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執事コンテストと亀裂⑰




そして結人と藍梨は、隣の棟まで来た。 この棟は全て理科室や音楽室などの特別な教室があり、授業のない今はどこも空き状態となっている。
その中でも藍梨は、特別な場所ではない普通の授業に使われる空き教室へと入っていった。 
ここは結人たちの教室とは変わりがなく、2年生や3年生が選択授業で使っているところだ。 結人も彼女に続くように、中へと入る。 
二人でいる教室は、とても広くとても寂しく感じた。 

本当は――――藍梨と二人きりの教室なんて、嬉しいはずなのに。

―――藍梨との仲が戻ったら、そう感じることができるのかな。
「結人」
藍梨はその場に立ち止まり、結人の方へ振り返って名を呼んだ。 結人は彼女が既に涙目になっていることを知っている。 どうしたのだろうか。 今から何を言い出すのだろうか。
自分のところへ、戻ってきてくれるのだろうか―――― 複雑な気持ちを抱えたまま、彼女から出る次の言葉を待つ。 

だが――――次に藍梨から放たれた言葉は、聞きたくもなく信じたくもなかった、最悪な言葉だった。

「・・・別れよう」
「ッ・・・!」
―――は? 
―――藍梨・・・何を言ってんだよ。
「待てよ藍梨! 俺は」
「何も言わないで!」
結人の発言を遮るよう、藍梨は突然大きな声を張り上げる。 この今の状況を、結人は理解できなかった。 どうして彼女は、突然そのようなことを言い出したのだろうか。
何も事情が聞けぬまま、時間だけが過ぎていき――――
「藍梨・・・。 どうして・・・」
「・・・」
やっと発せられたその言葉だが、藍梨は何も答えてはくれない。 ただ彼女は、静かに涙を流しているだけだった。 
きっと今の藍梨は、結人が何を言っても聞き入れてはくれないだろう。 結人からの言葉が聞きたくないのだろうか。 そんな中、結人の心の中には漠然とした不安が蠢き出す。
―――どうして藍梨から、別れたいだなんて言うんだよ・・・。 
―――俺、何かした・・・? 
―――何か・・・した?
そこで結人は、あることにやっと気付く。 

“もしかしたら俺は、藍梨に不安ばかりを与えていたのかもしれない” 

結人は俯きながら、歯を食いしばってこの場を耐えた。

―――これは・・・全部、俺のせいだって言うのかよ。

藍梨から戻ってくるなんて、そんな甘い考えではいけなかったのだ。 自分は、何てことをしてしまったのだろう。 
自分が強がって素直に何も言えずにいたから、それに耐えられず藍梨は―――― 

両手の拳を強く握り締める。
―――俺のせいで、俺のせいで・・・ッ!
何も言えずに黙っていると、藍梨は結人に向かって突然笑顔になった。 顔を上げて、彼女のその表情を見ると――――それは今まで見たことのない、とても綺麗な笑顔だった。
そしてその面持ちのまま、結人に向かって一言を放つ。

「結人。 私のことを一番好きでいてくれて、ありがとう」

―――何を言ってんだよ、藍梨・・・。 
―――俺たちはまだ、終わってなんかいない・・・! 
―――こんな一瞬で、俺たちの関係を終わらせてほしくない・・・ッ!
―――そんな綺麗な笑顔で、そんな言葉を・・・言わないでくれよ。
そして藍梨は俯き、小さな声で呟いた。

「結人。 ・・・ごめんね」

そう言うと、彼女は教室から出ていってしまった。 だが結人は――――そんな彼女を、止めることができなかった。 藍梨は自分ではなく、伊達を選んだというのだろうか。
―――ふざけんなよ・・・こんな勝手に終わらせてもいいと思ってんのかよ!
認めたくなかった。 自分たちがこんなにも簡単に、終わってしまうことを。 諦めたくない。
もし藍梨が伊達に対して物凄く好意を持っていたとしても、結人は藍梨のことをこれからもずっと想い続けるだろう。
彼女と一緒になれることを信じて、この学校へ進学したのだ。 
―――だからこんな簡単に終わらされると・・・俺が沙楽に来た意味、なくなるじゃんか。
だが――――これらの思いは、全て無駄だった。 全ては自分が悪いのだ。 結人がいくら藍梨に対して怒ったとしても、今の状況は何も変わらない。
もっと言うならば、彼女は何も悪いことをしていない。 だから、全部――――自分が悪かったのだ。
だから結人には、藍梨を止める資格なんてないと思い、今彼女を追いかけることができなかった。 

これはただの――――言い訳にしか、聞こえないだろうけど。

結人と藍梨の関係は終わってしまった。 そう――――認めなくてはならないのだ。 だが結人には、心に引っかかっていることが一つある。 
それは、彼女が最後に言った『・・・ごめんね』の言葉。 あれは一体、どういう意味だったのだろうか。

―――謝らなくちゃいけないのは、俺の方だというのに。





結人が教室で一人自分を責めている中――――藍梨は、ひたすら走り続けていた。 立ち止まってしまうと、自分がおかしくなってしまいそうだったから。
だから、とにかく前へ向かって走り続けるしかなかった。

―――これで・・・いいんだ。 
―――私と結人が別れたら、もう何も起こらない。

きっと結人も、気まずいままでいるよりはキッパリ縁を切った方がいいと、絶対に思っている。 そうしたら、結人も気まずくて苦しい思いをしなくて済む。 

―――だから・・・別れてよかったんだ、って・・・思ってね。

そう思ってくれないと、藍梨自身が苦しくなる。 結人には本当に幸せになってほしいと思っていた。 だから――――こうするしかなかったのだ。

―――・・・でも、私は苦しいよ。 
―――本当は、まだ結人のことが大好きなのに。 
―――本当は・・・別れたくなかったのに。
―――ずっと一緒にいられるのが当たり前だと思っていた、私が馬鹿だったんだよね。

失って初めて気付いた、結人が隣にいてくれたことの大切さ。 一人になると、こんなにも寂しいだなんて。 

―――結人に甘えていたのがいけなかったのかな。 
―――私が素直に『寂しいよ』って言ったら、今はこんなことになっていなかったのかな。
―――教えてよ、結人。 
―――私には分からないよ。 
―――私は・・・どうしたらよかったのかな。

―――昨日、私なりに色々と考えたの。 
―――これから結人と、どう付き合っていこうか。 
―――でも・・・これ以上はもう、どうしようもないと思った。
―――結人は私よりも、高橋さんを選んだ。 
―――でも私がもし男子だったら、あんな綺麗な人に告白されたらすぐにOKしてしまうかもしれない。
―――だから・・・何も文句は言わないよ。 
―――私よりも、高橋さんの方が絶対に結人と似合っているから。
―――だから、私たちは別れた方がよかったんだ。 
―――・・・やっと、結人と両想いになれたのに。 
―――別れたく・・・なかったのに。
―――でも、これでいいんだ。 
―――結人は、やっぱり私とは合わなかった。 
―――・・・それでいい。

「・・・藍梨?」
「・・・直くん」

―――あれ・・・私は今、どこにいるんだろう。 

突然目の前に現れた伊達に驚くも、藍梨はずっと彼を見つめたままでいる。 そんな藍梨の異様な光景を見て、伊達はすぐさまこちらへ駆け寄ってくれた。
「ちょ、どうして泣いているの? 大丈夫?」
どうして――――結人を好きになってしまったのだろう。 結人のことを好きになっていなければ、こんな苦しい気持ちにはなっていなかったのだろうか。

―――“好き”っていう気持ちがこの世界になければ、こんなに苦しい思いをしなくて済んだのに。

こんな苦しい思いを、早く捨ててしまいたい。 結人を好きになってしまった、自分が悪かったのだろうか。 少しでも結人との関係を期待してしまった、自分が悪いのだろうか。

―――どうして・・・私は今、こんなに苦しいの? 
―――どうして、こんなに苦しい思いを・・・しなくちゃいけないの・・・。

「・・・藍梨?」
伊達が藍梨の名を優しく呼んでくれる。 

―――・・・でも、これでいいんでしょう? 
―――ねぇ、誰かそう言ってよ。 
―――これでいいんだよって。 
―――ねぇ、お願い。 誰か。 誰か。 言って。 お願いだから。 言って。 早く。 
―――・・・いいんだよ、って。
―――これで、いいんでしょう? 
―――そうなんでしょう? 
―――・・・高橋さん。

「・・・ありがとう、直くん。 もう大丈夫だよ」
藍梨は伊達の目を見ながら、優しく微笑みそう返した。

―――私、ちゃんと笑えていたかな。 
―――直くんに心配をかけないように、笑えていたかな。

もう結人のことは忘れよう。 クラスが一緒で隣の席で、会いたくなくても会ってしまうけど、結人との関係は忘れよう。 そして、もう泣かないようにしよう。 
結人にも、安心させるように。 “私は大丈夫だよ”と、安心させるように。

―――私は、一人でも頑張れるよ。 
―――だから見ててね・・・結人。

「・・・そっか。 藍梨が大丈夫なら、よかったよ」

―――ねぇ、結人? 
―――今の私は“結人を好きにならなければよかったな”って思っている。 
―――こんなに苦しい思いをするくらいなら、好きにならなければよかったなって。
―――でも、いつかは“結人のことを好きになってよかった”って思える日は来るのかな。 
―――・・・いつか、そんな日が来てほしいな。


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