うそつきピエロ㉒
とある路地裏。 この場には、コウと日向の二人だけがいるはずだった。 だけど今コウの目の前には、日向だけでなく未来もいる。 それと――――もう一人の少年。
コウが日向に斬られるという直前で、突然彼はみんなの前に現れた。
その彼の名は――――色折結人。
―――どうしてッ、ユイがここに・・・!
コウが驚いて動くことができなくなったのも束の間、結人は日向によって何度も何度も斬られている。 彼は目の前に立って――――コウを守ってくれたのだ。
こんな自分を守るために――――結人は自ら、斬られにいったのだ。
「・・・ッ!」
日向も突然結人が現れたことにより、少し驚いた表情をして動かす手のスピードを遅めたが、それは一瞬の出来事ですぐに気持ちを切り替え、元の態勢に戻す。
それも――――先刻とは変わらず、なおも不気味な笑みを浮かべながら。
「お、おい・・・ッ! ユイ、何をやってんだよ!」
そしてコウはこの状況をやっとのことで把握し、慌てて結人に声をかける。
彼はコウの目の前にいるため様子までは分からないが、きっとたくさんの切られた跡があることだろう。
それを見るのが苦しく、この場に耐えられずに結人を横へ押し倒そうとした。 彼ではなく、自分自身が斬られるようにするために。
「ッ、ユイ止めろ!」
覚悟を決め結人に触れようとした、その瞬間――――彼はコウの方へ、顔だけを一瞬向けて睨んできた。
「ッ・・・」
―――何だよ・・・その目。
そんな表情に驚いて何も言えず、結人を押し倒すことすらもできずにいると、突如彼はコウに向かって大きな声を張り上げる。
「ったく、コウは何をしてんだよ! 危ねぇからあっちへ行ってろ!」
―――・・・え?
「うッ・・・」
結人はそう言葉を発した瞬間、後ろにいるコウの腹を目がけて肘打ちをしてきた。 それも、手加減なんてない――――強烈なものを。
本来ならその攻撃を避けることはできたのだが、今はあまりにも距離が近過ぎて彼の腕の動きが見えなかったため、回避することは不可能だった。
肘打ちを食らわされたことにより、コウは一歩下がって思わずその場に跪いてしまう。
立つこともできず、自分の腹を抱えたまま結人の後ろ姿をぼんやりと見つめていると、彼は突然何かをぶつぶつと言い出した。
「見ろ・・・。 見るんだ・・・。 俺なら、止められる・・・!」
そう呟いた瞬間――――結人は素手で、日向の持っているナイフの刃を掴んだ。
―――なッ・・・!
―――それは有り得ないだろ、何をやっているんだユイは・・・!
当然、ナイフを掴んだ左手からは大量の血が流れ出ている。 そして結人は、日向に向かって声を荒げた。
「おい日向・・・! お前、俺のダチに向かって何てことをしてくれてんだよ!」
いきなりナイフを躊躇いもせず握ってきた結人に対し、日向は――――
「いや・・・! ち、違う・・・。 俺は・・・俺は、何もやっていない・・・! な、何なんだよお前・・・ッ!」
彼はおどおどとした口調でそう口にし、ナイフを投げ捨てこの場から走って去ってしまった。
そして日向の姿が見えなくなっても、ここにいる者は誰も言葉を発さない。 だが――――気まずい空気が流れ続ける中、ある人物がこの沈黙を静かに破る。
「よか、った・・・」
それを口にしたのは――――結人だ。 そう発言した後彼は緊張が解けたのか、力なくその場に崩れ落ちそうになる。
「ユイッ!」
コウは腹の痛みがなくなり動ける状態になったため、結人のもとへ駆け寄り倒れる前に彼の肩を掴み支えた。 そして自分に上半身を預ける状態で、結人をその場に座らせる。
彼の身体にはやはり、日向によってたくさん斬られた跡が残っていた。 だが結人は分厚いパーカーを着ていたため、あまり出血はしていない。
一番酷いのは、最後にナイフを握った――――左手だった。 彼は出血を少しでも止めようと、自分の白いパーカーをずっと握り締めている。
そのパーカーは白ではなく、もはや赤いパーカーになろうとしていた。
「・・・ユイ、どうして・・・こんなこと・・・」
コウはこうなることを望んでなんかいなかった。 今までみんなを守ってきたのに、結人がこんなにやられては意味がない。 そう――――全ては自分のせい。
やはりあの時、結人の攻撃を避けて無理矢理にでも彼を突き飛ばしていればよかったのだ。
―――どうしてあの時の俺は、避けることができなかった・・・。
―――俺なら避けることができたはずだろ!
「・・・コウ? 別に、コウのせいじゃねぇよ?」
「え・・・?」
結人はコウの心を読み取ったかのように、心配そうな表情をしてそう口にする。 その声はとても小さく、今にでも消えてしまいそうな、か細いものだった。
だがその言葉に対して何も返せずに黙っていると、結人はコウのことを見ながらゆっくりと語り出す。
「・・・なぁ、コウ・・・。 コウは、いつになったら俺らに頼ってくれるんだ?」
「・・・え」
「・・・俺ら、ずっと待っているんだぜ? ・・・コウが、俺・・・。 いや、俺と優に・・・頼ってくれんのを」
「・・・」
「・・・コウはさ、まるでピエロだよな」
そう言って、結人は力なく笑った。
「・・・は?」
意味が分からず、コウは素直に聞き返す。
「道化師じゃなくて、ピエロだよ」
「・・・何を言ってんのか、全然分かんねぇよ」
結人のことを見据えながらそう言うと、彼は再びゆっくりと語り始めた。
「道化師と、ピエロの細かい違いってさぁ・・・。 メイクに涙のマークが付くと、ピエロになるんだってよ・・・」
「・・・」
コウは黙って、結人の話を聞き続ける。 すると彼は――――コウに向かって、こう言ったのだ。
「・・・涙のマークは・・・ピエロは、馬鹿にされながら観客を笑わせているけど・・・その涙には、辛くて悲しいっていう意味を、表しているんだって」
―――その、ピエロが・・・俺?
結人は一度コウから視線をそらすが、もう一度目を合わせる。 そして先刻とは全然違う、優しい目でコウを見つめてきた。
「コウ・・・。 本当は、泣きたいんだろ?」
―――何を言ってんだよ・・・ユイは。
(・・・あぁ、泣きたいさ)
「別に、泣きたくなんてない」
「・・・苦しくないだなんて、嘘なんだろ?」
―――どうして、どうしてユイは、俺の気持ちが・・・。
(・・・あぁ、嘘だよ)
「嘘なんて一つもついていない!」
「なぁ、コウ・・・。 大丈夫だよ」
―――・・・何を言ってんだよ、大丈夫なもんか。
(・・・何が、大丈夫なんだよ)
「ユイ、さっきから何が言いたいんだ」
「・・・いつも俺たちには見せない、その表情の下・・・。 仮面の下の、コウの隠していた本当の素顔を・・・俺に見せて?」
―――どうしてッ、ユイは、俺の気持ちが・・・こんなにも、分かるんだよ。
(本当の素顔・・・。 ユイ、これが俺の本当の素顔だよ?)
「何、言って・・・」
「苦しい時は、泣き叫んでいいんだよ」
―――何で、俺にそんな優しい言葉をかけてくれるんだよ。
(・・・叫びたいよ)
「は・・・?」
「殴られたり、蹴られたりした時は『痛い』って、言ってもいいんだよ?」
―――何を、言ってんだよ・・・。
(・・・あぁ、すっげぇ痛かったよ)
「止め、ろ・・・」
「苦しいなら『苦しい』って、言ってもいいんだよ。 怖いなら『怖い』って、言ってもいいんだよ」
―――おい、何を・・・言ってんだよ・・・。
―――そんなことを言われたら、俺が・・・。
(・・・苦しいよ、怖いよ)
「止めろよ・・・」
「大丈夫。 大丈夫だよ。 素顔を出すことを、怖がる必要なんてない。 恥ずかしがったり、強がる必要もない」
―――俺が、俺じゃなくなる・・・ッ!
―――・・・だから、だからもうこれ以上は!
(俺は・・・痛い、苦しい、怖いっていう言葉を・・・言ってもいいのか?)
「頼むから、止めてくれ・・・!」
「・・・コウ。 ・・・もう二度と、嘘をつけないようにしてやるから。 今まで・・・苦しい思いをさせちまって、本当にごめんな?」
―――・・・どうして、そんなことが言えるんだよ。
(ユイ、お願いだ。 ・・・本当に、俺にもう嘘をつけないようにさせてくれ。 ・・・苦しくて、しょうがないんだ)
「俺は・・・ッ!」
「大丈夫。 無理に笑わなくてもいいんだよ。 ・・・俺はずっと、コウの味方なんだから」
―――どうして・・・ユイには、何でもバレちまうんだろうな。
(偽りの笑顔なんて、もう作らない。 ユイは・・・本当に、ずっと俺の味方でいてくれるのか?)
「そんなこと・・・知らねぇよ・・・」
「・・・もう、無理しなくてもいいんだよ」
―――ユイが・・・俺を、変えてくれるのか?
(ユイ・・・。 俺、このままだともう)
「・・・ユイ」
「大丈夫。 ・・・涙、我慢しなくてもいいんだよ? ・・・俺も、一緒に泣いてやるから、さ・・・」
そう言って、結人は笑いながら静かに涙を流した。 そして、彼につられ――――コウも、涙を流してしまった。 コウは――――こういう優しい言葉を、かけてほしかったのだ。
『もういいんだよ、無理しなくても大丈夫だよ』と。 『素直に気持ちを、言ってもいいんだよ』と。 それを全部――――彼が今、言ってくれた。
結人が見つけてくれた、コウの本当の素顔。 忘れかけていた本当の素顔を、彼が見つけてくれた。 結人が言ってくれた『大丈夫』 その言葉は、まるで魔法のようだった。
この言葉のおかげで、コウは救われたのだ。
―――もう俺は・・・素直になってもいいんだよな。
―――痛かったら『痛い』って。
―――苦しかったら『苦しい』って、言ってもいいんだよな。
―――俺はもう・・・一人で、抱え込まなくてもいいんだよな。
そしてコウは――――知らない間に、自分の口からこんな言葉が出ていた。
「・・・ユイ、助けて・・・。 俺、もう苦しいんだ・・・」
こんな言葉は言いたくなかった。 口になんて、出したくもなかった。 自分の口から、そんな言葉が出るなんて――――反吐が出そうだった。
こんなに弱い自分が、とても嫌いだった。 だが結人は――――そんなコウに対して、優しい口調でこう言ってくれたのだ。
「あぁ。 ・・・もちろんだよ、コウ」
「ッ・・・」
結人は、こんな自分を認めてくれた。 こんなに弱くてどうしようもない自分のことを、認めてくれた。 そう思うと――――コウはまた、涙がこぼれた。
―――ユイ・・・ありがとう。
―――・・・本当の俺を、見つけてくれて。
―――俺はもう、無理なんてしなくていい。
―――ユイにそう言われて、俺は嬉しかったよ。
―――本当にありがとう。
―――この恩は、返しても返しても返し切れないかもしれない。
―――それに俺、ユイと同じ結黄賊のメンバーで・・・本当によかった。
コウが結人を支えながらずっと涙を流していると、既に泣き止んでいた結人は小さな声で小さく笑いながら――――こう言った。
「・・・ほら。 嘘つきピエロは、もういない」