5話
僕がメリスと女の子の二人を助け出し村へと戻ったのは、ちょうど日が傾き始めた頃だった。
メリスが一人、オーガと戦うために村を出て行った事は、直ぐに村全体に広まっていたのか、僕達が村へ戻ると、村の出入り口の当たりには多くの人が不安げな表情を浮かべて集まっていた。
村の人達は、メリスと女の子の無事な姿を認めると、安堵息を漏らし、暖かく迎え、二人の親と思われる者達、二人は抱き合うと、大きく心配させたことへの説教などが行われた。
そんな微笑ましくもある光景を、僕は村の人達から少し離れた場所で眺めていた。
「勇者様だって……よかったね~」
しばらく、解散する様子を見せない村の人達姿を眺めていると、腰のあたりに下げた小さな箱の中からリュークが顔を出し、そう僕をからかう様な事を言った。
「リューク。それ、僕が一番言われたくない呼び方だって、知ってるよね」
「そんなこと言ったって、呼んだのは私じゃなく、あの女の子じゃん。それに、そう呼ばれたのは自業自得じゃん」
窘めるように言うと、リュークは心底呆れた様な返事を返した。
「で、どうすんの?」
「どうするったって……成り行きに任せるかな。一応、口止めはしたし、オーガの一団を倒した程度じゃ、大した事にはならないと思うし」
「だといいけどね……そう言って、また大事を起こすんだから……」
「あははは……耳がいた。ごめんな。いつも心配させちゃって」
気遣う言葉と共にリュークの頭をなでる。
「ば、ばか、そんなんじゃない。私はただ、私が面倒事に巻き込まれるのがやなだけだ」
「はい、はい。分かりましたよ。さて、そろそろ泊る場所でも探しますか」
一向に解散する気配のない村の人達の集まりから視線を外し、村の人達が一か所に集まったため静かになった村の中へと足を向ける。
すると、村の方から三人の男達の姿が目に入った。おそらく、村の人達が総出で一か所に集まった理由が気になり、様子を見に来たのだろう。
「お、おい。あんた。あれ、何があったんだ」
男達と目が合うと、三人組の一人が声をかけてきた。
「英雄のご帰還だって。よかったですね。あなた方はお役御免になったらしいです」
「は? お役御免ってどういうことだよ」
「そのままの意味ですよ。オーガの一団は無事、討伐されたみたいです。ですから、あなた方が動く必要はなくなったようです」
そう告げ、僕は男達を横切り村の中へと歩いて行った。
「はあああ!? じゃあ俺達、ただの無駄足じゃねえか!」
僕が歩き去ると、背後からそんな男達の悲しげな下げび声が聞えた。
◇ ◆ ◇
夜。あの酒場の店主の計らいで借りることができた宿屋の一室で、窓枠に腰を掛け、窓から夜空に浮かぶ月を眺めた。
何処の世界に行っても、姿形に数は違えど必ず月は存在し、常に暦などの基盤になっていた。
見慣れぬ世界で有るはずなのに、夜空に浮かぶ月はとても見慣れたものだった。それは、安心感を与えると同時に、なんだか不思議な気分だった。
「もうすぐ、この世界に来て最初の一日が終わる……か」
夜空に浮かぶ月を眺めながら、なんとなくそんなことを呟く。
「って、暦の数え方次第じゃ、もう一日は終わってて、新しい日に成ってるんだけどな」
今までは旅の仲間や取り巻きの色々な人々居て、夜でも騒がしかったが、今はもうそれらの人々は誰も居ない。望んだ静寂であるけれど、少しだけ寂しく思えた。
コンコンと部屋の戸がノックされる。誰だろう?
「空いてるよ」
窓枠に腰を降ろしたまま、僕は扉の向こうの人物にそう告げた。
扉の向こうの人物は、少し迷う様な間を開けると「し、失礼します」と断りを入れて、扉を開いた。
扉の向こうに立っていたのは、メリスだった。
「こんな夜更けに何か用かな?」
「え、あっと、その……」
要件を尋ねると、メリスは緊張したように頬を赤らめ、口ごもった。
「その……お礼、してなかったですから……」
しばらくすると言葉を見つけたのか、メリスは僕の姿を確りと捉え口を開いた。
「助けていただき、あ、ありがとうございます!」
そして、大きく頭を下げた。
「お礼なんて別にいいよ。それに、あれは君を傷つける結果に成っちゃったわけだし」
「それでも、勇者様が来なかったら、私もリーナも助からなかったから……お礼、しないわけにはいかなよ……」
何か覚悟を決めた様に、メリスはじっと僕の方を見つめてきた。
(お礼って、何をするつもりなんだろう……)
「あのさ、僕、勇者って呼ばれるの、嫌いなんだ。だから、そう呼ぶの、やめてくれない」
「え、あ、私ってば、また……。ご、ごめんなさい。あ、でも、名前、知らないし……えっと」
訂正を求めると、メリスは大きく慌てた。そういえば、自己紹介とかしてなかったっけな。
「あ~、えっと、メリスさん。だっけ?」
「は、はい!」
「じゃあ、メリスさんに、お礼って事で頼みが有るんだけど、聞いてくれるかな?」
「は、はい! えと、私は何をすれば……」
メリスは期待と不安の籠った目で見つめてきた。
(そんなに構える事じゃないんだけどな……)
「僕、実は記憶が無いんだ。だから、自分の名前って知らないんだ。だから、君が僕に名前を付けてくれないかな?」
「ふぇ?」
頼みごとを口にすると、メリスは拍子抜けしたような表情を浮かべ、大きく瞬きをした。そりゃそうだよね、この年の相手に対して、名前を付けてなんて事、まずないだろうから。
「僕、名前に縛られるのって好きじゃないんだ。だから、訪れる土地、訪れる土地で名前を変えてるんだ。だから、君に、この土地での僕の名前を決めてほしいなって。ダメかな?」
「ダメじゃ……ないけど……そんなんで良いの?」
「今の僕が一番必要としているのは、名前だから」
答えるとメリスは大きく落胆したような態度を見せた。
「やっぱりダメだった?」
「あ、違う。大丈夫。うん、前だね。そうだな……」
メリスは口のあたりに手を当て、少しの間考え込む。そして、
「クロード。で、どう?」
と僕の新たな名前を告げてくれた。
「クロード。か、良い名前だね。うん、それじゃあ、僕は今からクロードだ。よろしくね」
「え、あ、うん。よろしく」
上げた名前を直ぐに受け入れられると思っていなかったのか、メリスは小さな戸惑いを見せ、それから「クロード。うん、クロード」と嬉しそうに、小さく僕の名前を連呼した。
「クロード。よろしくね。今日は、ありがとう。それじゃあ、おやすみなさい」
最後にメリスは嬉しそうにそう告げると、踵を返し、早足に部屋から立ち去って行った。
「堕ちたな、あれは」
去って行くメリスを見送っていると、部屋の片隅に置いておいた小さな箱からリュークが顔を出し、そう告げたのだった。
こうして僕の新世界での最初の一日が幕を閉じたのだった。