天使と妖精と
二つ目のダンジョンを攻略した翌日の事。食堂で視線を感じつつも食事を終えて教室に到着すると、そこには前回以上の騒ぎがあった。
教室に移動中も視線を感じてはいたが、やはり昨日のぺリド姫とパーティーを組んでダンジョンに挑んだ事が原因であった。
教室に居たのは他のクラスの生徒も混じっていて、その数の多さにうんざりとする。
前回で懲りたのか、野次馬達はまず一緒に教室に入ってきたセフィラとティファレトさんだけを先に通すように道を開ける。それにセフィラはいつも通りに進み、ティファレトさんはこちらを気にしつつも、促されるままにセフィラの後に続いた。僕は進もうとしたら進路を妨害されて進めなかった。
そんな薄情というよりいつも通りのセフィラに呆れつつも、僕はどうしたものかと思案する。その間も、セフィラ達を通した野次馬達からの容赦のない詰問の如き質問が続いていた。もしかしたらセフィラの怒りに触れて少し大人しかった分の反動もあるのかもしれない。
それを不愉快だという思いを表情に出しつつ黙って聞く。ぺリド姫に直接訊けない分、こちらに容赦なく来ているのだろう。
しばらくそうして聞きつつも、自分の席に進もうと何度か試みる。しかし、それは悉く妨害された。
僕が質問に答えないことに野次馬共が苛立ちはじめる。それを感じて、勝手なものだと内心で呆れ返る。僕に答える義務などまるでないのだから、その苛立ちはお門違いも甚だしい。むしろ、先程から質問され続けながら進路を邪魔されている僕が抱くべき感情だろうに。
そんな状態がしばらく続き、野次馬の声もどことなく荒いものになっていくなか、僕も段々とムカムカしてくる。しかしそれを自覚すると同時に、昨日のあの貴族の男との一件以来、自分の沸点が少し低くなった様な思いがして、多少落ち着きを取り戻す。どうもあの貴族の男は昔の自分を想起させる部分があるからか、必要以上に苛立ちを覚えてしまう。気を付けなくてはまたやらかしてしまうかもしれない。
そんな中、とうとう我慢できなくなった一人の男が前に出てくる。背丈は僕と同じくらいの見知らぬ男だった。
その男は、筋肉質のがっちりとした体格以外に目立ったところのない男だったが、流石に同じクラスならば数も多くないので、クラスメイトの顔ぐらいは覚えている。なので、この男は他のクラスの生徒なのだろう。
その男は声を荒げて僕の前まで来ると、殴りかからんばかりの勢いでまくし立ててくる。もはや脅迫の勢いであった。
その男の様子に野次馬の反応は、盛り上がりはやし立てる者と、逆に冷静になって引く者とに分かれる。
そんな男に、僕は色々と困った表情を見せる。それが気に食わなかったのだろうか、男はついには僕の胸倉を掴むと、唾が飛んでくるほどの近距離でがなり立ててくる。
その耳を塞ぎたくなる怒声を煩わしく思いながらも必死に聞き流していると、どこからか声が聞こえてくる。
『何時まで我慢しているの? そんな男簡単に倒せるでしょう? 何なら命を奪ってしまおうよ』
その声に僕は視線を周囲に向けるも、そこには発生源となるモノは何も誰も居なかった。
『さぁ、そんなに我慢する必要がどこにあるの? その男をちょっと撫でてやるだけで終わるのに。それに、非は向こうにあるんだからさ』
その声を聞きながら、僕はどこか聞き覚えがある様な気がして記憶を探り、そして直ぐにその正体に思い至る。どうやら昔の僕からの呼びかけの様だった。
傲慢で自信家。それでいて魔力制御もまだまだの未熟者。それが子どもの頃の僕だった。
もしもその頃の僕に会えたのなら、一発殴ってやりたいぐらいだ。
そんな過去の自分からの語り掛けに、僕は少しあの頃を思い出す。
確かに、あの頃の僕ならばこんな状況は我慢できなかっただろう。しかし、今はあれから幾分かは成長したはずの自分だ。これぐらいなら大して気にもしない・・・ように自分に言い聞かせる事ぐらいは出来る・・・はずだ。
僕が胸倉を掴んでいる男を黙って見詰めていると、怒声を上げていた男は拳を握り、それを振り上げる。しかし、そのまま男が拳を振り下ろす前に教室の扉が開き、始業の鐘が鳴る。
そして教室に入ってきたグラッパ教諭は僕を見て、そのまま僕を殴ろうとしている男に視線を移し、「ほぅ」 と小さく声を出した。それは感心しているそれというよりも、威嚇の様な棘のある響きがあった。
それを耳にした男は、頭から冷水を掛けられたかの様に顔を青くして瞬時に怒気を収めると、慌てて僕から手を離し、たどたどしい笑みをグラッパ教諭に向ける。
「は、ははっ」
「・・・ほら、さっさと自分の教室に戻れ」
「はい・・・」
グラッパ教諭の不機嫌な声に男は小さく頷くと、すごすごと教室を出ていく。その場に居た他クラスの生徒も同じように出て行った。
「ほら、お前らも早く席に着け」
自分達の席に移動する生徒を見ながら、グラッパ教諭は面倒くさそうな息を吐くと、教卓の前に立ち、出席をとり始めた。
◆
現在の授業の内容は各系統魔法についての話で、相変らず知っている内容ではあったが、静かな時間である為に苦痛ではなかった。
そして放課後になり、僕は少し気分を変えようと訓練施設に向かう。
訓練施設と言ってもダンジョンではなく、技術の修練の場として生徒に開放されている場所である。
そこには魔法の修練が出来るように防御結界が内向きに張られた区画があり、防御結界の中ではそう簡単に外に魔法が漏れないために安心して魔法が使えた。それに、防御結界内では仮想敵として魔物の幻影を出現させられるために、それを修練相手にする事も出来た。
他にも人形が用意されている区画があり、そこでは木刀や刃引きされた刀剣類、先が潰された弓矢や槍など様々な物が用意され、人形も藁や木など様々な材質の物があり、材質以外にも、的が付いたものなど用途に応じた物が色々と用意されていた。
この人形は、壊しても復元してもらえる――厳密には再構築で、人形は徐々に小さくなっていくので定期的に素材を追加しては再構築をしている――ので、遠慮なく武術の修練も行えた。
その訓練施設へと僕は一人で向かい、入り口でざっと室内の様子を確認したところ、そこで訓練している見知った顔が目に留まった。
そこに居たのはペルダとラムの二人だった。
二人は防御結界の内側で、ひたすらに魔法の特訓をしているようであった。
「・・・・・・」
そのまま短い間観察していると、二人で特訓と言っても、主にラムがペルダに指導しているようであった。
そして、視線を防御結界の外に向けると、そこには二人を、というよりペルダを心配そうに見詰めている女生徒が六人程居た。
僕は何か増えているそれを努めて無視して、武術訓練の区画へ移動して区切られて個室同然となっている場所に入ると、空いている人形の前に立ち、入り口側の壁際に設置されている武器棚から穂先が布の塊になっている槍を持ってくる。
僕は魔法なら得意なのだが、武術の方はあまり得意ではなかった。しかし、今回は身体を動かしたい気分なだけなので、何の問題もなかった。
それでも、町に居た頃には一応武術を教わっていた。相手は当時町に来たばかりの自称旅人のおじさんで、割と強い人だった。しかしその正体は近所のおじさんの弟だったらしく、出稼ぎを終えて帰ってきたところだったらしい。だから、未だにその自称旅人のおじさんが町から旅に出るところをただの一度も見た事が無かった。
そのおじさんに武術を教わっていたのだが、このおじさんがまた教えるのが途轍も無く下手な人であった。
強くはあったのだがあまりにも直観的な人で、指導の内容はドーンとかバキッとかの擬音と、演武とも呼べない不格好な実演だけであった。なので専ら見稽古が中心だったのだが、自己流なのか型みたいなのが無いために、頑張って自分で動きを補完しながら覚えるしかなかった。
僕は槍の馴染み具合を確かめながら両手で持つと、適当に突きの構えをとって、人形に突きを繰り出す。
穂先が布の塊なので、手に伝わる感触は槍にしては微妙ではあったが、身体を動かすという当初の目的に支障はなかった。
その後も刃引きされた剣を振るったり、矢を射てみたり、拳で人形を殴りつけたりと、思いつくままに身体を動かしていると、大分気分転換になった。ここでは魔法の使用が禁止されているが、武術を実践で用いるのならば、身体強化を併用して戦うことになる。しかし、あれもある程度は身体を鍛えておかないと上手くは使えない魔法であった。
僕は個室を出ると、ペルダの様子を見ようと近くにある防御結界の方に顔を向ける。
そこにはくたくたになりながらも、ラムの厳しい指導を受けているペルダの姿があった。
それだけ確認すると僕は視線を切り、寮へと帰るために訓練施設の外へと出る。
すると、ずっと室内で集中していたために気づかなかったが、既に空はほとんど藍色に染まっていた。その事実に少し驚きを覚えながらも、僕は速足気味に寮への帰途についたのだった。
◆
その日の深夜。僕は目が覚めてふと窓の外に目をやると、そこにはこちらをじっと見つめる小さな月が二つあり、僕は一瞬心臓が止まったかのような錯覚を覚える。
「・・・・・・何をしているので?」
僕は静かに起き上がると、ベランダに近づき窓を開けて、そこに立っているプラタに呆れ気味にそう問い掛ける。
「ご主人様を見守っておりました」
「・・・・・・何故?」
「好いた相手は見詰めていたいものではないのですか?」
「いや、そんな事はないと思うんだけど・・・」
僕は問い掛ける視線を、後方でこちらを暖かく見守っているティファレトさんに向ける。
「間違ってはいないのでは? ・・・ただ、もう少しさりげない方がよろしいかとは思いますけれど」
「なるほど、つまり日中の様な感じですね」
「・・・・・・え?」
ティファレトさんのアドバイスに納得する様に頷いたプラタが発した言葉は、少々どころではなく聞き逃せない内容が含まれていた。
「もしかして、最近何となく視線を感じてたのって・・・」
「はい、おそらくそれは私です。しかし、何となくでも私の視線を感じられるとは、流石はご主人様でございますね」
気づかれていた事に驚きはしたが、悪びれる様子の一切見当たらないプラタの言動に、そういえば中身は妖精だったなーっと思い出す。それにしても、あの視線はプラタだったのか、最近悪目立ちしてしまっているからてっきり生徒の視線かと思い、出来るだけ気にしないようにしていた。
「それで、結局僕を見守っていただけ?」
「はい。そうでございますが、折角ですのでお訊きしてもよろしいでしょうか?」
「何ですか?」
「先日、ご主人様は面白い相手にお会いしていたようですね?」
プラタの質問に、僕ははてと首を捻る。そんな相手が居ただろうか・・・ああ。
「もしかしてクリスタロスさんの事ですか?」
「名前は存じ上げませんが、おそらくはその方かと」
僕の答えに、プラタはこくりと小さく頷くと、話を続ける。
「その方に会わせていただけませんか?」
「え? 何故です?」
突然のプラタの要望に、僕は困惑の声を出す。妖精として何か思うところでもあるのだろうか?
「どういう方か会ってみたいだけなのですが、ダメでしょうか?」
小首を僅かに傾げながら不思議そうにそう問われて、その真意を探ろうとプラタの顔をジッと見詰める。
しかし、感情の読めないプラタの無表情に真意が掴めず、僕は言葉に詰まる。もしかしたら、クリスタロスさんの部屋に転移出来る道具を僕が持っている事を知っているのかもしれない。
僕は暫し黙考すると、「分かりました」 とプラタの要望を受け入れる。
どちらにせよ近いうちにクリスタロスさんの部屋を訪ねようと思っていたところなので、それに随行者が一人追加されただけだ。あとは、誰かに見つからない様に気を配らねばなるまい。
そこまで考えて、そういえばと思い出し、生徒を監視している球体に目をやる。そこには虚偽の光景をみせる事も出来る
「あれ?」
「ああ、それでしたら、その方がご主人様のご意向沿うと思い、勝手ながら処置致しました」
勝手に動いたことを詫びる様に深く頭を下げるペルダに、僕は慌てて頭を上げさせると、感謝の言葉を述べる。その感謝の言葉を受けたプラタは感激したのか、僅かに震える声で「もったいなきお言葉」 と口にして、恭しく頭を下げてきた。
一呼吸分程して頭を上げるたプラタは、それから動く気配をみせないので、僕はまだ何か要件があるのかと問い掛けたのだが、プラタは小さく首を横に振るだけで、ジッと僕を見詰め続ける。
その様子に、直ぐに最初のやり取りを思い出した僕は、もしかしてと嫌な予感を感じつつ、プラタに問い掛けた。
「えっと・・・そうしてずっと見ているつもり?」
恐る恐る問い掛けた僕の言葉を、プラタは「いえ」 と軽く否定する。しかしそれに僕が安堵するより先に、プラタが口を開く。
「ご心配せずとも、明るくなる前には去るつもりです」
「・・・・・・」
そんなプラタに何を言っても無駄だと流石に学習しながらも、それでも言っておこうと、僕は諦め混じりに口を開いた。
「気になって眠れないので、今すぐここから離れてもらえませんか? クリスタロスさんに会いに行く時には呼びますので」
「分かりました。善処致します」
そう言って動かないプラタに、僕はため息を吐く。
「ああ、私をお呼びの際はこれをお使いください」
どうしようかと困っている僕に、プラタは御守り袋の様な物を差し出す。
「これは?」
「この身体が元々所持していたものです。私の魔力を通していますので、これにご主人様の魔力を込めていただければ、私と魔力を伝っての会話が可能になります」
「へぇ、魔力にそんな使い方があるんだ」
僕は初めて聞く魔力の使い方に、先程までの困惑などすっかり忘れてお守り袋を受け取ると、早速とばかりに試してみる。
『これで僕の声が届いているのでしょうか?』
『はい、ご主人様の美声はしっかりと私に届いております』
『なるほど、これは便利だ。これで声が届く距離はどのくらいまでですか?』
『魔力がある限りどこまでも』
「それは凄い」
ついつい声を出してしまう程に衝撃を受け、僕は改めて魔法の奥深さを痛感する。
「やっぱり人間の住む外の世界は興味深いですね・・・」
魔力を探究する者は必ず外の世界に憧れる。それは広く知られている真理の様な格言であり、僕もまた、かつては例外ではなかった。しかし気づけば研鑽する思いは希薄になり、腕が錆びないように維持するだけとなっていた。でも・・・。
「どうかないましたか? ご主人様」
「ああ、いえ、何でもありません」
僕は無理矢理に笑うと、首を振って頭の中に浮かんだ想いを隅に追いやる。
「そろそろ寝ます」
「はい、お休みなさいませ」
僕はプラタの事などすっかり忘れて毛布に潜りこむと、再び眠りについたのだった。
次に目を覚ました時には朝になっていた。窓の外に目を向けると、そこには既に誰も居なかった。
手元にはお守り袋があるので、あれは夢ではなかったという事だろう。
「・・・・・・」
そのお守り袋に目を落とした僕は、ふとこの袋の中身が気になり、袋の上から感触を頼りに中身を探る。しかし、感触が感じられずに少し強めに押してみると、かさっと微かに音が鳴ると共に、紙の様な質感を感じる。
僕は袋を空けてもいいのだろうかと逡巡するも、好奇心に負けて縛っていた紐を解くと、中身を確認した。
「・・・・・・」
中身は見知らぬ女性の写真であった。もしかしたらあの人形の製作者なのかもしれない。そう思うと、確かにプラタに似ている。それとも、製作者の想い人とか・・・もしそうなら呪術的なやつなのだろうか?
なんにせよ、僕は何も見なかった事にして、そっと写真を袋の中に戻すと、紐で袋の口をきつくきつく縛ってから、それを隠しにしまう。
「おはようございます」
一連の動作が終わると、ティファレトさんが朝の挨拶をしてくれる。
それに挨拶を返すと、僕は伸びをした。
◆
その日の放課後、僕は独りで密かに二つ目のダンジョン近くに移動していた。
『プラタさん聞こえますか?』
『はい、聞こえています。ですが、前にも言いましたが、私の名前に敬称は不要ですので、気軽にプラタとお呼び捨てください。それに、口調の方ももっと気安くても良いのですが・・・』
『それはまぁおいおい慣れていきますので、今日の所はプラタと呼ぶことで許してください』
『・・・・・・畏まりました』
『それでですね、今からクリスタロスさんの部屋へと転移しますので、合流してもらえますか?』
「お待たせ致しました」
突然の背後からの声に僕は驚き振り返ると、そこには深々と頭を下げるプラタが立っていた。
どうやって一瞬で現れたのか気になるが、どうやら彼女は隠密行動が得意ならしい。これも妖精のなせる業なのだろうか?
しかし今はそれよりも、監視している球体はいつも通り魔法で騙しているが、誰かに見られる前にさっさと移動する事が先決だろう。
僕は転移装置を取り出すと、プラタを近くに呼んで起動させた。
◆
「やぁ、いらっしゃい」
転移した場所は、クリスタロスさんの部屋の先に存在していた転移装置のある場所であった。そして、そこでクリスタロスさんが出迎えてくれる。
「待っていらしたので?」
「ええ、転移装置が発動したのを感じましたので、こちらもここへ転移して先回りを致しました」
「は、はぁ。それは、その、わざわざありがとうございます」
「いえいえ、アテは暇ですから、お気になさらずに。それよりも、今日は中々興味深い方をお連れのようですね」
クリスタロスさんの視線に、プラタは優雅な一礼で応える。
「初めまして、私はプラタと言います。今日はご主人様に無理を言って連れてきていただきました」
「ご主人様? ほぉほぉ、相変わらずオーガストさんはアテを退屈させないお方のようで」
プラタの挨拶に、クリスタロスさんは好意的な視線を僕に向ける。
「アテはクリスタロスと申します。ご存知かと思いますが、人間の方々からは畏れ多くも天使などと呼ばれている存在です。プラタさんは妖精の方ですよね? 面白い物に憑りつかれているようですが」
「はい、その通りです。人間界で天使の方とお遭いするとは思いもしませんでした。この身体は、放置されていた物を拾ったものです」
「そうでしたか。ああ、立ち話も失礼でしたね。どうぞこちらに、アテの部屋へと案内致します」
そう言うと、クリスタロスさんは先頭に立って自室へと案内する。
僕達は、その後を静かについていった。
クリスタロスさんの部屋に到着すると、前回と同じ椅子を勧められる。
僕が勧められるままにその椅子に座ると、その隣にプラタが腰掛る。その間にお茶を用意したクリスタロスさんが僕らの前にそれを置くと、向かい側の席に腰を落ち着けた。
「さて、それでは何のお話からしましょうか?」
にこにこと楽しげなクリスタロスさんに、最初に問い掛けたのはプラタであった。
「貴方は何故人間界に? 同族の住む地に戻らないのですか?」
プラタの疑問に、クリスタロスさんは頬に人差し指を沿えて、うーんと少し考えてからプラタに答える。
「そうですね・・・必要ないので戻らないでしょうね」
「必要ない、ですか?」
「はい。交流があまりないのでプラタさん達妖精の方々については存じ上げませんが、アテらは人間のような帰属意識が希薄で、そもそも国のようなものは存在しません。あっても部族・・・いえ、寄り合い程度の少人数の集団だけです。それもほとんどが家族単位で、多くても二三家族が集まるぐらいです。アテの場合は家族三人だけで行動していましたが、ある日魔族の集団と戦闘になり、アテは命辛々逃げ延びたところをパナシェ氏に救われましたが、二人はその時に命を落としました。・・・ですから戻る必要性が、場所が無いのですよ」
そう言って、クリスタロスさんは寂しそうに笑った。そんなクリスタロスさんに、プラタは変わらぬ平坦な口調で一言「そうですか」 とだけ感想を口にする。
「では、貴方は現在の天使達の現状を知らないのですね」
「・・・どういう事でしょうか?」
どこか呆れを含んだ様なプラタに、クリスタロスさんは若干の鋭さを孕んだような声を出した。
プラタはそれを微塵も気にせず言葉を続ける。
「天使達は現在、小国ながらも国を造っていますよ」
「どういう事ですか?」
「分かりませんか? 簡単な話ですよ。それだけ追い詰められた、ただそれだけです」
「誰に!?」
「魔族ですね。現在の魔族は中々勢いがありますからね。その勢いにはドラゴン達ですら危機感を抱き始めたようですし」
「・・・・・・」
クリスタロスさんの問いに、プラタは他人事の様に答える。いや、事実妖精にとっては他人事なのだろう。
プラタから聞かされた話に、俯き何かを考える様に沈黙したクリスタロスさんを無視して、プラタは僕の方を向く。
「そのように、人間界の外では現在魔族に勢いがありますが、人間界は今のところそこまで気にする段階では御座いませんのでご安心を。ご主人様」
「そ、そうなんですね」
「ああですが、ご主人様でしたら現魔王、魔族の長とも渡り合えると我らは見ておりますが」
そう言って、プラタは微かな笑みの気配と共に僕に軽く頭を下げた。
僕がそれにどう反応すればいいのかと困惑していると。
「やはり貴方は面白い・・・いえ、興味深いですね」
横からそんな声が掛けられ顔をそちらに向けると、いつの間にか思考の海から戻ってきていたクリスタロスさんが、その言葉と共に微笑を
「我らのご主人様なのですから、そんな事当たり前ではないですか」
いつもの無表情に平板な口調ながら、プラタはどこか誇らしげにクリスタロスさんに言い放つ。
「なるほど。妖精に愛される者、ですか。確かに、それはこれ以上にない程の証左ですね」
プラタの言葉に、クリスタロスさんは深く納得したようで、重々しい頷きをみせる。
そんなクリスタロスさんの反応に、プラタは満足そうな雰囲気を醸す。
その二人を眺めながら、僕は内心でため息を吐く。一体何の話をしているのやら。
「それにしましても、その内に秘められし深淵はどれほどの深さをお持ちなのか・・・そして、その深淵はどこから来ているのか・・・全く以って興味が尽きぬ御仁ですね」
クリスタロスさんから向けられる好意的な瞳の中に、僅かに研究者の様な冷酷な光が混ざったのに気づき、僕は僅かに口元を歪める。好奇か恐怖、力の一端を知った相手がとる行動は大抵このどちらかであり、今までにさんざ向けられてきたものだ。それは種族も関係ないみたいで、少しだけ失望する。
(・・・失望、か。勝手に期待して勝手に裏切られた気になるなんて、他の奴らと何が違うのやら)
自分の心の動きに気づき、僕は内心で自嘲の笑みを浮かべる。所詮僕自身も同類という事なのだろう。
そんな僕の考えを察したのか、プラタは僕の方を向くと、静かに口を開いた。
「ご主人様は我らにとって特別な存在です」
「・・・・・・(それも所詮は力があるから、か)」
「それの何が問題なのでしょうか?」
「え?」
「差し出がましいのは重々承知の上で申し上げますれば、我らは人間界中を旅し、様々なモノを目にしてきました。それだけではなく、妖精として人間以外の種族の様子も見てきましたが、そこで学んだ事のひとつは、誰かと誰かが仲良くなる時、そこには相手にそれだけの価値を見出しているということです。ご主人様のその御力、魅力はご主人様だけのモノ。それは誇りさえすれど、決して卑下するものではございません。少なくとも、我らはそれを美しい、と思っております」
無表情に平坦な口調と、いつも通りのプラタのはずなのに、そこには僅かな哀しさの混じった真摯な想いが感じられ、僕は思わず目を伏せてしまう。どうやら色々ありすぎて、知らぬ間にささくれてしまっていたようだ。
「・・・ありがとうございます。プラタ」
それを自覚した僕は、自分の不甲斐なさやプラタの強い想いに触れ、情けないやら嬉しいやらと色々
「どうやらアテは随分失礼なことをしてしまったみたいですね。オーガストさん、大変申し訳ありませんでした」
僕とプラタのやり取りを見ていたクリスタロスさんは、椅子から立ち上がると、深々と僕に頭を下げて謝罪する。
それを受けて、自分が悪いと思いつつもそれでクリスタロスさんの気が治まるならばと、僕はその謝罪を受け入れる。こうして、この話題はここで区切りとなった。
「そういえば、ダンジョン攻略の方は進んでおりますか?」
椅子に掛け直したクリスタロスさんは、気を取り直してそう問い掛けてくる。それに、僕は微妙な表情をする。
「先日の転移でこのダンジョンの攻略は済みましたので、順調と言えば順調ですが、まだ次のダンジョン攻略の授業が来ていませんので、そういう意味では停滞していると言えなくもないですね」
「そうなのですか。先日もお話ししましたが、アテがここに来たばかりの頃にはまだダンジョンは調整中でしたので、そんな授業は存在してなかったのですよ。ですから、先日聞いた話以上の事は詳しくは存じ上げませんもので」
クリスタロスさんの言葉に、ぺリド姫達と先日ここに来た時に話した内容を思い出す。
確か、ダンジョン攻略の授業があるぐらいしか話していなかったか。といっても、それ以上に詳しい内容などないのだが。
「そういえば、オーガストさんは別としましても、先日来ました御嬢さん方も中々の実力者でしたが、現在の人とはあれ程までに強くなっているのですか?」
「学園で見た限りではありますが、彼女達も人の中では相当な実力者だと思いますけど・・・プラタはどう思う?」
「そうでございますね。先日、羨ましくもご主人様と一緒にダンジョンを攻略したあの方々は中々の強さをお持ちだとは思いますが、人間の中にはまだまだ強き者が居るみたいですね」
「そうなのですか、人も強くなったものですね」
クリスタロスさんの感慨深い呟きを耳にしながら、僕もプラタの言葉に内心で大きく頷く。これはどうやら、学園外での人の強さの基準も考えないといけないみたいだ。
「そうでした! プラタさんにこれを御訊きしたかったのですが」
そこで言葉を切ると、クリスタロスさんはプラタに向き直して真面目な声音で問い掛けた。
「何故、急激に魔族は力を付けたのですか?」
「オークやオーガをはじめとした幾つもの種族と同盟を組んだ為です。まぁ、あれは同盟というより隷属でしょうが」
「どういう事ですか?」
「簡単な話ですよ。魔族は相手の国に攻め入ったり外堀を埋めて選択肢を奪い取ったりと、首筋に刃を突き付けるような状態に持っていってから、同盟という名の首輪を相手に付けただけです。勢力を拡大して力を付けた後は、その力を背景に脅迫紛いの勧告も使用していましたが、しかしそれが結果として、更なる勢力拡大に繋がったのもまた事実です」
プラタの話を静かに聞いていたクリスタロスさんは、窺うような慎重な声音で問いを重ねる。
「アテらは今後どうなると思いますか?」
「さぁ? 我らは魔族ではありませんし、いかなることにも干渉するつもりもございません。我らはただの世界の観測者でしかありませんので。まぁ」
そこでちらりと、プラタは僕の方に視線を送ってくる。
「ご主人様だけは我らの例外でありますが」
その言葉に、僕はどう反応すればいいのだろうか? 世界の情勢なんて知りはしないし、妖精が世界の観測者なんて話も今初めて聞いた。
「・・・かつての同盟者の言とは思えませんね」
「・・・それが何か?」
「いえ、かつての魔族の同盟者に意見を伺ってみたいと純粋に思っただけで、他意はありませんよ」
ひりつくようなピリピリとした空気が二人の間に漂いだしたのを感じて、僕はわざとらしく咳払いをひとつする。
「どうやら長居をしてしまったみたいですね、今日の所はこの辺りでお暇させていただきます」
そう言ってにこりと笑った僕に、クリスタロスさんはばつが悪そうに小さく頷く。
「では、来た時同様に転移装置を起動して頂ければ、前回起動した位置に戻りますので、お気をつけてお帰り下さい。それと、またいつでもいらしてください」
そう言うと、クリスタロスさんは少し寂しそうな顔を見せる。
僕は帰る前に、先程のクリスタロスさんの言葉で疑問に思ったことを問いかけた。
「前回起動した場所に戻るのでしたら、この転移装置はどれぐらいの距離まで有効なのですか?」
「そうですね。詳しくは分かりませんが、少なくとも人間界の外でも問題なく起動しますよ」
「なるほど、ありがとうございます。ではまた」
「はい。ではまた!」
僕は手元の転移装置の性能に感心しつつも、礼を言ってクリスタロスさんに頭を下げる。その後、転移装置を起動させると、プラタと共にダンジョンの外へと転移した。
クリスタロスさんと別れてダンジョンを脱出した後、僕が独り寮へと帰ってくると、そこには誰も居なかった。
「食堂にでも行ってるのかな?」
時間的にはそろそろ夕食を食べ終えて帰ってくる頃だろうか。僕は部屋の自分の場所に移動して毛布に包まる。
自分以外に誰も居ない室内はしんと静まり返っていて、毛布から顔を出して見回したその光景はいつもと違ってみえたが、感じるのは寂しさよりも安堵の方が強かった。
しかし、普段賑やかな分、急に静かになると色々と考えてしまうようで、僕は最後のダンジョンについて考えてしまっていた。
「何でまたぺリド姫達と一緒なんだろう・・・」
強さという点では彼女らに一切の不満はないのだが、ここ数日の周囲の反応が頭に浮かび、僕は思わず淀みを吐き出すような暗いため息を零してしまう。
今の状況を早く何とかしたくはあるのだが、これといった解決策は思い浮かばなかった。
「どうしたものか・・・」
僕が途方に暮れつつもう一度ため息を吐いたところで、ガチャリと玄関の扉が開く音が響く。それと同時に、「ただいまです~」 というアルパルカルの気の抜ける元気な声が耳に届いた。その後に複数の帰宅の挨拶が続き、数名の足音が近づいてくる。
僕は丁度いいと気持ちを切り替えると、ルームメイトを笑顔で迎えたのだった。
◆
その翌日からも、相変らず野次馬が付きまとう日々が続いていた。
しかし、前回の事で少しだけ反省したのか、付きまとう野次馬の数は確実に減っていた。とはいえ、代わりに教室外でも付きまとわれる事が増えたのだけれども・・・。
「それでここに避難してきた、という事ですか」
お茶の入った湯呑を片手に僕の話をそう締めくくると、クリスタロスさんは一口お茶を飲む。
「はい、そうです。ご迷惑でしたか?」
「いえいえ、お気になさらずに。この様な寂しい場所に独りでいますと、どのような理由であれ、誰かが訪ねてくれるという事が非常に嬉しいものですので」
「そうですか? それを聞いて安堵しました」
ホッと胸を撫で下ろすと、クリスタロスさんが淹れてくれたお茶を一口飲む。その温かさが身に染み入るような気がした。
「それで、これからどうなさるので?」
クリスタロスさんの疑問に、僕は考え込む。
ここ数日、それについて考えていたが、未だに打開策になるようなものは見つかっていなかった。
「いっその事、あの御嬢さん方と一緒に挑まないというのはどうでしょうか? オーガストさんならば単独でも大丈夫でしょうし」
クリスタロスさんのその案も考えたのだが、何となくそれは向こうが了承してくれなさそうな気がした。それに、どんな形であれ一度約束したのだ、この程度でそれを反故にはしたくなかった。約束とは守られるからこそ意味があるのだと思うし。
僕の難しそうな表情を見たクリスタロスさんは、「そうですか」 と言って次の案を考えてくれる。
それに感謝しつつも、自分でもどうすればいいのかと頭を悩ます。
しかし、そんな簡単に名案が浮かぶのであれば、誰もここまで苦労などしないのであった。
◆
その後も注目を浴びる日が続き、耳目を集める内容も、当初はぺリド姫との関係についてが主だったのだが、それも微妙に変化していき、今ではぺリド姫との関係からマリルさん達御付きの方々との関係、実は僕も皇族ないし貴族ではないか等々と、呆れるほどに多種多様になっていき、しまいには僕がほとんど答えない事への苛立ちや、それに起因するのか、妬みや嫉みなどの負の感情を前面に出してきたりと、流石にうんざりを通り越して、たまに殺意や敵意を覚えることさえあった。
そんな群衆から逃れるように、放課後はクリスタロスさんの所に逃げるのが、半ば日課のようになってきていた。
それにしても、ここに通うようになって気がついたのだが、この環境は素晴らしい環境なのではないかと最近思えてきていた。
「こんな事を言うのは申し訳ないのですが、オーガストさんに付きまとう方々には感謝しないといけませんね」
「え?」
意味が分からず首を傾げる僕に、クリスタロスさんは慌てたように身体の前で手を振る。
「ああ、違うんです。ただ、オーガストさんがここに来て下さるようになってから、賑やかになったもので、それが無性に嬉しくて」
照れたように控えめに笑うクリスタロスさんに、僕は軽く首を横に振る。
「感謝しているのはこちらですよ。この部屋を避難場所に使ってしまっているので、そう言っていただけると、こちらとしても有難いです」
感謝の念を込めて、柔らかく微笑み軽く頭を下げる。
クリスタロスさんはこの環境が寂しかったようだが、僕は逆に羨ましかった。
誰も来ない部屋で、誰の視線も気にせず長年引きこもれるのだ! 天使の生態については分からないが、正直代わってほしかった。引きこもる為ならば、食べなくても生きていけるような魔法を本気で開発してみせるし、それどころか生理的な現象さえ克服してみせようではないか!
そんな風に僕が内心で張り切っていると、クリスタロスさんがお茶のお代わりを聞いてくる。
それをお願いすると、クリスタロスさんは部屋の奥へと消えていった。
その背を眺めながら、部屋の奥についても興味が湧いてくる。手伝いは固辞され続けているので、部屋の奥には未だに行った事が無い。
そんな事を考えている内にお茶の用意が出来たようで、温かいお茶が目の前に運ばれてくる。
「ありがとうございます」
クリスタロスさんに礼を言ってお茶を飲むと、頭を切り替える。
最後のダンジョン探索ももうすぐなので、それまでには何か案が欲しかった。
「・・・・・・」
湯呑を手で包みながら天井を眺めて考える。ちょっと手が熱いけど、飲みやすいようにか少しぬるいので、短時間なら火傷まではしないだろう。
そのまま暫く考えていると、何時ぞや考えていた事が頭を過った。
「栄光の全てをぺリド姫とその従者の方々に上手く押し付けられないものかなー」
訓練施設であるダンジョンで栄光も何もあったものではないだろうが。そう思いつつも、つい漏らしてしまった僕のその呟きを耳にしたクリスタロスさんが、座っている向かいの席で不思議そうに小首を傾げたのが目に入り、それが何故だか妙に可笑しくて、僕はくすりと小さく笑ってしまったのだった。