、その内取り返しのつかない事態にだってなりかねねぇぞ?
と、まぁ、反省はこれくらいにして……。
うぉおおおおおおおおおおおおおおおっ‼ ともあれ、俺はやり遂げたんだ! 生き残ったんだ! あの絶体絶命の状況を見事に覆し、生き残ったっ‼ 俺、すげぇえええええっ‼
俺が心の中で、歓喜に沸き返っていた最中、
「でも、ヒナちゃんが、そんなに甘えんぼさんだったなんて……。お姉ちゃん、全然気づかなかったよぉ♡ それじゃあ、明日からは毎日、一緒にお昼ご飯、食べようね♡」
「――⁉」
「えへへ♡ とりあえず、明日は、ヒナちゃんとの初めてのお弁当ってことで、ヒナちゃんの大好きなもの入れてあげるね♪ あ、でも、ちゃんと、お野菜も食べなくちゃ、めっ、だからねぇ♡」
幸せいっぱい、夢いっぱい。俺たちの今後の未来予想図を楽しそうに思い浮かべる琴姉とは裏腹に、もう一方の当事者である俺はというと、
……はい? い、今なんか、聞き捨てならないこと言わなかったか? 昼飯を、一緒に、食う? 誰と誰が? え? な、何で? 何、これ? 琴姉は、一体、何を言ってやがるんでありましょうか? どうして、そういう話になるわけ? どうして、地球は青いわけ? 何で、フィギュアは高いわけ?
「――ち、ちょっと、待ってよっ! な、何でそんな話になるんだよ? いや、別に、琴姉と一緒に食べたくないって言ってるわけじゃないけど……。お、俺にだって、その、
俺は、猛然と食ってかかる。
おかしい。これは、絶対におかしい! 俺の描いた終局図とは違ってる! てか、何でまだ続きがあるわけ⁉
「え~、だって、恋人なら一緒にお昼食べるのも当然でしょ?」
「だから、恋人にはなれないって、何度も言ってるじゃないか!」
「え~、だって、お姉ちゃんを恋人に出来ないのは、お姉ちゃんを恋人にするとお姉ちゃんが居なくなっちゃうみたいで寂しいからなんでしょ? だったら、お姉ちゃんがお姉ちゃんとしてヒナちゃんの恋人になればお姉ちゃんは居なくならないし、全然問題ないじゃない♡」
ぐはぁあああっ! な、何言ってんだか、ゴチャゴチャし過ぎてて、よく分かんねぇ!
くっ、煙に巻くつもりで、テキトーなこと言ってみたが、もしかして、コレって墓穴ってやつですか?
「――……あれぇ? それとも、もしかして、お姉ちゃん……。何か、勘違い……してたのかしら?」
まるで、地獄の底から響いてくるような声に、空気が一変する。
ひぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ‼ な、なんつぅ禍々しいオーラだ⁉ お、
こ、ここで言葉をミスったら、それこそ、この場で犯《ヤ》られかねん。
――で、でも、それでいいのか? ここで逃げたら、いつまでたっても自由は勝ち取れない……。
勇気を出せ、結城陽太!
俺も、ここはガツンっと
「こ、琴姉っ! わ、悪いけど! あ、あ、明日のお昼は――……あ、あ、アルトバ〇エルンも、入れてくれたら嬉しいかなぁ♪ ……なんて」
「うん♡ 楽しみにしててね♡ えへへ、早く明日になったらいいのにね?」
「あ、う、うん! そ、そうだねぇ~♪」
……す、済まん、
頑張ってみようとは思ったんだが……だって、怖いんだもん……。