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VS謎の女剣士

 表通りの華やかな雰囲気からは想像だにしないほど、路地裏は荒廃していた。狭く整備されていない道には、何日前の物か分からない雨水が溜まり、住宅の壁にもたれ掛かった老人は呻き声を上げている。それに加え、積まれた木箱からは、得体のしれない腐臭が鼻につく。
 つまり。

(寝られるわけがねぇ)

 脳内で葛藤(かっとう)が浮かぶネロ。これなら大通りの何処かで寝て、兵士に捕まる方が良いのではないか、と。詰所の時とは状況が違うのだ。捕まって牢屋に入れられたとしても、極刑まではされないだろう。
 ネロは肉屋へ寄る前に見た、開けた広場を思い出す。

(あそこなら多少は人目もあるし、野盗も出ないんじゃないか? あとは……)

 来た道を引き返せるかどうか。ふらりと歩き続けてきたネロだが、流石に同じ(てつ)は踏まない。ある程度、特徴的な物の位置は記憶していた。最悪それを辿っていけば、アルチへは戻れるはずだ。

「……帰りますか」

 そう呟いた刹那――ネロの耳に、甲高い金属音が入ってきた。それは路地の奥から、(せき)を切ったように幾度となく聞こえてくる。

(鍛冶屋か? こんな夜更けに)

 そんな疑問は、直後に入り混じる怒声で打ち消された。
 普段は眠たそうな半目のネロが、ぎょっとなる。嫌な予感が背筋から這い上がっていく。まるで周囲の温度が二、三度ほど下がったような気がした。

(冗談だろ、おい)

 一度でも意識してしまえば、答えは歴然だった。これは剣戟(けんげき)の音である。王都城下町のルドベキアで、今まさに命のやり取りが行われているというのだ。

 思わず身構え、ネロの表情は凍りついた。誰かに頼ろうと後ろを向くが、そこには暗闇だけが広がっていた。

(兵士を呼んでる暇は……ない、よな)

 現実世界を生き抜くネロは知っている。戦いは、互いの力量が同格だとしてとも、そうは長引かない。激しく消耗していく気力と体力により、どちらかが折れ、あっけなく幕は落ちる。あるいは、実力に開きがあるほど決着は至って淡白なのだ。

 誰と誰が戦っているかは分からない。だが、この場に居合わせたネロには、誰一人として殺めることなく、止める手立てを(ゆう)していた。
 ここで自分が動かなければ、何者かが死ぬ。それだけの理由で十分に思えた。

 ネロは腰回りに差した小ぶりの杖を抜き、恐る恐る路地を進む。足音に気を遣い、息を殺しながら、未だ鳴り止まない怒声と剣戟の方へ。

 剣と剣をぶつけ合い、戦っていたのは――獣人の兵士と女だった。二人は忍び寄るネロに気を取られることなく、生と死の奪い合いを続けている。

 一方的に攻めていたのは獣人の兵士。国から与えられたであろう標準的な長剣を片手に、作法乏しく振り回している。力任せに叩き切るのが、彼らの流儀(りゅうぎ)なのだろう。

 対して、フードを被った女は猛攻を(さば)ききるだけで精一杯のようだ。逆手に構えた短剣で、斬撃の軌道を逸らしている。兵士に比べ、剣筋は上等なのだろうが、如何せん動きが鈍い。それというのも、彼女に守られるようにして、後ろにはフードを被った子供が居た。

(あいつら……!)

 場所は違えど、状況は瓜二つ。ネロは自分が詰所で助けた人物だと思い至った。

 しかし分からない。どうして彼女等は、国の兵士と争っているのだろう。魔王が全世界を統治している世だ、反政府組織の工作員か何かだろうか。だが、子連れというのもネロには度し難かった。
 違う、と――ネロは首を左右に振る。

(まずは現状の打破だ。話は、それからだって遅くない)

 杖の先端を向け、ネロは息を吸う。興奮した相手だけに、やや強く魔力を溜める。

「寝てろ!」

 唱えた瞬間、獣人の兵士はピタリと動きを止め、後ろを振り返ろうとした途中で、膝を折って力尽きた。
 というより、眠ってしまった。

 背後からの不意打ち。それは非力な魔法使いにとって、常套(じょうとう)手段である。なまじ異世界での平和な記憶がある所為か、荒事が苦手なネロにとっても例外ではない。

「ふぃ、なんとかなったか。おい、大丈夫――かっ!?」

 横薙ぎに(きら)めく一閃が、ネロのフードを切り裂いた。その拍子で、水色の癖っ毛が(あら)わになる。とっさに頭を引かなければ、どうなっていたことか。

「っ、外した」
「ままま待て、待て待て落ち着け!」
「次から次に……そこまで手柄が欲しいのか。仲間のことを蹴落としてまで」

 女剣士は下唇を噛んだ。(うと)んだ眼をネロに向け、半身引いて短剣を握り直す。相対してみると、全く隙の無い構えだった。相当な手練だろう。時折、体がよろめいているのも、戦いの間を乱す戦術か。

「覚悟しろ魔法使い。今の私は機嫌が悪い」
「だから違うっちゅーに! 人の話を聞け!」
「ふん、また奇襲でも仕掛けるつもりか。卑怯者め、男なら正々堂々と戦え」

(術士相手に何言ってんだ? こいつは)
 ふと我に返ってしまったが、ネロは改めて語気を強めた。

「じゃなくて、俺だよ俺。詰所で会っただろうが」
「貴様のような殺し屋に、知り合いなど居ない」
「殺し屋とかじゃないから! 人畜無害の善良な市民だから!」

 あらぬ疑いを晴らそうとするネロだが、女剣士は(いぶか)しく顔を歪める。

「ならば、その薄汚れたローブは何だ。事を済ませた後、血が残らないように捨てる気だろう。手に持っている杖は何なのだ。何故こちらに狙いを定めている」
「いやそっちが斬り掛かってきたからで! これはその、つい条件反射的に」
「正当防衛だと? 体のいい言い訳だな」
「こんの、話にならねぇ、脳みそ筋肉んが!」
「の、脳みそ筋肉……っ、こちらの台詞だ!」

 激高を合図に、女剣士は刃を振るった。正確無比、首筋を刈るような剣さばきだ。しかしネロは(すんで)の所で身を屈め、それをやり過ごしていた。短剣が的にするのは、首か心臓と相場は決まっている。それより低い体制になれば、攻撃を(かわ)せると踏んでいたのだ。

 意図せず、(ふところ)に潜り込まれるような格好となり、女剣士は驚愕(きょうがく)の表情を晒した。真下には杖を構え、にたりと笑うネロ。

「ほい――っと、危ね」

 話を訊く為に手加減したはずだったのだが、女剣士は持っていた短剣を落とし、その身をネロに委ねた。

 はらりとフードが(めく)れると、目も醒めるような朱色の長髪が、ネロの指を通り抜けた。宿屋の娘よりは年上なのだろうが、やはり若い。切れ長の目に、凛と整った顔立ち。近くに寄るまで気付かなかったが、その目元には(くま)が出来ている。どうやら長い間、ろくに寝ていなかったようだ。

「……どういうことだよ、ったく。なあ、説明してくれると助かるんだけど」

 抱えていた女剣士を静かに寝かし、ネロは立ち尽くす子供へと話しかけた。緊張と警戒心も、そのままに。

「やめておけ。オレ様を眠らすと、お前は死ぬ」

 その少年は、幼さに似つかわしくない物騒な一言を、口にした。

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