側近
「側近って……なに?」
僕は条件付きで記憶を消去を免れる事を真奈ちゃんに提案され。
真奈ちゃんの口から放ったれた「側近」って言葉を聞き返す。
「側近って言うのは、簡単に言えば秘書みたいな付き人のこと。類似する言葉に言うなら従者とかかな」
「その側近ってのは、なにをするのかな……?」
「うーん。特には決まってないけど。外交だったり、国税の管理をしたり、犯罪者を取り締まりをするとか……etc.。まあ、私のサポート等をすることかな。颯ちゃんが側近になれば、私が颯ちゃんを監視して、下手に他言出来ないようにすることができるしね」
真奈ちゃんの説明は少しあやふやだけど、僕は挙手する。
「その側近になるって言えば、僕の記憶は消されずにすむのかな……?」
「それは颯ちゃん次第かな。自分で提案してなんだけど、颯ちゃんが使えない無能だった場合は、問答無用で記憶を消すつもりだよ。今度こそ、ね」
威圧のある低い声に、ゴクリと唾を呑み込む。淡々と真奈ちゃんは言葉を続ける。
「後、その側近になるって決めたら、颯ちゃんは魔界に住んでもらう事になるから。それも加味して考えてね」
それもそうか。
僕は未だ突きつけれた現状を十分に理解はしてない。
けど、魔王の側近になるのであれば、魔界に永住しないといけなくなるのは分かる。
つまり、僕は人生を左右する分岐点に立たされてるって事になる。
右は、真奈ちゃんとの恋人関係を解消、そして記憶を消されて、平凡な日々を過ごす道。
左は、記憶と恋人関係を継続させながら、魔王の側近となって、魔界で過ごす道。
どちらを選んでも、僕の人生を大きく変える重大な選択となる。
普通であれば、自分がどの道を選ぶかで葛藤をするのだが、僕は自分でも驚く程に早く選択できた。
「僕、魔王の側近になるよ。それが真奈ちゃんと離れずに済む、唯一の方法なら」
恐らく、僕は人生の中で一番真っ直ぐな眼をしていると自負する。
優柔不断で、力も、知識もない僕が、ここまで直ぐに物事を選択できた試しがなかった。
「本当にいいの? 側近になれば、これから過酷な生活を強いられることになるかもしれないんだよ? 怖い事だって沢山ある。辛い事だって沢山ある。逃げ出したいって事が沢山ある。下手をすれば死ぬかもしれない。……颯ちゃんにそれだけの覚悟はあるの?」
真奈ちゃんは、今なら引き返せるよとばかりに言ってくるが、僕の答えは変わらない。
「勿論! 僕はファンタジー物は好きだからね! 怖いのも辛いのもドンと来いってもんだよ!」
胸を力強く叩き、ニシッと歯をみせ笑って言ってのける
……まあ、死にたくはないけどね……。
僕の言葉を聞いた真奈ちゃんは、最初はポカンとするが、最後はクスリと笑い両手を挙げる。
「降参降参。正直、颯ちゃんを脅して諦めさせるつもりだったけど。逆効果だったみたいだね。私にとっては遺憾の極みだけど」
真奈ちゃんは、僕を自分の意志で諦めさせるつもりだったらしい。
だからか。真奈ちゃんの物言いがどこか脅しにも感じられたのはそのせいだ。
「本当に。今日は驚きと思い通りにならない事ばかりだよ。けど、億を超える魔界の歴史の中で、人間を隷属にすることはあっても、側近にするなんて前代未聞だね。自分から言っててなんだけど」
さらっと隷属とか怖い事を言ってたけど、前代未聞って響きは少し嬉しかった。
先程までの張り詰めた雰囲気は緩和された様子で、優雅な足取りで僕へと歩む真奈ちゃんが手を差し出す。
「人間の颯ちゃんが、これからどう側近として働けるのか、正直楽しみでもあるけど。彼女だからって、私は颯ちゃんを甘やかすつもりはないからね。それだけは覚悟しといて」
真摯な瞳で言い放つその言葉に、僕はゴクリと唾を呑む。
そして、真奈ちゃんが差し出す手を、僕は強く握り返し。
「全くの浅学菲才な僕だけど、何卒宜しくお願いします! 魔王様!」
僕が笑顔で意志強く言い放つと、真奈ちゃんは少しだけ顔を俯かせる。
なんだろう? と僕が怪訝していると、俯かしていた顔を上げた真奈ちゃんは、曇りない笑顔で言った。
「分かった。これからビシバシ、
曇りない笑顔の影に悪魔あり。
僕の背筋に悪寒が奔り、怯気を震わす。
気持ちを伝えて数秒も経たない内だけど、僕は選択を間違えたのではと後悔する。
半ば勢いで言ったつもりなのだけど、偽った事を言ったつもりはない。が。
ボロ雑巾の様にコキ使うと、躊躇いもなく言い放つ真奈ちゃんに、畏怖の念を抱いてしまう。
恐らく、今のやっぱり無しってのを受け付けてはいると思うけど。
言ってしまった手前、引き返すことも出来ず。僕は小さく乾いた笑みを浮かばす。
ここで引き返したとしても、結局は記憶を消されて人間界に戻されてしまう。
なら、戻るも地獄で進むも地獄。前門の虎後門の狼なら。進むしかない!
……って。なーんか心の中で恰好つけた言葉を並べたけど、殆どが自棄だ。
僕は平凡な日常は好きだ。
友達と他愛もない会話をして、下校の時に適当に本などを物色して、家に帰ってご飯を食べて寝る。そして次の朝を迎える。
特に中身のないけど、平和に惰性を送る生活は好きだ。
けど、僕が選んだ道はそれとは逆方向に進んでいる。
恐らく、僕が過ごして来た平和に惰性を送れる生活はもう来ないと思う。
それは僕にとってはかなり怖いものだ。けど。それが楽しみだと思う僕がいる。
突如目の前に女神が現れて『貴方は選ばれた者です、勇者様』とか言われて、世界を救う旅に出たり。
突然空から女の子が降って来てドキドキワイワイな学園コメディーを送る。
こんな漫画の中だけの、非現実的なのは漫画の中だけだと思ってた、僕には絶対ないとも思ってた。
けどやっぱり。少年の心って言うのかな?
自分の人生で変化のない。山も落ちもない日常を壊す、非日常を心のどこかで望んでいたんだ。
平凡で普通な中属性の僕が、心を躍らせる非日常を。
初めてアニメを目にした子供の頃、何度も夢をみて妄想に耽たあの時の高揚感を思い出す。
そんな非日常な世界に、僕の好きな人が連れてって|来《く》れたのだ。嬉しい以外になにもない。
……殆ど事故みたいなモノだけど。
僕は大きく深呼吸を入れ、心震わす感情を落ち着かせてから、真剣で見据えた目を真奈ちゃんに向けると、高らかに言い放つ。
「僕、頑張るから! 真奈ちゃんを失望させないように。精一杯に!」
こうして、僕の平和に惰性を送る日常は終わりを告げ。
何が起こるのか分からない、波乱に満ちた非日常の幕が切って落とされたのだった。