訓練とシルバーと
任務の作戦会議によれば、決行の日は二週間後ということらしい。ではそれまでなにをするかというと、それは人それぞれで違う。ギムレットは幹部のそれぞれに別の指示を与えたのだ。ではミモザに与えられた指示はなにかというと、非常に単純明快なもので、
『身体能力および諜報能力向上のための訓練に徹する』
だった。
アドニス、キール、ギムレット、そして今は潜入捜査中で不在の「アディントン」と比べてしまえば、ミモザの戦力は明らかに劣る。少数先鋭での迅速な行動が求められるがゆえに、それは部隊としてかなり致命的なことだ。強化週間が設けられるのも不思議ではない。甘んじてミモザはこれに同意した。
そんなわけで、作戦会議の翌日、早朝五時。ミモザは始発のバスに揺られながら、昨日のギムレットの言葉をぼんやり思い出していた。
『いいかミモザ、明日からお前に技術という技術を叩き込む。朝の五時半からだ。訓練相手は初めは俺、慣れてきたら他の三人も含めてローテーションにする。わかっているとは思うが、お前には時間がない。死ぬ気で集中して吸収しろ。』
―――私にできるのかな。
覚めきってない頭のなかでそんなことを考えた。ナイフは料理でしか持ったことがない。銃に至っては持ったことすらない。そんな自分が、まさかこんなことになろうとは。
―――……だめ、しっかりしないと!
ミモザは空いた片手で頬を軽く二回打った。まだ始まってもいないのだから、ここでモヤモヤしても仕方がない。
バスがアイロニアに到着する。しっかりとステップを踏みしめながら降りると、ミモザは幹部室に向かった。
幹部室には隣接して三つの部屋が付随している。給湯室、ロッカールーム、そして訓練室の三つだ。昨日ちらりと見ただけだが、訓練室はかなり広く、加えてキールいわく防音だそう。発砲をしても安全だというのがウリらしい。
しかし一方で、給湯室とロッカールームはよくみる一般的なもので、ロッカールームに至っては一般的なものよりもかなり狭く設計されていた。
―――着替えるのにもう少し広かったらなぁ……
そんなことを思いながら、ミモザはロッカールームへ続く扉をあける。しかし何気なく開いたその先に、ひとつの影。
「お、ようミモザ」
そう呟いたのは、着替え中だったのだろう鍛え上げられた上半身があらわになった状態の―――ギムレットだった。
しばらくそのまま硬直していたミモザだったが、我に返ると、「ご、ごめんなさいっ!!!」
叫んで慌ててドアを閉める。
―――……どうしようどうしよう凄いじっと見ちゃった気がする!!!
顔が熱い。やってしまったと、ドアの横の壁にずるずるともたれて座り込む。
「うー……やっちゃったー……」
「何をやっちゃったんだ?」
「!」
いつの間にか着替え終わったギムレットがロッカールームから出て来ながら言った。涙目で顔を真っ赤にするミモザをみて、愉快そうに笑う。
「別に気にしてないからいい。悪いな、見苦しいもん見せて」
ミモザはぶんぶん首を振る。ギムレットはそんなミモザの頭をぽんぽんと優しく叩いた。
「先に訓練室に行ってる。早く来いよ」
「……はい、すいません……」
気にすんな、そう笑いながら言うと、ギムレットは振り返りもせず訓練室の扉の奥へと消えていった。
「……あー……」
残されたミモザ。恥ずかしさに押し潰されそうで、体を縮める。
―――恥ずかしい……。ギムレットさんって結構筋肉質というか鍛えてるというかそりゃ仕事してればそうなるだろうけど……って私なに考えてるんだ!
何よりも、ギムレットの上裸をみて多少ないしドキドキしてしまった自分が恥ずかしくて、ミモザは両手で顔をおおった。故郷にいたときは父親と会うこと自体がそんなに多くなかったうえ、そとそも男性と関わることがなかった。しょうがないといえばしょうがないのだが、耐性が無さすぎてどうしていいかわからない。
この先これでやっていけるのかと、ミモザは嘆くように深くため息をついた。
「おー、来たか」
脳裏にこびりついた邪念を振り払って、なんとか向かった訓練室に、ギムレットはいた。
「お待たせしました」
ミモザも動きやすい身軽な格好に着替え、準備は万全である。
「よし、じゃあさっそくやっていくがその前に、お前の任務上の役割だが、」
すぐに訓練にうつるかと思いきやそうではないらしい。ギムレットは腰に手をあてたままミモザを見据えた。
「諜報と、戦闘メンバーのアシストだ。それはわかっているな?」
「はい」
「じゃあそれに効果的な方法が何かはわかるか」
「方法……ですか。方法……」
「……ミモザ、答えはひとつだ。それはな」
ギムレットの目が光る。
「ハニートラップだ」
「…………はい?」
「ハニートラップだ。サジェンは無類の女好きで有名でな、諜報においてはハニートラップが一番効果が出るだろうと思う、間違いない」
「……とりあえずハニートラップが有効だとして、そのやり方とかはギムレットさんがおしえてくださるんですか?」
「まさか。」
ギムレットは肩をすくめる。
「ハニートラップ担当はアドニスだ。サジェンが男も行ける方だったらアドニスでよかったんだがな、女しか受け付けないらしい。ま、だからアドニスに教えてもらってもいいんだが……今回は客がいる。―――シルバー、入ってきてくれ」
ミモザが驚いて振りかえると、幹部室の方からシルバーのなにふさわしい美しいすらりとした銀髪の女性が入ってきた。手に大きめの紙袋をもっている。
「はじめましてミモザちゃん」
「は、はじめまして」
「シルバーは俺の昔からの知人でな、こっちの世界のこともよくわかってる奴だから安心して良い」
ギムレットの言葉に合わせてシルバーが微笑んだ。思わずどぎまぎしてしまう。同性の目から見てもかなりの美人だ。
「ところでギムレット」
シルバーがくるりとギムレットの方を見る。
「……私のことを紹介するときはシルビアと呼べと言っているだろうがあああっ!!!」
突然のドスのきいた低い声。ギムレットの耳をつまんでおおよそ女性とは思えない勢いで叫ぶ。
それを意にも介さずギムレットがシルバーを指差した。
「ミモザ、わかると思うがこいつは男だ。」
「きいてるのかアホギムレットおおおおっ!!!」
「おお落ち着いてください!!」
ミモザが慌てて止めにはいる。しかしギムレットはのらりくらりとシルバーをかわし、シルバーの勢いはおさまるところを知らずに5分が経過。
やっと落ち着いたのか、息をきらしたシルバーが荒ぶった前髪をさっとなおす。
「私としたことが、ちょっと取り乱しちゃったわ、ごめんなさいね」
ちょっとの意味をもう一度辞書で調べ直す必要があるな、と思いながら、ミモザはシルバーに一礼した。
「これからご指導よろしくお願いします」
「ミモザちゃんみたいに素直な子なら大歓迎よぉ。だけどごめんなさいね、私忙しくって今から二時間しかお相手できないの。これからの二週間に至っては一回も来れないわ。だから頑張って今日の二時間で全部吸収してね」
「二時間!?」
「そうなの。実際の身体技術とかはギムレットにおしえてもらって……私からは身体の魅せ方とか言葉使いとかの指導になるわ」
「……そうなんですか……」
二時間。短いといえばそうかもしれないが、なによりも貴重な二時間だ。決して無駄にできない、決して。
するとシルバーがいきなり手をパンッと叩いた。
「そうそう、忘れてたわ!ハニートラップに必要なのは衣装もよ。それでね、私今日持ってきた服があって……」
側に置いておいた紙袋をあさるシルバー。やがてお目当てのものが見つかったのか、目を光らせると、
「じゃーん!!」
と一着の黒いドレスを披露してみせた。
「こ、これを着るんですか……」
ドレスをみたミモザに戦慄が走る。黒地にノースリーブのマーメイドラインドレスというのは良いのだが、その胸元は凄いとしか形容できないほどざっくりと開いている。
「素敵でしょう?夜の星空をイメージしたんですって」
確かに、シルバーが服をもって動くたびに、ドレスに散らされたラメががキラキラと輝く。決して痛くなるような光ではなく、むしろ上品だ。
「あの、それはとても素敵なんですが……む、胸が……」
もごもごとミモザが指摘すると、シルバーは「あぁそんなこと」と首を振る。
「いいこと、ミモザちゃん。恥じらいは必要ないわ。胸くらい我慢して一個や二個くらいくれてやりなさい」
「……」
くれてやるのは不可能だったが、シルバーの言うことも一理あった。恥ずかしがっていたら進むものも進まない。
「……わかりま」
ミモザがそこまで言った時だった。
「バストサイズだったら大丈夫よ、ちゃんと教えてもらったから」
「……教えてもらった?」ミモザは自分でサイズを申告した覚えはない「誰にですか」
「え?誰って―――」
シルバーが扉の方を指差す。そこにいたのは……
「―――ギムレットだけど」
「……ええええええええ!?」
予想もしてなかった答えに思わず叫ぶミモザ。当のギムレットといえば訳がわからないように首をかしげている。何を叫ぶことがあるのか、といった顔だ。
「え、え、あのどうやって……!?」
「そんなん見てればわかるだろ」
「わからないですよ!!!」
一般の男性は見るだけで胸のサイズを見分けるというのか。どんな特殊技能だ、なんの実用性があるのだ。
「あってると思うぞ、おまえのサイズはい」
「言わなくて良いから!!?」
ギムレットの言葉を必死で遮る。ロッカールームのときとはまた別の顔の火照りがミモザを襲う。恥ずかしくて死にそうだ。
それがなにか?とでも言うようにしれっとしているギムレットをみて、なおのこと熱が膨張する。
「………っこの……っ!!」
おさえきれなくなって、ミモザは怒りと恥じらいに震えた左手を大きく振った。
「エロジジイがぁ!!」
バチーンという乾いた音が、訓練室にこだました。