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VS詰所の衛兵

 かつては人類最後の砦として名を()せた王都は、三つの構造から成り立つ城郭(じょうかく)都市である。

 都市の中央に栄える城は――その名をグロリオサ城という。かの大戦の傷も癒え、見る者全てに壮麗(そうれい)さを与える。世界一の規模でありながらも、白く美しい建造物として、一目眺めに来る行商人が後を絶たないほどだ。王都の外からでも見られる城の頂には、今では魔王が居城していると噂される。早い話が、大戦の折、魔族によって乗っ取られていた。

 そしてグロリオサ城の周りを取り囲むようにして、貴族街ユーチャリスが広がっている。城で務める高官、役人、そして位の高い騎士が住まう。商いも高給取りの貴族に合わせ、高価な品物が多く、それ故に貧富の差が目に見える形で生まれている。あるいは下町の者は、そんな生活に憧れ、切磋琢磨(せっさたくま)していると言えなくもないが……あまりにも、その壁は高く厚い。

 城下町ルドベキアから、貴族街ユーチャリスに通じる、この詰所のように。
 小汚いネロの前に、それは立ちはだかっていた。

(でっけぇなあ、おい)

 宿屋『安眠荘』を出て道なりに歩き、城の方角を目指していたネロだったが、途中で無機質な壁に阻まれ、ぐるりと迂回し辿り着いたのが――目の前の詰所だった。

 東西南北、四つある詰所の一つ、北詰所。見上げる高さほどある灰色の建物、その左右は壁と繋がっている。これがユーチャリス全体を覆っているのかと思うと、流石は世界一の都市だとネロは感心した。レンガで作られた大きな入り口には、まばらだが商人や兵士達が行き交っている。

 貴族街ユーチャリス、ひいてはグロリオサ城へと入るには、まずはこの詰所を越えなければならない。ネロは何の疑問も抱かず、中へと進んだ。

 外から見た以上に、詰所の中は広々としていた。恒星サンムの光は届かず、代わりとなる灯火(ともしび)だけが、辺りを薄暗く照らしている。

「ユーチャリスにお越しの方ですかな」

 不意に声を掛けられ、ネロは横を向く。話しかけてきたのは、長机を挟み椅子に座っている中年の兵士だった。茶色い短髪に、整った口元のヒゲが、落ち着いた空気を(かも)し出している。

「どっちかってぇと、城の方なんだけど」
「ほう、登城されるのですか。それは珍しいですね。では通行証を拝見させて頂いても、よろしいですかな?」
「……通行証」

 無論、そんな物は持ち合わせていない。それどころかネロは無一文で無職の旅人である。

「通行証は、ないな」
「そうですか。それでしたら、どなたかのご紹介文はありますでしょうか」

 あるわけがない。故郷では引きこもりがちの魔術修行に明け暮れ、王都を目指してからは仕事として何人かの商人を護衛した程度なのだ。そんなネロに王都の知り合いなど居るはずもなく、ただ口を閉ざした。

「……そうですか」

 はぁ、と息を吐く中年の兵士。呆れているのか、肩の力が抜けていくのが見て取れた。

「お兄さん、悪いことは言わない、登城は諦めた方がいい。その格好だ、通行証も買えないんだろう。ただでさえ“人間の通行”には厳しい世の中だ。通行証も紹介文も無くて通りたいなんて言ったら、あいつらのカモにされるぞ」

 片眼をつむり親指で指し示すのは、通行人の身なりを調べている検査官だった。
 その全身は黒い毛で覆われ、眼光と歯は鋭く、頭上には二つの耳が生えている。中年の兵士と同じ鎧を着ていることから、彼も詰所に務めているのだろう。

 魔族――獣人族だ。

「関所にも結構な数の魔族が居たんだが、ここも人間は少ないんだな」
「先代の大魔王様が亡くなられてからはな。肩身が狭いよ、まったく」

 またか、とネロは思う。やはり自分の故郷でもあったように、ここ王都でも『先代魔王の死』が何か絡んでいるらしい。あらゆる場所で、その余波は起きているようだ。大国の王が死んだともなれば、それも当然なのかもしれないが。

「っ、無礼者!!」

 困り果てたネロが後頭部を()こうとした矢先、つんざく声が挙げられた。人と魔族が(ざわ)めく詰所を、一瞬の静寂が支配する。

「な、なんだと、お前!」

 見れば、先ほどユーチャリス側から来ていた人間が、獣人族によって手首を取られていた。
 親子連れだろうか、二人は揃いの安っぽいフードで頭を隠しており、一人は背の高い女性、もう一人は子供のような背丈だった。

「またか」

 やれやれと頭を抱えたのは中年の兵士だ。ネロは「よくあることなのか」と尋ねた。

「ああ。奴ら、相手が人間と見ては何かと難癖をつけてくるんだ。とりわけ貧乏そうな人には特にな。いくら上からの命令で警戒態勢だからって、酷いもんだ」
「あんたが止めたらいいじゃないか」
「階級は同じでも、後で目を付けられるのは私だよ。妻も子もいるし勘弁してくれ」
「……そうかい」

 中年の兵士といえど、守る者の為に働いているのだ。職務の所為で生活に支障が出るようでは、本末転倒だろう。

「二人分の通行証は見せただろう! どうして貴様に体を触られないといけない」
「口の利き方に気を付けろよ人間。お前らみたいな薄汚れた奴が、怪しいから調べていると言っている」
「ふん、ユーチャリスに向かうのであれば、その道理は理解できる。だが私達は城の外を目指しているのだぞ。一体何に配慮しているのだ」
「黙れ! 口の減らない人間め。お前らなんてな、俺の報告一つで牢屋行きにも出来るんだ。いいのか? 抵抗して。おら、どうなんだ」
「くっ……」

(どう見ても喧嘩の吹っ掛けじゃないか。あの女も、変に口答えしなきゃいいのに。それにしても……)

 ネロは女性の後ろに立つ、子供へと目を向けた。母か姉が獣人に脅かされているというのに、まるで微動だにしていない――かと思いきや、その褐色の拳は固く握られ、震えていた。

(このままじゃ、目覚めが悪いな)

 ネロの雰囲気を察してか、中年の兵士が椅子から腰を浮かせた。

「お兄さん、やめとけ。ただじゃ済まなくなる」 
「どうせ俺かあいつ等が牢屋行きになるんなら、好都合だよ。もともと城に行きたかったしな」
「……言っておくが、牢屋があるのは城だけじゃない」
「え、そうなの?」

 異世界の知識では、城の地下が牢屋であるのは定番中の定番だったのだが、現実世界はかくも無常のようだ。

「詰所の地下も牢屋だ。しかも兵士に手を挙げたんじゃ、禁忌(きんき)の一つ、『国家反逆罪』で極刑もありえる。いくら好かん同僚だろうと、危害を加えられたのなら、私だって黙ってはいられない。すまないが、これも仕事だ」

 グロリオサ城、そしてユーチャリスの治安の要は、東西南北の詰所である。そこの兵士を相手どれば、確かに死罪も免れないだろう。

「へ、おっかねぇ」

 だが、ネロは止まらなかった。フードを目深に被り直し、言い争いの中心へと歩み始める。

「どうした人間、すっかり物怖じしたじゃないか。さっきまでの威勢(いせい)はどうした、ああ?」
「……下種(ゲス)め」
 女は獣人に握られていたままの手首を、強引に振り払った。それが火種になるのは明白だ。
「おお良いねぇ、そうだそうだ、その調子――だッ!」

 振り下ろした獣人の拳が空を切る。ネロは間一髪で女性の二の腕を掴み、自身の方へと引き寄せていた。

「なんだ、お前は。また人間か」
「人種差別反対だぜ、検査官さん。そう興奮しなさんなって」
「人間同士の庇い合いか、笑わせる。非力な奴らだ、群れないと生きていけないらしい」

 獣人の兵士は口の端を吊り上げた。尖った犬歯が、いやに好戦的だ。
 いつの間やら、詰所に居た者達は彼らの動向を注視していた。物見高い目で、今まさに起きようとしている騒動を面白がっている。

「仕事熱心なのは感心するけどよ……女相手に、ちっとやり過ぎじゃないか?」

 気遣うネロの言葉に逸早く反応したのは、何故かフードを被った女の方だった。掴まれた手を振りほどくと、助けに入ったネロと向き合う。身長差からか鼻と口しか窺えないが、それは若く整った顔立ちだった。

「私が女であることは関係ないだろう。横槍は入れないでいただきたい」

 凛と澄ました声。一応の敬意は払っているようだが、あからさまにネロのことを邪魔者扱いしていた。

「面倒臭いな、助けてやるって言ってんだ」
「頼んでいない」
「強がってるんじゃありません。どう考えてもピンチじゃねぇか」
「ぴ、ぴんち? なんだその言葉は。どこかの訛りか。分かるように言え」
「……あー……いや、だから、このままだと牢獄行きだってこと。ほれ、そこのガキ。さっきから拳作っちゃって、いつ暴れ出してもおかしくないぞ」
「っ!」

 何かを言おうとして、その女は息を呑んだ。獣人ばかりに気を散らして、子供のことまで頭が回っていなかったらしい。

「な。分かったら、ここは任せなさいっての」
「し、しかしだな」
「勝手に話を進めてるところ悪いんだが――お前らは三人とも、牢屋行きだ」

 ネロの登場で蚊帳(かや)の外になってしまった獣人が、牙を剥き出しにして威嚇(いかく)してきた。

「無視したことを地下で後悔させてやる」
 喉の奥を震わせ、唸り声を挙げる獣人。
「話し合う気は?」そうネロが訊くと、「もう手遅れだ」と返す女。その台詞通り、獣人はいつ襲い掛かって来るのか機会を見計らっていた。

 獣人の爪や牙は鋭く、そして恐ろしく初動が速い。身体能力だけをとれば、人間のそれを確実に凌駕(りょうが)する。せいぜいが人並みの体力しかないネロでは、勝てる見込みがないのだ。

 であれば、どうするか。
 唯一勝る、知恵や知能で戦うしかない。

 魔法の魔術で仕留める。
 相手が動く前に、決着をつけるのだ。

 だが酔っ払いの時とは違い、今は観衆の目がある。加えて、この獣人に手を挙げれば、詰所中の兵士全員と争うことになるだろう。剣や杖を抜けば最後、一歩間違えれば、地下牢が待っている。

 そんな緊張感が増す最中、あろうことか魔法使いは……あくびをしていた。
 獣人の前で、あんぐりと口を開けて。

「……そんなに眠いか? 人間」
「ふぁ、ああ、昼飯食べたばっかりでな。ちょうどこう、昼寝の時間みたいでさ。あんたは眠くならないのか?」
「お前、いい加減に!」

 いよいよ獣人が身を乗り出そうとした瞬間、かくんと膝が折れた。前のめりに倒れる彼を、ネロが受け止める。

「とと、大丈夫か? 寝るな~。寝るんじゃないぞ」
「おま、にゃに、して」
「おーいおい、なんてこった。昼寝ありかよ、ここの衛兵は。好待遇の勤務だなぁ」
「………………」

 ついに獣人の意識は、そこで途絶えた。「仕方ねぇな」と呟いて、寝息を立てている獣人を地べたに転がせるネロ。そして手招きをして、中年の兵士を呼んだ。

「同僚なんだろ、起きたら注意してやってくれよ。『仕事中に寝るな』ってな」
「お兄さん、あんたか?」信じられない光景を目の当たりにして、兵士は口にした。

「いや、こいつだよ。見てただろ? 俺は何もしてない。こいつが勝手に、話してる間に寝ちまったんだ。そんなに退屈だったのかねえ、俺との会話は」
「……ふ」兵士は小さく笑うと「分かった。伝えておこう。不真面目な勤務態度と一緒にな」

 それを聞いて、ネロも頬を緩ませた。未だ納得していないのは、女の方である。寝息を立てた獣人とネロを交互に見て、不思議だと首を傾げていた。
 そこへ兵士が声を掛ける。

「お手数ですが、もう一度通行証を拝見させていただいても、よろしいですかな?」
「ん、あ、ああ。すまない。頼む」

 通行証に紹介文。そのどちらもないネロには、グロリオサ城どころか、貴族街ユーチャリスにすら入れないようだ。ここは諦めて、獣人の目が覚める前に立ち去るのが無難だろう。

 ネロは何も言わず、中年の兵士と絡まれていた二人に背を向けた。
 去り際に、「礼を言う」と小さく聞こえたのは、気の所為ではないと思う。それが女か子供か、どちらの声だったのかまでは、分からないが。

(最初から最後まで偉そうだったな、あいつら)

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