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3.冬の物語

 その者、
 暗き太古の呪いを断ち切り、
 地の底 深くに眠る魂を
 解き放て。

 凍てついた魂は、
 暗き地下深くに眠る。
 その眠りを覚ます者はいない。
 ただ年月だけが流れ。
 七つの国が滅び、七つの町が土に還っても。
 その深き眠りを覚ます者はいない。
 人々は唄を忘れ、心を忘れ。
 ただ命なき風が、冬の荒野を吹きすさぶのみ。

 ここに。
 ひとりの若者が。
 地を掘る。
 掘り進んでいく。

 その者、
 暗き太古の呪いを断ち切り、
 地の底 深くに眠る魂を

 解き放て。


 目が覚めても夢の印象が残っている。
 私は失われた唄について考える。それから、凍えた街の片隅でつるはしを振るう孤独な青年について考える。その男の後ろ姿は、奇妙にもひどく私自身に似ている。
 私はぼんやりとした頭をかかえて身を起こす。
 時刻は夜明け前。外はまだ暗い。
 寒さはいつもの通りだ。
 昨日ともその前とも、指一本変わりない。お決まりの寒さがここにある。まるでここだけ厳密な低温管理をしているみたいに。
 部屋のあちこちから、いくつもの鼾が聞こえる。ひどい咳をしている者もいる。いやな咳だ。秋頃から流行りはじめた「第五種」と呼ばれる新型肺炎。またたく間に作業員の間に広まり、一昨日までに三つの宿舎が閉鎖された。が、おそらくまだ感染は止まっていない。あの咳がそれでなければいいのだが。
 起床ベルが鳴る前に、私はすでに食堂に下りてきている。冷たい金属のトレーに黒の大皿を載せ、集配カウンタからトーストとミルクを拾ってくる。いつものようにトーストは焦げすぎている。が、私はかまわず口に入れ、氷水のようなミルクで流しこむ。
ふと壁に目をやると、

  バター配給は十一月まで

 という張り紙が目に入る。
 そこに書かれている十一月とは昨年の十一月のことで、もうとっくにその紙をはがしてもいい頃だと誰もが知っている。が、特に誰もはがそうとはしない。そこに何もないよりは―毎朝ただ黒い壁を見続けるよりは少しはましだから、かもしれない。たぶんそうなのだろう。でもまあ、それもどちらでもいいことだ。私はそれ以上、その張り紙について考えることをやめる。

「二百十一号、到着しました」
 
 と私は極力大きな声で告げる。少しでも声が小さいと悪い作業場にまわされると以前に誰かに聞いた。真偽はさだかではない。が、声を出すことで、少しでも作業が楽になる可能性があるならば。それほど悪い投資ではない。
「二百十一号、到着」
 痩せた長身の監督官が事務的に復誦する。彼は手元のタブレットに目をおとし、イー・ペンシルでそこに何かを書き入れる。彼がその「何か」を終えるまで、私は直立したまま待つ。が、今朝に限って、ひどく時間がかかっているようだ。
―昨日の作業で何か不手際があったのだろうか?
 灰色の不安が頭をかすめる。手の内側に冷たい汗がにじむ。カチカチという不吉なペンシルの音だけが続いている。それはまるで、死刑官が紡ぎだす執行証書への署名を思わせる。それでもやがて監督官は目を上げ、薄い色の瞳で斜めに私を見やり、硬く尖った声で告げる。
「C乗り場へ。十分後に出る次の便を待て」

 C乗り場のデッキにはすでに五十人ほどの同僚たちが整列していた。
 私もその列に加わる。
 私のすぐ前で、ひとりの男が不吉な咳をしている。あの深い咳。「第五種」かもしれない。私はできる限りゆっくり深く息を吸い、呼吸の数を減らす。もちろんこんなものは気休めにすぎないし、この程度で感染は防げないことは知っているのだが。
 正確に十分後、移送カートが到着した。
私は二号車の後ろに場所をとる。車内はひどく混んでいる。
搭乗口が閉じると、まもなくカートは急加速して坑内に入っていく。一瞬車内が暗くなったあと、まもなく天井のライトが点る。

―来月から車内灯も規制されるらしいな。
―おお、先月の広報に出てたな。まったく……
 同僚たちがボソボソ話す声が私の耳にも入ってくる。
―エネルギー省は少しの電力の浪費にも神経質になっている…… 
―浮かせた電力はすべて「シティ」にまわすらしい…… 
―いやはや、そこまでやるかね……

 しかしいずれにせよ、車内灯はあってもなくても、私にとってはどちらでもよい。暗かったら暗かったで、とくに問題はない。私の生存には、まったく関わりのないことだ。
 十六番ポイントで一度下車し、七号線に乗り換えた。
今度のカートはそれほど混んでいない。それに五分ほど乗ってから、16R2という下車点でおりる。20人ほどの同僚たちとともに、一列になって前線の作業エリアに向かう。
 暗闇の所々に、安全な足場を示す緑のマーカーが見えている。
 マーカーに沿って歩く限り、転落の危険はない。
 ただし黄色のマーカーの箇所を歩く時には注意がいる。
 不用意に足を出すと転落の恐れがあるからだ。ここのように深いエリアで事故を起こすと、回収班の到着まですごく時間がかかる。深層では、地上なら何でもないちょっとした怪我が命取りになることもあるから、油断は禁物だ。
 それにしても。
 今朝の作業エリアは確かに見覚えがある。
「見覚え」というよりも、体が覚えている。
 何ヶ月か前に一度、確かにこの近くを掘った。
 巨大な岩盤を斜めに大きく迂回し、ぬかるんだ冷たい粘土層の上を長く歩き、足場の狭い危険なカーブを抜けていく。そのカーブを曲がるときのヌメッとした嫌な感じは前回と同じだ。
足を置く位地を少しでも違えると、簡単に黄色のマーカーを踏み越えそうになる。
 踏み越えたその下。
 無音の暗がりの下で何が待つのか。
 誰も知らないし、知りたくもない。
 そう、ここの匂いも覚えている。
 このあたりの土の匂いは、どこか火薬の匂いに似ている。
 あるいは本当に硝石が混じっているのかもしれない。
 全体にすごく嫌な感じのするエリアだ。私の体全体が、その嫌な気配を感じる。それは何か、岩や土くれが密かに抱く人間への悪意のようなものだ。
―あそこは土が悪いからな。
 古株の同僚たちは、こういうエリアのことをそう表現する。
 土が悪い、と。

 やがて最前線に到着する。
 以前に自分が来た時より、だいぶ奥まで掘り進んだらしい。
 仮設のコンベアがウィウィと重い音を発しながら土を流している。最初の到着班はすでに作業を開始していた。自分もそこに混じって、配給品のエアドリルで岩盤の下を打つ。あいわからず出力が低い。「アッパー・ハイ」に合わせても、回転数は一向に上がってこない。ま、これはいつものことだが。
 が、それでも。
 水気を含んだ岩は簡単に崩れる。拍子抜けるほど柔らかい。
 楽は楽だが、これくらい脆い場所は要注意だ。不用意に亀裂を増やすと、簡単に天井を落とす。もちろん即死だ。即死をまぬかれると、これはさらにたちが悪い。土と岩に身体を挟まれたまま、空気の悪い地下に閉じ込められて、寒さと疲労と出血でじわじわと死んでいく。数ある死に方の中でも、一番悪い死に方のひとつかもしれない。
 私は頭をふって、そういう不吉な連想をひとまず脇に追いやる。始めて十分もたたないのに、私はもう背中に大汗をかいている。

 そして午後。深度2500付近まで掘ったとき。
 ズズン……
 と、鈍い衝撃があった。
 それは不意に足の下からやってきて私の胃袋を揺さぶった。
 私はすぐにドリルの回転を止め、続いてやってくる衝撃に備えて姿勢を低くする。まわりの同僚たちも暗い地面で凍りついている。
 一分待った。
 揺れはやってこない。
 私が安堵のため息を漏らしたとき、不意にイヤホンが鳴り始める。
 ピリピリピリ。
 耳障りな電子音に続いて、冷たい機械音声が告げる。

 中央管制からの緊急放送。
 十四番ポイント付近で異常事象。隣接区画は注意喚起。作業区12番から18番、作業を中断。非常行動モードD。待機し、次の指示を待て。繰り返す……

―やっちまったな、ありゃ
―十四番ポイントって言うと、すぐこの下か?
―いや、下は二十番台だろ
―ずっと手前の左だ。R2分岐の奥
―しかし多いなあ、今年に入ってから
―だがまあ、これで今日は早く引き上げだろ
―だな。とっとと戻って横になりてえ

 私も内心、それを期待していた。
 早く戻って、早めの夕食をとり、さっさと入浴棟に行って。
 夜には六百十五号と昨日のチェスの続きをやりたい。
 昨夜まではあいつが若干優勢だが、次の二、三手を注意深く打てば、まだまだ私にも勝機はある。

 作業区ごとに担当の…… 
 Eデッキの昇降ハッチは通常の動作を継続…… 
 減圧…… 濃度は上がっているのか…… 
 七十です……  

 管制無線が混信している。ブツブツというノイズに混じって、脈絡のない雑多な声が行き交っている。その中に、該当ブロックの従事者十七という言葉が混じるのを私たちは聞いた。

―十七か
―ああ、十七だな
―全滅か?
―さあ、どうだか
―気の毒に

 暗がりの中で、同僚たちが呟きあっている。
 その声は少し重いが、重すぎるということもない。
 そこにはかすかな諦めと疲労がにじんている。
 もちろん私も気持ちが沈んだが、あまり考えても仕方がないとわかっている。いつだって落盤はあるし、そこには必ず作業員がいる。わかりきったことだ。今日にはじまった話じゃない。
 私はイヤホンだけ残してヘルメットを外し、濡れた石の上に座りこむ。少し離れた場所で、ひとりの同僚がひどく咳きこんでいた。さっきからもう二分以上、咳き込み続けている。しかし。
 それも彼自身の問題だ。私が心を痛めたところで、私には彼の苦しみを少しも和らげてやることはできない。
 半日の作業のあとで、私自身、ひどく疲労している。
 ああ、頭が重い。
 このまま眠れたらいいなと少し考えた。
 けれど、ここで眠るともう起きられなくなる気がして、ふと怖くなる。私はこわばった背中を無理やり伸ばし、襲ってくる眠気を脇に追いやった。それでも逃げていかないしぶとい眠気を叩くため、上の前歯できつく唇を噛む。
 
 私たちの期待は外れて。
 およそ三十分後、作業は再開された。
 落盤箇所からの作業員回収が順調に行ったのか、どうなのか。
 管制無線はそれ以上は何も教えてくれない。
 重苦しい空気を胸に抱いたまま、結局我々は夜の定時まで堀り続けた。
 自分が見た限り、この抗から出てくる鉱石の質は相当低いものだ。本当を言えば、最初の鉱区設計そのものが誤りだろう。が、しかしそれは私がどうこう考える問題ではない。
 それはたしかに、あまり意味のある作業とも思えないが。
 掘る。
 それが私の務めだ。
 掘る。掘る。
 ただそれだけ。
 他には特に、何かを考える必要もない。
 そうだ。もうとっくにわかりきったことだ。
 何を今さら―

 その夜。
 その日に限って、六百十五号は休憩室に下りてこなかった。
 私は消灯ぎりぎりの時間まで、部屋の隅のテーブルで待ち続けた。
 そのあと、とうとうらあきらめて自分の寝室に戻った。

―まずはポーンをF6に。それからクイーンをC3へ……

 ベッドに横になったあとも、私はチェスの戦術を頭に描き続けていた。
 そうだ。また明日。
 今日という一日ははもうこれで終わるけれど。
 また明日。
 明日、あいつと勝負の続きをやればいい。
 まずはポーンをF6に。それからクイーンをC3へ。
 それから、それから……

 翌日の夕方。
 普段より早く作業を終えて戻ると、六号寝室からあいつの荷物が残らず消えていた。ベッドもきれいに片付けられ、ロッカーについていた番号札も消えている。
「あの、すいません。ここ、どうしたんですか?」
 私はそこにいた男を呼び止めた。
「あ? 何のことだ?」
 男は、面倒臭そうにこちらを振り向いた。
「六百十五号。彼、どこか転属になったんですか?」
「六百十五? 知らんなあ。どいつのことだ?」
「ほらあの、ちょっと癖毛で、えっと、まあ、これといって特徴らしい特徴もないんですけど―」
「そいつかどうか知らんが、」
 部屋の奥から、別の男が声をあげた。
「あれじゃないか? 昨日の」
「昨日?」
「聞かなかったか? けっこう大きい事故だったらしい。十五人ほど、まとめて除籍になったって聞いたな。昨日の今日なら、ひょっとしたらそれじゃないか?」

 除籍。

 そうか。そういうことか。
 そのときになって。
 そのとき初めて、私は知る。
 六百十五号は。
 もういない。
 いない。
 地上にも、地下にも。
 どこにも。

―まずはポーンをF6に。それからクイーンをC3へ

 私は何時間も考え続けてきたとっておきの反撃策を、繰り返し頭に描く。何回も、何回も、何回も。

―ポーンをF6に。クイーンを……

 しかし。
 それでも。
 あいつがナイトを右後方に動かさない限り。
 あいつがビショップを左前に進めない限り。
 私のクイーンに出番はない。
 チェス板の上で、時は永遠に止まってしまった。
 兵士たちはもう、そこから先へも行けず、戻ることもできない。
 先へも行けず。
 戻ることもできない。
 もう、そこから戻ることも。
 
 私はひとつ溜息をついた。
 それから、もう少し大きく、二度目の溜息をつく。
 そのあとカップに残ったコーヒーをすする。久しぶりに配給されたコーヒーも、今夜はあまりうまくはない。
「おいあんた。いいからもう部屋に戻りな」
 消灯番に背中を叩かれるまで。
 どうやら私は、ずっとそこに座っていたらしい。
 私はゆっくり振り向いて、「すまない」と小さく笑った。
 チェス版はそのまま残して、私は席を立つ。
 残りのコーヒーは流しに捨た。
 カップを回収場所に戻す。
 暖房のない廊下に出ると。
 そこはひどい寒さだ。いつものように。
 そうだな。明日もまた、雪かもしれない。
 
 その夜、私はまた夢を見る。
 同じ夢だ。
 いつもの夢。
 このところ毎晩、同じ夢ばかり見ている。
 なぜだろう?

 凍てついた魂は、
 暗き地下深くに眠る。
 その眠りを覚ます者はいない。
 ただ年月だけが流れ。
 七つの国が滅び、七つの町が土に還っても。
 その深き眠りを覚ます者はいない。
 人々は唄を忘れ、心を忘れ。
 ただ命なき風が、冬の荒野を吹きすさぶのみ。

 ここに。
 ひとりの若者が。
 地を掘る。
 掘り進んでいく。

 その者、
 暗き太古の呪いを断ち切り、
 地の底 深くに眠る魂を

 解き放て。


「鉱区の全体図は手に入りますか?」
 
 その日も朝から雪が舞っていた。
 これでもう、二十四日連続の雪だ。
 朝食のとき、八十二号の耳のそばで言ってみた。
 八十二号はまるで聞こえなかったように、黒いテーブルの上に目を落とし、まったく無感情にスプーンを動かし続けている。僕がもう一度言おうか迷っていると、彼はちらりとも顔を上げずに言った。
「それがあったとして。あんた、何に使う?」
 僕はしばらく沈黙した。
 そのあと、何気ない声で答えた。
「ちょっと興味があって」
「興味?」
「地形とか。そのあたりに」
「ふん、下手な嘘だな」
 八十二号は吐き捨てるように言った。そのあとはもう、私の方に少しの注意も向けることなく、黙々とシリアルを食べ続けている。そこには少しの感情も読み取れない。規則正しく動く手先は、まるで何かの厳粛な儀式を行う機械ようだ。
 私はひとまずあきらめて。
 冷たいミルクをまっすぐ胃に落としこみ、ひとりで立ち上がった。
 回収場所にトレーを置いて食堂を出ようとしたとき。
 後ろから誰かに肩を叩かれた。
「振り返らなくていい。そのまま聞け」
 その声が言った。
「六十。来週までに用意できるか?」
「……それなら何とか」
「一枚足りなくても、この話はなしだ。いいか?」
「はい」
「なら、もうこのことは一切しゃべるな。一週間、俺の顔も見るな。いいな?」
「はい」
「よし。じゃ、もう行け」 
「はい」

 次の週のある夜。
 シャワー棟から部屋に戻る途中で。
 後ろから歩いてきた誰かが、私を追い抜くときに。
 何気なく、黒い封筒を私の腕に押しつけた。
「六十」
 男は私の顔を見ずに言った。
「今夜寝るとき、ベッドの左の窓際に置け。適当な何かに包めよ」
 それだけ言うと男は足を早めて。
 十一号宿舎の方に曲がって見えなくなった。
 まったく私の知らない男だった。
 私はは手の中に残された封筒に目を落とし、ひとつ、小さく息を吐いた。
 一歩前進、か。
 あるいは後退か。
 どちらかは、まあ、そのうちわかるだろう。
 そう、そのうちに。
 
「ありがとうございます」
 
 私は八十二号に耳をよせて言った。
 彼は朝食の手を一瞬休めて、左の手を上げて僕を制し、「もういいから余計なことは言うな」という仕草をした。窓の外では音もなく雪が降り続いている。これでもう、三十日以上降り続けていることになる。気温は今年の最低を記録。寒い朝だ。

―寒波で排気系があちこちやられたらしいな
―ああ。重マスク装備の工区が四つ増えたらしい
―かなわんな
―まったく。あのマスクじゃ、仕事にもならねえ
―新品の支給品は来てるが、事務方が横流ししてるってな
―おい滅多なこと言うな。先週から委員会が入ってるらしいぞ
―バカ。そんな話は今に始まったことじゃないさ
―そういうテメエが委員じゃねえのか?
―バカ言うなって……

 同僚たちの他愛のない会話を、私は耳の端で静かに聞いている。
 委員会か。
 もしそれが本当なら。
 まずい時期に入って来たものだ。
 しかしまあ、それもまた、ただの根拠のない噂かもしれない。
 そういう噂はこれまでもあった。
 これからも、この先も。
 ここが続いていく限り、いくらでもあるだろう。
 ここが続く限りは、いくらでも。

「おい」

 私が立ち上がろうとしたとき。
 八十二号が私を呼び止めた。
 意外に思って、私は彼の顔を見返した。
 白髪の多いもつれた髪。
 皺の刻まれた乾いた額。
 目の下にできた大きな赤い隈。
 今朝の八十二号は、いつもよりさらに、いっそう年寄臭く、くたびれて見えた。まるで使い古しの衣類のようにも見えたが。

「まあ何だっていいが、死ぬなよ、お前」

 八十二号は、私の目をまっすぐ見た。
 彼の瞳の中に。
 熱く輝く何かが見えた。ほんの一瞬だけ。
 しかし私は。
 その一瞬の光を見逃さなかった。
 その光。
 私はそこにひとつの魂を見た。
 彼の目を見返し、
 私ははかすかに微笑んだ。
 本当に久しぶりに、心から。

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