第六十三話
「……はい?」
俺は今度こそ、首を傾げた。
「ご主人様、お疲れのようだからお背中を流そうかと思いまして」
「……………………本音は?」
鋭くツッコミを入れると、メイはぎく、と肩を竦めた。
まったく。
俺は真意を悟って、小さくため息をついた。
「久しぶりに髪を洗ってほしいのか?」
「うっ……」
メイは普段、付き人であろうと強く思って行動している。故に、幼い年齢らしからぬ言葉使いもするし、態度もする。短い間ではあったが、フィルニーアがしっかり教育した成果だ。
だが、それでもまだ子供ではある。
こうして甘えてきたりするのである。とはいえ、付き人なのでかなり我慢しているし、遠慮もしている様子だ。今も罪悪感に包まれているような表情である。
メイからすれば俺はお兄ちゃんみたいな存在だろうしなぁ。
本来なら叱りつけるべきなのだろうが、俺はそれが出来ない。
それはメイが農奴だったっていう過去もある。メイには実の姉がいたが、彼女はその身を犠牲にしてメイを逃がしており、もうこの世にいないのだ。
つまり、今のメイにとって、俺は唯一の家族なのである。
「いいよ、おいで。今日は敬語なしでいいぞ」
「ホント!? やったぁ!」
微笑みながら言ってやると、メイは喜んだ。
早速と言わんばかりにメイはバスタオルを取り、水着姿を披露した。
フリルのついた水玉模様の水着はいかにも子供らしい。
「ほら、そこに座って、背中向けて」
「うん!」
頷いてからメイはイスに座った。
俺はその間にしっかりと腰にタオルを巻いてからシャワーを出し、温度をちょっと温めにしてからメイの髪にお湯をかけた。
そういえば、王都に来てから洗ってやるの初めてだな。
しっかりとお湯で髪を濡らしてから、俺はシャンプーをつけてやる。スフィリトリアの北の都でもあったヤツだ。この家にまさか設置してあるとは思わなかった。
しっかりと泡立ててから、濡れた髪に触れ、わしゃわしゃと泡立てていく。
「んっ……気持ちいい。やっぱりご主人様、じょうず」
どこか舌足らずな口調でメイは言ってくる。
まぁ、当然だ。メイが心地よいと思う強さは心得てるからな。
俺はしっかりと洗ってから、シャワーで泡を流した。
「どうだった?」
「うん、さっぱりした! メイ、うれしい!」
体全身を使ってはしゃぐその様は、幼い子供そのままだ。
さすがに身体は自分で洗わせて、俺は湯船にまた入った。読書の続きでもしよう。
「ねぇ、ご主人様」
「ん?」
「どうして
身体を泡だらけにしながらメイは言ってくる。
「ご主人様、じゅうぶんに強いのに」
「まぁステータスだけを言えばそうかもな。でも、俺はもっと強くなっておきたい」
そのために必要なのは、己の戦闘スタイルの確立だ。
俺のステータスは魔法寄りだ。故に基本は前衛をメイに任せ、後衛の俺が敵を薙ぎ払うスタイルを取っている。だが、もし何かの事情でメイ抜きで戦わなければならない時があったら?
もっと言えば、《シラカミノミタマ》が使えない状況に陥ったとしたら?
この先学園を卒業し、冒険者になるわけだが、そんな状況は起こり得るだろう。
だからこそ、俺は
行き着いた答えの一つに
少しの魔力で発動し、種類によっては武器もある。魔法剣とかまさにソレだしな。
そうやって強化していけば、格上相手でもやっていけるはずだ。
「ご主人様、すごいね」
「そうか?」
「すごいよ! だって、ずっと目標持ってるし、そのために頑張ってるし。他の冒険者希望の人たちとは一味違うって感じがする」
んー。言われると確かにそうかもな。
この異世界の冒険者はそれなりにいる。辛うじて世界の治安を維持していられる程度には、だが。
しかし、だからこそ驕りの多い世界でもある。
冒険者たちの多くは真面目に活動しているが、やはり素行不良な連中も多い。特にレアリティの高い連中はその傾向が強いようだ。
俺は不躾に村へやってきていた連中のことを思い出し、少し辟易した。
まぁ確かに
特にそういった連中は様々な理由で貴族籍を捨てている(貴族籍は冒険者にとっては邪魔なことが多いのもあるが)ので、余計だそうだ。
結局そういう部分から腐っていく、と、フィルニーアが愚痴ってたことがあった。
「まぁ俺には村の復興って目的があるからな」
「うん、メイも、てつだう!」
「うんうん。もう十分に手伝ってもらってるんだけどな」
「もっとがんばるの!」
そう言いながら、メイは身体を洗い流して浴槽に入ってくる。
「メイはかえしきれないご恩がいっぱいあるの。いま、こうしてお風呂に入れるのもご主人様のおかげ。こうして甘えて、あったかくしてくれるのはご主人様」
「メイ……」
「だから、メイがんばるの」
メイは本当に、屈託なく笑う。
「メイ、ご主人様のことだーーいすき!」
「うおっ」
いきなり抱きつかれて、俺は少し驚いた。
危うく本を落としそうになるが、それを叱る気にはなれなかった。これだけ甘えてくるのは珍しいからだ。
あー、これ、ずっと我慢してたんだな。
王都にきてからはずっと忙しくて、ゆっくりしてる暇はなかった。メイはそこに気兼ねしていたのだろう。
「よしよし」
「えへへっ」
頭を撫でてやると、メイは嬉しそうに目を閉じる。
「メイ、せっかく洗ってもらったし、ご主人様のも洗いたいな」
「俺か?」
とはいえ、俺はもう洗ったしな。
さすがに二回も洗う必要はない。だが、メイは手持無沙汰にしていて、何かをさせてやらねばなるまい。
少しだけ考えて、俺は名案を思い付いた。
「そうだ。ポチ、おいで」
俺は声に魔力を乗せてポチを呼び寄せる。
すぐにポチはやってきた。風呂場のドアを開けて招き入れてやる。
『なんだ主、こんなところに我を呼び出したりして』
濡れている床に足をつけ、ポチは早速不快そうなテレパシーを乗せてくる。
どうやらその身体にも慣れたらしく、こうした会話も出来るようになっていた。
「うん、お前を洗おうと思ってな」
『なんだとっ!?』
「はい逃げない」
一瞬で踵を返したポチだが、俺はそれより早く動いて抱き上げた。
「お前、見て見ぬ振りしてたけど、気付いてるよな?」
『な、なななにがだ!?』
「お前の身体が呪いをかけたってことだ!」
思いっきり動揺しまくるポチに俺は頭上から叱りつける。
びく、と、ポチの身体が強張る。
「キマイラから魔物の支配権を奪って王都を襲おうとしたり、呪いをかけたり……そのたびにご主人様は腐心させられたんですけど? 本気でロクなことしてねぇぞ」
『しかし、アレは身体だけだったんだ、まさか瘴気であそこまで汚染されるとも思わないし、仕方ないだろうが』
「仕方ないで済まされる呪いじゃあない」
下手しなくても魔神になっていたのだ。
冗談ではなく凶悪であり、もしそうなっていれば、と思うと今でも背筋が凍りそうになる。
「それに、身体だけ離したんだったら、誰かに護らせるとか、仮初の魂を与えておくとか、色々と方法はあったはずだな? それをせずに身体だけ解放したってのは、明らかにお前のミスだ」
『ぐっ!?』
「結果、こんなことになったんだったら笑えねぇっつうの。今回だって危うく俺の平和な学園生活が瓦解するところだったんだぞ」
今でも瓦解しているんじゃないだろうか、というのは言わない。絶対に言わない。
『だ、だが、しかし、主のやりたいことが出来るようになったではないか』
「結果論だな。だが却下だ」
『横暴だっ!?』
「うるさい。身体だけを切り離せばどうなるか知っておきながら対策を講じなかったお前が悪い。恨むならその時のお前を恨め」
『あ、あの時は本当に余裕がなかったのだ、仕方あるまい!』
必死に言い訳を述べながら手足をぱたぱたさせるポチを俺は浴槽へ連れていく。
「後、ウダウダ言い訳並べるやつに慈悲を与えるつもりはない」
『……く、くぅーん』
「甘えても無駄。というわけだから、メイ、ポチを洗ってやれ」
「いいの!?」
とたん、うずうずしていたらしいメイが目を輝かせた。
うん、可愛いな。
「ああ。いいぞ。ポチもここ最近洗ってやれてなかったからな、綺麗にしてやらないと」
『や、やや、やめるんだ主、それだけは勘弁してくれっ!』
「ほら、ポチもこんだけ喜んでるぞー」
「わーいっ!」
『嫌がってるんだっ!』
ポチのテレパシーはまだ俺にしか使えない。
つまり、どれだけ抗議を上げようと無駄なのである。
「じゃあまずはシャワーだねー」
『きゃいんっ!?』
俺は座り込み、ポチを抱いたまま両手を伸ばす。メイは早速シャワーを浴びせ、ポチは悲鳴を上げる。
って今、テレパシーでも鳴いたぞ。
よっぽど風呂が苦手らしい。というか、濡れるのが苦手なんだろう。
「わしゃわしゃーっ」
「きゃきゃっ!?」
「あわあわー、あわあわー」
「ひゃぎっ、きゃうんっ」
「えへへ、キレイキレイ〜」
「くーん、くーん」
メイはそれはそれは丁寧に丁寧に洗ってあげた。ポチが諦めるくらいに。
その後は浴槽に入って、ずっと遊んでいたので、お仕置きとしては十分だったろう。
俺はその間に風呂を出て、研究を始めることにした。
すぐにでも