思う者ども
久々の学校のはじまりは臨時の全校集会だった。具体的に名指しはされなかったけれども、トモは『暴行』が原因で自殺をした、ということとなっていた。また、暴行容疑で本校の生徒が逮捕されたことが残念だ、とまるで他人事のような淡々とした調子で話していた。ヨシワラがタクトよりも後ろの並びであるがために、その表情をうかがい知ることはできなかった。
一時限目の全校集会が終わってからは、普通のときと全く変わらなかった。普通に授業をして、普通に休み時間があって、それから普通に授業があって――全員が臨時休校とひとりの死を忘れてしまっているとしか考えられなかった。ある坊主頭の男子生徒に至っては、三限目の英語の授業で机に突っ伏していた。
タクトの三分の一は授業に関心を向けていて、もう三分の一が一連の事件、残りはアヤメのことだった。ヨシワラはどうするつもりなのだろうと改めて考えてみたり、かと思えば朝のアヤメの幼さに推理してみたりして、アヤメは神になってから孤独だったのだな、と思った次の瞬間には、自分が殺したともいえるヨシワラの友人にどう償おうか、と思考を巡らせていた。その合間に教師の声が耳に届いて、黒板の数式やら英文やら日本語やらを追いかけたのだった。
昼休みのチャイムが鳴ると辺りは騒然となった。同級生は背筋を伸ばしてみたり、隣同士でしゃべりあったり、早くも昼飯を口にしている人までいた。タクトはというと、アヤメが喜びそうな卵料理についてあれこれ考え込んでいた。
頬杖をついているタクトを現実に呼び戻したのは、ヨシワラの手だった。肩を叩かれて顔をあげたら、バッグの取っ手を肩に通したヨシワラがいた。昼休みになにか用事はあるか、ヨシワラの問いかけにタクトが首を横に降れば、じゃあ屋上に、とひとり先に歩きはじめた。
タクトが屋上の戸をくぐったときには、すでにヨシワラが長いすを陣取っていた。カバンを左手に座らせて、自分自身の太ももには弁当箱を載せていた。タクトと目が合った途端にイスを叩いて、自分の右側に座るよう催促した。
タクトは言われるがままにヨシワラの右手側に腰を下ろした。椅子を叩いてまで急かすのだからさぞ話したいことがあるのだろうと思ったけれども、しかしヨシワラは弁当箱のふたを開けていた。話すよりも先に、弁当に手をかけた。
半ば反射のように思っていたことを口にしたら、ヨシワラに鼻で笑われた。ヨシワラにとってあの催促は急かしているわけではなくて、単なる座席指定だった。座る場所を決められなくたってそこに座るさ、とタクトが言い返せば、あっそ、とそっけない反応だった。
ヨシワラが箸を手にするのを横目にひとり話しを待っているのももったいなかったから、タクトも弁当箱を取り出した。いつもとは違う一段の弁当箱で、中を開ければ一面が薄焼き卵だった。チャーハンを薄焼き卵で覆った、オムライス弁当だった。
ヨシワラが口を開いたのは、おかずのブロッコリーをかじってからだった。
「ひとつだけさ、タクトには言っておかないとと思っていたことがあって」
「やっぱり元カレを呪う気になったとか」
「ううん、呪いは願わない。十分だと思うから。不十分ではあるけれど、十分だと思うから」
「よく分からない言い回しだな」
「昨日、警察から電話があったんだ。アイツ、タクを逮捕したからって。トモのことは絶対に償わせますから、って」
「全校集会で校長もそう言ってたな」
「トモがいなくなってそれでおしまい、にならなくてよかったと思ってるの。元はといえば私のせいなのは分かってるけれど」
「いや、悪いのは男の方なんだろ?」
「悪いのは私もよ。でも、私はトモを亡くしたのに、アイツにはなんにもないなんてあんまりじゃない。だから、アイツが捕まってよかった。これでアイツはこれから一生レイプ魔のレッテルを貼られて生きていく、私は親友を呪い殺したことをずっと責めながら生きていく」
ヨシワラは冷えた飯を均等に切り分けてさながら厚焼き卵のようにして、そのうちのひと切れを食べた。ただそれだけの動きではあったけれども、タクトにはなんだか、もの寂しさを帯びた空気をまとっているような気がした。親友に対する悲しみやらつらさといったよくない感覚を越えて、そのような感覚に浸るのも疲れきった雰囲気がヨシワラの横顔や座る姿に感じられたのだった。
ヨシワラが淡々と弁当を食べ進めている一方、タクトのオムライスはなかなか減らなかった。ヨシワラからにじみ出る空気があまりにも重たくて、押しつぶされてしまいそうだった。息をしているのも辛いであろうヨシワラが無表情におかずやら米やらを口に押し込んでいるのがひどくいたたまれなかった。ヨシワラはみるからに傷ついていた。
「レイプ魔殺人鬼っていうレッテルを貼られて一生過ごしていく方が、呪いなりなんなりで死ぬよりもよっぽどきついし、みじめなアイツを見て笑っていられるのが一番の復讐だと思えて」
「それは確かに死ぬよりも辛いかもな。死にたくなるぐらいの辱めが一生続くなら」
「きっとこれでトモを殺した人たちは罰を受けられるのよ」
「俺が受けてない。あの水を渡したのは俺だろ」
「本当は殺したくなかったんでしょ? それで死んでしまったことをずっと悔やんでる。十分に罰」
タクトはヨシワラの変わりようが怖かった。数十時間の間にヨシワラの考えはめまぐるしく変わっている。恨みを向けたかと思えば、その行為を悔やんで、しまいにはどこか諦観の境地に至っている。
今こそヨシワラに卵焼きを分けてあげたい。タクトは自作のオムライス弁当を呪った。ヨシワラが卵焼きひとつで喜んでくれるとは思えないけれども、タクトがだれかを喜ばせられるとしたらそれしか思いつかなかった。ほんのりと甘い味であったら、ヨシワラだって多少は表情をほころばせるかもしれなかった。
ヨシワラは話すのに満足したのか、それっきり弁当を平らげるためだけに口を働かせた。タクトがどんなに言葉をかけようとも、ヨシワラは首を縦に振ったり横に振ったりするばかりで、言葉は漏れ出てこなかった。
タクトはオムライスを一口食べるごとに話題を振りかけてみたのだけれども、ほんの数口で話すのを諦めた。子供のように泣きじゃくったアヤメの話をしようかと思ったけれども、途端に自分自身も話す気がなくなってしまって、ヨシワラがしているように黙って、薄焼き卵の中のチャーハンをつっついた。曇天がどんとのしかかってくるような重苦しさを感じていても、弁当を平らげるしかできなかった。
不意にタクトの名前を呼ぶ声があった。
「ありがとう」
「なんに対してだか俺には分からないけれど」
「話しを聞いてくれて。だれにも話せないけれどもだれかに打ち明けたかったことだったから」
「あの社の人としての務めだよ」
「もしかしたらときどきこうやって話を聞いてもらうかもしれない。でもね、あの祠には絶対に頼らない、これからずっと」
ヨシワラは弁当の包みを結んでバックに押し込むなり、タクトを置いてベンチから離れた。屋内に入るすんでのところで足を止めて、タクトに頭を下げた。