絶望までのモラトリアム
私はいつまで生きる事が出来るのか。
私にいつ死が許されるのか。
絶望までに残された時間。
そう。
絶望までのモラトリアム。
恐らく、というか間違いなく、そう長くはないはずである。
「一年も、もたないだろう」
その様な余命宣告を受けてから、約半年。
残り半年の間に死ぬ事になるとは思う。
ただ、その半年のいつになるのか。
どうしても、それが気になって仕方がないのだ。
もし私が元々、健康であったなら、病気になり余命宣告をされる事でショックを受けたのかもしれない。
しかし私は生まれついてから、ずっと闘病生活を送っている。
そんな中で死ぬ事を望む様になっていた。
そして突然に降ってきた余命宣告。
その余命宣告は私にとって、ある種の希望となった様に思う。
"後、一年だけ生きれば、死ぬ事が許される"
勿論、死ぬ事に対する恐怖はあっただろう。
でも、それ以上に死が待ち遠しくもあったのである。
長い闘病生活の中で生きる事に希望を抱く事は苦痛以外の何モノでも無かった。
勿論、治せるのであれば、治して元気になりたい。
最初はそう思って、頑張って治療を受けていた。
しかし、いつまで経っても病気が良くなる気配すらない。
それでも周囲の者達は励ましてくれた。
勿論、その気持ちはありがたくはある。
でも、いつまでも良くならない病気。
その病気は私の精神まで蝕んでいく。
何もかもが嫌になる。
何もかもが信じられなくなる。
何もかもを投げ出したくなる。
そんな私にとって周囲の励ましは刃となっていった。
そして次々と切り刻まれていく。
"何故、こんなになってまで生きようとしなければならないのか"
いつしか生への希望は絶望へと変わっていた。
本当の本当は死にたくなんかない。
でも、こんなに辛い思いをしてまで生きたくもない。
ただただ、楽になりたかった。
そんな私の気持ちを察しての事なのか。
それとも病院側も正式に治療を諦めたという事なのか。
とにもかくにも、私にとってはサプライズなプレゼント。
正直、ホッとした。
そして絶望が希望へと変わった。
"長くとも一年以内に死ぬ事が出来る"
そう思うと生きる事が楽しく思えてきた。
残りが少ないと思うと、その残された時間を大切にしたくなる。
不思議なもんだね。
それまで
"いつまで生きなければならないのか"
と苦しんできた事すら、馬鹿らしく思えてくる。
そして
"いつまで生きる事が出来るのか"
その事にワクワクする自分がいる。
死という本当の絶望までの猶予期間。
今の私には、それだけが気掛かり。
勿論、死にたくはない。
でも、死にたくもある。
勿論、焦りを感じたりもする。
でも、待ち焦がれたりもする。
絶望までのモラトリアム。
そして私は気付かされた。
以前に感じていた絶望がまやかしであった事。
死を望む事が絶望だなんて思い込みでしかなかった。
例え死であろうとも望む事が出来るのは生きているからこそ。
だから実際に死ぬ事だけが、この世で唯一の絶望なのだ。
生きる事は実際に死ぬまでの猶予期間。
その猶予期間をどう過ごすのか。
人それぞれ。
私は人生の殆どを恨んできた。
でも、人生の最後に楽しむ機会を与えて貰えた様に感じる。
だから私は精一杯に楽しむ。
死に焦りを感じる事を楽しむ。
死を待ち焦がれる事を楽しむ。
とにかく残された時間を楽しむ。
そんな中で、どうしても気になってしまう。
猶予期間がいつまでなのか。
でも、それも楽しめばいいんだね。