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第5話 Mission of the Party -Act.1


「サジェンさま、グラスを」
側近の女が近寄り、サジェンにワインの入ったグラスを差し出す。
「あぁ、ありがとうナーシャ」
サジェンはそれを貰うと、一度グラスを傾けてから眼前に広がる景色を見渡した。
ここはサジェンが表向きの社交場としてつくった、アレスタパーティーホールのメインホール。まるで玉座に腰かけるように、周りより何段か高いところに腰をすえ、サジェンが見下ろす広いフロアの先には、和やかに談笑を楽しむ人々の姿があった。
ただ少し変わっているのは、男性陣だけ、皆一様に仮面をつけていることである。
「サジェンさま、どうして男性の皆さんは仮面を着けていらっしゃるの?」
ナーシャとはまた別の年若い女が尋ねた。彼女はするりとサジェンの腕に自分の腕を絡め、上目使いでサジェンを見つめる。
「ローズ、それはここにやってくる人達は皆自分の顔や素性を明かしたくないからだよ」
「なぜですか?」
「ここは―――ここは、ちょっと他所様とはちがう『商品』を置いているからね」
サジェンはローズにホールを見るように促す。フロアをぐるりと一周するように『商品』が置かれている。時折「出して!」と叫ぶモノや、諦めたように呆けているモノ。
……それは、檻の中に入れられた――

―――人間だった。

「そうか、ローズは最近きた子だったね。説明すると、今日のお客さまは皆あれを買いに来てるんだよ」
表向きは社交場。裏側は人間を売りさばく闇のパーティー会場。それがこの会の実態だ。
「みんなバレたくないってことですか?」
「そうさ」
ふぅん、と聞いておいて興味なさげに漏らすローズ。
「ならどうして女の子は?」
「女性が仮面をつけていたら、私が彼女たちの顔を見れないじゃないか。やって来た子の中に美しい子がいたら、私の側近として迎えるんだよ。―――ナーシャのようにね」
サジェンが空いている手を、側に立つナーシャの腰に当てる。ナーシャはびくりと体を震わせた。サジェンは怒ることなどしない。むしろその反応を楽しむように、ナーシャの身体のラインをなぞる。
ナーシャはなにも言わない。ただじっと、唇を噛んで耐えるだけだ。ただ、じっと。
だがサジェンのその手は、ローズの無邪気な言葉で止まる。
「サジェンさま、『商品』の1つが騒がしいですよ」
「なんだと?」
視線をそちらにやるサジェン。ホールをぐるりと一周するように置かれた檻のひとつが、がしゃがしゃとしきりに嫌な音をたてている。金切り声をあげ額を檻に打ち付ける様は、端から見ればもう狂ってしまったとしか思えない。
「あぁ耳障りだ」サジェンが首を振る「アレはもう駄目だな。ガスト、いるか」
「……ここに」
「アレ。……中央から四つめのアレだ。確かバイヤーから臓器売買の依頼があっただろ。それに使ってやれ」
「……承知いたしました」
ガストと呼ばれた男は言うやいなや姿を消す。3分も経たないうちに、屈強な男たちが例の檻のまわりに集まり、檻ごとホールの外に運び出してしまった。
「ふぅー、静かになったね。やーっとパーティーを楽しめそうだよ。……今は何時かい、ナーシャ」
「……7時半です」
「まだ30分あるね。どれ、私は用を足すついでにフロアを見てこようかな」
サジェンはそう言って立ち上がった。ローズの腕も自然とほどかれ、もの寂しそうな顔をするローズ。
「そんな顔をするな。帰ってきたらたっぷり可愛がってあげるよ、ローズ」
サジェンは目を細めると、ゆっくりとフロアの方へと歩いて行く。
しばらくその背を見つめていたローズだったが、完全にサジェンがフロアの人混みに紛れてしまうと、ゆっくりと息を吐いた。そして……おおよそサジェンが想像もできないようなことを思う。

―――クソジジイの世話も大変だわ。

決して表情には出さずに、心のなかだけで毒づく。
―――でも黒ね。それがわかっただけでも良かった。
一定の成果を得たことには満足だった。たとえどれだけ嫌なやつに媚を売ることになったとしても。
ローズは横目でナーシャをみた。ひどく怯えている。仕方のないことだ、ナーシャはもともと王貴族のご令嬢で、つい先日、サジェンに目をつけて連れてこられたのだから。拒みたくても拒めるわけがない。出会ってすぐに薬漬けにされており、既に薬無しでは生きていけないのだ。哀れなことだ。全く、憐れな。
そんなことを思っていると、フロアに入ってきた二人の男女がローズの目についた。特に女性。胸元の大きくあいた、セクシーながらも上品さのあるドレスを纏っている。かなりの美人だ。
彼女もサジェンに目をつけられてしまえば、ナーシャのようになるのかと思うと、いたたまれない。少し胸が痛くなったときに、ローズはその女性と一緒にいる男性を凝視した。
―――あいつは……
茶髪。細身。仮面をつけていてもわかる、瞳の奥の威圧感。隠してはいるが、ジャケットの下に何か持っている。恐らくは、彼の得意武器である、短剣。
「………ノワールフォーコン……」
ローズは小さく舌打ちをした。




「………ミモザ、あまり緊張するな」
「……わかっては、いるんですが」
フロアに入ってきたミモザは、婦人と従者設定で共に入場してきたアドニスにさっそく小声でダメ出しを受ける。
こういった場になれていないのではない。社交場だけで言ったら、ミモザはむしろアドニスより場数を踏んでいる自信がある。小さい頃からジナンス家令嬢として生きてきたミモザにとっては、ごくありふれたパーティーなのだ。
ただし―――『普通の』パーティーでは暗殺のミッションなど請け負ったりしない、というだけで。
「『ミザリー様、あまりこういった社交場になれてないとはいえ、きちんとしてくださらないと』」
設定通りの台詞をアドニスが口にする。ミモザも一呼吸おいて、
「……そうね、エディ。でも主人に指図する従者は必要なくってよ」
と威厳たっぷりに言った。
「失礼いたしました」
ミモザは某貴族のミザリー=ムヴィスキ。アドニスはその従者のエディ役。役になりきって深々と一礼するアドニスに、ミモザは複雑な気持ちになる。
―――……でも…こんなことで躊躇しちゃ駄目だ。まだ序盤もいいところなんだから。
ミモザはわざとらしく咳払いをすると、出来るだけ冷たい視線をアドニスに浴びせた。
「わかったのなら今後気を付けることね。その首をもがれたくなかったら」
「……はっ」
ふん、と蔑むように笑ってから、ミモザはきびすを返してフロアを歩きはじめる。……上手くできただろうか。
しかし今はそれを心配している場合ではない。ミモザは気持ちを切り替えて、ざっとフロアを見回した。さっき確認したが、サジェンはどこかへ行ってしまったようだ。サジェンのものであろう、ホールの最奥、一段高い位置に置かれた椅子はもぬけの殻である。
ひとまずサジェンを見つけないことには作戦が始まらないので、ミモザはゆっくり歩きながらサジェンを探すことにした。
「……エディ、キツネ探しは好きかしら」
「嗜む程度ですが。キツネを見かけたときにはミザリー様はキツネに付いて行かれるおつもりですか?」
キツネとは二人で決めたサジェンの呼び方である。アドニスの返答は、要は『サジェンに付いて行くのか?』ということだ。
「えぇ」
ミモザは答えた。
「ねぐらまで連れ帰ってもらったら、もっと楽にすむでしょう?」
「……旦那様のお考えですね。承知いたしました」
旦那様とはギムレットのことだ。
アディントンの情報によれば、サジェンの姿が見当たらない場合は、大方サジェンはフロアにいる。それを探し、きっちり『部屋に連れ込んでもらって』、人目のないところで暗殺を仕掛けるのが、今回の作戦の大雑把な内容だ。
このホールは隣接して、サジェンが同じく経営するホテルがある。好みの若い女をみつけたサジェンが行く先は、ほとんどそのホテルだ。連れ込むのを目的にして、パーティーホールとホテルを並べて作ったに違いない。
加えて、ホテルとホールの間には直通の通路がある。下調べのときにその位置は確認済だ。ミモザがそちらへと視線をやると、大きめの扉が見えた。
―――最低だわ。
ミモザは眉を潜める。でもこの後自分はサジェンとともあの扉を潜らねばならない。そう、何としてでも。
すると突然、左耳に付けたイヤリングに模した無線に通信が入った。
『こちらギムレット。全員行動したまま聞け。アドニスとミモザがホールに潜入できたことを確認。が、実はキールのほうにちょっとトラブルがあった。北のダクト付近だ。地図は理解しているな? アドニスは即刻そっちに向かえ。わかったら咳払い一回』
『……』
咳払いもなにも聞こえない。これはNOということか。
『なぁーに心配すんな、ミモザの警護はアディントンにやらす。アディントン、聞いてるな』
アドニスのものではない、小さな咳払いが無線越しに聞こえた。ミモザはまだ会ったことがないが、おそらくはこの咳払いの主がアディントンなのだろう。
アドニスも間をあけて咳払いを一つ。
『よし。ミモザはアディントンとの合流を待たずにサジェンを探し始めろ。そう堂々と従者がいたらサジェンも誘いづらいだろうしな。アディントンはステルスでミモザに付いてくれ。―――ギムレット、アウト』
プツ、と音をたてて無線が切れた。と、同時に、アドニスがミモザにすすっと近寄り、小さく一礼。
「それでは行って参ります、ミザリー様」
「……えぇエディ、気をつけて。」
アドニスはその名に相応しく、爽やかな笑みをたたえると、ごく何気ない仕草で人混みに歩いていく。ミモザが二回まばたきをする間で、もう彼の姿はすっかり消えていた。
さて、とミモザは驚きながらも頭を切り替えた。サジェンを探さねばならない。
―――ホールをとりあえずまわってみよう。
一人頷いて、ミモザはゆっくりとフロアを歩き始めたのだった。

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