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第百四十三話

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 ぁぁ、焦げ臭い。

 薄っすらと意識を取り戻した俺は、まずそう思った。身体の反応はかなり鈍い。いつぶりだ、この感覚は。
 思いながらも、俺はゆっくりと目を開けて、仰向けから腹這いに転がる。
 ずしり、と身体が重く、端から痛みを訴えてくる。なんとか手足を折り畳んで起き上がろうとしながら、周囲の状況を確認するが、視界が悪い。
 立ち込める白煙のせいだ。
 地面は文字通り黒ずんでいて、水分はカラッカラになっているようだ。触るだけで、土がボロボロと崩れ落ちて消えていく。完全に退廃したようだ。
 その破壊は広範囲に渡っていて、破壊力の凄まじさを物語っている。

 無理はない。

 何せ、汚染された魔力、瘴気によって穢された上に、その瘴気そのものが炎となって焼き払ったのだ。
 まさに生命の全てを奪う炎と呼んでも良い。
 俺はそれの直撃を受けた。咄嗟に《クラフト》は展開したが、ほとんど役に立たなかった。

 それでも生きているのは、《シラカミノミタマ》によってデタラメに強化されたステータスのおかげだ。それに限界突破して基礎ステータスそのものも上昇していたしな。
 けど、それもギリギリだ。
 俺はなんとか手を伸ばし、近くに転がっていたハンドガンを手に取る。外装はかなり痛んでしまっているが、ゴーストや核となっている魔石は無事のようだ。とはいえ、実戦ではもう使えない。

 自分でも不思議な程、冷静だった。

 俺の間合いの外に、ヅィルマはいる。
 だが、それも数歩のことだ。ということは、ヅィルマは俺のことを警戒している。

「ほう、やはり生きていたか」

 予想していたのか。
 だが、それでも仕掛けてこない辺り、相手もかなり損耗しているようだ。あの炎は、ヅィルマにとってもかなり危険なものだったのか。まぁ、そうでなければ最初から出してきているはずだ。

 俺はゆっくりと立ち上がる。息は自然と整っていて、額が何やら湿って鬱陶しいので拭う。手にべったりと黒ずんだ血がついてくる。
 俺はそれを振り払い、後腰部に収めていたダガーを抜く。

「まだやるつもりか。いい加減殺されてくれよ」
「……断る……俺には、目的があるからな」

 掠れる視界の中、俺はハッキリと言い切る。
 そうだ、俺は死ねない。俺には、村を復興させるという目的がある。それだけを頼りに、魔力を高める。
 呼応して、ヅィルマが構えた。

「今すぐ楽にしてやろう」
「……暗殺者に言われて安心できる唯一の言葉だな」
「殺しの技術だけは確かだからな」

 俺もダガーを構える。

「《クリエイション・ブレード》」

 空中から刃が生まれる。俺がかなり疲労しているせいで、精度は落ちている。
 けど、これで十分だ。
 たった一回、持てば良いんだから。条件はもう、揃っている。

「《ヴォルフ・ヤクト》」
「無駄な抵抗だ。――死ね!」

 ヅィルマが地面を蹴る。伸びるようで、滑らかでいて、気が付けば接近を許している。
 早いと思えないのに、実際はかなり早い。
 その技術もまた、暗殺者のそれなのだろう。だが、同時にヅィルマは確信しているはずだ。そのダガーの一撃で俺を完全に仕留められると。

 甘く見て貰っては困る。

「《アジリティ・ブースト》」

 俺は魔法を解き放つ。同時に地面を蹴り、一瞬にしてヅィルマの傍をすり抜けた。
 とたん、負荷に全身が悲鳴を上げる。もう動くことはほとんど叶わないだろう。だがそれで構わない。必殺だと思っているはずのヅィルマの一撃。ただそれを回避出来れば良いのだ。 
 ヅィルマが俺の残像を仕留める。

「――なっ!?」

 上がる驚愕。
 俺は激痛を堪え、刃を繰り出す。

「《真・神撃》」

 俺は魔力の全てを使って威力を伝播させ、俺の周囲に浮かぶ 刃が雷の力を帯びて加速する。
 ――刹那。
 軌跡が何重にも重なり、ヅィルマの全身を切り刻む。

「かはっ……!?」

 破壊が始まる。
 何重にも刻まれたヅィルマは、必死に抵抗を試みる。だが無意味だ。 
 もう、どこにもダメージを逃がす場所がない。

「ま、さ……か……、やって、くれるっ……!」
「一つ。確かに俺の《アジリティ・ブースト》は一分が限界だ。でも、それが一回限りじゃない。そして二つ。切り札は最後に切ってこそ切り札だ」

 ボロボロと刃が瓦解し、ダガーも壊れていく。
 同時に俺は凄まじい倦怠感に襲われ、その場に倒れこんだ。あーこれはヤバい。かなりヤバい。魔力が本気で空っぽになった。

「まったく……末恐ろしいガキだ……バケモノだな」

 言いながら、ヅィルマは炭化していく。

「どっちがバケモノだよ」

 俺は辛うじて言い返す。
 ハッキリ言って、エキドナより厄介だった。文字通り全身全霊、それでもって死にかけたのだ。
 本当にギリギリの戦いだったと言える。生きているのが奇跡だな。
 意識が遠くなっていく。だが、俺は必死に踏ん張って目を閉じるのを我慢する。まだ見届けていない。ヅィルマの最期を。この目で消えるのを見届けないと、本当に死んだかどうか分からない。

「さすが、世界に……祝福された光だな……。影は。こうして……殺されて踏み躙られる……わ、け……か」
「アホ言え」

 どこか子供のように拗ねた言葉に、俺は真正面から言い返す。
 俺が光? ふざけんな。
 俺がどれだけ不遇で、どれだけの目に遭ってきたと思ってるんだ。
 こみ上げてくる怒りのままに、俺は口を開く。

「俺は転生者だ。けど、レアリティは《R》だった。そのせいで世界からも女神からも捨てられて、赤ん坊なのに魔物が蔓延る森の中に投げ込まれたんだぞ。んで適性は光だから覚えられる魔法も初級レベルだし、能力値限界だって早い。そんなんで世界を救えとか言われて、誰が救ってやろうってなるかよ」
「お前さん……」
「けどな、だからって人間腐ったら終わりなんだよ」

 俺は真っすぐにヅィルマを見据える。
 正直言って、ヅィルマの気持ちは痛い程分かる。世界への絶望だ。それは前世の頃から、ずっと思っていたことでもある。どうして俺が病気に、どうして立てなくなって、動けなくなって、みんなと同じような世界に入れないのか。雑菌さえ殺すような、白くて狭い空間でしか生きられないのか。
 それで運良く転生しても、残念レアリティだし、適性はダメダメだし、森の中からスタートだし。魔物に囲まれた時の絶望感は今でも忘れられない。

 世界を恨む気持ちにもなろうってもんだ。

 ただ、俺が幸運だったのは、フィルニーアに助けられたことだ。そして、ちゃんと育てられたことだ。ヅィルマにはそれがなかったのだろう。
 人生ってのは、ホントーに分からないもんだ。

「俺だって世界は嫌いだ。大嫌いだ。優しくないからな」

 けど、だからって、全てを否定するのは間違っている。それが綺麗ごとなのかもしれない。偽善と呼ばれるかもしれない。けど、だったらそれで構わない。
 俺は、俺の目的のために生きているんだから。

「でも、そんな世界で生きてるんだから、真っ当に生きてみろって話だ。裏だか暗殺だか知らねぇよ」
「……ずいぶんと、強い、な……」
「俺の親が強くしてくれたんだよ」
「……ふ、は……ははは、は……」

 全身に亀裂を走らせながら、ヅィルマは笑う。どうしてか、その声は湿っていた。

「負けだ……本当に負けだ……くくく、どうだ、案外、清々しい」
「ヅィルマ……」
「ああ、清々しい。それでいて、口惜しい……」

 ヅィルマは、潤んだ声を放ちながら、つう、と涙を流す。

「もっと、もっと早く……お前さん、のような、奴と……出会っていたら……違った……のかなぁ……?」

 後悔は後からやってくる。
 ヅィルマは滅びながら、そう痛感しているのだろうか。

「俺があんたを変えられたかどうかは分からねぇけど、殴り倒してでも更正させてたかもな」
「く、は、ははは、はは……そんな、やつ、知らないな……」

 ぽとり、と、ヅィルマの涙が地面に落ちる。

「ああ、世界は……こんなに……綺麗、だった……の、……か……」

 それが、ヅィルマの最期の言葉だった。
 全身が炭化し、崩れ落ちていく。それは完全な死だ。
 どこか痛ましい思い出俺はそれを見送る。残った僅かな灰の欠片は、ヅィルマの墓標にすらなれない。

 世界を憎むだけ憎んだヅィルマは、救われたのだろうか。最後の最後に。

「終わった……か……」

 ようやく安堵がやってくる。
 全身から力が抜けて、俺は意識を手放しそうになる。というか、保っていられない。
 ぐらり、と、俺は身体を傾けて――

「ご主人さまっ!」

 誰かに抱きすくめられた。
 ああ、この温かさ。この声。間違いない。メイだ。

「メイ……」
「大丈夫ですか!? なんてヒドいケガっ……!」

 辛うじて目を開けると、今にも泣き出しそうなメイの顔があった。

「メイ……どうして、ここに」
「僕だよ」

 声はすぐ後ろからやってくる。振り返るまでもない。ハインリッヒだ。
 そうか。どうやってかは分からないが、メイがハインリッヒと合流して、ここまで連れて来たのか。ハインリッヒなら、王都周辺くらいまでは探知できるだろうし。
 理解がやってきて、俺は安堵を強める。

「まさか君をここまで痛めつけるなんてね……驚いたよ」
「……まぁ、組織のことも聞きださないといけませんでしたからね」

 言うと、ハインリッヒの表情が変わった。

「……いや、今はいい。ゆっくり休むと良い。明日は学園祭だからね」

 ああ、そういえば、そうだったな。

「大丈夫。ちゃんと明日には動けるようにしてあげるから」

 その言葉、信じるぞ。
 声にならない声を出して、俺は意識を手放した。 

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