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5:グッドフライト

 最新鋭の旅客機は、僅か四人の乗客の為に東へ飛んでいる。従業員は、飛行機を動かす為に操縦士、副操縦士、飲食物提供の為に係員が数名、後は武装した兵士が20名ほど。兵士達は直立不動で、武装は、警棒やナイフ程度のもの。銃器は機体に穴を開ける危険がある為か携帯していない。
 死刑囚4名、それも、いずれもが十代の少年少女。対して兵士20名は、平時ならば過剰戦力の謗りを受けよう。だが、今回に限って兵士達は、更に倍の戦力が居て欲しかったと切に願っている。
 何せこの護送対象は〝死なない〟のだ。

「とォんだ旅行になっちまったなァ? ファーストクラスなんざ生まれて初めてだぜ」

 蓮っ葉な口調でそう言った少女は、窓枠に切り取られた風景の下端、雲の波を見下すように、座席の背もたれに寄りかかった。
 エコノミークラスの、観光バスとさして変わらない貧相な椅子ではない。高級なソファベッドの如き広々としたスペースで、テーブルは数十キロ程度の荷重ではビクともしない強度。用意された食事は、個々人の注文に合わせたが為に決して高級品ばかりとは言えないが――例えばこの赤毛の少女の場合、オムライスにハンバーグ、ケチャップのドギツいパスタに炭酸飲料というファミレス的選択。しかし美味であることには違いなく、加えて言うに機内の厨房で出来立てを提供している。同程度のサービスを提供する場合、平均的な労働者の月給が、半分以上は消し飛ぶだろう。
 時間の使い方もまた、様々だ。
 口の悪い、つんと目の吊り上がった赤毛の少女は、前述の如き食事を楽しみながら、コミック雑誌を片手で広げている。その横にまた一人、こちらは色黒で背の高い少年だ。

「……美味いんだけど、こう、なんか違うつーか――俺はクズ肉が食べたいんだよなぁ。もっとこう、安っぽい味の! 添乗員さーん、ここにチューロ(ハンバーガーショップ)は無いんですかぁ!?」

 成長期の最中だろうか、まだ大きくなりそうな骨格をした、そして強面の顔の割にくりっと愛らしい形の目をした彼は、食事にこだわりが無いのか、片手で食べられるジャンクフードに噛りついている。ヘッドホンを半分ずらして頭に乗せているが、そこから漏れ出している音は、どうにも聴覚破壊の為にあるのではと訝りたくなるようなけたたましい重低音である。
 同行者3名中、2名がこの有様だ。イリーナ・ドラグーノヴァは辟易の溜息と共に、イヤホンを耳に捩じ込んだ。
 空の旅は初めてではない。寧ろ甚だ不本意ながら、母親のユーリヤ・ミハイロブナに同行し、幾度も〝国賓待遇で〟空を飛んでいる。幼少期は、フライトの数時間が退屈で仕方がなかった。母が同行者達と、ホームドラマの如く朗らかな、上辺だけの会話に興じているのを聞きながら、絵本をパラパラと捲っていた記憶がある。
 今にして考えれば――イリーナは周囲の音から逃れて、思考の渦へと身を投じる。
 あの時、母は随分と猫を被っていたように思える。
 他人の命に資源以上の価値を感じていないような女が善人そのものの完璧な笑みを浮かべ、ある時は真に迫る涙を流して、聖人としての名声を確立する戦場が、会談の場であった。鏡を前に研究し尽くした笑顔が、いかに効率良く他国高官の信を勝ち取ったことか。
 とんだ悪党だ。追憶に、乾いた笑いが溢れる。
 聖人などとはとんでもない。己の欲望の為には、夫も、血を分けた娘さえも道具とし、ただただ〈時間鉱学〉なる学問に没頭した。その過程で使い潰した実験動物は何百頭に至るだろうか。
 或いはその中に、戸籍が定かではない人間が混ざっていたとして――そういう証拠をイリーナ自身が目にした訳ではないが――不思議とは思わない。何故ならば〝イリーナ自身が実験動物のようなもの〟だったからだ。
 溜息。ポケットから手鏡を取り出す。鏡に映る顔は、腹立たしいことに母親と瓜二つ。
 この顔は嫌いだ。顔ばかりではない。声も、背丈も、祈りの度に視界に入る爪の形も、癖は無いが芯が通ったように硬い頭髪も、太りにくいように調整された体質も、何もかも。母親に似ている全ての箇所が嫌いだ。
 だが――笑みを作る。
 世界で二番目に憎んでいる鏡の中の顔を、どう動かせば良いのか、イリーナは熟知している。目はどこまで細めて良い、唇はどこまで吊り上げて良い、どうすれば完全無欠の聖女らしい微笑みができるのか、母親の顔を資料とし研究し尽くしたのだ。不幸にして才覚も美貌も、全て母親の〝生き写し〟。

「ねえ、貴女。お名前は?」

「あァ?」

 ケチャップで口の周りを汚した少女に、イリーナは、鏡で確認したばかりの完璧な笑顔を向けた。蓮っ葉な口調の少女は、途端、片目をギロリと見開く。凶暴な目だ。小胆者なら怯んで口を閉ざすのだろうが、イリーナは笑みを崩しもしない。
 自分の完成系<<ははおや>>を真似ることで、彼女が36年かけて辿り着いた領域に、イリーナは16年で到達している。警戒心を削いで懐に入り込む為の、作り物の愛想の良さ。むしろ強面の少女の方が、椅子の上で身じろぎした。

「私はイリーナ・ドラグーノヴァ。お友達は多い方がいいわ、短い旅だとしても」

「……お友達だぁ? 私が何やったのか、知ってて言ってんのか?」

「いいえ。けれど、悪いことをしたのは知ってるわ。そうじゃなきゃ此処にはいないもの。……けど、私よりひどいことはしてないと思うの」 

「は?」

 ――悪党と言うのは、多かれ少なかれ、自分の所業を〝成果〟と認識しているところがある。挑発的なイリーナの言葉に、椅子から身を乗り出す少女。

「ちょっと、枢機卿を一人殺しちゃって」

「はァ!? おい、大ボラ吹いてんじゃねえぞコラ!?」

 そこへカウンターパンチが突き刺さる。殺人犯と言うだけでも世間一般には大悪人だが、よりによって国家の首席たる五人。その一つを欠いたというのだ。俄かに信じられぬ話であろう、蓮っ葉な少女は目を丸く見開き、少しばかり上体を反らして首をイリーナから遠ざけながら虚勢を張る。

「嘘だと思うなら、どの兵士にでもいいわ、聞いてごらんなさい。護送対象の罪状くらい把握しているはずよ。兵士さんが知らなかったら、ウィリアム・ボードナー大司教へ確認させればいい。正直な方ですから、愛弟子の犯罪をきっちり教えてくれるでしょうね」

 つまり、先手を打って脅し付けたのだ。
 懐へ入り込み、相手の流儀で最も重い打撃を打つ。打撃とはつまり〝犯罪自慢〟であり、〝どちらがより格上の悪党か〟である。目論見の通り、先程まで威勢良く賑やかに食事を楽しんでいた少女は、椅子の座り心地を気にするように、もぞもぞと尻を動かした。
 ひゅう、と口笛が鳴った。下町に響く、品の無い大きな音。イリーナは努めて静かに、音の方角へ首を回す。

「そりゃあ大した悪党だなぁ、俺達はとても敵わねえ。何せこっちはチンケな盗人だ」

 色黒の少年がヘッドホンを外し、立ち上がって、二人の近くまで寄って来ていた。彼は右手をズボンの裾で拭き、イリーナへ差し出す。物怖じの無く、それでいて油断も無い目。しかし良く良く見ると、〝つぶらな〟と形容して差し支えない、不思議な愛嬌のある目をしている。

「盗人? 盗みでこんなところに来るなんて、前科何犯ですの?」

 差し出された手に握手を返す。軽く握り込むと、強い力で握り返される。背丈に見合う膂力が、少年のまだ完成し切らない骨格に備わっているようだ。

「おっと、甘く見られちゃ困る。盗みは何度もやらかしたが、俺もソフィーも、市警に捕まるようなヘマしちゃいない」

「へえ?」

「捕まったのは、聖堂守護騎士団にだ。教皇庁のな」

 そう言うと少年は、急に愉快な過去でも思い出したかのように――実際にそうなのだが――体をくの字に折り曲げ、喉から抑えきれぬ笑い声を漏らす。く、く、く、と小刻みなスタッカート。
 聖堂守護騎士団。読んで字の如く、教国における聖堂の守護者。つまりは教会組織の雇う衛兵である。さしたる高給取りではない。
 が――教皇庁の、と但し書きが付くと話が変わる。国家の中枢たる教皇庁の、数多ある上位聖職者達を守護する為、教皇庁直属の守護騎士団は、国内から優秀な人材を、金にあかせて集めている。エリート中のエリートの就職先だ。
 イリーナは表情を保ったまま、心中、記憶を探る。教皇庁に盗賊が侵入したなど聞いた試しが無いが、しかしこの少年が嘘を言っているようには見えない。

「あの――」

 どういうことか、と先を促すべく口を開こうとした時、声を出すより一瞬早く、少年がくの字に曲がった体を真っ直ぐに戻す。

「ひでえ野郎が居たんだ。ダブルバーガーみたいな、って言えば分かるかな。腹の肉と胸の肉と喉が、ファストフードの安っぽいパンと肉みたいに積み重なってる奴だったんだが、美術品好きのお偉いさんに取り入ろうとしたらしい。それで俺達にこう言ったんだ。〝おい、ガキ共、マリヤヴェーラの聖遺物を見つけて来たら金をやるぞ!〟」

 少年は自分の鼻の先を指で持ち上げ、喉が締まったような声でモノマネをした。蓮っ葉な口調の少女、ソフィーが噴き出したのは、きっとそのモノマネのクオリティが高かったのだろう。

「そ……それで?」

 イリーナは、話の続きをせびる。何となく先が見えて、悪い予感がしたのである。

「教皇庁の、聖遺物保管庫に忍び込んだ。参拝者に混じって聖堂に行って、便所を探すふりして抜け出し、鍵は衛兵からスリ取った。保管庫に入ったは良いが、なんだあそこ、ボロボロの布切れやら読めやしねえ走り書きのメモやら、ガラクタ市より品揃えが悪い」

「聖マリヤヴェーラの〈聖衣の旗〉の一部や、直筆の聖書の草案や――」

「あ、すげえもんだったの? 俺もソフィーもその辺の学は無いんでね。で、だ。奥の方に、なんだか立派な剣が飾ってあるじゃねえの。しかも柄にはでっけえ宝石が埋まってると来たもんだ。こいつはいい! 流石に剣はでかすぎて持ち帰れないが――」

 と、少年の語り口調にいよいよ熱が入って来た時、イリーナがすうっと右手をかざす。……反対の左手は、頭痛に耐えるかの如く、こめかみを指先で揉んでいる。

「柄のサファイア――〈氷の心臓〉を盗もうとして、〈スパイトベルグの聖遺剣〉を折ったんでしょう……?」

「えっ、知ってんのかい。そうだよ、うっかり落としたらボキッと折れちまった」

 イリーナは、深い溜息と共に、頭を抱えて体を丸めた。

「なんだなんだ、ひょっとして俺達有名人?」

「貴方達の名前は知らないけど、とんでもない大騒ぎになったわよ……〝不慮の事故〟で〝教国の誕生から受け継がれる国宝が破損した〟って。警備責任者の騎士団長から、直属の上司の大司教から、現場に居た守護騎士から、合わせて50人くらいは引責でクビになったわ……」

「うわお、そりゃ大変だ」

「大変ってレベルじゃなかったわよ……」

 溜息と共に、今度は座席に背を預けて天井を仰ぐイリーナ。手元のレバーで座席を後方に傾け、疲労感に満ちた声を絞り出す。

「ウィリアム先生は同僚が一人抜けた分、二倍働かされて、片手で食事しながら片手で書類を作る有様だったし、私は似たような剣を探して程よく劣化させる作業を繰り返させられたし――」

「劣化?」

「月に一度、一部の貴族向けに保管庫が解放されるの。あんた達が忍び込んだの、解放日の3日前だったのよ」

「あらま」

 他人事のような物言いと共に肩をすくめる少年。しかし、軽薄な態度とは裏腹に頭の回る彼は、大方の事情を察知した。
 つまり国宝の剣を修復するには時間がかかる。かと言って国宝の損壊を表沙汰にしては余計に大事だ――50人で済んだ失職者が数倍に膨れ上がることだろう。だからイリーナは、代わりに陳列する為の偽物を作らされたのである。

「あらまじゃないわよ! 錆びないように、けれども古めかしく、柄にはサファイアは埋め込まれてるように見える――そんな無茶苦茶な注文、鍛冶屋でもなんでもない私がやらされたのよ!? 目ばっかり超えた貴族連中を誤魔化せるようにって、作ってはリテイク作ってはリテイク、3日で30本は試作品を作らされたわ!」

 イリーナはこめかみを、中指の第二関節の甲でギリギリと締め付けるように押す。
 思い出すだに頭が痛む――ヒステリックに叫んでしまうくらい、〝あれ〟は酷かった。なまじ〈時間鉱学〉なぞと言う学問に熟達していたが為、一介の学生の身で、国家機密に携わる羽目になったのだ。
 徹夜による突貫作業。世界で最も嫌いな人間である母親と二人並んで、狭い部屋に閉じこもり、延々と剣に対し〈時間加速〉を試みる。数百年分の経過を数時間で行うのだが、微細な環境の調整次第で――例えば素手で剣に触れたことによる微生物の付着とか、空気中の湿度だとか、日照だとかで――仕上がりは随分と変わってしまう。鉄剣が無惨なサビの塊に変わる様を何本見せつけられたことか。
 偶然が味方し、かろうじて公開の2時間前に鑑定人の満足が行くものが出来上がったが、そうでなければ教皇庁は大規模な人事異動の嵐に見舞われただろう。

「おかげで俺達、裁判無しで死刑って訳。ところが変な注射だけ打たれたと思ったら、こうして飛行機に乗せられて贅沢旅行してんのよ。やー、人生って分からないもんだねえ」

「余計なことを喋らせない為、証拠隠滅ってことね……」

「多分ね。それにしてもおたく、随分と口調が砕けてきたじゃないの。何、そっちが素? それくらいブロークンな方が親しみ持てるね俺は」

 真っ白な歯を見せつけるように、少年がにいっと笑い、再び右手を差し出す。疲労感と頭痛に苛まれながら、イリーナは二度目の握手に応じた。

「シェイマス・ダッドリーだ。横のこいつはソフィー・リー。短い旅だが仲良くやろうぜ」

「文化財には敬意を払って欲しいわね。改めて、イリーナ・ドラグーノヴァ。司教補佐よ、よろしく――」

 少年の手に対し、強い力で握り返す。些細な事柄でも負けたままにしておかない気の強さに、シェイマスはひゅうと口笛を鳴らした。
 それから、視線が交錯した時、二人はほぼ同時に手の指を開く。イリーナは自分の座席に戻ろうと、踵に体重を乗せて、キュッと床を鳴らした。
 その時だった。
 イリーナの発した、靴底が床と擦れる音を掻き消すように、ずぅん、と腹に響く爆音と、テーブルの上の食事を跳ね上がらせる強烈な振動が旅客機を襲った。

「なっ――なんだ!?」

「爆発か!?」

「どこだ、機関室じゃないだろうな!?」

 武装兵士達が、迅速に爆音に反応し動き始める。ある者は機関室へと走り、ある者は貨物室へ向かうが、誰にも共通するのは恐怖と緊張に引きつった顔――彼らは瞬時に最悪の想像をしたのだ。
 上空3000m、遠い地上は、雪降り積もる険しい山脈。
 不時着など不可能。

「貨物室が燃えてる! コクピットは無事か!?」

「高度が落ちてるだと!? 空港はまだ遠いんだぞ、くそがっ!」

「ああ、神よ、神よどうかお助けください、慈悲と恩愛の申し子たる我らを見捨てたもうこと無く――」

 働く者。嘆く者。祈る者。彼らの耳には届かぬだろうが、涼やかな声が呟いた。

「……助けないと」

 つい今しがたまで眠っていたアデラが、アイマスクを外しながら立ち上がり、言った。
 彼/彼女は、異形の両眼で窓の外を見る。
 旅客機の左の翼が、半ばからへし折れて炎上していた。

しおり