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大浴場で大騒動

「だ――――誰ですか貴方は!?」

「えー、ひどーい。背中を流した仲の名前を忘れるなんて。メアだよ、メア」

 自分の全裸の姿を隠す素振りも見せず、口を尖らし拗ねた様に自分を指差す女性だが、僕は激しく首を左右に振り。

「僕が知っているメアさんは、大きな体躯に岩の様な筋肉をした屈強な男性です! 全裸の女性なんて知りません!」

「なにをー。なら、私がメアだと信じるまで抱き付いちゃうんだから! えい!」

「や―――――!」

 止めてください!と最後まで言えず、僕は「ぎゃああああ」と絶叫をあげる。
 背中に伝わる柔らかい感触。弾力のあって心地よい体温も伝わる。こ、これはまさか――――おっ○い!?
 てか、普通、裸を見られて狼狽するのって女性の方だよね? なんで男の僕の方が絶叫をあげてるの!?

「ちょ! 本当に離れてください!」

「じゃあ、私がメアだという事を信じてくれるかな?」

「信じます! 貴方が正真正銘のメアさんだと信じますのでどうか離れてください!」

 僕は必死に懇願するがメアさんは一向に離れてくれる素振りを見せない。
 それどころか更に抱き付く力を込めて僕に柔らかい感触を押し付ける。

「いやー! ほんと、この反応堪らない! 如何にも女性経験がない初々しい反応! この反応は紛れもない生息子! 久々に胸が高まるよ!」

「いや、そんな事はどうでもいいので本当に離れてください!」

 一人勝手に盛り上がるメアさんとは違い、僕は頭をショートしかかる。
 生息子って言葉はよく分からないけど、この状況での言葉として恐らく童貞って意味なのだろう。
 否定はしない。僕は女性経験はゼロだ。だからこの状況は耐えきれない!

「ほらほら~。早く解かないともっと押し込んじゃうぞー」

 更に強く体を押し付けるメアさん。
 普通であればスタイル抜群な女性に抱き付かれる事は男の至福なんだろうけど。
 女性経験皆無の童貞が弊害しているのか、一刻も早くに解きときたい。
 そもそも僕は、真奈ちゃんという最愛の彼女を持っている身だから、倫理的にも世間的にもこれは色々と危ない。

「本当に、そろそろ離れてくださ――――!」

 むにゅ。

「……………むにゅ?」

 むにゅむにゅ。

「………………………ッ!?」

 僕は必死の抵抗としてメアさんを押し剥がそうと試みるも、メアさんの体を手は触れた時、手に平に伝わる柔らかい感触……これって。

 背中に怯気を震わし、僕はわなわなと自身の手を見る。
 僕の手に握られている物。
 それは、男の極上のロマンともいえる、ふくよかに膨らむ……乳房とも呼べる、胸。

「うぎゃあああ! ス、スミマセン! スミマセンスミマセン!」

 大浴場に木霊する絶叫をあげ、僕は後方に飛んでダイビング土下座する。
 大理石の床に頭を擦りつけ必死の謝罪。
 生まれて初めて触った手に残る感触を余韻に、僕は手と頭と足を床に合わせて土下寝を試みる。

 僕が必死に謝るのに対照的に、触られた本人は特に気にすることはせず、逆に喜々とした声音で、

「まさか私の自慢の一つである胸を触るなんて、草食系かと思ったけど案外大胆なんだね~。一回目を触った後、さり気なく二回も揉むなんて驚いたな~」

「い、いや……あれは不可抗力といいますか……」

 僕は言い訳するがメアさんはバッサリ切り捨てる。

「そんな言い訳が通用すると思っちゃてるの? これで君は犯罪者の仲間入りだね。私が訴えを起こしたら敗訴しちゃうよ? 魔界にも裁判制度があるからね、男性の君に胸を触られたって言えば、どうなっちゃうかな」

 魔界も人間界と同じで男性には世知辛い世界らしい。
 だって僕悪くないもん。悪いには僕に接近したメアさん。そもそもここ男湯だからね。

 しかも、完全に怒っているとか本気で訴えるつもりだとかの表情ではない。
 比喩するなら、新しく見つけた面白そうな玩具を見つけた心弾む様子だ……。

「さあこれで、私は貴方の弱みを握った。訴えられたくなかったら、諦めて好き勝手されるが吉だよ」

 ニシシッと不気味に笑いながら、手をワキワキさせて詰め寄るメアさん。
 尻餅を付きながら後退る僕だが、直ぐに背中を壁にぶつけて動きを止める。

「ちょ、ちょっとメアさん……なんか目が血走って怖いんだですけど!?」

「それはそうだよ。だって、人間の男性の精気を吸うなんて久々だからね。しかも、相手は汚れがない純潔な生息子ときたもんだ。久々に|淫魔《サキュバス》としての血が滾っちゃうよ」

 ジュルリと舌なめずりするメアさん。その目は完全に捕食者の目だ。

 そう言えばこの人。種族は人の精気を吸い取る悪魔のサキュバスだった。
 よくサキュバスは男のロマンを抜かす連中がいた。
 実際の僕も、この状況に陥るまでは心の隅で少なからずそんな理想像を掲げていた。
 が、実際にサキュバスを目の当たりにすると実感する。
 
 淫夢を見せる悪魔。略称して淫魔。
 悪魔と付くぐらいだから、相手は悪魔だ。どんな見た目をしていようとも。
 僕はただの獲物。相手は捕食者。腰を抜かして僕は身じろぎしか出来ないでいるが、

「メ、メアさん……。ぼ、僕がどんな立場なのか知ってるんですか……? ぼ、僕は魔王である真奈ちゃんの彼氏なんですよ」

「うん、知ってるよ」

 水戸黄門の門所を見せるかの様に切り札を切ったがバッサリと捨てられる。
 へ? と間抜けな僕に対して、メアさんは言葉を続ける。

「先刻も言ったけど、君の事はもう魔王城全体に広まっている。私自身はホロウから聞いたけど」

「な、なら魔王の彼氏たる僕に手を出せば……」

「確かに私が魔王様の彼氏の君に手を出せば、ただじゃすまないかもね」

 「けど」と言葉を続け、強く拳を握りしめたメアさんは高らかに言い放つ。

「だからこそ燃えるじゃん! 彼女持ちの人、しかも相手が魔王様の彼氏であれば、もう興奮して濡れちゃうよ! あぁあ! 人の大事な物を私色に染める快感! 人間界でブイブイ言わせていた時の高揚感を思い出しちゃう!」

 どこが濡れるのか敢えて聞かない、怖いから。
 けど、分かった。この短時間の会話だけでこの人の性格。
 この人はダメなタイプの人だ。所謂ギャンブルタイプ。
 怖い橋程渡りたがる。探求心溢れる怖い物知らず。

「ふふふっ。だからとっとと諦めて私に身を任せるんだね。大丈夫。経験豊富な私が、一個一個丁寧に教えてあげるから。直ぐに天国にも上る程に気持ちい経験が出来るよ」

 ゴクリと唾を飲み込む僕。
 ほ、ほら、ね……あれだよ。僕だって思春期な高校生であって、こんなスタイル抜群で美人な人にこんな事を言われたら、ね?
 けど、本能よりも理性が勝り。

「そ、それでも駄目ですよ! こんなのモラル的にアウトです! バレたりしたらどうするんですか!?」

 眼前まで近寄るメアさんの肩を掴み、必死に押そうとするがピクリともしない。
 ファンタジー物でサキュバスは力が弱いってあるけど、全然違う。
 まるで壁を押してるかの様に身動き一つしない。
 ニシィと妖しげに口端を吊り上げた悪魔の笑みを浮かばすメアさんのワキワキした手は僕へと近づく。

「大丈夫だよ。ここは私達以外いない大浴場で、君が入った後にちょっとした結界を張ってあるから誰も中に入って来ない。ここは広いから防音にもなってるし、誰にもバレないよ。だから、こういった事してもバレなきゃ罪にはならないから、安心していいよ」

「へえー? どんな悪い事でもバレなきゃ罪になんないんだね。確かにそうだね、知らなかったよ、ありがとう教えてくれて」

「どういたしまて、ほらこの人も理解してくれたし、君もさっさと私に身を任せちゃっていいんだよ」

「くっ、万事休すか……」

『…………………へ?』

 僕とメアさんの呆気に漏らす声が重なる。
 今、僕達以外の第三者の声が聞こえたはず。気のせいでもなければ幻聴でもない。
 聞き覚えのある、第三者の声が……。

 ギギギっと壊れた人形の首の動きで僕とメアさんは第三者の声主の方へと顔を向ける。
 僕達の視界にその人の姿が入る時、大浴場の室温で温まる体は冷え切り、凍り付く様に固まる。

「さーて、この状況を私が納得できる様に説明をしてもらおうかな、二人共?」

「ま、真奈ちゃん!?」

「ま、魔王様!?」

 悪魔の大権化である魔王サタン、三森真奈の姿がそこにあった。

「ま、真奈ちゃん……これはひぃい!?」

 弁明を口する僕を鋭い眼光で睨まれ、咄嗟に僕は口をつぐむ。
 喋ったら殺される。僕の中に微かに残る獣の本能が早鐘を打ってそう知らせる。
 
 僕を一瞥した後、真奈ちゃんはゆったりとした足取りで水滴が残る床を歩き、僕達に歩み寄る。
 ポキポキと首の骨を鳴らす行動は畏怖の念しか感じ得ない。

 てか、お約束過ぎないかな!? もうこんなベタ展開在り過ぎてインフレしてるよ!
 後一歩で過ちが起こる寸前の乱入。その後に起こりうる悲劇。僕は恐怖で掠れた笑いしかできない。

「さーて、メア。一つ聞くけど。誰が何にをバレなければ罪になんないのかな? 後、今なにをしていたのかな?」

「あ、あの……魔王様? 質問が二つになってるんだけど……?」

「ん、なにが?」

「……いえ、なんでもない……」

 先程までの僕に向けていた余裕の態度は何処へやら。
 言われてもないのに大理石の床に正座するメアさん。微かに体が震えてる。

「それで、メア。メアは颯ちゃんに何をしようとしていたのかな?」

「え、えっとね……。ま、魔王様ってまだ体験してない生娘だよね。だ、だから初体験で痛い思いをさせるのも部下として痛みうるわけで、だから、いつでもその日が来てもいいように、彼氏様を鍛え上げようか思っての行動で! だってほら、彼氏が下手だったりしたら魔王様も嫌だもん、ね!?」

 取って付けた様な嘘を口を衝いて吐き出すメアさん。
 仰々しく身振り手振りをして必死に弁明すると、真奈ちゃんはクスクス笑い。

「そうか~。私ってそんなに部下に慕われたんだ、それなら魔王冥利に尽きるよ。ありがとね、メア」

「そうだよそうだよ! だから、ね。今回の件、魔王様の寛大な心で許して、ね!」

 はははっとお互いに笑い合う二人。だけど

「……それが通ると本気で思ってるのかな?」

「いえ、微塵も思ってない、ですッ!」

 潜める声の中にも静かな怒気を感じて、大理石の床に頭を打ち付けるメアさん。
 というよりも、メアさんが本気で土下座をするよりも早く、真奈ちゃんがメアさんの頭に拳骨したからなんだけどね。「ですッ!」のタイミング、あそこで拳骨されてる。
 殴った拳をワナワナと震わす真奈ちゃんは、グワッと目を見開き怒髪天を衝く勢いで怒声を飛ばす。

「ホントなんなのメアは! 毎度毎度男トラブルを引き起こして! 今回で何度目!? もう数えるのが面倒で途中から数えてないけど、もうかれこれ100は超えてるからね! 私が魔王に就任してから!」

「いや……だって、ね……。私って|淫魔《サキュバス》だよ? 男を誘惑するのが血の性っていうか……」

「少しは反省の色を見せてもいいんじゃないかな!? この口!? この口がごめんなさいの一つも言えない口かな!?」

「いたたたたたたた、いた、痛いです魔王様! ごめ、ごめんさい!」

 真奈ちゃんに頬を引っ張られ目尻に涙を溜めるメアさん。
 しかし、真奈ちゃんは力を緩める素振りは見せず、逆に更に力を込めているかの様に激昂する。

「しかもしかもしかもしかもぉ! 今回はよりにもよって私の彼氏に悪魔の手を伸ばすなんてね!? 言いわけを聞こうか!」

「……穢れを知らない純潔な生息子だったから美味しそうだと思って摘まみ食いしようと思いました」

 口を尖らし拗ねた様に言い訳を述べるメアさんに、真奈ちゃんはビキッと青筋を立てた。
 真奈ちゃんはメアさんを殴る……ってことはせず、引っ張る頬を離してメアさんを解放する。
 そして、一拍入れた後、深い溜息を吐き、呆れた様にこめかみを押さえて、

「…………まあ、サキュバスの種族の特徴がこんなんだから文句は言えないし……颯ちゃんを側近にした後、どうせこうなるとは思っていたけど、まさかこんな早い段階で起こるとは思わなかったよ……」

 もう一度深い溜息を吐く真奈ちゃんに、メアさんは挙手する。

「そ、そう言えば魔王様……私入り口前に人避けの結界を張ってあったんだけど……どうしちゃったのかな……?」

「あぁ……あれ? あれぐらいの結界なら簡単に壊す事が出来るよ。それぐらいできないと魔王としての名が廃るからね」

「そ、そう……」

 苦笑いを浮かばすメアさんはそっと真奈ちゃんから顔を逸らし。

「今度はもっと強力な結界を張らないと……」

 聞こえなかったけど、絶対に何か良からぬことを企んでいるね、あれ。

「それで、メア」

「ひゃ、ひゃい! どうしたの魔王様!?」

「ん? なにを怯えてるの? ただ名前を呼んだだけなのに」

「ひぃ、ひぃや! な、なんでもないよ!」

 僕には聞こえなかったけど、囁き声が真奈ちゃんに聞こえたのではと思ったのか、上擦った声を出すメアさんに真奈ちゃんは怪訝そうに首を傾げる。

「それはそうとメア。私はサキュバスの特性や本能を差別するつもりはないよ。サキュバスは人間の精気を吸わなきゃ生存が出来ない種族。だからメアが男トラブルを起こしても今まで公にせずに少しの刑罰で済ました……。けど、今回の颯ちゃんを襲った事、私完全に許したつもりはないからね?」

 出ました。真奈ちゃんの笑顔の威圧。蚊帳の外の僕も思わずひぃいと悲鳴をあげてしまう。
 パキパキとクラッキングしながら歩みよる真奈ちゃん。目尻に涙を溜めて体を震わすメアさん。
 これから何が起こるのか。それは火を見るよりも明らかで、僕は静かに合掌する。

「そう言えば、メアには前の頭領会談で色々と御世話になったね。それをふまえての情状酌量として、ちょーーーーーーーーーーう手加減してあげるから、覚悟してね」

 覚悟してねの部分は低い声で言い放ち、赤い眼光を光らす真奈ちゃん。
 真奈ちゃん、それは完全に全然手加減しないっていうフラグだよ。

「それじゃあ―――――歯ぁあ食いしばれ! 痴女がぁ!」

「ふぎゅ!」

 真奈ちゃんの拳が頬へと当たり、凄い勢いで飛んで行くメアさん。
 そのまま大浴場の窓へとぶつかり、パリンと窓を割ってそとに放り出される。……全裸のままで。
 ここは魔王城の三階でも、高さは200メートルはあるが、魔族ならこの程度から落ちても大丈夫なのだろう。
 特にメアさんが落ちた事に特別気にする素振りを見せない真奈ちゃんは、パンパンと手を叩き、

「窓の修繕費、メアの給料から差し引いとこ」

 と、メアさんにとって泣きっ面に蜂な事を言い、次に僕の方へと顔を向け、

「…………さっさと汗を流して出てきてね?」

 何故だろう……物凄くゴミを見る様な目で見られたいのだが……。
 それだけ言って真奈ちゃんは颯爽と大浴場から出て行く。扉を閉める時の音が強かったのは気のせいかな?
 ……なんか、魔界に来てから真奈ちゃんが僕に対しての評価……段々と下がってない?
 今回の僕、被害者なのに!

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