第十九話:ドラゴン成長日記③
朱里。クリムゾン・ドラゴン。ドラゴン類陸竜目。
真紅の体躯とドラゴン類の中でもひときわ強い戦闘本能を持つ希少種。体格は突出して大きくはないが強力な毒と高い魔力を持ち、火山に住み着くが、その余りに強い攻撃本能故に個体数は少ないとされている。
その気性の荒さは家族のみを信用し、例え同種だったとしても心を許すことがない程だと言う反面、人語を解する程の高い知能を持ち、中には一部の竜のみが使える竜魔法を扱える者すら存在する。
肉は最近流行っている食用には向かずもっぱら研究用や魔導具の生成用として取引されている。
飼育出来ないので研究は余り進んでいない。
冷静に考えたらそんな竜を素人が飼おうっていうのが間違っているのだ。研究所ならば設備もあるだろうし、朱里も俺の所にいるよりもよほど幸せになれるだろう。俺は朱里のことを考えて結論を出したのだ。
そしてしかし、俺が一番愚かだったのは朱里の目の前で研究所に引き取って貰うとか言ってしまった事だった。
端的に言うと――朱里、動こうとしない。
「おいこら、ふざけんな! 動け、この野郎!」
「きゅー……」
果たして何キロあるのか。朱里は悲しげな瞳で俺の顔を見て、しかし伏せたままだった。首にリードを取り付け、無理やり引っ張るがピクリとも動かない。ただ大人しく伏せたままだ。
父親が騎士だった俺は、家で基礎訓練を受けさせられていた。本職の騎士程じゃないが、力だってそこそこある方だ。だが、大きく育った朱里の前にすれば全く足りていないらしい。
「おかしいだろ! その重さどこから来たんだよ! 食ってる量よりも明らかに重くなってるだろ!」
「クジョ―、やめなよ。朱里はクジョ―の元にいたいんだよ」
「俺が、置いておきたくないの! スペースも足りないし檻もないけど何より、破産するの!」
朱里が伏せたまま尻尾だけ動かし、すりすりと俺の身体にこすりつけてくる。やめい!
一端ロープを引っ張るのをやめ、朱里に寄りかかって荒く呼吸をする。ダメだ、マジ重い。抱き上げられた頃が恋しい。少なくとも俺の力では無理だ。
カヤが心配そうな表情で俺にタオルを渡してくれた。受け取って額にかいていた汗を拭く。
別に俺だって朱里が大嫌い顔も見たくないってわけじゃない。やむを得ない。やむを得ないのだ。
「いいか、カヤ。今の朱里は――今までの五倍近く食うんだ」
「五……倍……」
一食で一箱開けていたのが単純計算で五箱である。これはやばい。ただでさえ人様よりもいい物食らっているのに、これはやばい。
ドラゴンが例え養殖物であっても高級食材と呼ばれるわけである。育成コストが糞高いのだ。
俺の計算では、今の貯金でも一年朱里を育てるくらいは何とかなると思っていた。だが、たった四ヶ月弱でこの大きさになるのではとても無理だ。しかも食欲は恐らく今後どんどん増していく。
「五倍だぞ!? 朱里の一月の食費で俺ならば十年食える」
「それはクジョ―が余り食べないだけ――」
確かにそうかもしれないが、余りにも酷すぎる。
「わかったぞ。ドラゴンを飼うのは完全に金持ちの道楽だ。そして俺は金持ちじゃない」
ただ宝くじが当たっただけだ。かなりの大金だったし宝くじは税金もかからないが、所詮は一時的な収入であって定期的に入るものでもない。
いや、それどころか――もしも宝くじが当たらなかったら海岸に散歩に行くこともなかったし、朱里を飼うことにもなっていなかったはずだ。くそっ、まさかこんな事になるとは。
「いいか、朱里。俺はお前を捨てるんじゃない、お前の幸せだけを考えてるんだ、わかってくれ」
「くしゅー」
奇妙な鳴き声を上げて首をいやいやと横に振る幼体ドラゴン。それだけで強い風が発生し、髪がくしゃくしゃになった。
くそ、舐めてんのかこいつ。
……これじゃ一年経っても親離れ出来ないんじゃ……。
「どうどう……落ち着いて、クジョ―。とりあえず、朱里の意見も聞かないと」
「なだめるべきなのは俺にじゃなくて朱里の方にすべきだと思うが……いやまあカヤがなだめても逆効果だろうけど」
後、うちの子はまだ喋れません。朱里が人語を話し始めたら今度こそ正気でいられる自信がない。
いや、自分のペットが言葉話し始めるの想像してみろよ。結構本気で嫌だ。嫌だっていうか……怖い。
「いいか、とにかく朱里の意見を聞くつもりはない。俺は現状をどうにかしたい。この際解決じゃなくて維持でもいいから……このままじゃ外に出る度に朱里の尻尾を跨がないといけない事になる」
庭においておくにしても尻尾が玄関の方まではみ出してきているのだ。糞とか食事をどうするのかという問題もあるし、このままじゃ到底無理である。
朱里もストレスが溜まってしまうだろう。郵便届けに来た人が朱里のおやつになってからでは遅いのだ。
「うーん……そうだね……うーん……うーん……うーん……」
額にシワを寄せて朱里を眺めながらカヤが首を傾げている。そんなカヤを朱里はおやつでも見るような目で見ていた。やめろや。
「えっと……じゃあこんなのはどうかな……」
カヤがすすっとこちらに近づき、朱里が威嚇するように鎌首を上げる。
そして、カヤが言いづらそうな表情で言った。
「あの、さ……クジョ―が引っ越せばいいんだよ」
「金がない」
「いや、その……うちに、さ……」
カヤの家。勿論行ったことはある。
カヤの家は大きな商家であり、その屋敷もこの街では有数の広さを誇っている。この家は勿論、俺の実家と比べても比較にならないくらいに広い。広々とした庭もあり、朱里も十分においておけるだろう。
カヤがもじもじと指をいじりながら続ける。頬がいつもよりも心なしか赤くなっていた。
「ほら、その……部屋も余ってるし、さ。クジョ―なら、パパもよく知ってるし」
「いや、そういうわけにはなあ……」
確かにカヤの親父さんとも面識はあるが……というか、うちの両親と仲がいいので拒否はされないだろうが、こちらの勝手で一方的に世話になるというのはどうかと思う。
俺は自分で生活できると大言を吐いて家を出てきたのだ。事情が事情とはいえ、カヤの家に住み始めたら間違いなく俺の両親にも伝わるだろうし、親父からぶん殴られても文句は言えない。プライドもある。
「い、いや、遠慮しないで、大丈夫だよ。パパも久しぶりに、クジョ―と会いたいって言ってたし……」
必死に勧めてくるカヤ。外堀を埋めようとしてるなこいつ、とか思ったり思わなかったり。
だが悪くないアイディアではある。そもそも物資の類もカヤに用意してもらっているのだ。金は払ってはいるがだいぶ割引されているだろう、今更多少世話になった所で何か変わろうか、という考え方もあるにはある。
……そうだな。
「やめておくわ」
「!? え?? な、なんで?」
「お前の家のメイドとか庭師が朱里のご飯になるから」
下手したらカヤの家族もご飯になる。カヤの家に引っ越すという話をし始めてから、朱里の目がやばい。
なんというか、おやつを見る目から外敵を見る目になっている。どうやらご本人はその案が気に食わないらしい。
だいぶ慣れた今でもカヤが家に来ると機嫌が悪くなるのだ。その家に引っ越そうなんて、朱里にとってはとんでもない話なのだろう。親の心子知らずとはまさにこの事。
「じゃ、じゃあ、そうだ! ……この家を更地にして、朱里の家にして、クジョ―だけうちに引っ越すってのは……」
「アウト」
意味がなさすぎるし、一人にしたら朱里は絶対に暴れる。
朱里を見る。話をしただけで今にも暴れだしそうな雰囲気をしていた。腕も足も俺のものよりも遥かに太く頑強で、口には一本でナイフが作れそうな牙が生えそろっている。暴れだしたらとても止められない。
ばんばん朱里の頭を叩きながら話しかける。
「そう考えるとお前は本当にどうしようもないなあ」
「きゅー……」
「声が無駄に可愛いのが腹立つわ」
「きゅー……」
研究所に連絡すればなんか専門のドラゴン運び人みたいなのが来てくれたりしないだろうか。
うーん……でも、そもそも幼体の時点で引き取ってくれなかったわけで、ここまで大きくなってしまったら……うーん。
相談はしてみるべきか……だが、研究所の所長、なんか頼りにならないんだよなあ。
「今の朱里を家で飼おうとしたら屋敷が必要だよなあ……」
俺の住んでいる街は都会ではないので土地自体はそんなに高くない。高くないが、やはりそれなりに金銭は必要だし、ドラゴンの維持費を考えると今の貯金じゃ到底足りない。詰んでる? 金を借りる? 返せる当てもないのに?
「もうその辺に捨てるしかないかな……」
「!?」
「身体に『拾ってください、名前は朱里です』みたいな張り紙でもして城の近くに捨てれば誰か拾ってくれないかな」
「クジョ―……それはテロだよ。捕まるよ」
冗談だ。ああ、冗談だとも。
ドラゴンっていうのは兵器だ。一匹の竜に滅ぼされた街や国の逸話は事欠かない。使えねえ。
「バイトでもするか……焼け石に水だが……」
「あ、うちでバイトでもする?」
カヤが上ずったような声で提案してくる。
学生時代にも数回カヤの家でバイトしたことがあるから慣れてはいる、が……。
「ドラゴンを養えるだけの金銭は得られますか?」
「……無理」
商人とはリアリストである。特にカヤの実家はでかい商家だ、たとえ知り合いだったとしても赤字の出るような経営をするわけがない。
なんかもう頭が痛くなってきた。
「というか、ドラゴンを養うってなんだよ。むしろドラゴンが俺を養えよ!」
「何いってんの、クジョ―」
可哀想な目で俺を見るんじゃない。
わかっている。わかっているが、現実逃避もしたくなる。
朱里の体表を撫でながらため息をつく。
金だ。金さえあれば全て解決できる。別に遊んで暮らせる程の金がほしいんじゃない、朱里を何とかできるくらいの金が欲しいのだ。試算も出来てないが。
「カヤ、朱里はこれ以上大きくなるのか?」
「うーん……わからないけど、一般的なドラゴンと同じくらいの大きさになると仮定すると……なるね」
「ダメだアウトだ。もう無理だ。俺はほとぼりが冷めるまで旅に出る事にする、探さないでくれ」
「え!? 無理だよ!」
だってもう無理だ。どうにもならない障害に当たった時、矮小な人間は逃げる事しかできないのだ。
逃げられる内に逃げるべきである。体力も精神力も金も残っている内に。そうでなければ首が回らなくなって最終的に逃げる事すら出来なくなるだろう。
「ちなみに、さっきドラゴンを閉じ込められるだけの檻がないと飼えないって言ったよな? 檻がないと……どうなる?」
「え? 檻なしでドラゴンを飼育すると……捕まるよ。罰金刑を課されるはず」
罰金刑。また金か。金金金金……世知辛い世の中だぜ。あははははは。
「その場合、朱里はどうなる?」
「……前例がないから……なんとも」
そりゃそうだ。ドラゴンをペットとして飼うような人間、俺も自分以外見たことないし。
落ち着け。考えろ。選択を誤ってはならない。
朱里の上に腰をおろして腕を組み考える。
……罰金刑ならまだマシだ。ドラゴンも押収してきっと何とかしてくれるだろう。
だが、俺の飼っているドラゴンはただのドラゴンではないのだ。それ以上の罪に問われる可能性だって十分あるんじゃないだろうか。
この国で最も重い罰は死刑である。さすがに死刑にはならないと思いたいが……対象が対象だからなあ。
「あー、どっかに朱里を切り分けてグラム単位で買ってくれる人いないかなあ」
「クジョ―の冗談って……怖いよね」
「粗大ごみの回収には金がかかるんだっけ」
「冗談が過ぎるよ!? 大事な家族だよね!?」
「冗談はこの辺りにしておこう」
「ど、どっち!? どっちが冗談なの? ねぇクジョ―? ねぇ!?」
時は金なりである。さっさと行動しないと、朱里が腹をすかせてその辺の通行人をご飯にしてしまうかもしれない。
半壊した門とかの修理は後回しでいいとしても、庭に朱里を放置している今の状態はまずい。
さしあたって必要なのは檻だ。檻があれば言い訳もつく。めっちゃドラゴン好きで貧乏なのについローンでドラゴン飼っちゃったんですよ、みたいな?
「カヤ。とりあえず檻を用意して欲しい」
「今の朱里を拘束しておける檻は……随分高いよ?」
「具体的な値段、わかるか?」
カヤが背伸びをして俺の耳元に唇を近づける。そして、囁くような声で数字を言った。
思わず目を見開く。
信じられないくらいの額である。一番始めに用意してもらった檻とは値段の桁が違う。
超一級の危険生物を隔離するには超一級の檻が必要だということか。
ダメ元で返す。
「もう一声」
「設置代はサービスとしても――原価ギリギリだよ。ドラゴンの力でも破れない檻はドラゴンの力に対抗できる希少金属で出来てるんだ」
金食い虫め。
「赤字を被ってくれ。このままでは破産してしまう」
俺が何やったっていうんだ。卵拾っただけだぞ、俺は。
カヤが小さくため息をつき、暗い声を出す。
「私も何とかしてあげたいけど……難しいよ」
「責任は半々だ。俺が破産したらお前には俺を養う義務がある」
「へ? え???」
目を白黒させるカヤを放っておいて必死に考える。
金だ。金が必要だ。檻を購入すると生活費がほとんど残らない。家具とか売却して金をかき集めたとしても作れる金は微々たるものだ。
借金? 無理だ。担保がない。一番いいのは家を担保に金を借りる事だが、それをやると朱里を置いておく土地がなくなる。
もういっそ本当に何もかも無責任に放り出して旅に出ようかな……どうやって生きていくだとか全然考えていないが今の柵はなくなるし。
半ば本気でその案を練り始めたその時、ふと朱里の頭の宝石が目に入ってきた。神秘的な輝きを放つ青色の宝石だ。昔は血のように赤色の宝石がついていた。何故か取れてしまったそれはまだクウリに渡してない。
逆鱗でも結構な額で売れたのだ。宝石はかなりの金になるんじゃないだろうか?
カヤが少しかすれた声で話しかけてくる。
「あの……あの、さ。もし、クジョ―が良かったらなんだけど、私の家に、その……婿入りとか――」
「悪い、ちょっと金を作る方法思いついた。カヤは帰って檻の用意を頼む」
「……へ?」
宝石を売るだけではなく、クウリならば金を作る方法を知っているかもしれない。
一般市民を相手に商売をしているカヤの家とは異なり、冒険者を相手に商売している立場ならばきっといい情報を持っているはずだ。何しろ冒険者というのはリスクに応じたリターンを得られる、一攫千金を見込める職業として有名なのだ。
「……う……うわーん! クジョ―なんて嫌いだー! クジョーなんて朱里といっしょに檻の中で生活すればいいんだー!」
なんだかよくわからないがカヤが酷い事を言って走り去っていった。
金金金。金を、稼がなくては。