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一人最高だと思った高校2年の春の頃


「……」

 暑い……一言、そう思った。

 4月4日の春も始まったばかりの頃ではあるが、今日はお天道様がギラギラとしっかりとお仕事をしているせいか、日向は肌をジリジリと焼くような暑さだった。
 蒸し暑いという感覚ではないため、嫌な気分というわけではないが……いかんせん春らしい暑さでもないため不快感が否めない。

 というか、今日は高校の始業式だから尚のこと不快極まりない。

 そこそこの突き刺さるような日の光を受ければ相乗効果でさらに学校に行きたくなくなる。
 先日、新入生は入学式を行なったようで今日はそんな新入生との対面式、加えてLHRと午前中に行事がわんさかと……俺の月曜日を返せ。

 とはいえ、月曜日なんて大抵憂鬱だ。一週間の始まりは地獄の始まり……。やっぱり、月曜日なんて要らない。

「……」

 目覚ましが壊れていたせいで、登校時間の一時間前なのにも関わらず学校に到着し、時計を見たら「え?」となった俺は、現在暇を持て余して学内にあるベンチで大の字になってゆるゆるとしていた。
 午前中で全ての日程が終わるというのに、これでは残業だ。俺に残業代を払えと、学校に打診してやりたいが、そうすると生徒指導の先生にぶん殴られるので言わないでおく。

 と、俺が暇だ暇だとベンチで油を売っているところに丁度その件の生徒指導の先生が自転車を押しながら、俺の方までやってきた。

 いつも曜日ごとにジャージの色を変えているらしく、今日は黒っぽいジャージを上下に着たおよそ30代前半ほどの男の先生だ。中年太りか、体育教師なのにお腹が出ている。それでいいのか、体育教師。

 俺が横目でそうやって視線を向けていると、俺に気づいた体育教師……舟盛(ふなもり)先生が元気な声で俺に挨拶してきた。

「おはよう!珍しいな〜お前がこんな朝早くから学校に来るなんて……」

 チラリと校舎の壁にあるどデカイ時計に目をやると、時刻は7時45分……大体教室での着席完了時刻は8時30分であるから、俺は少し居住まいを正してベンチに座り、それから肩を竦めて答えた。

「朝早いつっても、7時45分すよー」

 俺が言うと舟盛先生はフンッと鼻で笑い、俺と同じように肩を竦めて言った。

「お前にしてはって意味だ。それと、敬語はちゃんと使えよ?俺だからいいが、他の先生に失礼だろ?」
「はいはい」
「はいは一回だ!」
「はーい」
「はぁ……全くお前は」

 大体、これもいつものやり取りだ。

 例外なのは今日、俺がこんな時間にいることだ。大抵は着席完了時刻ギリギリだ。

 ふと、頭に手をやってやれやれとしていた舟盛先生が俺にチラッと目を向けて呆れまなこでこう言った。

「お前は、遅刻はしないが時間はギリギリ。テストの点数も国語以外は平均点程度……授業も聞いてはいるが先生方からの評判はあまり良くない。提出物も基本ギリギリ……お前はいつまで怒られなさそうなギリギリを狙って過ごすつもりだ?もう高校2年生になるんだぞ?」

 と、舟盛先生は今までの俺の所業を洗いざらいつまびらに喋った。
 登校なんて遅刻しなければいいと思っているし、テストだって赤点とらなければいい。授業だって聞いていればいいはずだし、提出物だって期限までに出せばギリギリでもいいはずだ。

「先生。俺は間違ってますか」

 俺が尋ねると、先生は頭をポリポリと掻いて神妙な面持ちで答えた。

「そこなんだよなー……お前は間違っているわけじゃないからな。だから、俺も思いっきり怒らないからムシャクシャするんだよ!」
「えー……なんか理不尽」
「理不尽なもんかっ。お前に鎌竹(かまたけ)のような問題児になれとは言わんが、せめて他人を気遣うとかそういう心をだなぁ……だから、お前はクラスでも浮いてるんじゃいか?」
「それ、本人に向かって言うことじゃないっす」

 さすがの俺も傷付いた……。

 鎌竹は俺と同じ学年で、学校一の問題児だ。一言で奴を表すならヤンキー。

 先生はため息を吐くと、俺の反論も無視してズバッと言った。

「あの件で、今じゃ学校一の嫌われ者だからなー……」
「……」

 あの事件……それを聞いた俺は思わず舟盛先生から視線を横へ滑るようにしてずらした。
 先生はそれ以上は何も言わず、やはりため息を吐くだけでそのまま自転車を再度押して歩き出す。

「今度は……新しいクラスで友達の一人でも作れればいいな。千鶴(ちづる)……」

 先生は少しだけ優しげな声で俺に言った。
 それが酷く同情的で、俺はどこか反抗的な態度で……しかし、相手が先生だというの認識をもったまま言葉を発した。

「別に……」

 たった一言……。

 舟盛先生は一度だけ振り返ったが、そのまま聞こえなかったかのように自転車を押していった。

 徐々に学校にいつもの喧騒が戻ってくる。

 高校2年の春現在……俺こと、柏木(かしわぎ)千鶴は学校一の嫌われ者である。

 あぁ……一人最高、一人万歳、一人って素晴らしいと思います。


 ☆☆☆


 俺が自分の教室を下駄箱で確認し、2-2とあったので三階にあるそこへ向かうと……教室の前が人混みでごった返していた。

「……なんだこれ」

 俺がポツリと思わず呟くと、その人混みの中の一人が振り返り、俺に気づいたように声を上げた。

「か、柏木千鶴……」

 その一言で、教室の中の方に向かっていた興味が俺の方に向かい、教室の前で邪魔くさい人混みが一斉に俺に目を向け、そして口々に「柏木だ。柏木千鶴だ」という声を溢した。

 俺はとりあえず教室に入るため、それらの視線を一蹴し、教室の扉の前で固まっていた女子生徒に向けて言った。

「邪魔なんだけど」
「あ……ご、ごめんなさい」

 女子生徒はそう言うと道を譲るように開け、俺は教室に入る。
 俺が教室に入ると、暫くして教室内で談笑していた生徒達がシンッと静まり返った。ふと、妙にクラスメイト達のいる位置に偏りがあるなと思い、俺は首を捻った。

 全員、男女問わず窓際の一番後ろの席を取り囲むようにして集まっているのだ。その生徒達は俺を一瞬見た後、興味を失ったように再びその中心を向いて楽しく談笑を始める。

 俺のことは無視か……なるほど、そういうスタンスですかい。

 なんなら、俺もクラス連中を無視しようと思って自分の席……廊下側から二列目の一番後ろに座り、俺はスマホちゃんにイヤホンをさしてお気に入りのアニソンを聴きながら不貞寝をかました。

 あの中心が誰なのかなんて興味ないし、クラスメイトが俺に興味を持たないのなら俺も持たない。元より、人付き合いは苦手だ。嫌われ者にはなるべくしてなったのだろうと……そんなことを思いながら、俺は完全に熟睡してしまったのか、朝のSHR時に担任に起こされるまで起きなかった。

 バシンと、少し硬いもので頭を軽く叩かれた俺はくぐもった声を出しながらぞろっと顔を上げると、俺の前には呆れ顔の舟盛先生が立っていた。

「なんすか」
「起こしてるんだよ、寝坊助な生徒をな。ったく、たまに早く来たと思ったらこれだー」
「はぁ……すんません」

 舟盛先生がここにいるってことは、まさかまた俺の担任なのかー……去年も舟盛先生だったというのに、はた面倒なことこの上ない。

 俺が舟盛先生からお叱りを受けているのを見て、クスクスと笑う生徒が半分……興味なさげにしているのが半分といったところだ。
 中にはザマァといった表情の奴がいる。喧嘩売ってんなら買うぞ……。

 ふと、そんな半々な反応の中で一人だけ全く違った反応をしている奴がいた。どんな反応かというと、一言でいえば無関心……興味なさげにしている奴らは意図的にそうしているのであって、無関心ではない。だが、そいつだけは完全な無関心で一人……読書をしていたのだ。

 本は見たところ、漱石の「こころ」のようだった。

 とてもじゃないが、現代の若者が読むような本ではない。本好きの中には読む奴もいるだろうが、そんなもん少数だ。
 そんなことを内心言いながら、実は俺も読んでいたりするが……と、俺の視線は初めてそいつに向けられた。

 窓際の一番後ろの席に座るそいつは、綺麗な黒髪をしていた。背中をくすぶる程度の長さで、とても艶のある色をしている。切れ長な睫毛と瞳で、どこか物静かな……そう、クールといった言葉が似合う女だ。しかも、それはもう頭に超がつく美少女だった。
 身体は全体的に華奢で、椅子に座る姿勢はピンっと真っ直ぐに伸ばされている。白くきめ細やかな肌は、遠目から見ても分かる。

 おっと……思わず見惚れた。

 俺は我に帰るように、女から視線を外した。
 一目惚れとかいう完全に顔で決めてんだろ!というのが嫌いな俺だ。もちろん、ああいった顔が特出して良い奴ってのはよくいる。だからこそ、俺はその見た目に騙されやしない。綺麗な薔薇には棘があるというように、見目の良い奴らほど性格がドブスというのはあるあるだ。ここ重要……。

 別にイケメンに対して嫉妬してるからとか、そんな理由は微塵もない。ホントホント。これ、自論だけど……。

「ほい、じゃあ次は千鶴だぞー」
「え?」

 突然、教卓に立つ舟盛先生に指名された俺はそんな素っ頓狂な声を上げた。すると、舟盛先生はもう何度目かも分からないため息を吐いた。

「話は聞いとけー?自己紹介だよ自己紹介……この後、始業式なんだから早くしろよー」
「は、はぁ……?」

 なら、LHRでやればいいだろ……そう思いながら俺は適当に自己紹介した。

「柏木千鶴です。よろしくお願いします」

 パチパチと、拍手したのは舟盛先生だけだった。

 悲しすぎるんだが……泣いちゃおっかなぁ……。

 それから何人か自己紹介して、最後……窓際の彼女が自己紹介のために本を閉じて椅子から立ち上がる。そして、綺麗な唇から声を発した。

「私は鷲水(わしみず)響華(きょうか)。クラスメイトとか、人に興味がないので話しかけないでください。よろしく」

 シーン……と、教室が静まり返った。

 そんな中で俺だけ、お前はどっかの涼宮さんかよ……と心の中で突っ込んだ。

 次第にパチパチと拍手が起こり、彼女の自己紹介は終わった。
 綺麗な薔薇には棘があるってか、ついでに毒まで付いてるわ……。あんまり関わらないようにしよう……と、思ったところではてと思考を止める。

 そもそも、クラスメイトとも関わらないくらい嫌われているのだからそんなこと考えなくてもいいな……自分でそう考えて悲しくなりつつ、俺はそれからのすべての行事を聞き流した。
 そしてLHRにて、多数の生徒の要望によって席替えが行われることになった。どうやら目的はあの鷲水とかいう女とお近づきになることのようだ。

 あんだけ拒絶した自己紹介をされても、男子諸君は顔さえよければいいらしい。女子生徒達も同様で、「なんなのあいつ!」みたいになっていない。
 これがカリスマとかいう奴か知らんが、騒がしくて鬱陶しい……。

 席替えはクジで決められ、俺は窓際の一番後ろ……つまり、さっきまであの女の座っていた場所だった。それだけで、一部の男子から睨まれた。これは隣の席になった男子はさぞ面倒なことになるんだろうなぁ……と、そう思っていると俺の隣の席に誰かがスッと座った。

 ん?と、思って隣にチラッと目を向け……俺はそっと前を向いた。

 隣の席は鷲水響華……その人だった。

 俺の静かな独り身の高校生活2年目は早くも終わりを告げた。この女の隣の席に座った時点でクラスの男子から目をつけられ、そして休み時間には毎回のように人が集まって騒がしくなるに決まっている。

 はぁ……と、ため息を吐いた俺はふと……机の中に何か入っているのに気がついて取り出してみる。
 すると、出てきたのはさっき鷲水が読んでいた漱石の「こころ」……何気なく表紙を開いて、俺は絶句した。

 ペラペラと文字列を追うごとに信じられないという思いが湧き上がる。

 ガタッと、隣の席の鷲水が立ち上がって俺の隣まで寄ってきた。その表情は羞恥に染まっており、なにか物言いたげだ。
 俺は直ぐに本を閉じて何も言わずに鷲水に本を渡す。

 鷲水も少し驚いたような表情をしてから、俺を訝しげに見つめ…。鷲水もまた何も言わずに本を受け取った。

 すると、周囲からざわざわと「あいつ感じワル」とか「コミュ障乙www」と草を生やしている奴がいた。芝刈り機が必要なようだ。

「おーい。席つけー」

 舟盛先生の号令で生徒達は席につき、鷲水も席につく。俺も前を向き、今見たことは全部忘れてやるかと、舟盛先生のどうでもいい話に耳を傾ける。

 おそらくこの学校一の美少女といっても過言ではない鷲水響華が……その鷲水響華がまさか漱石の「こころ」を表紙に、中身を官能小説にすり替えて学校で読んでいたなんて誰に話しても信じられるものではないだろう。

 あ、俺……そもそも話し聞いてくれる友達いねぇや。


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