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第3話

「壮観だな」
成行(しげゆき)はギョロリとした大きな両目を見開き、視線をせわしなく周囲に走らせ、その思うことを口に出す。驚きを隣にいる林太郎(りんたろう)に伝えた。
いまにも目玉がこぼれ落ちそうな成行とは対照的に、疲労でまぶた重そうに垂れた林太郎は力なく笑った––––ように見えた。幸田邸の時にはしていないかった白布(マスク)がいま顔下半分を隠しているのでその表情がはっきり読み取れない。

––––「帝国陸軍病院別棟」。
ふたりはいまここにいる。

高い天井と白い壁、そして広い窓を持つ西洋建築のこの館の中に、清潔なシーツのかかったベッドが規則正しくならぶ部屋がいくつもあった。一度に収容できる人数は、優に百人を超える大型病院施設である。

硝子(ガラス)()かして入ってきた光の矢が瞳に突き立ち、成行は眉間に深いしわを作りながらまぶたを閉じる。
さらに容赦なく彼のまぶたを叩いてくる(きら)めきが、 天から降りそそいだものではなく、下から力強く跳ねあがってきたものと知ってさらに驚嘆した。

––––地面ではない。海面に反射しているのだ。
 
陸軍病院別棟、別名「海洋館」––––それは海上に存在していた。

と、言っても大きな船というわけではない。病院の四方は切り立った崖。洋上にポッンと突き出た小さな孤島その大きさと同じ面積を有する洋館。
はるか天空をゆく鳥の目には、波間に漂う白亜(はくあ)の館のように映っているかもしれない。

––––ザザザーンッ。

波飛沫(なみしぶき)の音が聞こえる。院内はとても静かであった。まるで成行と林太郎しかいないよう––––否、ふたりのうしろにはひとりの男が立っていた。

陸軍の制服の上からも見て取れるほどに鍛えあげられた肉体を持つ長身の将校は、軍帽を深くかぶり、息づかいも小さく、銅像のように屹立(きつりつ)している。
林太郎に「元次郎(もとじろう)」と呼ばれている将校は、成行と会ってから一度も声を発していなかった。

成行の自宅兼店舗「愛々堂(あいあいどう)」は倒壊、彼も負傷した。
意識を取り戻し、目の前の惨状に唖然とする成行へ林太郎は「陸軍病院」へ案内すると言う。
意識が戻らない金之助(きんのすけ)(のぼる)もそこへ搬送するとのこと。
––––ことの詳細は病院で。
そう林太郎に言われ成行は従った。

家の外には箱馬車が数台。馭者台(ぎょしゃだい)にも、箱の中にも外にも陸軍将校たちの姿があった。
林太郎のあとについて、ひとつの馬車へ近づくと将校たちが成行に敬礼する。
その中から進み出てきた背の高い将校––––元次郎から無言で墨色(すみいろ)のたすきを渡される。
林太郎は言った––––幸田先生、申し訳ありませんがしばらくそれをつけていただけませんでしょうか。
両の掌で目元を隠す。目隠しの身振りである。
ご協力をお願い申し上げます––––言葉は丁寧だが、否を言わせぬ凄みが語調にあった。

目隠しをして馬車へ乗った成行は、すぐに眠りに落ちる。
目が覚めたら家がぐちゃぐちゃになっていたという到底信じがたい事態に脳が悲鳴をあげたのか、睡眠導入の薬物を()がされたか––––おそらく後者だろう、馬車から船へと移り、そしてこの建物の中へ入った時の記憶がまったくない。目が覚めた時、この病院のベッドの上だった。
陸軍の病院なのに海上にある。その所在を他に知られてはいけないのであろう。たとえ海軍であっても––––成行はそう察した。

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