エルフの森8
湖を後にした僕達は、のんびりと森を進む。
もう魔族軍は撤退したし、約束と依頼は果たされた。他に急ぐ用事もない。
それにこれも警固任務の一環とされているのだ、討伐の方は規定数を越えている以上、急いで帰って警固任務をするのは正直面倒くさい。というか、この移動も仕事の一環なのだ。うん。
それにしても、暗い森の中は相変わらず落ち着く。監視の目も二ヵ月近く浴び続ければ流石に慣れ過ぎてたまに忘れそうになるほどだ。
そういえば監視で思ったのだが、何故エルフやプラタ・シトリー達は人間とそれ以外を見分けられるのだろうか? 僅かな身体的特徴以外では見分けるのは難しいんだけれどな。こんな時はプラタ先生に訊くのが一番だな。
「ねぇプラタ、みんなは種族をどうやって見分けてるの?」
「視れば判りますが・・・そうで御座いますね、判りやすい方法は魔力の波長が種族によって異なっていると申し上げれば宜しいでしょうか」
「まぁこれは普段から色んな種族を目にする機会がなければ難しいかもねー」
「そうか」
人間界は基本的に人間しかいないからな。プラタの言葉を参考に視線をプラタとシトリー、ついでに監視のエルフに向けてみる。
「・・・・・・」
よく判らなかった。ただ、エルフだけはここ二ヵ月弱で視慣れた事もあってか、何となくは判った。もしくは沢山視るという事の方が大事なのかもしれない。
「難しいものだ」
「ご主人様でしたらそう時間を掛けずとも判別可能になります」
「はは、買い被り過ぎだよ。だけどまぁありがとう」
今回の調査では森の中までしか行っていない。外の世界は森より先にもまだまだ広がっているが、それでも既に外の世界の強さや人間の無知さ、技術の無さを嫌というほど知る事となった。人間の醜さは今に始まった事ではないが。
「外の世界、か」
背後に少し目を向ける。やはり外の世界というのは中々に興味深く、こんな浅い場所でも離れることに後ろ髪を引かれる想いを抱いてしまう。
「そういえば、妖精の国みたいなのはあるの?」
妖精王が居るのだから、何かしらの集合体はあるはず。
「国、という訳ではありませんが、妖精の森と呼ばれる我らの住まう森は存在致します」
「へぇー。いつかそこに行ってみたいな」
「その時は森の中を御案内致します」
「うん。その時はよろしくね」
「ぶー」
そんな話をプラタとしていると、シトリーが不貞腐れたような声を出す。
「シトリー? どうしたの?」
「オーガスト様は妖精の森には興味があっても、私達魔物の国には興味がないの?」
「・・・在るの? 魔物の国」
可能性としては考えた事はあるものの、実在するのは知らなかった。
「あるよ! 魔物だって国を造るぐらいの知性はあるんだからね!」
「そうなんだね。それは一度行ってみたいな!」
「ふふん! その時は私がしっかり案内するよ!」
「それは有難いな」
「にひひ。任せなさい!」
途端に機嫌がよくなるシトリーは可愛らしかった。
「世界は広いものだ」
穴蔵暮らしの長かった人類にとっては途轍もなく。
もしかしたら何処かに僕が存分に引き籠れる世界があるかもしれない。例えあったとしても、そこまでの道のりは大変そうだが。
「二人は世界中を巡った事があるの?」
二人は長い事生きているらしいし、行動的で強者だ。プラタに至っては視野が広いのできっと世界中を視ている事だろう。これから先、もし外の世界に出る事があった場合は頼りになるな。
「ご主人様の仰るその世界がどの範囲を示すかによります」
「まぁね。ドラゴンの住むあの山の向こうは正直私でも死にかねないし」
「え?」
二人の思わぬ返答に、僕は驚愕する。この二人をして難しいと言わしめる世界が存在する事に。
「大きく分けて世界は三層に分かれております。ここより遥か先にあるドラゴンの住まう峻厳な山々までが我らが住まう第一層。その連山が隔てる先の第二層は魔境で御座います」
「魔境?」
「あの先に居る奴らよく分からないんだよね。昔はあんな存在居なかったはずなんだけれど・・・」
プラタとシトリーが警戒する相手って、魔境には一体何が居るんだろう?
「第三層は?」
「最果てで御座います。そこは二体の魔物が住まう地です」
「二体の魔物? 他には?」
「居ないとは申し上げませんが、魔境の住人とさほど変わりありません」
「魔境の住人って?」
「分からないので御座います。あれらが何処から生まれ出ずる存在なのか」
「そうなんだ」
プラタでも把握できない存在か。よく分からないけど厄介そうだな。
「その二体の魔物って?」
「神殺しの魔物で御座います」
「神殺し?」
「はい。以前にシトリーが申しましたが、この世界にはかつて二柱の神が
「へぇ。それはまた凄いな」
おそらく親殺しという事になるのかな? それは確実に強いのだろう。・・・ん? 魔物?
「あれに勝てる存在って居るのかねー」
「今はまだ居ないでしょう」
何か引っかかるような気がするけれど、気のせいかな? まぁいいや。
「上には上が居るものだな」
「そうで御座いますね」
「ねー」
上が居るならそこを目指せる。今はそう思う事にしておこう。
◆
ナイアードが住む湖から森の入り口を目指して十五日が過ぎ、やっと森の終わりが見えてくる。
「ゆっくり移動しすぎたかな?」
西門警固の仕事したくなさに少々のんびり進み過ぎた気がしてくる。森を出るのに本当に一月も掛けるつもりは無かったんだけれどもな・・・森の出口を出発した当初は。
ここから西門まで何事も無ければ七日ぐらいは掛かるだろう。そう思うと、急に調査の終わりを実感してくる。
「プラタ、シトリーの事を頼むね」
「御任せ下さい。ご主人様」
「ぶー。プラタの面倒にならなくても、オーガスト様の頼みなら私はちゃんとするのに!」
森の境に近づくと、そうプラタに伝える。平原の途中までは一緒だが、こういう事は早い段階で一度確認しておいた方がいいだろう。
「それはそうだろうけれど、今はプラタの方が人間界には詳しいから、今回はプラタの言う事を聞いてね」
「・・・はーい」
少し不満げに了承するシトリー。フェンは引き続き人間界でもこのまま影に潜ませていればいいだろう。
そして、やっと森の外に出る。
雪こそ降ってはいなかったが、そこに広がるのは冬色に染まってきた草に覆われる平原。ただ、森の中より直接陽が当たっているからか、寒さは少し和らいだ気がする。
「なんか懐かしいな」
感慨を覚えるほどこの光景を目にした訳ではないが、どことなく懐かしく感じてそう口にする。
「さ、進もうか」
森を出たのが昼過ぎ、直ぐに陽は暮れるだろう。特にこの季節は。
僕達は夜が更けるまで平原を進むと、朝まで休憩を取る。
翌日からは日中だけ進み、夜は休む。そのまま特に何事もなく進み、森を出て六日後には大結界が視えてきた。
「陽が傾いてきたか」
西門まで少し速足で半日ほどもあれば辿り着ける距離で休憩を取る。ここでプラタとシトリーとは一度別れるので、四人での最後の休憩だ。
そして翌朝。プラタとシトリーに別れを告げると、僕は影に潜むフェンと共に西門へと向かった。
◆
小さくなるオーガストの背中に目を向けながら、シトリーは隣のプラタに言葉を掛ける。
「ねぇプラタ」
「何でしょう?」
「オーガスト様ってどんな方?」
「含意が広すぎて答えに困るのですが」
「じゃ・・・何で微かにアイツの味がするの?」
シトリーのその声には、嫌悪の響きが混じっていた。
「御存じなのでは?」
「ええ勿論。ただ、私が訊きたいのは量の問題。アイツの力がオーガスト様の中にあるのは知っている。だけど、あんなに少ない理由が私の記憶の中にはない」
「ああ、そういう事ですか」
プラタは眼だけを動かし、隣のシトリーに向ける。
「簡単な事ですよ。あの方は神を封じたのです」
「へぇ。そんなことが出来る存在が居るとはね」
「どうでしたか? 私のご主人様の味は」
「最高に甘美。ただ、まだ素材でしかないね。それに、微かにアイツの味が混ざっているのが不快」
「でしょうね。しかし、貴女が神の味を不快と言いますか」
「私にはあんな奴を神と敬える君らの方がどうかしてるとしか思えないけれどね。まぁそれでも私の創造主だ、確かにあの魔力は私にとっては最高の味だったはずなんだけれど・・・だからこそオーガスト様に興味があるし、傍に居たいと思えるのだけれども」
「そうでしょうとも」
「・・・で? 君は一体オーガスト様をどうしたいんだい?」
「また含意が広すぎますが?」
「理解しているのだろう? まぁいい、名づけの際の借りもあるからこれ以上は訊くまい。それにしても、本当にかつての君とは思えない変わりようだね」
「・・・ご主人様のおかげです」
「だろうね。それにしても、あの蘇生魔法には驚かされたものだ」
「ええ」
「オーガスト様は既に君らが神と敬うアイツを超えている。まぁ魔力量では劣っているが」
そこでプラタが微かに優越の笑みを浮かべた事にシトリーは気がつく。
「何かあるのかい?」
「先程申しましたでしょう? ご主人様は神を封じていると」
「それが?」
「それには
「なるほどね。しかし亜人――じゃなくて人間がね」
「ここは森の外ではないので気をつけてください。それと、もし次にご主人様を亜人呼ばわりしたら・・・怒りますよ?」
口調も表情も平時と変わらないものなのだが、プラタが纏った雰囲気は寒気がするほどに鋭利なモノであった。しかし、それを向けられたシトリーは大して気にする事もなく肩を竦める。
「私とてその時は怒るから大丈夫だ」
「ならいいですが。それに、別に人間は失敗作な訳ではないですよ。全ての種族にはその可能性が在るのですから」
「だけれど、人間は残り滓の集まりだろう?」
「それは否定しませんが、それで可能性がないという理由にはなりませんよ。それに、ご主人様は既に人間を脱せられた」
「私たちでしか気づけない程に僅かにだけれどね」
「それの意味が解らない貴女ではないでしょう? そう遠くないうちにあの方は神の呪縛から完全に脱してくださる」
「・・・君はオーガスト様ではなくアイツを好いているのだとばかり思っていたのだがね」
「まさか! 確かに神は敬っています。しかし、私が惹かれたのはご主人様の魔力の輝きのみにです」
「ティターニアもかい?」
「おや、お気づきでしたか」
「勿論」
「ティターニア様は誰よりも早くあの方を見つけられました」
「それで混ざったと」
「はい。羨ましい限りです」
「まぁ最初の段階で見つけた者の特権だね」
「そうです。ですが、おかげで私はあの方の御傍に控えることが出来ました」
「・・・一つ、昔から君に訊きたかった事がある」
「何でしょうか?」
「何故彼女らを妖精王として戴く?」
「どういうことで?」
「そもそも、妖精は君ら三人だけではないか」
「・・・・・・」
「それとも、あのよく君らの周囲を飛び回っていたパックやピクシー、エインセルなんかを妖精と呼称しているのかな? あれは妖精というより精霊だろう?」
「・・・・・・」
「そして、三人の中で何故君が一番下なんだい? 生まれた順かい? ドラゴンの王さえ敵わない最強の妖精なのに?」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
視線だけで見つめ合う二人。その間には息を呑むほどの緊張感が漂っている。
「形式的なモノです。深い意味はありません」
「そうしておくよ」
そういうと、二人はもうほとんど視認出来ない小さな背中に視線を戻す。
「何にせよ、これから楽しくなりそうだ」
「ええ。ですが、あの方を裏切るようなら容赦は致しませんよ?」
「勿論だとも。それはそっくりそのまま君に返してあげよう」
「肝に銘じておきましょう」
「それより、いいのかい?」
「何がでしょうか?」
「フェン、だったか。一部しか見ていないが、能力を見るに、あれをオーガスト様の傍に置いておいてもいいのかい?」
「問題ないでしょう」
「そうかい。まぁ君を信じるとしよう。それにしてもフェン、ね」
「神の記憶の残滓でもあったのかもしれませんね」
「それは大丈夫なのかい?」
「封印が弱ってきてましたね」
「あの時のやつか。影響は?」
「限定的かと」
「具体的には?」
「現状は様々なモノへの関心が薄れているようですね」
「それは大丈夫なのかい?」
「問題はありません・・・と、言えればいいんですが、これはご主人様次第ですね」
「・・・・・・」
「そう心配せずとも、大丈夫でしょう」
「根拠は?」
「ありません」
「・・・・・・本当に君は何を考えているんだか」
「さ、我らも人間界に入りますよ」
「そうだね。しかし、人間界ってのは魔力濃度が薄い場所だな」
「それはあの結界の影響ですね」
「あんな脆い結界の影響ね。あんなのに魔力使って衰退するんだから、人間ってのはよく分からんね」
「ああ、そういえば、これを伝えておくのを忘れるところでした」
「ん?」
「ご主人様の近くには僅かにですが姫を宿した者が居ります。くれぐれもおかしな行動に出ないように」
「姫、ね。まぁ努力はするよ。だけど保証はしない」
「・・・その際は止めますが、ご主人様の御迷惑にならないように」
「・・・オーガスト様に迷惑はかけたくないから善処はするよ」
そうシトリーが言葉にした後、二人は移動を開始する。そして、一瞬で大結界の内側に到着したのだった。
◆
西門に到着したのは夕方頃だった。
三か月弱ぶりの帰還だっただけに、顔見知りの兵士の人達に生きていた事を喜ばれた。どうやら調査に時間を掛け過ぎた為に、西門では僕の生存は絶望的となっていたらしい。
そんな兵士達と少しの間言葉を交わした後、バンガローズ教諭の許に報告する為に移動する。
バンガローズ教諭は異形種対策本部にある事務室で一人書類仕事をしているらしかった。報告でも纏めていたのかもしれない。
扉越しに名乗って入室許可を願う。それに室内で何かが倒れる大きな音と小さな悲鳴がしたかと思うと、もの凄い勢いで扉が開かれた。
「オーガスト君! 生きていたんですね! よかった。本当に良かったです」
僕を確認するなりバンガローズ教諭は普段の控えめな音量やどもったような喋り方ではなく、驚く程大きな声でハキハキとそう言うと、最後には今にも泣きだしそうな安堵の声を出した。
「お騒がせしました」
それに僕は驚きつつも頭を下げる。心配を掛けてしまったのは己が不徳の致すところだろう。面倒くさがらなければ一月ぐらいは早く帰ってこれただろうから。
「いいのです。無事に帰って来てくれれば」
ホッと一息ついたバンガローズ教諭は、落ち着いたことで自分の行動を振り返り顔を赤くする。
驚きが引いた僕も、改めてそんなバンガローズ教諭を眺めて気がつく。バンガローズ教諭から感じる魔力の波長というか質とでもいうべきものが、つい最近見慣れたモノに似ている事に。ただ、微妙に異なってもいるのだが。
僕はそこを不思議に思いつつも、バンガローズ教諭がエルフであった事に内心で驚くと同時に、納得もしていた。
「? ど、どうかしましたか? オ、オーガスト君」
そんな僕を不審げに眺めつつ、いつもの口調で問い掛けるバンガローズ教諭。
「いえ、なんでもないです」
あの森でエルフを直接見て言葉を交わし、ナイアードから歴史を聞いた。その上で人間界に居るエルフに微かに興味は湧くが、同時にそれは軽々に触れるべきモノではない事も知っていた。隠し事ぐらい誰にだってあるし、その中には絶対に知れれたくない類いのモノがあるのも知っている。
「そ、そうですか」
そこでどこか観察するように僕を見るバンガローズ教諭。
「オ、オーガスト君。も、森で何かあ、ありましたか?」
「その報告に伺いました」
「そ、そうではなく・・・い、いえ、中に入りましょう。は、話はそこで」
バンガローズ教諭に促されて室内に入ると、室内は書類の山が複数の机の上に沢山出来ていた。床には落ちて広がっている書類や卓上の電灯の様なモノも落ちている。
「・・・・・・」
「い、いえ、こ、これは・・・み、見ないでいただけると・・・」
凄く恥ずかしそうにそう言われたので、僕は視線を外す。
「あ、ありがとうございます」
バンガローズ教諭は礼を言うと、別室への扉を開く。
「ど、どうぞ」
バンガローズ教諭に手振りで入室を促され、僕はそちらの部屋へと入る。
そこは狭い部屋に綺麗に磨かれた机と、それを挟むようにソファーが二つ置かれていた。後は壁際に簡単な飲み物を用意できるようにカップと機械が置いてある。
「て、適当に座ってください」
そうバンガローズ教諭に言われ、僕は目の前のソファーに腰掛ける。
そんな僕の前に、黄色みがかった温かい飲み物の入ったコップが置かれる。
「ありがとうございます」
それに対してバンガローズ教諭に礼を告げると、バンガローズ教諭は対面のソファーに自分のカップを手に腰掛けた。
「そ、それで、も、森の中の様子はど、どうでしたか?」
「はい。まず――」
僕はバンガローズ教諭に森の中での様子を伝えられる部分だけ伝える。それでも最初の一月半程で色々あった為に結構かかってしまった。
「い、異形種はエ、エルフに敗れて去っていったんですね?」
「はい。確かに撤退したのを確認しました」
「よ、よかったです」
胸を撫で下ろすバンガローズ教諭。
「ね、念のために後一ヵ月ぐらいしゅ、周辺調査を行いましょう」
「そうですね」
念には念を入れるのは大事な事だろう。
「オ、オーガスト君も引き続きそ、それに参加してください」
「はい。承りました」
「そ、その後の残りの一ヵ月は、ほ、本来の警固任務に就いて頂きます」
「畏まりました」
それが終われば晴れて進級だろう。そこで気になっていた事をバンガローズ教諭に問い掛ける。
「ペリド姫達はもう帝都から戻ってきていますか?」
「ま、まだです」
そう言うと、バンガローズ教諭は席を立つ。
「す、少し待っていてください」
バンガローズ教諭は部屋を出ていくと、紙の束を片手に戻ってくる。
「こ、これを」
そう言ってどことなく躊躇いがちに差し出されたのは新聞であった。
「えっと・・・?」
僕は戸惑いながらもそれを受け取ると、中身を確認する為に開いて目を落とした。そこに大きく書かれている見出しが目に入る。
「奴隷売買組織に打撃?」
日付を確認すると、それは僕が西門を出た数日後の新聞であったようで、そこにはペリド姫が陣頭指揮を執った捜査で帝国最大の奴隷売買組織の幹部を一斉に検挙したという事が書かれていた。
しかし、頭は取り逃がしたらしく、また末端は未だ無数にあるとか。
「まだこれが終わっていないのですか?」
「は、はい。か、かなりの数を捕らえたらしいのですが、ま、まだ元締めがと、捕らえられないようで」
「なるほど」
それにしても、この新聞の記事はやたらとペリド姫の存在を前面に出しているが、何かあるのかね?
「では、ペリド姫達の警固任務の期間は止まったままですか?」
そうなれば僕は一人で進級という事になるだろう。まだ当分かかりそうだし。
「い、いえ。そ、それも治安維持で警固任務の一環らしい、です」
「なるほど」
まぁ間違ってはいないが、バンガローズ教諭の反応を見るに、これはもしかしたら何か裏で取引があったのかもしれない。
「では、引き続き僕は独りで行動しますね」
「は、はい。も、森から無事に帰ってこられるオ、オーガスト君なら大丈夫でしょうが、お、お気をつけて」
ならばまぁ何の問題もない。
「あ、あの・・・」
「何ですか?」
迷うように声を掛けたバンガローズ教諭に、僕は首を傾げる。何故かいつも以上に怯えているような気がするのはなんでだろう。
「ほ、本当にも、森で何があったんですか?」
「えっと、それはどういう意味ですか?」
「い、いえ、あ、あの、な、何と言いますか、ま、前のオーガスト君ではない気がして・・・」
「それはどういう?」
よく解らない言葉に僕は困惑する。僕は僕で別にシトリーが擬態している訳ではないのだが・・・。
「え、えっと・・・わ、忘れてください」
「・・・はぁ。分かりました」
一体何なんだろうか? 気にはなったが、結局この後もバンガローズ教諭が何を言いたかったのかよく解らないままだった。
◆
「それでは、部屋に戻ります」
「報告ご苦労様でした。明日は一日休みですので、ゆっくりお休みください」
「はい。では」
そう言ってお辞儀をすると、オーガストは部屋を出ていった。
閉じられた扉を暫く眺めていたバンガローズは、ぶるりと小さく震えると、次第にその震えが大きくなる。
「・・・あれは一体誰ですか」
がたがたと震える己が身体を自分で抱きしめながら、バンガローズは先程話していた少年の姿を思い出し、恐怖する。
確かにあれはオーガストではあった。
しかし、バンガローズの記憶にあるオーガストという少年は、バンガローズのようにどこか怯えた自信なさげな少年ながらも、芯の部分では自分をしっかり持っている少年であった。
多少は性格も変わる事はあるだろうが、それ以外に人を安心させるような雰囲気を併せ持つ少年で、西門では報告などを受けるついでによく言葉を交わすようになり、バンガローズはオーガストになら自分の過去を話してもいいかもしれないと思えるぐらいには心を許していた。
そんなオーガストが森の中へ調査に行くと話した際、最初バンガローズは危険だからと止めたのだが、それでもオーガストは森の中へと調査に行ってしまった。
無事を祈って待ち、約三ヵ月が経った頃。生存は絶望的と言われていたオーガストは帰ってきた。扉越しにその声を聞いた時にはバンガローズは驚き歓喜したのだが、落ち着いて改めてオーガストの事を見た時に、戸惑った。
それは確かにオーガストであった。危険な森の中に入った割りに怪我もなく、健康そのものという感じではあったのだが、纏う雰囲気といえばいいのか、バンガローズは説明不能な違和感にオーガストが別人のように思えて、ただただ困惑した。
そんなオーガストを部屋に入れる事に僅かに抵抗はあったが、報告は受けなくてはならないと割り切り、執務室にある応接室とは名ばかりの休憩所へと通す。
オーガストからの報告はとても重要な内容であった。
それが終わり今後の予定を伝えると、バンガローズはオーガストに現在別行動を取っているパーティーメンバーの近況を尋ねられる。
それに答えた後、バンガローズは森で何があったのかオーガストに問うたのだが、オーガスト自身その問いの意味がよく解っていない様子であった。そして、先程自室へと帰っていったのだった。
その間、オーガストは真剣な話の時以外はほとんどずっと笑顔を浮かべていた。それは何かいい事でもあったのかと思わせるようなとても自然な笑みのように見えたのだが、バンガローズはその笑みに何故だか気持ち悪いまでの寒気を覚えていた。
◆
バンガローズ教諭へ報告を済ませ、僕が部屋に戻ると、そこにはルームメイトが増えていた。
「ああ! 無事にお帰りになられたのですね!」
窓際に立っていたその懐かしい優しげな声の主は、僕に気づいて笑みを浮かべる。
そのティファレトさんの近くのベッドに腰掛けているセフィラは、相変わらず何かを弄っている。というか、そのベッドは僕が使っていたんだが、何かセフィラの荷物が置いてあるのだが・・・。
「おかえり~」
「生きてたんだな。お帰り」
反対側の二段ベッドに居た、アルパルカルとヴルフルもティファレトさんに続いて声を掛けてきた。
「ただいま。またみんなと同じ部屋なんだね」
挨拶を返しながら背嚢を部屋の隅に置くと、脱いだ皮鎧をその横に置く。魔法で綺麗にしているとはいえ、後で軽く拭いておこう。
その後にセフィラが座るベッドに近づく。
「そこ・・・セフィラが使ってるの?」
「ん? ああ、オーガスト君が使ってた?」
「まぁいいよ。上は空いてる?」
「ああ」
セフィラが頷いたのを確認して、僕は部屋に備え付けられている私物入れから着替えを取り出す。
「ちょっとお風呂入ってくる」
調査中は魔法で身体を綺麗にしていたが、久しぶりにお風呂に入って身体を流したかった。
「行ってらっしゃいませ」
「入ってらー」
「行ってらっしゃいです~」
三人の声を背に僕は風呂場へ移動する。
魔法のおかげでお湯の用意はかなり楽になった。その結果、いつでもお風呂に入れる。とはいえ、ここは魔法が使えない兵士も多いので、ここにはお風呂の時間にお湯の準備をする魔法使いの当番が居る。
時間外では湯は自分で調達しなければならないが、風呂場自体はいつでも使用可能だ。
今は時間外ではあるが、僕は魔法使いなのでお湯は自力で簡単に調達できる。
大浴場を独りで使うのは無駄だが、そういう時間外に個人や少数で使用したい者向けに狭い浴場も用意されているので、そこで身体を洗い、独りのんびり湯に浸かる。
そういう空いた時間が出来ると、今回の調査についてが頭に浮かぶ。
距離はあったが大した脅威も無く、調査自体は実に簡単なものであった。
その後の魔族狩りもほとんどプラタ達三人がやってくれたからとても楽が出来た。途中から一人増えたが、三人旅も四人旅も楽しめたし、一応大人精霊もみれたので割と満足した。エルフについてはもうどうでもいいが、森の先に少し興味が湧いた。
後は・・・。
僕は自分の手に目を落とす。何となくではあるが、僕の内側で何かが変化してきているように感じる。それと同時に、昔の事が微かに思い出せそうになる。これは良い事なのかどうなのか分からないが、最近は自分が消えていくような不安を覚える事がある。
「これは何なんだろうな」
僕はその正体不明の感覚に困惑する。しかしそんな悪い事ばかりでもないらしく、最近は少し力が増したような気がしていた。
「まだまだやるべき事はたくさんある」
プラタにシトリーにフェン。今回一緒に旅をし戦った三人は自分より格上だった。自分の矮小さが浮かび上がり焦りを覚える。蘇生魔法は完成したものの、戦闘力でいえばあんまり変わっていない。このままでは何かあった時に無力を嘆くだけだ。
「攻撃魔法か・・・」
考えはあるが、それでどうにかなるかはまだ判らない。ただ、完成すれば楽しめそうだとは感じている。
「知識も足りないな。今後の為にもプラタに色々教えてもらうか」
やはりプラタに頼りすぎかな? と思い、シトリーも色々知っている事を思い出す。
「シトリーって教えるの上手いのかな?」
何となく武術を教えてくれた近所のおじさんのような感覚派な気がするのだが・・・。あれは大変だった。
「後二ヵ月で三年生か。調査はいいとして、警固ね。見回りや見張りぐらいしか聞いてないけれど」
外敵への警戒と西門街の治安維持。主な仕事はそれだと教わったが、参加したことがない為にあまり詳しく聞いていなかった。見回ればいいだけなのかな? まぁ後で教えてもらえばいいや。
「さて、上がるかね」
一先ず風呂を終えて部屋に戻ろう。そう思い後片付けをして浴室を出ると、僕は手早く着替えを済ませた。
◆
風呂に入り部屋へと戻ると、部屋にはセフィラとティファレトさんだけが居た。
「あれ? アルパルカルとヴルフルは?」
「お二方ならば、先程夜警に向かいました」
「そうなんですか」
ティファレトさんの答えに頷きながらベッドに近づく。
「二人は違うんですか?」
「はい。周辺の魔物と戦う時には一緒に行動しますが、警固任務は基本的に別々です」
「そうなんですね」
休みの日以外でここに滞在している期間が警固任務の期間なので、休みさえ同じならば別行動でも問題ないのだろう。
「そういえば、警固任務って何をやるんですか?」
「オーガストさんは警固任務に就いた事はないのですか?」
「ええ、別件の任務を言い渡されていまして」
「そうなんですか」
魔族軍は撤退したとはいえ、他言無用はまだ生きているだろうから、セフィラやティファレトさんが相手でも詳しくは話せない。だけど、これぐらいならば問題ないだろう。
「警固任務の基本は、防壁上から昼夜問わずに外を警戒する事ですね。他にも防壁周辺の警戒、防壁の点検・補修などの整備やたまに門番も任されます。それ以外ですと、西門街の警備も含まれます。ですがこちらは兵士の方が主軸の様なので、魔法使いである皆様はほぼ防壁の方の警固です。ああ、他にも魔法使いの方々はたまに大結界の点検も任務に入ってくるらしいですよ」
ティファレトさんの説明を真剣に聞く。防壁や大結界の整備は初耳だが、大体は聞いた通りの内容だった。
「ありがとうございます」
説明を聞き終わり、ティファレトさんに礼を告げる。
「いえいえ。ワタクシで答えられる事でしたら遠慮なくいつでも訊いてください」
にこやかに笑うティファレトさん。それに感謝を込めて会釈すると、僕はベッドに備え付けてある梯子を使って上の段のベッドに行こうとするが。
「何かあった?」
突然セフィラがそう問うてくる。目線は手元を向いたままだが。
「何が?」
「どことなくオーガスト君の雰囲気が変わった」
「そう?」
「うん。なんというか、気味が悪い?」
「なんか酷い言われ様だ」
「で? どうなの?」
「うーん。あったような、ないような? よく解らないね」
「そう」
「気になる?」
「まぁね。だけれど、どうやら君は君のようだ」
「自分ではそう思っているよ」
「ならいいよ。引き留めて悪かったね」
「いや、言ってくれてよかったよ。同じような事言われたけれどよく解らなかったし」
「それだけ気味が悪かったらね」
「・・・そんなに?」
「うん」
「・・・・・・」
即答のセフィラの言葉に、僕は一瞬固まる。
「気にする者は気にするだろうさ。だけど、君が君ならぼくは気にならないけれど」
「・・・ありがとう。セフィラのそういう適当な所は好きよ」
「ぼくもまぁ君を気に入っている」
「ははは」
僕は軽く笑うと、上の段へと移動する。
「・・・・・・」
ベッドに座り、もう一度自分の手を見る。そこまで変わったのだろうか? 自分で解るのは、内の何かが変化したような気がするだけなんだが。
「・・・おやすみ」
考えても解らないので僕は二人に就寝の挨拶をする。
「おやすみなさいませ」
下からティファレトさんの返事が聞こえるが、相変わらずセフィラの声は返ってこない。
それを僕は大して気にする事もなく、久しぶりにゆっくり眠ろうと毛布を被り、睡魔に身を任せた。
◆
それは直ぐに夢だと判った。
何か根拠があった訳ではないので、直感の様なモノだ。
夢の中で目を覚ました僕は、周囲を窺い身を起こす。そこは宿舎のベッドの上だった。
二段ベッドの上の段。寝た時と状態は変わらない。窓からは朝日が差し込み、部屋は明るい。
「・・・・・・ふむ?」
夢とは思えない日常の光景に、僕は首を傾げる。普段の宿舎と違うのは無音と言えるぐらいに静かな事と、人の気配が全く感じられない事ぐらいか。
周囲を視てみるが、誰も居ない。しかし他には変わったところが何もない。
僕はどうしたものかと考えながら下に降りて窓の外を窺う。煉瓦とコンクリートの宿舎と整備された道。それは普段と変わらない光景。人が居ないことを除いては。
とりあえず外に出て周囲を探索してみる。
常に誰かしらかを目にするのに、やはり誰も居ない。音だって聞こえない。それは強く地面を叩いてみた自分の足音さえも。
「・・・・・・」
警戒しながらしばらく歩いていると、目の前に髪も服も全身眩いばかりに純白の人物が立っているのが視界に映った。
それを見た瞬間、全身が総毛だつような
「久しぶりだね」
僕に気づいたその人物は、そう言って親しげに口角を持ち上げる。しかしその顔は鼻の辺りから上が
「どちら様でしょうか?」
警戒しながらそう問うと、その人物は変わらず親しげな角度のままの口を開く。
「覚えていないのならば、思いだした時でいいよ。今日はただ挨拶に来ただけだから」
「挨拶?」
「そう、挨拶。いつか君が僕を思い出してくれた時の為にね」
「・・・・・・」
その人物は全力で警戒する僕を気にする事もなく言葉を紡ぐ。
「そう遠くないうちにまた言葉を交わす事になるだろうから、今日はそこまで長居するつもりはないよ」
そう言い終わったその人物が「じゃあね、オーガスト君」 と僕に別れの言葉を告げると、急速に意識が浮上する感覚に包まれた。