第十八話:ドラゴン成長日記②
ドラゴンブリーダーの朝は早い。
太陽も上り世間一般の方々働き始めた頃、俺は玄関から聞こえる鈍いノックの音で目を覚ますた。
カヤのノックの音は『こんこん』だが、このノックの音は『どんどん』だ。
ベッドから起き上がると軽く背筋を伸ばす。
窓からは陽光が降り注ぎ、朝の冷たい空気が肺を満たす。洗面台で顔を洗いタオルで拭いたら、続いてキッチンに向かう。
一流のドラゴンブリーダーはドラゴンの餌にも気を使う。キッチンの隅に積み重なっている俺の食らう餌よりも遙かに高いブランドもののドラゴンフード(ドライタイプ)の箱、その一番上をあける。
箱は一抱えもある。重さは十キロ近いが、身体の大きなドラゴンはその餌を僅か一食で平らげる。健啖なのはいい事だ。
ついでに、食器棚の中からメジャーを取り出し腰のベルトに提げる。ドラゴンは強力な幻獣で怪我や病気にかかったりはしないが、それは記録を取らなくていいという理由にはならない。
ノックの音はもう聞こえない。一流のドラゴンブリーダーはドラゴンのしつけを怠らない。
近所迷惑になる可能性があるのでノックは三度までと決めているのだ。たった三回のノックの音は信頼の証でもある。
そして、俺は大きく欠伸をしながら玄関の扉を開けた。
「朱里、おはよう」
「ぐぎゃー」
朱里は俺の飼っている唯一のドラゴンだ。
一流のドラゴンブリーダーが飼っているドラゴン。それもまた一流である。
その鱗は炎よりも遙かに濃い紅蓮。その体軀は顎の先から尻尾の先まで靭やかなフォルムを描いており、野生動物特有の造形美を感じさせる。利発そうな瞳は確かな知性を讃え、その知能が人間と同等以上のものであることを納得させた。
ドラゴンは獰猛だが、一流のドラゴンブリーダーはドラゴンに脅威を感じない。俺は箱を抱え、何気ない足取りで朱里の前に行くと、朱里が嬉しそうにもう一度鳴いた。
箱を地面にドスンと置き、その蓋を空ける。中には得体の知れない肉を使ったドラゴンフードがビッシリと詰まっている。
朱里はしばらくそわそわした様子で俺を見上げていたが、
「たんと食えよ」
俺の合図と同時に、朱里が箱にその顎を突っ込み頭を動かし始める。俺はスムーズにその隣の水桶にまだ飲水が入っている事を確認し、メジャーの先を夢中に飯を食らっている朱里の尻尾に当てた。一流のドラゴンブリーダーはいっときも時間を無駄にしないのだ。
クリムゾン・ドラゴンは珍しい種類であり、その成長記録は貴重な研究資料となる。一流のドラゴンブリーダーたるもの、ドラゴン学の発展に寄与せねばならない。
メジャーの先には事前に金属の輪っかが取り付けられている。それを朱里の鋭いトゲのような尻尾の先に引っ掛けると、グイーッと朱里の頭の先まで歩く。額に存在する徐々に大きくなりつつある藍色の宝石にちらりと視線を向け、メジャーのメモリを読む。ざっくばらんな測定だが、それでもはっきりと区別が付くくらいに朱里の体長は大きくなっていた。
「……大きくなったな」
思わず漏らした俺の言葉に朱里が食べるのを一端やめ、くいと頭を上げる。
唯一変わらないつぶらな瞳が俺の視線とぶつかり合う。
一流のドラゴンブリーダーと一流のドラゴン。
矮小な人間と幻獣の王であるドラゴン。
飼う者と飼われる者。
朱里に微笑みかける。朱里が嬉しそうに尻尾を振る。それだけで強い風が吹き、その冷たい風に俺は反射的に自分の腕を擦った。
立場も種族も違うが、一流同士の間には一種の絆があるものなのだ。
……
「って、ちげええええええええええええええええええええええ!!!」
地団駄を踏む俺に、朱里がびっくりしたような目を向ける。
大体なんだよドラゴンブリーダーって。いつから俺はドラゴンブリーダーになった!
あまりにもショックが大きすぎて正気を失っていたようだ。擦り寄ってくる朱里を蹴っ飛ばす。
足に重い感触があるが、朱里はぴくりとも動かなかった。腹に蹴りを受けてもなんともなさそうな表情で尻尾を振っている。
靭やかで強靭で魔法耐性も強い竜の鱗を持つ朱里にとって俺一人の蹴りなんぞ些かの痛痒も覚えないのだろう。逆に遊んでもらっているつもりなのか、機嫌良さげなのが腹が立つ。
しかし……これは不味いぞ……。
朱里が横に寝そべったので、その上に腰をかける。
そう! 信じられないことに、腰を掛けられるくらいに大きくなっているのだ!!
竜皮のソファやベッドは高級品と聞くが、如何にブランド物の家具でも今の朱里程の肌触りは出せまい。
腰を掛けられた朱里が嬉しそうにきゅいと鳴いた。あまつさえ俺が座りやすいように体勢を変えさえしている。
偶然散歩で側を通りかかったご近所さんが半壊した石の門と、二回りも大きくなった朱里にぎょっとしたような表情をした。
「いつの日か来るとは思っていたが……早すぎるぞ……」
「きゅいー……」
竜が成体になるのは一年という情報は知っていたが、いきなり成長しすぎだ。完全に油断していた。
食べる量が増えたわけでもないのにこのかさ増しは一体どこから来たのだろうか。といっても、相手は幻獣である。何が起こってもおかしくはない。
体重を完全に朱里に預け、足を組む。こんなこと、大きさ的な意味で先日までは絶対にできなかった。
問題はこの大きさ……もう家にはいらない事である。まず入り口がつかえる。勢い余って門を崩してしまったが、外に出すことができたのは間違いなく幸運であった。
なんたって家はまだ無事なんだから。
「食う量も増えてるし……どーすっかなあ」
流石に身体の大きさが二回り大きくなったのだ。食欲は旺盛になったし、食ったら出すもんも出す。責めるわけにはいかないが、元々金食い虫だったのが更なる金食い虫になっている。
そして、俺の家は小さい方だが、庭もまたあまり広くない。このままのペースで大きくなったら朱里がうちの庭に入りきれなくなるのも時間の問題だろう。
無論、もうとっくに檻になんか入らない。一応ドラゴン用なのにあっという間に入れなくなるとか、欠陥だろ……あの檻。
「うーむ」
「きゅるるるる」
朱里が笛のような可愛らしい鳴き声で鳴き、その頭をこちらに寄せる。朱里の頭は既に一抱えもある大きさになっている。間もなく俺の頭を一口で噛み砕く事ができるようになることだろう。
この大きさだと散歩も不味い。明らかにペットの範疇を超えているし、絶対に衛兵にとっ捕まる。
ドラゴンの飼育許可は取ってあるが、果たしてドラゴンの大きさに制限がなかったか、カヤに全部任せてあったのでとんと記憶にない。だが、どう考えてもこの大きさのドラゴンは娯楽で飼う域を超えている。いや、別に俺だって娯楽で飼ってるわけじゃねーんだけど。
ため息をつき、思わず考えていた事を言葉に出すた。
「んー、もう無理やりにでも国に放り投げるしかねーかな……」
「!?」
「いやー、正直予想外だわ。もっと段階踏んで貰わないと困るんだよね、こっちにも覚悟ってやつが必要なわけで……というか、俺の家壊すなや」
「……きゅー……」
一生過ごす予定だったのに、早速ボロボロだ。
……それとも、逆に門だけでよかったというべきか。クリムゾン・ドラゴンの成体の大きさもわからないわけで……。
朱里はぺたりと地面に伏して反省しているようだが、反省など求めていない。反省するくらいならば金を稼いでこい。この大きさじゃ玉乗りも出来ないだろ!
しかし、この大きさのドラゴンを引き取ってくれるか……。
そんな事を考えていると、見慣れた姿がやってきた。
最近家業が忙しいらしく来る時間帯が遅くなりつつあるカヤだ。外からみても明らかにわかるほど崩れている塀に視線を向け、ぽかんと口を空けると、俺の方に駆け寄ってくる。
「!? クジョ―!? これ、どうしたの?」
「見ての通りだよ」
「ぐるるるるる……」
唸りを上げる朱里の頭にげんこつを落とす。硬い鱗に擦れて拳が赤くなった。
本気ではなかったが、当の本人は全く痛みを感じているようには見えない。そして俺の拳が痛い。
こりゃ無理だ。
カヤは俺のソファになっている朱里を見下ろし、困ったように唇の端を歪める。
「あー……ここ最近見ない間に随分大きく?」
「一昨日会ったばかりだろ」
頭の宝石が取れた日である。そこからまだ三十六時間くらいしか経っていない。
その間の朱里の成長は著しい。やばい。とてもやばい。俺の家では面倒見きれない。
カヤの表情からも、彼女がこのような事態を想定していなかったのはわかった。
だが、カヤはそのまま数秒沈黙すると、澄ました表情で一言嘯いた。
「まー……成長期だし?」
……そんな言葉で納得できるのかお前は、二回りも大きくなったんだぞこいつ!
朱里が不思議そうな表情で首をかしげている。が、俺には飼い主としての責任があるのだ。
いざという時、朱里が暴れた時に対処できるか否か。この間までの朱里ならば問題なかった(といってもかなり怪しいところではあるが……)。だが、今の朱里を相手に俺は止められる気がしない。
「クジョ―、そんな深刻そうな表情しなくても……朱里ならきっと大丈夫だよ」
危機感のない表情で言ってくるカヤ。俺は大丈夫だ。多分俺は大丈夫だ。
だが、カヤは小柄だ。今の朱里ならばもしかしたら食べてしまえるかもしれない。俺は無言で朱里の頭にげんこつを落とした。
やだよ俺。幼馴染が自分の飼ってるドラゴンに食べられたとかなったら。
朱里がごろごろと喉を鳴らして俺に頭をこすりつけてくる。
そこでカヤがふと唇に指を当て、どこか艶のある動作で口を開く。
「クジョ―の考えている事、当ててみせようか?」
「……」
「朱里を飼う場所がないって、そう思ってるでしょ?」
どこか得意げなカヤの表情。外れである。至って外れであった。
確かにそれも問題の一つではあったが、やっぱりこいつ危機感足りないよなあ……。
俺の表情から何を読み取ったのか、生まれてこの方長い事一緒にいる幼馴染は特にその共に過ごした時間の長さを感じさせない何も分かっていない言葉を続ける。
「確かに、ドラゴンの飼育にはドラゴンを閉じ込めて置けるだけの設備が必要だから、今のクジョ―が朱里を飼い続ける事は難しいと思う」
「早く言えよそれ」
もう無理じゃん。それもう無理じゃん、許可もらえないじゃん。
朱里を見下ろす。好みではなくともその言葉には一定の信憑性を感じているのか、カヤの話を聞くその瞳には真剣な色があった。
確かに、俺はここ数ヶ月朱里を飼ってきた。慣れてきたのも嘘ではないし愛着がゼロなわけでもない。
俺は朱里の上から飛び降りて、明るく言った。
「よし、仕方ない。朱里を研究所に預けよう」
「……!?」
「え!? クジョ―!?」
やってられんて、こんなの。