③
ヴィンクスは、とにかく帰路を急ぎに急いだ。
ただただ、空腹を満たす魅惑のパン達が入ってる
「ヴィンクス先生⁉︎ スバルさんのパン屋に行かれてたのですね⁉︎」
「うちの依頼は⁉︎」
「買いに行く余裕が出来たと言うことは、納期は⁉︎」
が、自分の店に近くなると、依頼者達の目にも入ったらしく口々に声を掛けてくる。
そう言う彼らには、今構ってる暇はないのでお決まりの返答をすることにしていた。
「今日は営業終了だ!」
大声で一言告げれば、向こうから落胆する声がヴィンクスの耳にも届いてくる。
だが、ヴィンクスも
依頼されたポーションや付与をつけた武器や防具達はきちんと精製してから外出したのだ。
明日には、彼らの手元に届くよう商業ギルドの方に納品はしてある。
その仕事上がりに、好物のからあげパンを買いに行くぐらいいいだろうに。腕の良い錬金師と言うのも時には困った
(……だが、もうすぐ着く!)
裏路地に入り、入り組んだ道の角をいくつか曲がっていけば、
速度を少しずつ弱めてから店の前に立ち、ぼろぼろの白衣についてるポケットから、これまた薄汚れた銀製の鍵を取り出す。
それを扉の鍵穴ではなく、『店仕舞い』と書いた立て札の方に向けた。
『……我、【ヴィンクス=エヴァンス】。この店の所持者也、強結界解除を求む』
鍵が淡く銀色に輝き、札の方は同じ色の鍵穴が板の中央に出現。
ヴィンクスは迷うことなくそこに鍵を差し込んで、右に回した。
カチリと音が聞こえてくると、鍵と鍵穴がほぼ同時に強い銀の光を帯びる。
【マスターコード確認。所持者、『ヴィンクス=エヴァンス』の声紋及び魔力波長一致。強結界を弱結界にセーブします。どうぞ、お入りください】
抑揚のない女性の声だが、姿はない。
当然だが、これは魔術による擬似人格のようなものだから姿はないのだ。
声と光が完全に消えてから、ヴィンクスは鍵をポケットにしまい込んでドアノブに手をかける。
「やれやれ、もうこのやり取りも354679518回続けてきたが……改善点はないものか」
独り言をつぶやくのも仕方がないが、ヴィンクスがここに店を構えてから魔術構成は変えてても、解除と展開方法は特に変わっていない。
最も、ポーション屋として店を営んでいるために貴重品は下手したら宝飾店よりも多い。
だから、警備はつけられない代わりに、今のような結界を維持する擬似人格を設置するしかないのだ。
「さて、これを楽しみにしてるもう一人は……?」
店に入ってもすぐに灯りが付かないとこを見ると、ヴィンクス以上に空腹で疲弊しているのだろう。
「おい、カーニャ! 買ってきたぞ!」
空腹な時にあまり大声を出したくはないが、留守を守ってくれてる相手を思うのなら仕方ない。
すると、天井の一部が銀色に光り出して、そこから水面から顔を出すように、薄く透けた少女が顔を覗かせてきた。
『ヴィー、遅ぉ〜い!』
ヴィンクスに気づくと、少女はよいしょっと口にしながら天井部から顔だけでなく身体も出してきた。
髪も目も光と同じく銀色であるが、肌や精霊のような服装は絹糸のように滑らかな白。靴もなく素足で出てきてから、文句言いたげな表情でヴィンクスの方に飛んでくる。
「すまんすまん。買って帰るのもだが用もあったしな?」
『あ〜、たしかスバルに作ってもらう素材〜?だっけ?』
「そうだ。説明と提案で彼も結構はしゃいでいたよ。明日試食会を開いてくれるようだ」
『ずっる〜い! あたしも行きた〜い!』
「一部はもらってくるから我慢しろ、カーニャ」
カーニャと呼んだ少女は、透けて飛べるのはもちろんだが『人間』ではない。
ヴィンクスが幼少期に、とある森の水辺で見つけた一種の精霊だ。あの時は今の少女よりもさらに小さな
妙齢には程遠いが、種族故か美しい少女に変わりない。
今は、外に出ると
「とりあえず、食事にしよう。片付けは済んでるか?」
『もっちろ〜ん!』
食事と聞いた途端、ダラけた態度を一変させて快活に銀の瞳を輝かせる。
綺麗な指で来い来いとヴィンクスに指示しながら案内された場所は、出掛けた前とは明らかに違う精錬とされたリビングがあった。
(……気合いが入り過ぎだろうに)
それほど、
普段は、出不精、片付け下手のヴィンクスに合わせてなのか、魔窟のように散らかったままにさせているのに、ちゃんとした食事の時は別だ。
自身が無闇に外に出られない存在と自覚しているので、ヴィンクスがスバルのところへ行く時はこうして別次元のようにリビングだけでも掃除してくれる。
だが今日は、久しぶりのまともな食事なためか台所まで綺麗に整えてくれていた。
『はーやくはやくぅ! お皿取ってくるから〜』
「はいはい。ついでに適当なマグカップも頼む、カフェオレくらいは淹れよう」
『やった〜ぁ! ヴィーのカフェオレ〜!』
急かす彼女に好物の飲み物を提案すれば、宙で一回転してから食器棚の方へと飛んでいく。
別にカフェオレでなくてもいいのだが、飲み物がないとパンはむせてしまうから、だいたいは彼女の好むカフェオレにしている。
食器を用意してくれてる間にピカピカになった台所に入れば、ケトルには既に湯が沸かされてたのでカーニャが用意したのだろう。
ヴィンクスが、帰宅すればほぼ間違いなくカフェオレを淹れてくれると思ってか。
(……まあ、ある意味相棒だから行動パターンを読まれてても仕方がない)
念のためにコンロでもう一度沸かしておき、冷蔵庫の中から今朝届いた牛乳瓶を取り出した。
これを別の鍋で膜が出来にくい程度に温め、その間にコーヒー豆を出してると台にピンクと青のマグカップが置かれた。
「ミルク多めがいいのか?」
『ん〜、気分的にあっまいの!』
「なら、砂糖も二杯か」
ヴィンクスも気分的に少し甘い方が良かったので、コーヒーを淹れてから二つのマグカップに砂糖を二杯ずつ入れる。
そこに熱々に淹れたコーヒーを三分の一程入れて砂糖を溶かし、小鍋の温かいミルクを静かに注いでスプーンで軽く混ぜた。
出来上がったカフェオレを慎重に運んでいけば、リビングのテーブルではカーニャが今か今かとにこにこ笑顔で待っていた。
『今日は〜、からあげパン?』
「ああ。作り立てを全部買ってきた」
『やったぁ〜! 早く出して〜』
「はいはい」
カーニャの前と自分の座る場所の前にマグカップを置いてから、ヴィンクスはいよいよ例のからあげパンを取り出した。
薄茶の大きめの紙袋をテーブルに乗せ、中身をすべて取り出していく。中身はこれまた薄茶の包装紙に包まれた細長いモノが四つ。
うち二つには
「では、いただくか」
『いっただきま〜すっ!』
約二週間ぶりのまともな食事。
二人で思わず合掌してしまうが、その後の行動が早かった。
カーニャは印がついてた香味ダレの方を。
ヴィンクスは印がない塩ダレの方を。
包装紙を勢いよく剥がしながら、大口を開けてがぶりつく。
『おいひぃ〜〜‼︎』
「……やはり、美味いっ!」
同時に上がる、からあげパンへの賞賛。
塩ダレの方は、少し胡椒でピリッとするが添えてあるレモンの薄切りと食べると後味がさっぱりしてて、余計に食欲をかき立てる。
からあげ本体は、肉がとにかく柔らかで噛むと肉汁が溢れ出てきた。冷めてても、これはこれでふんわりしたパンとの相性が抜群。
普段はあまり食べない野菜でも、千切りキャベツがタレと絡んでるお陰で食べやすい。夢中で一つ食べ終わってしまった。
『ん〜〜、スバル天才だよね〜。効果もばっつぐん!』
カーニャも一つ食べ終えてたようだが、効果の言葉にヴィンクスも自身の体への変化を感じた。
ぼろぼろのレンズ越しに見えてたカーニャの笑顔がぼやけていったので、眼鏡を外せば完全ではないがカーニャがもう一つのからあげパンを食べてる様子がよく見えた。
たしか、塩ダレは視力回復かと思い、袋の底下にあるはずのメモを取り出すことにした。