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ジャニュとオーガスト6

 ボクは一度軽く頭を振ると、気持ちを切り換えることにする。とりあえず前向きにいけば、きっとなんとかなるさ。うん。
 そういうことにすると、ボクはプラタに声を掛けた。

「そういえば、北の森の先に居る魔族軍はどうしているの?」

 変異種が北の森に戻ってきたのだ、何かしらの反応があってもおかしくはないだろう。とはいえ、前に北の森に居た時は何の反応も示さなかったからな。もしかしたら森からは離れているのかもしれない。砂漠で釣りをしている訳だし。

「森の方は気にしていないようです」
「そっか。ということは、森に居るのは変異種と戦っている魔族のみか」
「はい」

 森の中に居る魔族はそう多くはない。しかし、魔族は一人でも十分過ぎるほどに脅威なので、数は関係ないかもしれない・・・まぁボク達の場合は脅威だから、ではないが。

「はぁ。それにしても、よくこれだけ脅威に晒されているのに人間は繁栄出来てるものだ」

 実際問題として、それは本当に不思議であった。いくら時期がよかったとはいえ、人間は数千年の時をこの地で過ごしている訳なのだから。まあその大半は地下住まいだったようだが。
 その歴史でいえば、魔法を修得したのはつい最近だ。それでも均衡を保てるほどではない。世界的に見れば、ようやく餌から弱者になったぐらいか。だからこそ気になる。

「魔族軍が本格的に天使以外の国へと侵略を開始したのはつい最近の話で御座います。それまでは外の世界は外の世界で均衡が保たれていたので御座います」
「だから攻められなかった」
「はい。世界の情勢が安定してからは、各々には各々の生息圏があり、その中に狩場を持ち、生活しておりました。争いといえば、その支配地域周辺での小競り合い程度でしたので」
「なるほど」
「それでも、情勢が安定するまで生き残れたのは人間の運の成せる業ですが」
「そっか。少しは謎が解けたよ。でもまぁ、おかげでボクはここにいる訳だしね」

 もう死んでいるけれど。とは、心の中で付け足しておく。これは兄さんの身体だしな。

「はい。それだけは人間の運に心よりの感謝を向けたいと存じます」

 プラタがまさしくとばかりに頷く。ちょっと大げさだが、それでもこういうのを運命というのだろうか?

「んーそういえばさ」
「はい」
「西側は撤退したけれど、今は魔族軍が森を囲んでいる訳じゃない?」
「そうで御座います」
「東側は現在戦闘中らしいけれど、西側は完全に魔族の支配地域なの?」
「森の近くはそうで御座いますが、離れるにつれ支配地域は減っていきます。それでも、大体西側の半分弱ほどは魔族の支配下で御座いますね」
「そうなのか。じゃあそっちから南側に回ったのかな?」
「魔族軍でしたらそうで御座います。東側にも細くはありますが、南に至る道を抑えてはいるようです」
「そっか。どうやって南に回ったのか気になったものでね。それにしても、西側結構抑えてるのね」
「西側は森の先の荒野が異形種達の生息域ですので」
「なるほど」
「しかし、その先はあまり侵攻できておりません」
「ほぅ?」
「荒野の先には迷宮が広がっておりますので」
「迷宮?」
「街で御座います」
「街?」
「迷宮街連合のことだよー」
「シトリーの言う通り、街を内包している迷宮です。迷宮とは壁などで区切って出口を分からなくしたものです。その迷宮は壁も含めて生半可な攻撃では壊せませんので、その中にある街に至るにしろ、迷宮を抜けるにしろ根気が必要な場所なのです。それに迷宮は生きておりますので、日々その形を変えております」
「え!?」
「元々そこには人間界のような平原が広がっていたのですが、遥か昔、そこにとある巨大生物が住み着いたのです。その生き物の身体が迷宮になっておりまして、迷い込んだ様々な種族がそこに居を構えだし、いつしか街が形成されていったのです」
「ほう。それは面白い。抜けられなかったという事かな? それとも迷宮内は居心地がいいのだろうか?」
「両方で御座います。迷宮内には小さな森もありますれば、湖も出来上がっております。動物達も住み着いていますので、生活する分には不便は御座いません。ただ、街を出たら帰れなくなる場合があるだけです」
「・・・それは大問題なのでは?」
「街から離れ過ぎずに、糸などを身体にでも付けて帰りの道しるべとすれば大丈夫で御座います」
「急に道が無くなるとかは?」
「街への道が全て塞がるような事にはなりませんので」
「・・・街が分断されるとかは?」
「どうやら街は迷宮の一部と認識されているようでして、それはないようです」
「連合という事は、街は幾つも在るの?」
「はい。ですが、連合とは便宜上の名でしかなく、各街間で交流はありません。迷ってしまいますので、街の住民も自分達の街周辺にしか出ません。ですから、他の街がどこに在るのかさえも分かってはいないでしょう」
「そうなのか。様々な種族ってことは、共生してるって事?」
「はい。共生しなければ死ぬだけですから」
「なるほどね」

 多種多様な種族が共生する世界というのは興味深いな。迷いそうだけれども。・・・そういえば、もし上空から行った場合はどうなるんだろう? 地上からでは迷っても、上空からならば丸見えだろうしな。
 その事が気になったボクは、プラタにそれを質問してみた。

「それは難しいかと」

 そう一言告げると、僅かに間を空けてからプラタは説明を始める。

「迷宮の上空には常時濃い霧がかかっておりまして、上空からの確認を不可能にしております。それでもなお上空から確認しようと近づきますと、迷宮から触手が伸びて捕らえられてしまいます」
「その触手に捕まるとどうなるの?」
「迷宮の養分にされてしまいます」
「ああ、そういえば迷宮は生き物だったか」
「はい。因みに迷宮は雑食で御座います」
「それは健康的なことで。っていうか、普段は何を食べてるの? そんなに頻繁に上空に餌が迷い込んでくるとは思えないんだけれど」
「上空に限らず迷宮内でも侵入者を捕食しているようですが、普段は周囲の魔力や、内外の草木に土などを手当たり次第に取り込んでいるようです」
「その触手ってどれぐらい伸びるの?」
「迷宮の体長とほぼ同等です」
「幾つも街を囲えるほどの規模と同等か、それは長いな」

 それぐらいなければ上空には届かないのかもしれないな。

「はい。ですが、外に出せる触手の長さの全長がですので、本数が増えればそれだけ伸ばせる長さが減っていきます」
「へぇー。それはまた不思議な性質を持ってるな。その触手は獲物を捕らえられるだけあって、力強いの?」
「岩でも木でも容易に砕ける程度には強靭な触手で御座います」
「それは厄介だね」
「しかし、基本的には攻撃さえしなければ、地上から近づく相手には何もしてきませんので、問題ないかと」

 まぁ迷宮内でも捕食できるらしいし、そこら辺は食虫植物の様なモノだと思えばいいのかな? 随分能動的な存在ではあるが。

「なるほどね。そんな迷宮が居るから魔族軍は苦戦しているのか」
「はい。攻撃しようものならたちまち触手に捉えられて餌になりますし、何とか迷宮に侵入できたとしましても、迷って養分となります」
「街に辿り着けた者は?」
「居りますが、そんな迷宮内に住む者達もそれなりに実力者揃いですので、辿り着けた者達は退治されたか、住み着いてしまいました」
「なるほど。迷宮は迂回出来ないの?」
「可能ではありますが、迷宮自体がもの凄く大きいものですから、迂回するだけで一苦労なので御座います」
「ほぅほぅ。そうやって聞く限り、各方面で魔族軍の動きは鈍りだしてる感じかな?」
「左様で御座います」

 北が魔族の本拠地だが、未だに天使とドラゴンは健在だし、西では迷宮の攻略が滞り、東では魚人や半魚人に苦戦中、南は魔物に圧され気味らしいもんな。

「そのために、前に魔族軍がエルフを取り込もうと襲撃したので御座います」
「ん?」

 そんなことを考えていると、プラタがそう続ける。

「どういうこと?」
「精霊の力を借りられれば、迷宮の突破も容易になってきますので」
「そうなの?」
「精霊は迷宮にも居りまして、協力を取り付けさえすれば道を教えて貰えますので」
「なるほど」

 そういえばそうか、精霊は世界中に居るんだった。人間界にも偵察の精霊とかが無数に居るからな。

「とは申しましても、それ相応の実力がなければ、例え道を知っていようとも迷宮は抜けられないのですが」
「ああ、さっきの迷宮の住民は強いってやつか」
「はい。それは別に街の住民だけでは御座いませんので」

 それはそうだろう。周囲の環境が厳しくもないのに誰も彼もが強いなんてことは普通はありえないだろうから。

「でも結局、エルフを取り込めなかったよね。最終的には殲滅しようとしていたし」
「仰る通りで御座います」
「エルフといえば、南側にも居るけれども、そっちはどうなってるの?」
「失敗したようです」
「ほぅ?」
「元々南側の魔族軍は南の魔物達に対する軍勢だったのですが、西での失敗から、南の魔族軍の一部を割いて南のエルフを襲撃しました。しかし、森の中でのエルフ達の強さを前に、それは失敗に終わりました」
「なるほど。強いものだ、魔族軍でも無理とは」

 確か南側は西側の時とは違い、魔族が主軸じゃなかったか? それを撃退するのだから、南のエルフは強いものだ。そりゃ人間がどうこう出来る相手じゃないな。

「それでも、まだ南側には魔族軍が居るんだよね?」
「はい。元々魔物と戦うのが目的でしたので、エルフは諦め魔物に集中しているようです」
「そういえば、南のエルフは森から出ないんだったか」
「はい」

 外では色々と起こっているんだな。相変わらず世界は広いようだし、ボクの知らない事ばかりだ。
 それからも色々と話をしている内に、すっかり夜も更けて日付も既に変わっている。北門に着いた後は一日中ジャニュ姉さんのところなので、今の内に睡眠は取っておいた方がいいだろう。
 普段であれば睡眠は毎日必要ではないが、多分ジャニュ姉さんのところでは一日中緊張して精神的に疲労しそうなので、今夜は特に寝ておくべきだと思う。
 そういう訳で話を切り上げると、ボクは四人に断りをいれてから寝る事にした。起きた頃には到着前だろう、気が重いものだ・・・。
 そして朝になり、列車が北門の最寄りの駅に到着した。
 その前に目を覚ましていたボクは、独りで列車を降りる。
 北門の駐屯地に到着して寮に戻ると、まだ朝も早いというのに、ジャニュ姉さんからの迎えが来ていた。

「・・・・・・」

 その迎えの相手と軽く挨拶だけ交わして、荷物を置いてくるという(てい)で一度自室に戻る。
 部屋に入ると、レイペスが丁度着替えを終えたところのようだった。

「オーガスト君、おかえり」
「ただいま。レイペスは今から任務?」
「うん。その前に朝食だけれど」
「そっか」
「じゃ、行ってくるよ」
「行ってらっしゃい」

 着替えた服を片して部屋を出ていくレイペスを見届けると、自分のベッドに腰掛け一息つく。

「はぁ」

 とはいえ、荷物を置いてくるという理由で自室に戻ってきているので、そんなにゆっくりは出来ない。

「・・・行くか」

 そのまま十秒ぐらい落ち着くと、ベッドから立ち上がり部屋を出る。正直、今すぐにでも湯船に浸かってのんびり落ち着きたい気分だった。
 廊下を進み面会室に到着すると、中で待っていた迎えの女性が一度深くお辞儀をして迎えてくれ、そのままその女性の案内で、駐屯地の外に停めているという車の場所まで移動する。
 その案内の女性は、名をディアというらしい。背はそこまで高くはないが、何故だか執事の様な格好をしている。亜麻色の髪はそこまで長くはなく、顔の作りは中性的と言えなくないもないのでそこまで違和感はないが、それでもやはり女性らしい柔らかさがある容姿の為に、男性とは間違わないだろう。
 体型も男性の様な直線的というよりも、どちらかといえば女性的な丸みを帯びていて、なんというか、成長途上のような幼さを感じる。なので、年齢は聞いていないが、同じぐらいか、もしくは少し下なのかもしれない。
 そのままディアさんに連れられて駐屯地から少し離れた街道に到着すると、そこに迎えの車は停まっていた。
 その車は重厚な黒一色で、車高はそこまで高くはない。車長は少し長いが、ピカピカに磨かれていて、太陽光を艶やかに反射している。
 今まで西門で軍用車しか見たことがなかった為に、その軍用とは違って迎え用の車といった高級感のある車に、ボクの緊張は高まっていく。あれに乗らなければならないのか。
 ボク達が近づくと、車の前で待機していた男性が車の後部座席の扉を開けてくれる。よく見れば、その男性は以前にボクを訪ねてきた背の高い男性だった。
 開いた扉から目に入ってきた車内は広々としていて、清潔感のある白い布が向かい合わせの座席に保護するかのように掛けられている。
 ボクは緊張しながらも、恐る恐るその中に足を踏み入れる。ボクなんかがこんな高そうな車に乗ってもいいのだろうか。というか、こういう高そうな車自体が王侯貴族の乗り物だろうに、平民のボクが乗っても許されるのかな?
 そんな思いを抱きながら慎重に車に乗ると、「どうぞお座りください」 と困惑するボクにディナさんがそれとなく示してくれた座席に恐る恐る腰を下ろす。
 そんな風にボクが何とか座席に座ると、その向かいの席にディナさんが腰掛ける。どうやら有難いことに、車中でのボクの世話や街並みなどの説明をしてくれるらしい。
 ボク達が車に乗り込むと、一言断ってから背の高い男性が扉を閉める。程なくして運転席に乗り込んだ男性が車を発進させた。どうやら彼が運転手だったらしい。
 車が走り出すと、車外の景色が流れ始める。列車程速くはないが、列車とは走っている場所が違うので、少し変な感じだ。
 そんな景色を映す窓には薄い色の入った透明な何かが張ってあるようで、肉眼で見るのとは少し景色の色が異なっている気がする。
 まだ駐屯地を発ったばかりなので、周囲は山や草などの自然が多い。畑も確認出来るが、人の姿は見当たらない。この辺りは視点の高さが違うだけで防壁上と同じだな。
 それでも、いつもと同じなのに違う景色というのは興味がそそられる。しかし、似たような景色ばかりなのでそう長続きしそうにないが。
 まあ移動自体はフェンの方が早いし快適なのだが、風を全く感じないという点が違うので、まだ何とかなっている。
 そんな退屈なボクの心情を察してか、ディナさんが飲み物を勧めてたのでそれを貰うことにすると、透明な液体の入った硝子製の容器を差し出してくれる。
 礼を言って丁寧にそれを受けると、一口飲む。最初は普通の水かと思ったのだが、ほのかに爽やかな味と香りが感じられたので、柑橘系の何かが入っていたのかもしれない。
 その水を半分程飲んだところで、ディナさんが尋ねてくる。

「もうすぐウィリアム様のお屋敷に到着しますが、オーガスト様はパトリック様のお披露目会にご出席なさりますか? それとも別室にてお披露目会が終わるまで待機なさいますか?」

 それはジャニュ姉さんの手紙に書いてあった内容だ。ボクはそれに、出席しない旨を伝えた。

「畏まりました。では、到着致しましたら、そのまま別室にご案内致します」

 ディナさんはそれに頭を下げるように了承の頷きをすると、そう伝えてくれた。やはりこの辺りはちゃんと話が通っていたようだ。
 そんな会話をして間もなく、車は街へと入っていく。そこは高い壁に囲まれている・・・ということはないようで、特に止まることなく車は走って街中に入っていく。
 車窓から見える街並みを、ディナさんが説明してくれる。どうやら今走っているのは車専用の道らしく、街の中央ではなく端の方を走っているらしい。
 ディナさんの説明を聞きながら眺めるその光景は、高い建物が建ち並ぶ景色であった。今まで見たことがないほど街中に高い建物が多く、まるで別世界のようだ。
 それでいて、各所の高い場所に魔法使いを配しているので、見てきた街の中では最も防衛力が高いかもしれない。地上は兵士が巡回している。
 その辺りをディナさんに訊くと、警固しているのはクロック王国軍ではなく、ワイズ家の私兵らしい。ジャニュ姉さんの嫁ぎ先はどれだけ凄いのだろうか。
 そんな観光案内をディナさんに受けていると、昼前には車がジャニュ姉さんの住んでいる屋敷に到着した。





 ジャニュ姉さんの住んでいる家は大きかった。というか、広かった。
 敷地内には建物が幾つも建っているが、その中でも一番大きな建物は五階建てで、頂上に何か半円形のものが乗っている。その建物は一階一階の高さが一般的な建物よりも高く、それでいて幅もあってとても広いのだが、それ以上に敷地が広いので、離れていみる分にはそこまで大きく感じない。
 流石に学園よりも広いという事はないが、それでも造園された庭は十分過ぎるほどに広く、そこにダンジョンでも造れそうな広さがあった。
 まぁとにかく広いという感想しか出ないぐらいに広いのだ。それこそ実家が犬小屋に思えてくるほどに。
 そんな広大な敷地を通ると、車は一軒の家の前で停まる。
 車から降りてその建物を見上げると、二階建ての小さな家であった。小さいと言っても、駐屯地の宿舎よりも床面積が在りそうだが。
 ディナさんの髪色に近いその建物に入ると、中は広々と使われていた。

「お部屋に案内致します」

 その広さに圧倒されていると、一緒に降りたディナさんがそう言って先導してくれる。
 ディナさんに案内された部屋も広々としていて、一室なのに、ジーニアス魔法学園上級生寮の一部屋の何倍あるんだろうか? という疑問が浮かぶ広さであった。それでいて、置かれている家具類もまた高そうなモノばかりだ。あの壁に飾られている、今にも動き出しそうなほど精巧な造りである硝子製の鳥の像なんていくらするんだろうか。
 そんな中での自分の場違い感に緊張していると、ディナさんにソファーを勧められる。しかし、その見るからに高そうなソファーに腰掛けてもいいものか悩む。自分が座ったら汚してしまいそうだし。

「お気になさらずお座りください」

 そんなボクの様子に、心情を察したディナさんがそう言葉をかけてくれる。

「は、はい」

 それに返事をしてから恐る恐るソファーに腰掛けると、丁度そこで優しく扉が叩かれた。
 ディナさんが扉を叩いた相手に応対すると、侍女の服に身を包んだ女性が手押し車に茶菓や軽食を載せて運んできた。もう昼だからな。

「どうぞ、よろしければお召し上がりください」

 そう告げられて目の前に並べられたのは、少し変わった小さなパンに様々な食材を挟んだモノであった。
 一口二口で食べられる大きさのそれが幾つも綺麗に並べられた皿は見栄えが華やかで、共に供された茶菓も上品なモノばかり。
 お茶は薄紅色の液体で、華やかな香りが鼻孔をくすぐる。
 茶菓子の方は多くが花を模していて、淡い色が付けられている。他にも動物や植物の葉に小物を模ったものまであった。それ故に、それらを見ているだけでも楽しめた。とはいえ、あまりに綺麗な出来栄えに、人によっては食べるのを躊躇しそうだな。
 それらをボクの前に並べた侍女は、後をディナさんに任せて部屋を出ていく。
 茶菓子が在るからか、用意された軽食の量が多くはなかったので、何とか食べ終える事が出来た。その後は折角なので茶菓子を一つだけ摘まんでお茶を飲んだ。茶菓子の品のいい甘さと、お茶の華やかな苦みの調和がとれていて美味しかった。とはいえ、一つだけでお腹いっぱいだったが。
 ディナさんが空いた皿を下げて、新しいお茶を淹れると、視界の隅の方に下がった。どうやら、ジャニュ姉さんが待機中に付けると言っていた専属は彼女の事らしい。
 しかし、やることがないな。
 お腹はいっぱいだし、ディナさんが居る空間で魔法も使えないし、魔法道具もおいそれとは他人様の目に晒せないしな。転移なんてもっての外だろう。色々と問題があるが、特に居なくなった事で騒ぎになってディナさんが怒られでもしたら気の毒だし。
 そうなると、頭の中で理論の構築や魔法を使用した時の威力などを想定するしかないかな。ちょうど兄さんから教えてもらった効率化の技術がまだ完全には確立できていないし。それに、まだその先の技術まで背中も見えていないからな。
 そういう訳で脳内で組み立てつつ、使用した場合を想定していく。魔法に慣れ親しむと脳内でも割と正確に想定できるのだから、便利なものだ。それでも、実際に試す方が確実だし見えてくるものがあったりする。それになにより、その方が楽なんだが。
 ソファーに浅く腰掛けたまま、天井の一点を見つめ続ける。集中していると、色々気にならなくなってくる。とはいえ、どうしてもディナさんの存在が僅かに気になってしまう。退屈じゃないか、という考えも頭に浮かぶ。
 それでも思考を止める事無く回転させ続ける。難しい方法を試しているのだ、気を散らしている場合ではないしな。それにしても、魔法の発現を二段階まで減らせたが、それを繋げるのが非常に難しい。しかし、最終的には統合した工程さえも省いていくのだから、泣き言も言えないか。本当に、おかしなことを考えるだけではなく、確立までしてしまうのが兄さんらしいよ。
 そのまま夕方前まで置物のように動かずに思案を続けるが、ディナさんも特に動く様子がみられない。さすがは専門家だ。こういうのを教育が行き届いているというのだろうか? それならばもう少し思案に耽っていても大丈夫だろう。
 そう判断したボクは、ディナさんに構わず思考に没入する。そのまま時が止まったかのような静かな時間が室内に流れ、陽が沈んでいった。
 日が暮れてから幾何(いくばく)の時が過ぎただろうか。不意に静寂を破ったのは、扉を叩く小さな音であった。
 その音で現実に意識を戻すと、いつの間にか室内に明かりが灯されていた。ディナさんが点けたのだろうが、どうやらそんな事も気がつかないぐらいに集中していたようだ。
 扉を叩く音にディナさんが近寄っていくと、それに応対する。
 ディナさんと扉を叩いた侍女は入り口で僅かに言葉を交わすと、侍女は去っていった。それを少し見送り扉を閉めると、ディナさんはボクの方へと振り向く。
 ボクの方を向いたディナさんは、現在のお披露目会の状況を教えてくれる。どうやらもう少ししたらお披露目会が終わるらしく、その後はジャニュ姉さん達が待つ別室に移動するらしい。
 もうすぐ時間が来るという事に気は重くなるが、来たものはしょうがないと開き直る事にする。挨拶さえしてしまえば、後は兄さんが何とかしてくれるだろうし。
 とはいえ、まだ時間があるらしいので、引き続き思考して待ってようかな。
 そう決めると、ディナさんに了承を伝えてから思考を再開させる。
 長い事集中して思考に耽っているも、成果は中々得られない。本当に難しい。
 そのまま頭の中で試行し続けてどれだけ経ったか、とうとうその時が訪れる。
 再度の扉を叩く音に意識を戻すと、ディナさんが応対する。訪ねてきた侍女と少し言葉を交わすと、侍女は去っていった。

「パトリック様のお披露目会が終わったようです。ウィリアム様とジャニュ様が待たれているお部屋に御案内致します」

 ディナさんの言葉に頷くと、ボクはソファーから立ち上がる。さて、いよいよご対面か、緊張するな。





 その部屋はとても広いが、それだけではなく普通の部屋とは少し造りの違う部屋であった。しかしそれも当然で、その部屋は客間などとは違い人が寛ぐための部屋ではなく、己を鍛えるために訓練するのを目的に造られた部屋であるのだから。

「・・・まだかしら?」

 その部屋で、濃い赤色に見える黒髪をした美しい女性がそわそわとしていた。

「今呼びに行ったばかりだろう。ジャニュ」

 その女性、ジャニュを長身で驚くほど整った顔立ちの男性が窘める。

「それは分かっているのですが・・・」

 ジャニュはそれで大人しくなりはしたが、それでもうずうずとしているのが誰の目にも明らかだった。
 そんな姿を、ジャニュの息子のパトリックが不思議そうに見上げた。

「今からお会いするのは母様の弟君にあたる方でしたよね?」
「ええ。先程会った二人とは違う弟よ」
「そうなのですか。どんな方なのですか?」

 パトリックの問いに、ジャニュはどう答えたものかと、どこか困ったように思案する。

「とても強い子よ。だけれども、少し変わった子かしらね」
「強くて変わった方なのですか?」
「ええ。誰よりも魔法に長けているのだけれども、人とは違う視点で物事を捉える子なのよ」

 ジャニュの説明に、パトリックは目を輝かせた。

「母様ぐらい強い方なのですか!?」
「いえ。私などでは足元にも及ばない子よ」
「母様よりも強い方が居られるのですか!!?」

 パトリックはそれに驚きの声を上げる。

「ふふ。先程会場でお会いしたシェル・シェールさんも私よりも強いのよ」
「そうだったのですか!」
「ええ。まぁこれから会う弟のオーガストは、そんな彼女ですら遠く及ばないんだけれどもね」

 そう言うと、ジャニュは妖しい笑みを僅かに浮かべた。
 そこに入り口の扉を叩く音が聞こえてくる。ウィリアムがそれに頷くと、入り口近くに控えていた使用人の女性が対応した。それから少しして、その使用人の女性が一度扉を閉めてジャニュ達の近くまでやってくる。

「オーガスト様がご到着されましたが、どうなさいますか?」

 使用人の声に、ウィリアムが通すように告げる。
 それに「畏まりました」 と言って了承のお辞儀をすると、使用人は扉に戻って来客を通す。

「ん?」

 オーガストが屋敷に滞在中の世話を任せていた、男性用の服に身を包んだ女性の使用人が連れてきた深い黒髪の少年を見たジャニュは、僅かに眉を寄せる。
 近くまでやってきた黒髪の少年は、どこか緊張気味に挨拶を行う。それにウィリアムとパトリックが挨拶を返した後、ジャニュは少しその少年を眺めた後に口を開いた。

「・・・久しぶりね。雰囲気が変わったかしら? オーガスト」
「そうですか?」
「ええ。何というか、変な言い方かもしれないけれど、人間になったというか・・・そうね、落ち着いたかしら?」

 ジャニュのその指摘に、少年は少し驚いたような反応を示す。

「・・・流石ですね。ジャニュ姉さんは」
「ジャニュ姉さん?」

 その少年の自分に対する呼び方に、ジャニュは少し不審げに眉を動かす。

「はい。私はオーガストであってオーガストではありませんから」
「それはどういう意味かしら?」

 ジャニュの疑問の声に、少年は説明を始める。

「私はオーガストでありジュライでして」
「ジュライ?」
「ジャニュ姉さんならばご存知だと思いますが、オーガストは産まれた時に兄弟を失っています」
「ええ。覚えているわ」

 そう頷いたジャニュの瞳には、一瞬憂うような色が浮かぶ。

「その亡くなった方が私ジュライでして、今はオーガスト兄さんに身体を貸してもらっているのです」
「ふむ。・・・また突拍子もない話だけれど、それでオーガストは今どうしているの?」
「私の中に居ます。今日はジャニュ姉さんに挨拶をしたら交代する予定です」
「なるほど。不思議な話もあったものね」

 そう言うと、ジャニュは頷いた。しかし、ウィリアムとパトリックはどういう事かと困惑するような表情を浮かべている。

「つまり、オーガストの中にもう一つの意識があって、今はそれが表に出ているという事ですよ」

 そんな二人にジャニュがそう簡潔に説明を行うと、二人は困惑した様子ながらも、何とか理解したというように頷いた。

しおり