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小さな淑女はその間退屈しているかと思ったが、朔がいつの間にか餌付けをしていた。勿論、餌は翠の作ったお菓子だ。
母親にアレルギーはあるものの、娘にはないらしい。林檎が大好きだということで、マスターは吽形から林檎と檸檬を取り出す。
檸檬は色変わり防止に。他は林檎で。それをミキサーにかけ濾す。今回使うのは酸味の強い紅玉と、甘みを出すためのふじ。
「炭酸にもできますが」
「りな、しゅわしゅわにがてなの」
「失礼いたしました」
「私には炭酸を入れていただけますか?」
少し落ち着いた母親も微笑んで注文してきた。ここに来た頃の顔色よりもはるかにいい。
「かしこまりました」
グラスはちょっと気分転換になるようなものを。莉奈の前に数個グラスをだし、選ばせればキラキラとした目で見つめていた。
「りな、これがいい!」
さすがというべきか。莉奈が選んだのはボヘミアグラス。チェコの蚤の市で購入したものだが、調べて驚いた経緯がある。盗品でなかっただけましだと思うしかない。……その時の出店者とは今でも付き合いがある。
「……マスター、いいの?」
「構いませんよ。使わないほうが道具に失礼ですし」
奥方は「適当なのに淹れてください」と引きつった顔で言われた。うんうんと頷く朔を眺めつつ、マスターは二人にジュースを出す。
そのあとで申し訳ないのだが、護衛たちには疲労回復にいいとされるハーブティを出しておく。勿論、アレルギーの有無は聞いてからだ。
「そのグラス、実は掘り出し物でして。とある銘家で来客用として使用していたそうですが、使用人が間違えて欠けさせてしまったらしいのですよ」
「……そうなれば出せないのは分かるけど、それを蚤の市で売る主が凄いよね」
経緯を知っている朔が、ぼそりと呟いた。
売った金は新しい来客用を揃える足しにさせた、というのが家の主の言い分。そして、売っていたのは、欠けさせた|使用人《張本人》だったという顛末付き。
「こ……これの数世代後のグラスが……」
奥方の実家にあるという。だからこそなおさら、奥方は価値が分かったようだ。
ものには巡り合わせというものがあり、うまい具合に合わさる時がある。おそらく、その時なのだろう。仕入れたときには四つあったグラスが、今ではこの一つになっている。
「おいしい!」
ぱぁっと綻ぶ莉奈の顔を見て、マスターはそれを確信した。
この子がしかるべき時が来るまで、保管しておこうと。
ちなみに、ここでマスターが請求したのはジュース二杯分と、注文を受けて出した護衛の分だった。
「最初の緑茶とルイボスティの分は……」
「試飲していただいたものまで貰うつもりはありませんよ」
購入するかしないかは、客の決めること。
ひたすら飲む馬鹿には請求するときはあるが、基本そんな客はやってこない。
「さて、このグラスは……」
「あの子に行くのか。翠が聞いたら拗ねそう」
「翠ちゃんにも巡り合わせがありましたから、拗ねませんよ」
「そうなの?」
「えぇ。妻の使っていたウェッジウッドのカップと対になるやつが、手元にありますので」
「……またいいもんを」
「そうですか? ちなみに私のところに預けてありますが」
「ここで飲むときに使いたいと」
「えぇ。翠ちゃん自身が見つけてきたようですからねぇ。わざわざ妻が使っていたカップにコーヒーを注いでくれという、傍迷惑な注文までするくらいですから」
「ここお茶専門店……」
朔の頬が引きつっていた。