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西門警固

 列車に揺られながら、車窓からの景色に目を向ける。
 部屋の中には僕以外にはプラタとシトリー、影の中にフェンの四人だ。
 外の景色を眺めながら、僕は未明の事を思い出す。
 収納魔法からの派生で複製を考え試したのだが、その後の発想といい、少々危険なものだったような気がする。それと同時に、蘇生魔法から続く一連の新たな魔法の発想及び開発には既視感のような、既定路線を進んでいるような違和感を覚える。

「・・・・・・知っていたのか?」

 プラタとシトリーの反応が本心であれば、どれも新しい魔法であったり、今まで完成していなかった魔法や難しい魔法のはずだ。なのに、何故こうも簡単に完成してしまうのか。改めてそれに思い至ると、まるで忘れていただけのようなそんな気がしてくる。それと、何故こんなにも誰かの背中を感じるんだろうか? それもあの白い人物ではなく別の人物のような。
 その困惑に対する答えが欠片も見えてこない。それ故に僕は気味の悪い感覚に苛まれながらも、西門の駐屯地に到着する。
 宿舎の自室に入ると、そこには誰も居なかった。

「そういえば、セフィラ達は今学園か」

 授業は二年生に進級したてと思われる生徒達とだったし、食堂でも彼らの姿は見かけなかった。結局、学園でセフィラ達に会う事は無かったが、そんな事もあるだろう。
 折角一人しかいない為に、僕はまず自分の荷物を情報体へと変換させる。これで学園と西門に置いてあった私物が全て情報体として体内の保管庫に収納されたことになる。
 それが終わると、西門での責任者の所へと向かう。バンガローズ教諭はまだ西門に滞在しているらしいが、西門側での異形種の脅威が去ったと判断されて、今では権限が異形種騒動の前に責任者だった人物に戻り、責任者もその人物に戻っているらしい。
 僕はその責任者が居るという兵舎へと移動する。その兵舎に居た責任者は老齢の男性で、目つきが鋭いのが印象的な人物であった。ただ、話してみると口調はとても穏やかな人物でもあった。
 僕はその責任者の老君へ学園から戻った事の報告を行い、残り一ヵ月の西門警固についての説明を受ける。
 どうやらバンガローズ教諭の計らいで、残り一ヵ月は学園へ帰らず一気に終わらせるらしかった。その説明の際に休日は必要か問われたので、不要だという事を伝えておいた。他にも今日から夜警で参加するか、明日から日中の警固に参加するか問われたので、日中の警固にしてもらった。別に夜警でも構わないのだが、明るい世界を防壁の上から肉眼で見てみたかったのだ。機会があれば、だけれども。
 そんな話も終わったので、僕は自室に戻ってくると、そのままお風呂に入り着替えを済ませた。
 着替えの際に思い付きで試してみたのだが、着ていた服をそのまま情報体へ変換し、同時に着替えを再構築させると、脱がなくても一瞬で着替えが終わらせられた。勿論、着ていた服は変換前に魔法で綺麗にしておく。
 そんな新たな発見をしつつ、歯を磨いてその日は就寝する。
 宿舎は人の出入りが激しいからか、自室で一人でもプラタとシトリーは姿を見せなかった。おかげで久しぶりに独りで眠る事が出来た。・・・のだが、早朝に目を覚ましてみると、両隣にプラタとシトリーが寝ていた。どうやら予測は予測でしかないらしい。

「おはようございます。ご主人様」
「あ、ああ。おはよう、プラタ」

 僕が驚いていると、プラタが起床の挨拶をしてくれる。それに挨拶を返しながら、シトリーを起こす。

「おはよう。シトリー」
「おはよう! オーガスト様!」

 西門でも学園での日課を終えると、僕は起き上がりベッドを下りる事にする。
 梯子を下りると、伸びをして着替えを一瞬で済ませてから顔を洗いに部屋を出た。
 洗面所に移動して洗顔と歯磨きを終えて頭をしっかりと目覚めさせたところで、他の生徒が姿を見せる。十人以上の団体さんではあったが、見た事ある顔は無かった。新人なのかもしれないし、単に僕が今まで会わなかっただけなのかもしれない。
 その生徒たちに朝の挨拶をしつつ洗面所を出ると、食堂へと向かう。
 食堂ではまず入り口近くに置いてある新聞に目を通す。ペリド姫達の事は書かれていたが、大きな動きは無かったようで、記事自体は小さなものだった。
 それを確認してから、パンと水を貰う。食事は学園と然程変わり映えのしないものであったが、久しぶりにダーニエルさんを見かけた。

「おう。久しぶりだな、オーガスト!」
「お久しぶりです。ダーニエルさん」

 挨拶を返しながら、ダーニエルさんの近くの空席に腰掛ける。

「最近見てなかったが、忙しかったのか?」

 食事をしながらそう問い掛けてくるダーニエルさん。

「はい。長期遠征が続いたもので」
「そういえば、お前が死んだって話があったっけか?」
「ああ、それは帰らずにあんまりにも長く外に出ていたからですね」

 正直、僕にとってはたかが三ヵ月あの森に居ただけなのだが、学園で他の生徒の実力を知ってからは、そう騒ぐのも理解出来た。あの程度では数日どころか一日と待たずにエルフに殺されている事だろう。

「相変わらずオーガストはどこか抜けてるというか、他の奴と少し感覚がずれてるな」

 愉快そうに笑うダーニエルさんに、僕は恥ずかしげに苦笑する。周囲の実力についてちゃんと調べてなかったのだから、ダーニエルさんに返す言葉が無かった。

「ま、それでこそオーガストだがな!」
「それは褒めてるんですか?」
「ハハ! 褒めてるんじゃなくて認めてるんだよ!」
「なるほど」

 ダーニエルさんの言葉に僕は一つ頷く。認めるという事は僕個人をしっかりと見ているという事だろう。相手を観察して分析するというその姿勢は見習わなければならないな。
 その後もダーニエルさんとの雑談を続けながら食事を続けた。それで最近の警固の状況などの西門周辺の状況について知ることが出来た。
 どうやら奴隷売買をしていた組織を壊滅させる為に、ペリド姫達が起こしている行動の影響で警備が厳しくなり、結果として街などは平和らしい。大結界近くでは、日に最下級の魔物の姿を防壁上から数体目にする程度だとか。どうやら残りの一月はただ見回るだけで終われそうだ。





 食事を終えて食堂を後にすると、西門責任者の下へと移動する。
 本日の予定を聞いてから、責任者が居た建物の前に集まっていた部隊の一つに僕は組み込まれた。
 その部隊は僕も入れて五人の小部隊で、生徒は僕一人。後は武装した兵士達で、今回の任務はこの四人の兵士の人達と一緒に見回りを行う。見回り先は防壁の上らしい。西門から北門側への見回りだが、長大な為に折り返し地点である北門との管轄の境付近へと行くだけで日が暮れるとか。いや、少しでも遅ければ北門との管轄の境ではなく、その途中に在る詰め所で寝泊まりする事になる。
 つまりは魔物が居なければ無事に辿り着き、魔物を見つけたら途中で宿泊という事だ。そして、日に数体とはいえ、魔物を目撃しない日はないとか。まぁ発見場所は固定ではないが。
 僕が組み込まれた部隊は西門近くの階段から防壁上へと移動する。そこでもう一部隊と合流した。見回る人数は二部隊分。つまりは十人だ。

「おう。オーガストも同じ場所の見回りか!」

 防壁上へと上った僕にそう話し掛けてきたのは、食堂で会う時とは違い、武装しているダーニエルさんだった。

「はい。よろしくお願いします」

 どうやら一緒に見回るもう一つの部隊を率いているらしい。ダーニエルさんが率いている部隊は三人が生徒で、武装した兵士が他に一人であった。

「では行こうか!」

 僕の部隊の隊長とダーニエルさんは軽く言葉を交わすと、一行は防壁上から見回りを行う為に、ダーニエルさんの部隊を先頭に北側へと進む。
 防壁は幅がとても広く、十人で手を広げて横一列で並んでも、余裕で同数の手を広げた横一列の相手とすれ違える程に広かった。
 というか、僕が歩いている防壁の下には緊急時用に列車が通っているという噂を聞いた。音は聞いてないし、列車や線路も見ていないので真偽のほどは定かではないが。
 そんな距離だけではなく幅も広い防壁上から外に目を向けながら足早に北進する。反対側には内側に目を向けている、北側からの帰りと思われる部隊の姿があった。
 防壁上から見る景色は思っていたよりも絶景であった。
 寒いから緑は色あせているものの、上から見る木はとても小さく見え、地平まで続く地面は結構壮観で、これが暑い時期であったならば一面深緑に染まっているのだろうと思うと、西門に来た当初から調査をしていたのは惜しい事をしたような気になってくる。
 それに、この時期の高いところはかなり冷える。幸い風が弱く、よく晴れている為に何とかなっているが。
 風の向きが壁の内側から外側へと吹いている影響で、時間的に朝食の準備でもしているのか、調理で発生したと思しきお腹が空きそうないい匂いが風に混じっている。
 今のところ目を向けている外側は平和そのもので、たまに動物らしき存在が目視できるぐらいだ。見回り中は会話はないようで、黙々と外に注意を払いながら、淡々と歩みを進める。それも走っているのではないかという速度で。
 その間、僕は警戒しながらも複製魔法について考察する。警戒自体は広く眼を向けているので、目視で確認するよりも確実で早い。なので、何も問題はない。勿論、見られるのを考慮して外側に目を向けて歩いてはいるが。
 複製については、どうやって情報に直接介入出来るか、が問題になってくる。一昨日というか昨日というか悩む時刻に行った実験では、部分介入に失敗し、結局全体の情報が歪み破綻してしまった。
 では、絞らずに全体に介入出来るかというと、それも難しい。そもそも手を加えようとすると直ぐに情報が歪んでしまい、僅かでも情報が歪んでしまうと、そこから一気に連鎖して全体が破綻してしまうのでお手上げ状態であった。
 どうにかして情報に綻びを生まずに介入出来るようにならないか。情報改変以前に、まずはそこから取り組まなければならない。

「・・・・・・」

 静かな防壁の上を外に意識を向けながら歩く。先程から見えている外の風景に大きな変化は無いものの、流石に西門に来て初めて見る景色な為に、何度も赴いた場所でも新鮮味があった。
 視点を変えるとはよく言うが、こうして実際に変えてみると同じモノでも新しく見えるのだから不思議なものだ。
 では、考えている事の視点を変えるとはどうやればいい事なのか? それが簡単に出来れば苦労はしないが、情報体を情報以外で見ればいいのだろうか。
 情報以外で情報体を見る。思いつきながらも、それは意味が解らなかった。そもそも情報体とは魔力とほぼ同じものだ。違いらしい違いと言えば、含まれている情報量が多いか少ないかぐらいだ。
 それを情報以外で見たところで、少し容量の多い魔力でしかない。形も魔力の為にほぼ無形のようなものだ。
 その事に頭を悩ましていると。

「そろそろ一度休憩を挿もうか!」

 ダーニエルさんの言葉に進行方向へ目を向けると、防壁上の詰め所の一つが目に入る。

「では、あの詰め所で昼休憩とする!」

 ダーニエルさんの言葉に続いて、僕の部隊の部隊長がそう宣言した。
 そのまま詰め所へと歩みを進める。その詰め所はコンクリート造りの三階建てで、大勢の泊まる宿舎の様に大きかったが、それでも道を塞ぐほどではないのだから、防壁の広さを窺い知ることが出来る。
 その詰め所に近づくと、二人の隊長を先頭に、僕達は詰め所の中へと入っていった。
 詰め所の中は広々としていたものの、壁際には武器や防具の類いがズラリと並んでいた。
 入って直ぐの広間には机が幾つか置かれ、そこでは中に居た兵士の人達が各々好きに時を過ごしており、今は時間帯的にも昼食を摂っている兵士が多いように思える。
 防壁の外側の壁には大きさの異なる窓が複数取り付けられており、そこから外の様子を窺っている兵士の姿も確認できた。
 室内には飲食物のにおいの他に汗などの体臭や火薬のにおい、それに埃っぽさなどが混ざった独特のにおいが満ちていた。幸い、後方の入り口近くの窓が開けられているので、多少はそれも薄れているのかもしれない。もしくは料理のにおいの方が近くて、そこまで気にならないで済んでいるのか。
 そんな広間から奥へと続く廊下があり、その廊下の奥から金属を叩いている様な音が薄っすらと聞こえてくる。
 広間に入った僕達は、適当な机を部隊同士で囲むと、そこで休憩を兼ねた昼食を摂る。僕以外の見回りを一緒にしている部隊員九人は弁当を持参していたようで、荷物からそれを取り出し食べ始めた。しかし、僕はそんなもの持ってきていない。というか必要ないのだ。そもそも普段から西門に滞在中は昼食は摂っていないのだから。

「ん? オーガストは弁当を持ってきていないのか?」

 その事を部隊長に指摘され、僕は頷く。

「なんだ、忘れたのか?」

 それに、他の部隊員からも心配される。

「いえ、必要なかっただけです」
「ん? どういう事だ?」

 訝しむ部隊員達に、さてどう説明すればいいかと思案する。
 このままでは弁当を分けるなりしそうな雰囲気がしている。全員が僕より年上の兵士であるからか、年下で学生の僕を生暖かく見守ってる感じがあった。
 その為に、どう答えればいいかと慎重に口を開く、が。

「ああ、そいつは極端に小食でろくに食事をしないから、一食ぐらい抜いても平気なんだろうさ」

 ダーニエルさんが横からそう答えてくれる。

「しかし、見回りはずっと動きっぱなしだから、食べられる時に食べていないときついぞ?」

 心配している口調の部隊長だったが、それをダーニエルさんは小さく笑いながら補足する。

「そいつは大して食料も持たずに長期遠征するような奴だから大丈夫だろうさ」
「それは現地で調達すればいいだけでは?」
「という事だが、そこんとこどうなんだ?」

 ダーニエルさんの問いに、僕は答えた。

「そうですね。現地調達しなくとも、乾パンの缶一つで一週間は大丈夫ですね」
「は? 乾パンの缶ってあの一二食分ぐらいのやつか? あれでは一日が限度だろう」
「俺はあれでは一食分にもなりませんがね」

 僕の返答に困惑する部隊員達。その横でダーニエルさんは愉快そうに小さく笑っている。

「いやはや、やっぱりオーガストは変わってるな」
「そうですか?」
「ああ。普通は小さなパン一つで一日中動けないからな?」

 そういえば、西門で朝食にパンぐらいしか口にしていなかったな。まぁそれでも多いぐらいなんだけれども。

「そうらしいですね」

 学園に来てからそれは嫌というほど聞かされた事だ。

「まぁともかくだ。オーガストは昼食は要らないという事だ」
「はい」
「そ、そうか・・・」

 それに頷きながらも、納得出来ないという感じの部隊員達。それでも時間はあまりない為に食事を始める。
 その間、見られていては食べづらいだろうと、僕は視線を窓の外に向けつつ、会話の時だけ顔を戻す。そのまま軽い昼食を終えると、少しだけ休憩を取って腹を慣らしてから休憩を終えた。

「では、見回りを再開するぞ!」

 ダーニエルさんの言葉に全員が席を立って、入ってきた扉から詰め所を出る。
 全員が出た後に一度整列してから、防壁上からの見回りが再開された。
 先程休憩をしたばかりだからか、皆一様に足取りは軽い。そんな中、詰め所から離れて少しした場所で、平原を西門側へと進む十名ほどの生徒の一団が目に入った。
 それを目にした時には、最初二年生が周辺の魔物狩りでもしているのかとも思ったのだが、よく見ると、顔立ちが大人びているその生徒達の制服には、襟や袖の部分に四本の白線と、一本の色が入った線が引かれていた。それが示す学年は、六年生であった。

「おお、六年生組が森から帰ってきたか」

 それに気がついた前を歩く部隊員の一人が、そう口にする。
 確か二年生から五年生は東西南北の各門へと派遣され、門の警固と周辺の魔物などの敵性存在の排除を行い、六年生から九年生までは東西南北の各門を拠点に、その方面の森を探索するんだったか。そして、ここ西門は二年生と六年生が派遣される門で、現在の六年生はエルフの領域ギリギリ外側から北側近くの森を探索しているのだとか。この前の調査で見かけなかったのは、六年生がもっと深い場所に陣取っていたからだろう。
 その眼下の六年生は、誰もかれもがボロボロで、疲れた表情をしていた。そんな六年生は視た感じそれなりに強いようで、流石は上の学年といったところか。

「・・・死体袋は持っていないようだな」

 先程の兵士とは別の兵士がそう、安堵の声を出した。

「それにしても、あの森に入っていくとか凄いよな」

 少し前まで無言で見回りしていたとは思えないほどに喋り出す兵士達。その声音はとても小さいものの、僕は近くに居るのでその話し声がはっきりと耳に届く。

「本当にな。俺はここらの魔物ですら恐いぜ」
「俺もだ。例え俺に魔法の才能があったとしても、ここらの魔物以上が蠢いているという森の中までは入りたくないな」

 その言葉に、話をしていた他の二人の兵士が同意の頷きを返す。まぁ殺しに来る相手というものは恐ろしいものだ。

「お前ら、私語はほどほどにしておけよ」

 そんな兵士達を部隊長が注意する。

「はい!」
「申し訳ありません!」
「以後気を付けます!」

 それに三人の兵士が謝罪すると、再び沈黙が帰ってくる。六年生を確認後、そのまま注意されて黙々と見回りを行う兵士達。
 昼食を摂った詰め所ほど大きくはないが、防壁上には一定間隔毎に詰め所が設置されていた。
 その詰め所には寄る事無く、ただひたすらに北門側との境を目指して見回りを行う。

「ん?」

 昼も過ぎ、陽が大分傾いてきた頃。先頭を歩いていたダーニエルさんが小さく声を漏らす。その視線の先には、丸い物体があった。
 僕はそのずっと前からその物体について確認は出来ていたものの、その正体は最下級程度の内包魔力量の魔物。ただし、その正体については不明。初めて見る魔物であった。とはいえ、確認した時からその場所でジッとしていて少しも動いていないので、僕としてもどうしていいのかが分からないのだが。

「魔物か?」

 ダーニエルさんの問いに、後方に続いていた学園の生徒が魔物へと目を向けて頷いた。

「そうか・・・しかし、見たことのない魔物だな」

 ダーニエルさんの言葉に、後方の生徒も頷きを見せる。それに内心で同意しつつ、僕は詳しそうな相手に尋ねてみる事にした。

『プラタ。聞こえてる?』
『はい。ご主人様の心地よき美声は届いております』
『こちらの様子は確認出来ている?』
『はい。しっかりと』
『ならば話が早いんだけれど、あの魔物が何か判る?』
『虫の魔物で御座いますね』
『虫の魔物?』
『はい。ただそこに居るだけで、危害を加えなければ無害の非常に大人しい魔物で御座います』
『そうなのか。初めて見たよ』
『普段は北側の森にたまに姿を見せるだけですので』
『なるほど』

 それならば、あまり森に入らない人間は知らないのだろう。知っていても六年生以上で北側の森に入った事のある魔法使いだけだろう。

『それと、手は出さない事を推奨いたします』
『まぁ無害ならばそれがいいかもね』
『はい。あの魔物は周囲の魔力を取り込むのが上手いので、ご主人様以外では危険かと』
『なるほど。つまりは見た目通りの強さではないと』
『はい。反撃時の強さは、人間の基準では中級辺りかと』
『ほぅ。それは危ないな』

 中級の魔物など、上級と呼ばれる魔法使いが少人数とはいえ、パーティーを組んで戦う強さだ。因みに、ジーニアス魔法学園の十年生ぐらいからは上級魔法使いが結構現れだすとか。その上の最上級は最強位の魔法使いへ贈られるものなので、実質上級が最高位だ。今の僕は表向きには下級辺りだったかな? 一年生までは一部を除いて全員が最下級らしいし。
 僕がプラタと魔力を通して会話をしている間も、見回りの部隊員達は魔物の近くまで防壁上を移動して、上から観察を行っているようであった。

「動かないな」

 部隊長の言葉に、他の部隊員達も頷いて同意する。

「いかがいたしましょうか?」

 部隊員の問いに、部隊長はダーニエルさんと言葉を交わす。

「オーガストはどう思う?」

 自分の隊に所属している生徒の意見を聞いていたダーニエルさんが、突然僕にそう問い掛けてくる。

「放置でいいかと」

 僕のその返答に見回りに参加している兵士と生徒から訝しげな視線を向けられる。

「その理由は?」

 そんな中にあっても、ダーニエルさんと部隊長は冷静な表情のままにそう問い掛けてくる。

「あの魔物は、こちらから危害を加えない限りは何もしてこないので。それに、こちらから手を出して反撃された場合のあの魔物の強さは、そうですね・・・目安的には中級辺りの魔物と同程度ぐらいでしょうか」
「中級だと!!」

 僕のプラタから聞いた情報そのままの答えに、皆が驚愕と恐怖の声を上げる。特に反応が大きかったのは生徒達か。そういえば、ダンジョンにもたまにそれぐらいのが居たっけ。今に思えば、あれは何の冗談だったんだろうね。

「それで、放置したとして、あの魔物は大人しくどかに行くのか? こちらには来ないのか?」

 ダーニエルさんの問いに、僕はプラタに声を掛ける。

『このまま放置していれば、あの魔物は勝手に人間界から離れていく?』
『はい。結界に気づいて戻っていくかと。大人しい魔物ですから、結界を壊してまで進もうとは致しません』
『ありがとう』

 プラタの断言に礼を言って、それをダーニエルさんへの答えとする。

「――結界に気づけば勝手に森へと帰っていきますよ。心配でしたら離れるまで観察していますか?」
「そうだな。オーガストの情報通りだと、それしかあるまい」

 僕の言葉にダーニエルさんは頷くと、歩みを止めて魔物を警戒しながら観察を続ける事に決める。

「それにしても、流石はオーガストだな! 俺はあんな魔物知らなかったぞ!」

 魔物に目を向けながら、ダーニエルさんは感心したようにそう口にする。まぁ僕も知らなかったのだが、それは言えないしな。

「他の生徒も知らないという話だったのに、オーガストは博識なんだな」

 部隊長の意外そうな言葉に、ダーニエルさんは笑いを漏らす。

「まぁそう見えて、そいつは森に入った事もあるみたいだしな」
「はぁ!?」

 ダーニエルさんの楽しげな声に、他の全員が驚きと共に僕の方を見る。

「ああ、ちゃんと許可を貰って入ってますからね」

 噂にもなった事だし、森に入った事は隠す事ではないが、そこは明言しておかないといけないだろう。勝手に森に入ったと思われるのは避けなければいけない。

「で、では、本当に森に?」

 同じ部隊の隊員の一人が、驚嘆したような声を出した。

「え、ええ。東側の森の浅いところでしたら一通り」

 僕の返答に、その問い掛けてきた隊員は「おぉ」 という声を漏らして興奮気味に質問を続ける。

「で、では! エ、エルフを見た事は?」
「ありますよ。森で出会いましたし」

 命を狙われたり、助けたりしたけれど、まぁそれは別に口にする必要はないだろう。街で出会った事も同様に。

「やはり、言い伝え通りに美しかったのか?」
「そうですね。絵画から出てきたような美しさでしたね」
「おぉ!!」

 絵画なんてろくに見た事ないけれど、まぁよく使われる表現だからいいか。

「ほら、お前ら! 喋ってばかりではなく、ちゃんと魔物を警戒してろ!」
「はい!」
「申し訳ありません」

 部隊長に注意され、僕達は魔物へと目を向ける。ちゃんと眼は向けていたのだが、とんだとばっちりだな。
 それからも魔物を観察し続けていると、すっかり周囲は暗くなっていた。

「動きませんね・・・」

 その間も丸まったままの魔物に、痺れを切らしたように兵士の一人が呟いた。
 その時、まるでその兵士の呟きが聞こえたかのように、そこで魔物がもぞりと動きだす。

「動いた!」

 ダーニエルさんのその声に、皆が魔物の動向を注視する。
 魔物はゆっくりとした動きで大結界近くまで近づき、その存在を認識すると、のんびりとした動きで方向転換をする。

「森に向かうのか?」

 北の森の方角へと頭の向きを変えたその魔物は、実に緩慢な動きで森を目指して平原を進みだす。速度は、赤ちゃんが這って移動するよりは速いかもしれない程度。

「どうしますか?」

 部隊長の問いに、ダーニエルさんは思案する。このまま姿が見えなくなるまで見ていては、陽が昇るどころかまた沈みかねない。

「もう少しこのまま離れるまで待っていよう」

 そう判断するダーニエルさんに、部隊長が頷いた。
 それにしても、月が出ているとはいえ、ダーニエルさん達兵士の人達はよく魔物の動きが見えるものだ。何とか移動している影ぐらいは分かるだろうが。
 そのまま魔物の動向を窺うのを続け、魔物が十二分に離れたと判断すると、僕達は移動を再開する。その頃には日付が変わって大分経っていた。
 暗い中を青白い月光だけを頼りに防壁上を見回りしながら進む。

「次の詰め所で朝まで休憩する。宿泊施設もあるから、眠りたいものは短時間だがそこで寝ておけよ」
「はい!」

 ダーニエルさんと部隊長がそれぞれの部隊員にそう告げ、それに部隊員も短くそう返事をした。
 それから少しして、小さな詰め所に到着すると、僕達は中へと入る。

「寝具は向こうの部屋に在るから、寝たい奴はさっさと寝てろ! ただし、数は十分に在るから慌てるなよ!」

 その指示に、皆が寝具が置いてあるという部屋へと移動を始めた。

「オーガストは寝なくていいのか?」

 他の部隊員が寝る為に部屋へと移動する中、部隊長と明日の打ち合わせをしていたダーニエルさんが、窓から外の様子を眺めていた僕にそう声を掛けてくる。

「はい。寝なくても支障はないので。それとも、ここに居ては邪魔でしょうか?」

 実際、森の中では短時間寝たぐらいで大して睡眠を取らなくても何の問題も無かった。数日不眠不休で行動したこともあったし。

「いや、問題ないならそこに居てても構わないぞ。それにしても、相変わらず俺の常識の外に居る奴だな」

 それにダーニエルさんは小さく肩を竦めると、部隊長との打ち合わせに戻る。
 僕は窓から防壁の外側に目を向ける。夜景というものも中々に新鮮味があった。高さだけではなく、色が変わるだけで同じ様な風景でも変わるものだな。
 平原に向けている眼が捉えている、ずっと観察していた虫の魔物は、まだ森へと向けて移動しているようだ。それにしてもゆっくりとした動きだな。あれでよく生き残れるものだ。いや、それよりも、何故誰にも見つからずにあんなに近くまで来れたのだろうか? あんなに遅ければ近づいてきた段階で気づきそうなものだが。もしかして実は速いとか? もしくは姿が消せるのかな?
 色々と予測を立てながら魔物の観察を続ける。暫く考えてから、答えを訊こうとプラタに声を掛ける。

『プラタ。今いいかい?』
『勿論で御座います。ご主人様でしたら何時如何なる時でも、何なりと御用を申し付け下さい』
『じゃ、ちょっと訊きたいんだけれど、あの虫の魔物はどうしてあんなに近くまで誰にも気づかれずに近づけたのかな?』

 見回りはそれなりにしっかりと行われている。魔物を注視していた間にも、他の見回りが何組か追い越して行ったし、反対側を見回る部隊もあった。あれだけ移動速度が遅ければ、誰かが目に留めていたとしてもおかしくはない。

『行きは高速で移動していましたので、その為かと』
『高速で動けるの?』
『はい。丸くなり転がるように進む場合は速度が上がります。ただし、急には止まれなくなるようですが』
『そうなのか』
『今回は森から転がって移動していたところ、止まることが出来ずに人間界の近くまで来てしまったようです』

 だから最初は丸まっていたのかな? それにしても、森から大結界の近くまでは結構距離があるんだが・・・。そんな僕の疑問が伝わったのか、プラタが補足の説明をしてくれる。

『転がっている間は進行方向や速度、現在地などは理解できていないようで、今回は森を出て暫くは止まろうともせずにずっと転がっていました』
『そうだったのか。緊急時以外だと使いにくそうな移動法だね』
『はい。大体は脅威が迫った時に距離を取る為に行われている移動法です』
『では、今回も?』
『いえ。今回は単に移動に使ったみたいですね』
『そうか。まぁ大結界の衝突しなくてよかったよ』

 もし逃げる為であったなら、森には中級並みの魔物が逃げる程の敵が居る事になるが、どうやらそうではないらしい。まぁ居なくはないのだろうが。
 とにかく、今回のはちょっとした事故だったというだけなのか。何事も無かったから良かったが。もしかしたら虫の魔物の帰りが歩きだったのは、今回ので懲りたからかもしれないな。

『ありがとう。勉強になったよ』
『御役に立てたのならば、それに勝る喜びは御座いません』
『頼りにしてるよ』

 そう伝えて会話を切る。その直前にプラタが頭を下げた様な気配を感じた。

しおり