VSアルチの職員
すっかり辺りは暗くなり、日の光に代わり満天の星が輝き始める。異世界では滅多に夜空を眺めなかったネロだが、現実での天体観測は割と好きな部類だった。様々に色めく星々は飽きさせない。たとえ野宿という劣悪な環境だろうと、いつの間にか夢の世界へと
しかし、それはそれ。宿屋とは比べ物にならない程、その寝心地は悪い。王都周辺は温暖な気候とはいえ、石の床が硬ければ、誰に襲われるとも分からない、朝起きれば関節痛に悩まされるのは必至だろう。何よりも安眠に重きを置いているネロにしてみれば、それは死活問題にも匹敵しかねない
(やばい、やばい、やばい――このままだと野宿じゃねぇか!)
貰った肉の切れ端を
昼間とは打って変わって、ルドベキアの夜は別の活気を見せていた。通り過ぎた酒場からは、男達の楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
(とりあえず手付金だけでも貰って、宿に泊まらないと)
大通りを抜け、曲がりくねった小道を進む。
ネロが目指すアルチとは、歴史深く続く労働施設である。円の中、十字のように描かれた矢が象徴の目印として、人里離れた農村以外には大抵建てられている。その目的は
商人、市民、同業者、国――あらゆる方面からの依頼が、そこには舞い込む。内容としては雑多であり、探し物から荒事までと幅広い。大戦前までは魔物の討伐といった依頼もあったが、今では魔王の手により、堅く禁じられている。
「あった……!」
木彫りの看板に、矢の十字。アルチの象徴で間違いない。ネロが見た数々のアルチでも一際大きい建物は、レンガで造られた三階建てだった。
開け放たれた戸口をくぐると、ネロは
(受付けは……あそこか)
鈍感なのか眠いのか、平然とした面持ちでネロは歩き出す。待合席に座っていた他の同業者からは、好奇とも威圧ともとれる視線を注がれた。ひそひそと
「見ない顔ですね」
鉄格子を挟んだ向こう側には、
「昨日着いたばっかりなもんで。前金ありの仕事を探してるんだけど、ある?」
「……前金……ね」
陰気さを
「すみませんが、
「おいおい、またか」
ネロの溜息に青年は首を傾げた。
「知りませんでしたか? 都市部のアルチでは一般的な制度のはずですが」
「食い繋ぎでしか働いてないからな。細かい仕組みまでは、さっぱりだ」
「ですか。まあ、要するに……胸章は実績みたいなものですね。ある程度の仕事量をこなせば、信用の証として渡しています。冒険者や旅人と偽り、前金を持ち逃げする輩も居たので、こんな制度が生まれたんです」
「持ち逃げ防止か、そりゃ確かに」
依頼放棄で金だけ奪われれば、仲介したアルチ側としても堪ったものではないだろう。顧客信頼の面子にも関わる。
「なら住み込みの仕事は無いか? 今晩からでも泊まれるのとか」
片肘をつきながら、職員は依頼書の束をパラパラとめくった。本当に探す気があるのかが分からない、やる気の無さだ。
「……女性ならありますが、男性はありませんね。夜通し働くので良ければあります」
「どんなの」
「えーっと、南詰所の壁の
「無理」
「都市内の配達、回収業務」
「駄目」
「他ですと、東大通りの道路整備」
「力作業が出来るように見えるか?」
「……街道巡回の臨時雇い」
「やだ」
「女性向けの男娼とかは」
「御免だ」
青年が
「逆に、どんなのならいいんですか」
「そうだな……立ち仕事よりは、座ってする仕事が理想だな。難しい作業はしないで、じっと動かない。そこに居ることが働くこと、みたいな」
「つまり?」
「寝ながら働けるやつ」
「帰れよ。国の役人がお目見えです。後がつっかえてます」
追い出された。
途中から薄々勘付いていたが、どれも駆け出しが引き受けるようなものばかりで、最低限の能力しか要求されない簡単な仕事だった。それも人々が寝静まる時間帯だけあって、重労働なものが多い。安眠すること以外は不真面目なネロには、からっきし向かなかった。
ネロがアルチを出ると、それと入れ替わるようにして国の憲兵が数名ほど入っていく。大きな声で依頼内容を告げると、荒くれ者達の歓声が聞こえた。どうやら聞き耳を立てるに、新しい指名手配犯が増えたようだ。
(……今日は諦めるか)
肉屋の恩義で腹は膨れている。あとは安心して眠れる寝床の確保だ。物取りも
ネロは覚悟を決め、ほの暗い裏路地を当てもなく歩み出した。
長い夜は、始まったばかりだった。