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VS関所の衛兵

 机の上には、パンと温かい野菜スープが三人分並べられている。店主であるマリーの母が、娘に支えられながら席へ着いたところで、食事は始まった。両手の指を交差し、静かに祈る。そこまで信心深くないネロではあったが、場を乱すような真似はせず、見よう見まねで所作(しょさ)()した。この世界でも、あの異世界だろうとも、神という存在は人々の心に住まうようだ。

「それでそれで、ネロさんはどうして王都に来たんですか?」

 宝石のように目を輝かせて、マリーは訊いてきた。よほど旅人が珍しいのだろう。宿屋の娘だからといって、そうそう客と話す機会はなかったに違いない。

「謁見」

 短く答え、口一杯にパンを頬張った。どこか、ばつの悪そうにしていたネロだが、マリーは気付いていないのか気にしていないのか、質問を続ける。

「謁見って……魔王様に、会いに来たんですか?」
 不思議と今まで明るかったマリーに陰りが映る。ネロは薄味のスープでパンを胃に押し流した。
「そうだけど。え、なに、その訳ありな表情は」
「残念ですが、先代の魔王様が亡くなられてから、謁見は行われていないと聞いてます」

 代わりに答えるマリーの母。突如、襲いくる眩暈のような感覚。頭の中が白く(かす)んでいく。ネロは気が遠くなるのを感じた。
 次々に浮かぶ旅の風景。故郷を離れて、約一年。辿った道のりは果てしなく。やっとのこと、死ぬ思いで着いた王都だ。それが、そんな。

「さん……ネロ、さん……ネロさん! 起きてくださいってば」
「――はッ」
「食事中に寝ないでくださいよ、もぉ」

 どうやら天井を向いたまま意識が途絶えていたようだ。ネロは目頭に指を当て、ぐりぐりと押す。

「あー……すまん、寝ぼけてたらしい。聞き間違いだな。謁見が出来ないとかなんとか」
「いえ、聞き間違いとかじゃなくて」
「は、はは! まっさか、冗談だろ?」
「そう言いたいんですが」
「いやいやいや、嘘は良くないぞ、マリー」
「えっと……ほんと、です」
「馬鹿な。じゃあアレか、関所の衛兵に旅の目的を話した時、ぷすっと笑われたのも、気の所為じゃないってのか!」
「実は気付いてたんじゃないですか……」
「どぉすりゃいいんだよぉおおお!」
「お、落ち着いて、落ち着いてくださいネロさんっ」

 頭を抱えて項垂れるネロの背を、マリーは優しくなでる。

「とりあえず、お城に行ってみましょうよ。もしかしたら、奇跡的に、なんとかして謁見できるのかもしれませんし」
「そ、そう?」
 半べそになっているネロは、ふうと息を吐き、涙を隠すようにして目を擦った。
「少し、落ち着きました?」
「なんとか」
「城へ行くんでしたら、お店を出て通り沿いに歩いた方がよろしいですよ。昨日の一件もありますし、なるべく路地裏は避けた方がいいと思います」

 と、(はた)から聞いていたマリーの母が口にした。どうにも先ほどから、この店主に振り回されている気がしてならない。からかわれている――と言った方が正しいか。

「ご忠告どうも」

 ややあったが食事をとり終え、ネロは背荷物を肩にかけた。

「ごちそうさま。んじゃ、言われた通り、とにかく城に行ってみるわ。代金は」
「あ、はい、待ってくださいね」
 一泊一食の金額を聞くと、ネロは懐から取り出した銭袋を、そのまま手渡した。中を確かめたマリーは目を見開く。
「ちょっと……多い、ですか?」
「色々と面倒かけたからな。言うほど色付けられなくて悪いんだが、受け取ってくれ」
「あの、いいんですか?」
「気にするなって」

 全く持って気にするべき事案だ。晴れて一文無しである。明日からは嫌でも働かなくてはならないだろう。だが病気の母を支える娘を見てしまえば、ネロの性格上、黙って見過ごすことなど出来ない。
 彼の目的からして、そういう小さい積み重ねこそが大事だと、理解している。

 マリーはお金が入った袋を胸元で抱えると、改めて恩人の姿を見た。

 人を眠らせるだけの、魔法使い――『睡魔法使い』の、ネムイ=ネロ。

「……ネロさんは、どうして王都に来たんですか?」

 さっきも訊いたはずの台詞を、マリーは無意識に繰り返す。ネロはフードを被り、日の当たる外へと旅立つ間際、あくび交じりに告げた。

 表情も声も、謎の自信に満ち溢れながら。

「世直しだよ」

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