第三十二話
その後。
ついた席にクリム君やウェルノさんもやってきて。
宿の自慢だという夕ご飯にありついて(おれっちは使い魔用のクッキーみたいなやつ)、しばらくしてのことだった。
この後の仕事、宿の出し物の件について、宿の主であるアイラさんの声がかかったのは。
当たり前と言えば当たり前ではあるが。
ごしゅじんのウデが出し物として通用するのかどうか見たいとのことらしい。
本来ならば、依頼を受けたと時点で確認したかったのだろうが。
ごしゅじんはその時別の依頼を受けていたので、その時間も取れなかったのだろう。
それでもあまりアイラさんに危機感と言うものがないのは、駄目なら駄目で何もしない、なんて思っていたからなのかもしれない。
それに、半分以上酔い客で、それほど真剣に聞く体勢でもないのだろう。
魔人族に連なる一族として、乗り越えなくてはいけない大事としては、もっとふさわしい舞台が、なんて考えるのは、アイラさんたちに失礼だろうか。
まぁ、それでもごしゅじんが迷いつつもやると言ったからには、おれっちにそれを止めることなんてできないわけだけど。
「楽器の演奏が得意って聞いたけど、どんな楽器を使うの? 今手元にないみたいだけど」
呼ばれたのは、海の魔女討伐の面接に使われていた場所。
そこで最初に口を開いたのは、当の依頼人のアイラさんではなく、何故か一緒についてきていたウェルノさんだった。
おれっちは言われてはっとなり、みゃっと一声鳴いてごしゅじんを見上げる。
魔人族といわれる翼持つごしゅじんたちは、生まれながらにして覆滅の魔法器を持っている。
それは、幼い頃から莫大な魔力を持ち、他の生き物に狙われることも多かったからと言われているが。
ユーライジア一歌を愛する男によれば、一生を愛するものと共に奏でるためにある、とのことである。
激烈にくさい言葉であるが、おれっちもその言い分は嫌いではない。
話が逸れたが、ようは何が言いたいかと言うと、ごしゅじんが持つその楽器は、ごしゅじんの一部であり、そのものであり、こっちの世界に物質を具現化するような魔法があるかどうかもはっきりしていないから、いきなり目前に出現させるような真似はしないほうがいいぞ、って伝えたかったんだけど。
返ってきたのは、胸元をこそぐられる手のひらの感覚。
そのまま軽々と持ち上げられて、今は黒髪のいい匂いのする頭の上へと乗っけられる。
「これ……です」
「っ!」
それは、両手を開けるためだったのだろう。
『金(ヴルック)』、『火(カムラル)』、『闇(エクゼリオ)』だけでなく。
ごしゅじんを取り巻くあらゆる魔力が、凝縮されたそれ。
小さく硬く、固められる感覚。
顕現したのは。
金に虹色の煌きを潜ませた、管楽器。
『エコーディオ』と呼ばれる、ごしゅじんだけの、ごしゅじんだけに在るもの。
息をのみ、ばっと下がるように、絶妙な間を取ったのはアイラさん。
笑顔のままだったウェルノさんも、流石に驚いたのか、それまで上手く隠しているように見えた、警戒心……殺気めいた威圧感がもれ出るのが分かる。
そんなウェルノさんの、初めて覆滅の魔法器を目にした反応は、まぁ理解できるものであった。
この世界にやってきて、たくさんの人に会って、おれっちが嗅ぎ分けた限りでは、上位の実力者であり、それなりに高い地位にいる人物であるならば。
覆滅の魔法器の凝縮された魔力を目の当たりにするだけでも、当然の反応と言える。
逆に、瞬くほどの速さで反応したアイラさんに、おれっちは少し驚いていた。
まぁ、ギルド長なのだから、ただものではないのだろうが。
「みゃう」
おれっちは、一つ息を吐き、尻尾でごしゅじんの頭を軽くはたく。
何故って、おれっちの意思が伝わっていたはずなのに、あえてこの場で楽器を出現して見せたからだ。
そんなの警戒されて当然だろうに、とも思うが。
よくよく考えてみれば、町一つ滅ぼせる力を秘めた武器であることを誇示するのは。
それを身に持つごしゅじんたちの、この依頼……試練にとって必須条件なのだろう。
故に、尻尾触りのいい、つやのある髪を堪能するに留まるおれっち。
「……驚きました。武器を召喚する魔法使いは見たことあるけど、これはまた……大きな楽器ですね」
確かに、アイラさんの言う通り、それは華奢で気配のおぼろげなごしゅじんの雰囲気とは、
真逆を言っている気がしなくもない。
全体の長さは、子猫なおれっちの三匹ぶんはあるだろうか。
どこもかしこも、金ぴかで、でこびこの丸いボタンが、リカバースライムの吸盤のごとく、たくさんついている。
それは、巻貝のように丸まっており、ヘチマみたいにでっぷりとした中は空洞になっていて。
音を出す部分は、六花の花びらがついている。
部屋の魔法灯を反射して、ぴかぴかに光るそれは、つまった魔力もあいまって、やはり威圧感があるというか、背中から尻尾までぴんと伸びて、ぞくぞくするような感覚があった。
「見たことのない楽器ね? 名前はあるの?」
ユーライジアには似たような楽器があるのだが、こっちの世界にはまだないらしい。
ただ何故か、おれっちの耳にはそんなウェルノさんの言葉に、違う意味合いがこもっているようにも聞こえたけれど。
「『エコーディオ』、といいます。……どんな音かは、今演奏してもいいですか?」
ごしゅじんは、臆面通りに受け取ったらしい。
どこか神妙な、警戒心を解かぬままに二人が頷くと。
ごしゅじんは頷き返し、唯一金ぴかでない銀色の部分に口付ける。
銀色の部分になりたい、なんて思ってしまうのか、おれっちが完全にごしゅじんにやっつけられてしまってる証だろうか。
そんな、口に出すのも憚られることを考えていると、
その場に流れるは、少し抑え目の、『エコーディオ』でしか出せないんじゃないかって思える、独特な音。
その音は、どこか荒々しく強い音なのだが。
ごしゅじんが奏でるせいなのか、艶かしく滑らかに響き、心のぞくぞくが身体にまで影響して。
四肢がぷるぷると震え、ぽかぽかとしてくる。
まるで、良酒に酔ったような、またたびにやられたみたいな幸福感がおれっちを支配し、勝手に涙腺まで緩む始末。
歪んだ視界で、ウェルノさんやアイラさんを見やれば。
呆然と、あるいは恍惚として、立ち尽くしている感じだった。
だがそれも、一節が終わらぬうちにごしゅじんがくちびるを放したことで止まり。
憑き物が落ちたかのように、解放される。
「……どうでしょう?」
「いい、いいわ! 持ち曲はどのくらいですか? ロエンティの曲は弾けます?」
「楽譜があれば……なんとか」
宿の主としての魂に火でもついてのか、興奮するアイラさんに、戸惑いながらもまずは認められて嬉しそうなごしゅじん。
早速とばかりに、これからの打ち合わせを始めてしまう。
おれっちはそれを邪魔しないようにそっと降り立つと、呆然としたまま……いや、どこか考え込み、複雑そうな顔をしているウェルノさんを見上げる。
それに気づいたウェルノさんが手招くので、それでは遠慮なくとばかりに、その大いなる懐へと飛び込んでゆく。
「……何事も心次第、か」
おれっちにだけ聞こえるかどうかの、ため息交じりのそんな言葉。
その時思ったのは。
もしかしてウェルノさんは、覆滅の魔法器のこと、知っていたんじゃないかなって事で……。
(第三十三話につづく)