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開かずの間


 「フッハハハハ! これはこれは、一本取られたね」

 そのミスターモリヤの演劇じみた笑い声を耳にし、晩餐室から出て行こうとしていた者達は足を止めて振り返った。

 彼は不敵な笑みを浮かべて言葉を続ける。

 「ここにいる全員が白で、そうなると必然的に……残るは地下に鎮座する謎の怪物! はたまた何処かに潜む殺人鬼…………と。なるほど上手いねドクター」

 いったい何を突然言い出したのかと、呆気にとられた様子でモリヤの話を聞いている。

 「さてみなさん、ミスディレクションと言う言葉をご存知でしょうか?」

 「ミス…でれ…くしょん?」
 探偵の相棒クリスが初耳とばかりに、たどたどしくオウム返しに口にした。

 マーヴェルがその言葉の意味を知っていようがいまいがお構いなしに、マジシャンは悦に入りながら滑らかに話し続ける。

 「ミスディレクションとは、我々、手品師の間で使われるテクニック。基本中の基本、相手を欺く技法、観客の意識の方向を誤らせるという手法の事」

 名指しされたドクターが、鬱陶しそうに口を挟んだ。

 「はぁ? それが何だっていうんだ? 今は、そんな下らない手品教室に付き合ってる暇はないし、何度も言うが、私の能力はペテンでも何でもない。たとえ誰にも理解できなくても……この力は事実、真実なんだ!」

 チッチッ、チィッ。人差し指を振りながらモリヤはドクターの言葉を制する。

 「ふぅ~……みんなぁ感謝してくれよ、この場に頭でっかちの推理オタクじゃなく天才マジシャンがいたことに」

 斜め上を見上げ、少し考えるそぶり
 「…………そうだなぁ……こんなシーンが良く繰り広げられたりしないかい? いくつか並んだ空の箱を観客に見せて、何も入っていないと確かめさせる。おバカな……おっと失礼、純粋なお客は、それですべて調べた気になっちまう」

 華麗なショーを決めた後の様に、自分を睨みつけている医者に向けて言った。

 「ドクター……ところであんたの色は……あんた自身の白黒は誰が付けるんだい?」

 「……」

 ようやく、モリヤの言わんとする所が分かった。
 すべての箱を調べたつもりになって、疑いもせず次の手順に進む手品の様に、すべての無実を証明した気にさせて、さり気なく次の標的へ進めようとしているドクター・T。

 (この男は、そう言いたいのだ!)

 おまえこそが真犯人じゃあないのか? と。

 「くそっ……ったく」

 外科医は腹が立った…………が、どうしようもない。心底気に入らない男だが、彼の言う事には一理あり、己から異を唱えることは出来ない、意味をなさない。

 「分かった、分かったよ。そこまで言うなら…………私は、私はもう自分の部屋にずっと引っ込んでるよ……見張りでもなんでも付けたければ付けるがいい! あ~あ、帰れるならとっくにそっちの道を選んでるがな。じゃあな、皆さんごゆっくり」

 決心したドクターは皆と別れを告げ、踵を返し上階の自室へ向かう方向へとツカツカ歩き出す。数メートル進むと、ふと何かを思い出し歩みを止め一度振り返り、ウルフィラへ声を掛けた。
 
 「すまんがメイドさん。後で時間が出来てからでいいから、美味しいワインと飲み物、食い物を適当に運んできてくれ、今後、私が一切部屋から出なくていいようになっ」

 探偵は引き留めようとしたが……もはや聞く耳を持たず、差し出した手を払いのける。

 「どうあがこうが、こうなっちまったら嫌疑の晴れることは無い。無実を証明する手段の無い俺のことはほっといてくれ! どうぞどうぞ、そちらさんだけで心躍る探検に出発をっ」

 そう言い残し一人去って行った。


 残念そうにするマーヴェルに対して、仕方ないと肩をすくめるモリヤ、計画通り一行は医者を置いて地下へと出発した。足取りは重く。

 道すがら電話についてオオツが聞く、自分の客室には無く、スマートフォンも繋がらない事は承知していた。
 誰に直接尋ねるでもないように言ったので、偶然近くを歩いていたクガクレ嬢が深く考える事もなし自然と受けて答えた。

 「電話? かぁ……そういえば執事の部屋にあったのは繋がらない………………あっ、い、いえ、誰かがそう話してるのを、ちょっと聞いたので……」

 「本来なら連絡の為に、衛星電話か何かが完備してあったのを……何者かが使えなくしたって事か?」

 「え、ええ、そこまでは……私もどういう事なのか想像つきません……」

 美女が返答に困ってる様子を見たモリヤが言った。

 「ああ、あんたの言う通り、その可能性大だね。誰かが意図的に通信手段をすべて断ったのさ」


 ウルフィラに案内され、足元に不都合無い程度の明かりに照らされている地下への階段を下り、薄気味悪く静まり返った廊下に降りた。手前に見える飾り気のないシンプルなドアが、メイドなど使用人が寝泊まりする部屋。

 その奥、屋敷の中央真下に位置する間取りに主人の部屋がある。

 雇われ者を地下の部屋など人目に付かぬスペースに住まわせるのは、時々ある事だと思われるが、館の大主がわざわざ好き好んで、こんな薄暗くジメジメしていそうな地下に陣取るなんて、いったいどういう神経の持ち主なんだ? と疑問を感じていた。

 (そんな変わり者だからこそ、逆に自分のプライベート空間に他人が入り込む事をなおさら嫌って、メイドに客の立ち入りの禁止を強く言い付けたのかもしれない)


 「この扉が? ご主人様の部屋へ?」

 スリング婦人が奇妙な扉の前に立ち、メイドのウルフィラに聞く。

 この屋敷に無数にある優雅な装飾細工を施された扉とは一線を画す代物だった。話を聞いていなければ存在に気が付きもせず通り過ぎてしまいそうなドア、そんなに背の大きくは無い婦人より一回り大きい程度の扉が、壁に一筆の筋として見て取れた。

 「なんだか、SFにでも出てきそうな扉だねぇ……」

 それはアンティーク風に彩色された宇宙船のハッチの様だった。ドアノッカーになるのだろうか? 中央に星型の飾りが付けてある。

 クリスがマーヴェルにコソッと耳打ちした。

 「北極星かな? ちょっとカッコイイやん」

 カメラマンのオオツが側によって来て、ドンドンと扉を叩いてみるが、招待客を招き入れてくれそうな気配はこれっぽちも無い。皆の方を振り返り思っていた事を口にする。

 「もしかしてこいつは……たしか、パニックルームとかいうヤツじゃないのか?」

 「パニック部屋? 何ですかそれ!? そ、そんな、パニックになった人が居るなんて、わっ私聞いてません、誰も閉じ込めたりはしてませんよ!」

 驚き慌てて、返事をしたメイドに説明する。

 「いやいや、そうじゃない。パニックルームってのはそういう意味の部屋じゃない。緊急避難用の部屋、シェルターみたいなものをそう呼ぶんだ。例えばだな、物騒な土地に建つ金持ちのお屋敷にままある。武装強盗が押し入った時なんかに警察の助けが来るまで一時的に逃げ込む、安全確保できる部屋の事さ……俺はそんな部屋ぞっとしないがね」

 オオツの話を聞いたウルフィラは感心したように頷き納得した。

 「緊急避難用となれば開けるのは簡単に……もちろん、住人にとってだが……そして一度中に入ると、もう外からは開けられない」

 よく見ればドアの脇の壁面にパネルが付いている。試しに其処に手をかざしてみるが、うんともすんとも言わない。

 「開かないという事は中に誰かいるという事か?」

 「……まあ当然、開ける事ができる人物に何らかの選別はあるだろう。特に貴重品なんかも置いてあるなら。この部屋の場合、普段使う自室にパニックルームの機能を加えたのかもしれんな」

 「あ~あ、あのサイキックボーイがいれば何の苦労も無く開ける事が出来ただろうにね、今となっては後の祭りだけどさ」

 黙って、後ろから観察していたマーヴェルが会話に入る。

 「もしや、僕たちを中で観測できる監視カメラが付いてるのでは? ちょっとウルフィラさん、中に向かって呼び掛けてみてもらえませんか?」

 探偵の頼みを聞き、ドアの正面に立ったメイドがご主人様と呼び掛けてみたが、それでも反応は無かった。

 「こんだけドアが頑丈そうだと、中の物音ひとつ聞こえやしないな……ったく、中に人が居るのか居ないのか? ちっ……今さらだがシラヌイは何者なんだ?」

 モリヤのその疑問に答えられるものは誰もいない。

 「実は存在しないんじゃあないだろうな……」

 老婆が時折見せる例の鋭い眼光でその疑問に付け足す。
 「もしくは……あの執事と同一人物…………なんてねぇ」

 その説にびっくり驚いたように、ウルフィラは目を見開いて身震いした。


 (それともこの中に?)


 「少なくとも、この部屋に誰かの出入りがあるのか? を確かめたいですね……」

 探偵マーヴェルの、その意見にモリヤは冗談めいて答えた。

 「子供のスパイごっこみたいに、こっそり髪の毛をドアに貼って置くなんてのは止めてくれよっ。乾燥で勝手に取れちまうらしいぜ……確かキング先生が言ってたよ」

 カメラマンのオオツも言った。
 「カメラを添え付けて置くか? スマホとか……まあ一晩は俺のは無理か……」

 「まさか……見張るって!? 硬い床に座って一晩過ごすなんてあたしは御免だね」

 スリング婦人の台詞に全く同意だと、クガクレ嬢も頷く。

 はなから協力を得られることは無いと思っていた探偵は、言い出しっぺの自分自身が残って見張ることにした。

(一晩僕がここで見張る事で、その日、誰も殺されなければそれでいい……それだけでも価値はある)
 マーヴェルはそう思った。

 開かずの扉の前で、このままいくら待っても進展がなさそうだと感じたそれぞれは、時間をつぶすには此処より遥かに快適な上階の自室へ三々五々に戻っていく。

 「あの……今日のお食事の方は? どうしましょう……」

 メイドの奉仕精神に基づいた純粋な申し出を、去りゆく者たちは冷たく首を振り無下にする。
 誰も頼む者のいない、彼女の思いだけが宙に浮いた状況に、置いてけぼりにされ少し悲しそうな表情を浮かべた。

 「おい、みんな! 誰かに出された飲み物には注意しろよ、……ああ、いや、口にするものはすべてか……」

 モリヤの意地の悪いジョークが更に心に痛い。

 最後に肩を落とし去っていくウルフィラの後姿。

 クリスが彼女に声を掛ける。
 「お~い」

 「……」

 「後で、おいし~いサンドイッチでも作って飲み物と一緒に持ってきて~なぁ」

 「はい!」
 嬉しそうに返事をした。


 また一日、澄み渡る空に星が瞬き始めた。

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