再会2
かなりの速度で魔境を移動する二人。暫くすると水の音が聞こえきて、二人は音の発生源へと近づいていく。
「川、ですか?」
「うん。これは支流だから、これを遡上して本流に向かい、そこから更に河に沿って上流へと移動していくんだよ」
「その先に死の支配者が居るので?」
「そうだよ。この水はそこから流れているからね」
「そうなんですか・・・これは飲めるのでしょうか?」
「んー、そのままの飲用はお勧めしないかな」
「飲めることは飲めるのですね」
「まぁ、いくら死の支配者の居住地を通過しているからって、水質が変わっている訳ではないからね」
二人は到着した支流の流れに逆らって移動していく。
広大な平野に流れる川に沿って移動していくも、本流から支流へと分岐している地点はかなり遠い。
「・・・ここには死者が居るのですよね?」
「そうだよ?」
「魔境に入ってから随分と進んだと思うのですが、それらしい存在はみつけられないのですが?」
遮る物のほとんど無い平野をどれだけ進もうとそれらしい影がみえないことに、プラタは堪らずソシオに問い掛けた。
「うーん、それは多分歓迎しているからじゃないかな?」
「歓迎?」
「そう、歓迎。死の支配者がプラタを招いているってことさ」
「・・・・・・」
「ん? どうした? 恐くなったなら帰るかい? 逃げても彼女は追いかけては来ないと思うよ?」
歩きながら首を僅かに動かして、ソシオはちらりとプラタの方へと流すように目を向ける。
「いえ」
「そ? なら行くよ。もうすぐ本流が見えてくる頃だから」
ソシオは顔を前に戻すと、足を止める事無く進んでいく。暫くすると、途方もなく大きな河がみえてきた。
「この河には魚が生息しているんだよ」
そう言ってソシオは足を止めると、水面を指差す。そこには巨大な魚影が映っていた。
「こんな場所に生息しているだけに、ここの魚はとても強くてね。水の中では君より強いかもしれないよ?」
ソシオはプラタの方に顔を向けると、試すように薄く笑う。
「ならば水中で戦わなければいいだけの事です」
「そうだね。その時の状況を想定するのは大事だけれど、そうならないようにする方がもっと大事だ。・・・でも、それじゃあ駄目なんだよね」
「どういう事でしょうか?」
「君やぼくではその程度、ということさ」
ははっと皮肉げに小さく笑うと、ソシオは疑義の念を抱くプラタを無視して歩き出す。
「ねぇ、プラタ」
「何で御座いましょうか?」
暫く無言で前を歩いていたソシオは、前方に顔を向けたまま、後方のプラタに声を掛ける。
「ぼくらは一体何をみて、何をしてきたんだろうね?」
「と、仰いますと?」
「ぼくらはここを知らなかった。いや、正確には昔に少しみた訳だが、それでも知らなかった」
「そうで御座いますね」
「視野が狭かったとは思わないかい?」
「・・・こうなった以上は、そういう考えも浮かんでしまいますね」
「そう。だから気づかなかった」
「気づかなかった、ですか?」
「知っているかい? プラタ。この世界は少し前に変わったんだよ」
「どういう意味でしょうか?」
「そもそもこの世界は何だ? ぼくらは何だ?」
「何だ、と申されましても・・・」
ソシオの問いに、プラタは困惑した声を返す。
「そう。そんなんだからぼくらは駄目だった」
自嘲するような声音でそう返すと、ソシオは顔を上げる。
「世界が壊れかけている事も、奪われようとしている事も、何もかもを知らなかった。だから選ばれる事はなかった」
「どういう・・・」
「・・・ふむ。何でもないよ。さて、そろそろ見えてくるよ」
プラタの疑問には答えずに、ソシオは河の先を指差す。そこには、遥か遠くに薄っすらと輪郭が浮かび上がっているモノがあった。
「あれは・・・山、ですか?」
遠くに見えるのは、天に届いているのではないかと思えるほどに高い山で、頂上は雲に隠れていて確認することが出来ない。それに高さだけではなく幅もあり、もしもソシオが示さなければ、あれを山だとは気がつかなかったかもしれない。
「そう、山だよ。そして、死の支配者が住まう山。正確には山の中にだけれども」
「あの山の中ですか」
「山全体が居住地とも言えるけれど、彼女が住んでいるのは、山の中から入れる地下なんだよ」
「そうでしたか。しかし、あの山からは妙な空気を感じますね」
プラタの言葉に、ソシオは小さく笑う。
「あそこには魔力が漂っているからね。それも、ぼくらの生み出す魔力とは違う魔力が」
「違う魔力・・・ですから、死の支配者の眷属が使用した魔法は見たことないモノばかりだったのでしょうか?」
「それも一因だろうね。でも、あれはここの魔力というよりも、死の支配者の影響が強いかな」
「あれはみたことのない魔法でしたが、死の支配者とは・・・答えて頂ければいいのですが」
「まあもっとも、眷属の魔法と彼女の魔法もまた別物だが。眷属の魔法は彼女の魔法に近いが、それでも結構な割合でぼくらの魔法が混ざっているね」
「そう、ですか?」
「・・・まぁ、彼女の魔法の主張が強すぎて、ぼくらの魔法は判りにくいからね」
ソシオは軽く肩を竦めると、大分近くなった山を見上げる。
「さて、そろそろ入り口に到着するが、準備はいいかい?」
「はい。それは元より出来ております」
「ならいいけれど」
ソシオの含みの在る物言いにプラタは疑問を抱くも、その答えは直ぐにその身に襲い掛かってきた。
「ッ!! これは何ですか!?」
痛覚など存在せぬ身のはずなのに、上から押さえつけられるような感覚を覚え、プラタは辛そうな声を出す。
「・・・これが死の支配者だよ。でも、これでもまだ普段よりも抑えられている方だけれど?」
そんな中でも、ソシオは平然とした顔で答える。
「これが・・・」
「そ。そっちの方に行ってる時は、ほぼ全ての力を抑えてるからね」
「・・・・・・」
その事実に、プラタは言葉を失ったようにソシオの方を見る。
「普段はもっと力を出してるんだよ? 今日は君に配慮しているんだね」
「・・・ここに来た事が?」
「勿論。見学させてもらったよ」
「そう、なのですか」
「君も見学させてもらうといいよ。意外と面白かったし」
ソシオは小さく笑うと、山へと入っていく。その後を重い足取りでプラタが続く。
「途中で色々と会うと思うけれど、まあ気にしないでね」
「色々?」
「ここを護ってる者達さ」
「護る者、ですか」
当たりを見回すプラタだが、山の中はまばらに木が生えているだけで、特に何かが居るという事はない。
「ここには居ないよ。もうすぐ山の内部に入るから、その先からだね」
「そうですか」
重圧を感じるほどに強い魔力が立ち込める山を進む事暫し。
ありえないほどに高い山の一合目の途中で奇妙な感覚を覚え、ソシオは足を止める。一合目といっても、数百メートルは登っただろう。
足を止めたソシオは虚空に手を伸ばすと、何かを掴もうとするかのように手を動かす。それを暫く行うと何かを捉えたのか、徐に手を握りこんだ。
「さ、行くよ」
突如として眼前に現れた、人一人が通れる大きさの楕円形の歪みの中へとソシオが入っていくと、それで姿が消える。
「転移? ・・・いえ、少し違いますね」
プラタはその歪みを少し観察すると、ソシオの後を追って歪みの中へと入っていった。
「来たね」
歪みの先に広がっていたのは、真っ暗な世界であった。そんな中でも、ソシオの明るい声が響く。
「明かりは必要かい?」
「いいえ」
「そっか」
それだけ確認すると、ソシアは歩き出す。
暗闇の中で聞こえてくるのは、ソシアとプラタが移動する際に微かに起きる足音や衣擦れの音と、何かが蠢く様々な音。
「あれがここを護る者達、ですか?」
「そうだよ」
周囲に薄く響く硬質な音に粘着質な音、何かを引きずるような音などの発生源へと意識を向けたプラタの言葉に、ソシアは頷く。
「どれも君よりも強いだろう?」
「・・・そのようです」
「君ぐらいの強さで、ここを護っている者達の中では下の方かな」
「・・・これは死の支配者が調整したもので?」
「そうだよ。困ったものだよね」
ソシオは振り返ることなく、苦笑するような声音で返答する。
「なるほど。世界が変わったという事の一端を知った気分です」
「まあね。これもまぁ、そうだね」
二人は歩きながら会話を続けると、急に静かな場所に出る。
「もう少し先に行けば、死の支配者が待っていると思うよ」
自分達が出す微かな音がうるさく聞こえるほどに静謐な暗闇の中を二人は進むと、重圧が急激に強くなる場所に到着した。
「さぁ、対面だ!」
暗く広いその部屋の奥に、ひとつの強大な気配があった。それは奥に在る数段高い場所に設置されている見事な造りの椅子に腰掛け、入り口から近づいてくる二人をじっと眺めている。
それをソシオは意に介さず、しかしプラタは僅かな緊張を持って近づいていく。
「ようこそいらっしゃいました」
会話をするだけなら十分な距離まで近づくと、奥に座している女性が歓迎の声を上げた。
「ここが貴女の居城ですか」
「ええ。いい場所でしょう? 少々入り口が判りにくいのが難点ですが、少しは判りやすいようにしておきましたので、大丈夫でしたでしょう?」
「山の途中で感じた、奇妙な引っかかりの事でしょうか?」
「ええ。普段はあんなものは無いのですよ。しかし」
そこで女性は目をプラタからソシオへと動かす。
「貴方が一緒に来るのでしたら、あれは不要でしたね」
「判りやすくていいじゃないか」
「ま、もう消しておきましたが」
ソシオからプラタへ視線を戻した女性は、歓迎するように両手を広げる。
「改めましてようこそいらっしゃいました。あまりに遅くて退屈していたところですよ?」
「それは失礼いたしました。それでしたら、この場所を示した地図などを用意して頂けましたら、もっと早くに来れましたのに」
「ああ、それは気が利きませんでしたね。てっきり直ぐに辿り着くものだとばかり。どうやら、相手を過大に評価してしまうのは私の悪い癖のようですね」
にこりと笑みを浮かべる女性に、プラタは軽くお辞儀を返す。
「でしたら、矮小なるこの身に御教え願いたいのですが」
「何でしょうか?」
「貴女は一体何者なのでしょうか?」
「何者? 幾度か同じように答えたと思うのですが、私は死を支配する者ですよ?」
「御教え願いたい事はそちらではなく、貴女のその出鱈目な力についてです」
「ふむ」
「貴女の力はあまりにも突出し過ぎています。その力をどうやって手に入れたのかを知りたいのですが」
「そうですね・・・別に特別お教えする事もないのですが」
「どういう意味でしょうか?」
「そのままですよ。私は生まれながらに私なので」
「つまり、最初からその力を有していたと?」
「そうね。そういう事よ」
「では、一体誰がその力を?」
プラタの問いに、女性は小さく笑う。それは、こいつは何を言っているのかとでも言うような、そんな嘲笑混じりの呆れた笑みだった。
「それは本心で言っているのですか?」
笑いを堪えているような声で女性はプラタに問い返す。
「勿論ですが?」
それに何がそんなにおかしいのかと訝るプラタ。そんなプラタの真意を探ろうと女性は観察するも、本当に理解していないと知って、遂に堪えきれなくなって笑いだしてしまう。
「アハハハハハハッ! いや、すみません。でも、まさか本当にそんな分かりきった事を真面目に聞かれる日が来ようとは思ってもみなかったもので。それも貴方ほどの存在に」
口元とお腹を押さえ、身体を曲げて笑った女性は、中々引いてくれない笑いに呼吸を僅かに乱しながらプラタへと言葉を紡ぐ。
「そんなの決まっているではないですか。というよりも、私ほどの存在を生み出せる方など、この世にただ御一人だけですよ」
人の身である半身の目元に浮かんだ涙の粒を人差し指で拭うと、女性は呼吸を落ち着かせて改めてプラタの方に顔を向ける。
「オーガスト様ですよ。私を創造せし、この世で最も高きに御座す、いと尊き偉大なる御方は」
「・・・・・・なるほど。確かに、当たり前の答えでしたね。貴女ほどの存在を生み出せる者など、御主人様以外には考えられない」
女性の答えに、プラタは深く納得したと頷いた。
「だからこそ、私は貴方の主が赦せない」
そこに、急激に温度が下がったような鋭利な声が掛けられる。
「至尊なる我が君の尊き玉体を未だにのうのうと占拠し続ける愚物が」
女性は珍しく心底嫌悪しているような声を出す。
「せめて理解しているのであれば我慢も出来ましょう。しかし、あれは何も理解していない。確かに力があるのは認めましょう。私にとっては些末なモノでも、中々に大きな力です。しかし、ただそれだけの存在でしかない」
「・・・・・・」
女性の言葉にプラタは反応を示すも、言葉にまではしない。それは女性の言葉がまだ続いていたから。
「あれだけの力に、他とは違う世界。それだけ用意されて他と何も変わらないなど・・・。ただ、それを我らが神がお認めになっている以上、私から手出しつもりはありませんが。それにしてもあまりに粗末な・・・」
苛立つように拳を握る女性。
「ご主人様はまだ記憶を取り戻したばかりです。ですので、力の使い方が覚束ないのも致し方ない事でしょう」
それにプラタがそう言葉にすると、女性は目を細める。
「流石は何も理解しないだけあり、理解しない者の理解者ですね。しかし、貴方と貴方の主では、視えている世界が違うのですよね」
女性は鼻で笑うように言葉を紡ぐ。
「視えている世界ですか?」
「ええ。貴方のように魔力でしか世界を視ることが出来ない古い眼も十分に価値はありますが、それではあの眼は理解出来ないでしょう」
「その眼を持っているのは、君とオーガスト様だけだがね」
「貴方も頂けばよろしいではないですか? 授けてくださるかどうかは別の話ですが」
優越の笑みでソシオの方を見る女性。その笑みは、授けられる訳がないと知っている勝者の笑みであった。
「その眼で視える世界というのは、どのような世界なのでしょうか?」
「ふふ。新たな世界ですよ。この世界の理を知る手がかりとなる」
「世界の理ですか?」
「ええ。ですが、普通はたとえそれが視えたとしても、そこには到達出来ないと思うのですが・・・流石は愛しき我が君です」
そう言うと、女性はほぅと熱を帯びたため息を吐く。
「一応言っておくが、あれに訊いても答えてはくれないよ」
そんな女性の前で、ソシオがプラタにそう教える。
「ソシオ様は御存知ないのですか?」
「知らない訳ではないが、理解している訳ではないよ。それに、知ったところでぼく達には何も出来はしないし」
寂しげに肩を竦めたソシオは、視線を女性の方へと向ける。
「それで、プラタをここに案内した目的は何だったんだい?」
「目的?」
「何か用があったから招待したんじゃないのか?」
「用事ですか・・・特にありませんね」
思案するように僅かに小首を傾げた女性ではあったが、特に何も思い浮かばずにそう告げた。
「それじゃあ何の為に招待したんだ?」
「ここまで辿り着けるかどうかを調べたかっただけですよ」
「それで、到着した感想は?」
「最初に言いましたが、遅かったですね。ですので、期待外れです」
「期待していたのか」
「多少は」
「そっか」
そんな二人の会話を静かに聞いていたプラタは、少し考え質問する。
「ここに来る途中に居た者達は貴女が調整したと聞きましたが、事実ですか?」
「ええ。それぐらいは容易い事ですよ。まぁ、弱くする方は難しいのですけれど」
「どうやったので?」
「ちょっと弄っただけですよ。存在自体に介入してしまえば造作もない事です」
「存在に介入ですか?」
「ええ。詳しい話はしませんよ。ただそれだけです」
「・・・そうですか」
「さて、ここに来た時点で貴方への用件は済んでいるのですが、貴方からは何か用件はないのですか?」
「・・・では御尋ねしたいのですが、貴女の行動は御主人様の、オーガスト様の御意思なのでしょうか?」
「いいえ。我が君は私に強制も命令もしてくださりません。ですので、これは私の意思です」
「そうですか」
「それで、他には何かありますか?」
「でしたら、この地を見学させて頂きたく」
「ああ、それなら容易いですね。直ぐに案内をつけましょう。貴方はどうするので?」
「ぼくも一緒について行くよ」
「そうですか。それなら貴方からも案内をよろしくお願いしますね」
「分かったよ」
ソシオが了承したのを確かめた女性は、手を叩き奥から一人の女性を呼び出す。それは暗褐色で爬虫類の様な艶めかしい肌を持つ女性であった。
「この地をその二人に案内してあげて」
「畏まりました」
女性の言葉に恭しく頭を下げると、奥から現れた女性はプラタとソシオと共に部屋を出ていく。
「・・・・・・しかし、本当に期待外れでしたね。これは評価を改めなければ」
三人の背を見送った女性は、誰も居ない空間で、つまらなさそうにそう零した。
◆
南側への見回りも、北側への見回りと大差ない。大結界は人間界全体に張られている訳だし、ここの魔物の活動範囲も東側の平原全域なのだから当然だが。
警邏する兵士達に、討伐任務に勤しむ生徒達。様々な学園の生徒達が混在しては居るが、実力はそこまで大きな差はなく、見事なまでに一定以上一定以下しか居ない。
あっさり死なれても困るだろうから、平原に出る規定はあるのだろうが、それでも上が居ないのは、ただの人材不足だろうか? ペリド姫達ほど突出したとまでは言わないが、これでは人間界の将来が不安だな。
そんな多少の凹凸は在ろうとも横並びの生徒達を眺め、警邏している兵士達に眼を移動させる。
こちらは流石に生徒達よりは強いが、それでも生徒達が成長した先程度の強さか。
「・・・・・・」
目下の警戒対象が死の支配者の女性である為に、それがいつも以上に頼りなく思えてしまう。まあそれを言ったらボクも実力が足りていないのだが。
北側同様に何事もなく昼が過ぎ、見回り初日が過ぎていく。プラタは大丈夫だろうかと思うも、まだ一日ぐらいしか経っていないのだ、そんな直ぐには帰ってこないだろう。
今は待っているだけしかできないので、大人しく待っていよう。ただ、ここで問題が発生する。いつもであれば、彫刻をするなり読書をするなり魔法の研究をするなりと何かしらしているのだが、今はそれらが止まっている事だ。
彫刻はあれからシトリーとまだ会っていないので、先送りにしたままだ。本も補充していないし、研究は小規模なら可能だが、あれはまだ未知な部分が大きいからな、こんな場所で行ってもいいものか判断に迷う。
他には、平原の観察は既に魅力を感じない。まだ読み終えた本を読み直す方が意義を見出せるというもの。
あとは・・・会話ぐらいかな? フェンとセルパンに話を聞くのもいいな。別に列車の中でなければならない訳でもないし。ジーニアス魔法学園に帰る回数も減ったので、同時に話を聞く機会も減っていたしな。
そうと決まれば、話し掛けてみるかな。現在フェンが影の中に居るが、少し前にセルパンと入れ替わったばかりだ。
『フェン』
『如何いたしましたか? 創造主』
時間はまだ少し早い為に未だに起きている者も居るが、魔力を介しての会話であれば問題ないので、窓の外に目を向けたまま、フェンに語り掛ける。
『何か話を聞かせてもらえないかと思ってね』
『話ですか』
『うん。時間が出来たから、この前の続きでも聞ければなと思って』
『承知いたしました。では、人間界の各国の話を』
『うん。お願い』
『まずはユラン帝国の話ですが――――』
フェンからユラン帝国・クロック王国・ハンバーグ公国・ナン大公国・マンナーカ連合国の街の様子や庶民の暮らしについて聞いていく。ハンバーグ公国の庶民の暮らしは多少知ってはいたが、ボク自身は家からろくに出たことがなかったので、新鮮な話であった。
しかし、多少の差異はあるが、生活水準は人間界全体でそこまで差がある訳ではないらしい。技術は得手不得手があるのでバラつきがあるようだが、それでもそれだけで優劣が決まるほどの差はないとか。
魔法使いの質や量などは、やはりハンバーグ公国やナン大公国が群を抜いているが、それでも外の世界に比べれば矮小なものだ。
魔法品や付加品などは軍事機密に該当する場合が多く、表に出ていない部分が多い。しかし、フェンにかかれば楽に目に出来るようだが。
ああそういえば、プラタが視えなかったというナン大公国の研究所? をフェンがシトリーと共に探ったらしいが、何やら妙な施設であったらしい。
床に書かれた例の模様に、それを囲む不可視の結界。中は壁を通って入らなければ入れないらしく、フェンの影での移動は受け付けなかったとか。なので、シトリーの分身体が壁を通って中に潜入したところ、真っ白な部屋であったらしい。しかし、それだけで特に何かが置かれているという事はなかったとか。
その白い部屋の床に書かれていた模様は、前にフェンが教えてくれた模様の何倍も複雑で、それでいて規模も比じゃないほどに大規模だったらしい。
『何の研究をしているのだろうか?』
『不明です。詳しくはシトリー殿に伺っていただければと』
『分かった。ちょうどシトリーに用もあったし、その時にでも聞いてみるよ』
『はい』
ただ、話を聞く限り、フェンが最初に見たという模様からかなり研究が進んでいるということになる。今までと違う体系の魔法なだけにどうなるかは分からないが、まずは帰ったらシトリーに話を聞いてみないとな。もしかしたら、プラタが探していたモノなのかもしれないし。・・・しかし、仮にそうだったとして、プラタでも視えなかった場所の情報を死の支配者の女性はどうやって手に入れたのだろうか? 直接赴いたのか、それとも何かしらの結界が張られる前に既に確認をしていたのか。
そもそも、結界でもなんでもプラタが確認出来ないようにするだけでも、ナン大公国の技術が実は高いというのが窺い知れる。偶然、という事はないだろうし、もう少し人間界の深い部分を調べてみるべきなのだろうか?
しかし、あまり深入りするのもどうかと思うしな、好奇心を発揮して破滅した者など枚挙に暇がない。
それでも、情報だけは掴んでおいた方がいいのだろうか・・・? フェン達なら見つかることなく覗き見れると思うし、何だったらフェンとセルパンとならば、五感の共有が出来るからな。
少し検討してみよう。気がつけばそろそろ部隊長達が起きてくる時間になっていたから、一旦話を終わらせるか。
『色々話を聞かせてくれてありがとう。もうすぐ朝になるから、一旦魔力の糸を切るね』
『はい。畏まりました。それでは、創造主』
会話を終わらせると、薄暗い世界に眼を向ける。
夜と朝が混ざってきた時間だが、平原の動きはそこそこ活発だ。積極的に平原に出る生徒も増えた事も要因だろう。
魔物は相変わらず元気だが、それにしても、最近大結界付近まで近寄ってこないので退屈だ。別に平原に築いた砦の盾が完成した訳ではないので、数というのは偉大だな。
しかし、数か。フェンとセルパンを創造したが、もう少し魔物を創造するべきだろうか? 数が居れば打てる手も増えてくる。
「・・・・・・いや」
今のところ困っている訳ではないし、別にいいか。それよりも、今は先程まで考えていた深入りするかどうかについて考えてみよう。そろそろ部隊長達が起きてきそうなので、少しの間だが。
まず、人間の本当の強さというのは知っておきたい。それは今後何かあった場合の判断材料になるのだから。
「とはいえ、な・・・」
次、とはどんな時か? と考えれば、死の支配者の女性が余興から次に移行した時だろう。ならば、たとえ正確に理解したとしても、それに意味があるのかどうか・・・。
「止めておこう」
ボクは頭を振ると、考えを変える。死の支配者の女性について今考えたところで意味がない。それはプラタが戻ってからだ。
結局のところ、ボクが知りたいかどうかという好奇心でしかない。なので、知りたいかどうかならば。
「知りたい、だよな」
魔力を込めた線のように、新しい何かが在るかもしれないのだから、その結論は当たり前だろう。なので、腹を括って調べることにするか。この辺りも含めて、帰ったら話してみるとしよう。
そう決めたところで、部隊長達が起きてきたのを察知する。さて、今日は何も無ければ、折り返して途中まで進めるだろう。予定通りにいけば、明日には東門に到着する。
◆
「大分安定してきましたね」
東側の平原で、ほとんど赤色の黒髪をした女性が、報告を聞いて隣に立つ男性に声を掛ける。
「そうですね。我らが到着した頃には既に形は出来ていましたが、これで大丈夫でしょう。あとは我らが去るまでにこれをどう維持するか、ですね」
「そうですね。しかし、それはハンバーグ公国側が考える事。助言を求められたならば、私なりの所見を述べはしますが。・・・考えるだけにしてくださいね?」
「承知しております」
「それならばいいです。それで、やはり例の件は確定でしたね」
「はい。場所の方も報告通りでほぼ間違いないかと」
「そうですか。しかし、そこがまた厄介なのですが」
「はい」
「まあとにかく、刺激しないようにしてくださいね?」
「心得ております」
「それにしても」
女性は周囲を確認するように目を向けていく。
「ここは多国籍ですねぇ」
「はい」
「それはウチの国もですので、注意が必要ですね」
「対策の方は行っております」
「・・・それも限度があるでしょう?」
「はい。残念ながら」
「無理もありませんよ。今の情勢ではね」
「それも変化の兆しが見えてきましたが」
「・・・何とかこちら側にも天秤を傾けたいものです」
「そうですね」
「その為にも、交流は大切ですね。今回は貸しも作れましたし」
「はい。結構な貸しかと」
「これを上手く利用して、立ち回れればいいのですが・・・」
そう言うと、女性は難しそうに口を歪めて思案する。
「問題はマンナーカ連合国ですね」
「ええ。形振り構っていませんね。自分達の怠慢の付けが回ってきただけだというのに・・・」
「どうなされますか?」
「警戒は厳重に。それと、我らの中にもおかしな動きをする者が居ないかの監視も強化しておきましょう」
「畏まりました」
「折角作った貸しを無かった事にされても困りますから・・・ふぅ。平原の方が安定したら、それで終わりだと良かったのですがね」
「そうですね」
「まあいいです。もう少しこの状況が維持できるようでしたら、少しずつ本国へと返していきましょう」
「畏まりました」
「・・・それにしましても、意外とやる事が多いですね。中々思ったように時間も作れませんわ」
「それももうすぐ解決すると思います」
「そうですか?」
「はい。我々もこちらには慣れて、余裕が出てきましたので」
「そうですか。でしたら後は警戒だけですね」
「はい。そちらの方も少し考えがありますので」
「そうですか。それは楽しみですね。ですが・・・それは後で聞きましょう」
自分達の方に向かてくる兵士を目にしながら、女性はそう告げた。
それに男性は軽くお辞儀を返して共に兵士がやって来るのを待つ。兵士に焦っている様子がみられないので、急ぎの用件ではないだろう事が窺えた。