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第五話



 
 結果的に行く手を塞ぐものを破壊するに至って気付かされたことではあるが。 
どうやらその壁は、虹泉の存在を隠し、封印するものだったらしい。
壁の向こうは、足首ほどまで海水に浸っている洞窟のようだった。

それほど離れていない場所に、ぽっかりと蒲鉾型に照らされる光を見るに、ここは海に程近い崖下にあるのだろう。
となると、満潮になれば水浸しになるのかもしれない。
それは、この世界にも月があるというおれっちの希望も入っていたけれど。

念のため壊した壁を再度塞いだほうがいいだろうという結論に至って。


「……【エテルミング・ヒート】」

この世界の魔法のお披露目、とばかりにごしゅじんが放ったのは。
マグマの火柱を起こすお得意の覆滅魔法、その一矢。

全力……火の根源『カムラル』に語りかけるものであったら、たぶんこの辺りの地形が変わっていたに違いない。

だが、正しくも片手間で唱えただけあり、それはきれいな波型の生まれたての壁を作り上げるに留まった。
もっとも、それは足元の海水を蒸発させ、傍にいたおれたちは蒸し器に放り込まれたような状況になってしまったのはご愛嬌、といったところだろうか。


「ふぅ、ふう。もう少しで蒸し猫になるところだった」
「……ご、ごめん」

ほかほかの濡れ猫のまま、しゅんとしてうなだれるごしゅじん。

「今日の添い寝を所望する。それでどう?」

それはある意味、いつものやり取り。
紳士で嘘吐きな猫族のおれは、実際のところそれを実行したことはなかったが。


「え? いいの?」

いつもの通り、嬉しそうなごしゅじんのその反応ときたら。
自覚が足りないというか何と言うか。

「こにゃろう。か弱い子猫だからって舐めてやがるな。もふもふさせてやるっ」

後悔させてやる、とばかりにおれが粋高々にそう言うと。

「……よろしくお願いします」

歯牙にもかけぬ、余裕綽々のごしゅじんの笑顔。
ついでにぎゅむんと抱きしめられる。
おれっちは、それにちょっぴり情けない気分に陥りつつも。
結局は居心地がいいので、いつもいつもなぁなぁになってしまうのだ。猫だけに。




この世界にも四季というものがあるとするならば。今は春だろうか。
心地良い風にもれなく水気をとばしたおれっちたちは、案の定崖下にあった洞窟を抜け、日の元にさらされる。


「……いい天気」

ごしゅじんが思わずそう呟くくらいなのだから、その広がる青空といったら、故郷にも引けを取らぬくらい開放的で。
燦々照りの空の下が最も似合う、魔人族としては異端も甚だしいごしゅじんは、そんな晴れのケにやられたのだろう。

ほとんど無意識のままに、それまで背中に隠していた(文字通り背中の中に収納している)黒い艶やかな翼を広げ、飛び上がる。


「お、おいティカっ。不用意に翼を出すなって」

いくら地の利はごしゅじんのほうにあるとはいえ。
ここがユーライジアのように優しい世界だとは限らない。

だが、気分が高揚しているのか、風音で聞こえなかったのか、おれっちのそんなお小言なんぞお構いなしにごしゅじんは空を飛び回る。
おれっちはそれに頭を抱えつつも、ごしゅじんのその変化に喜ばしい部分も感じてはいた。

じめじめした地下室から、無限の空への旅路。
随分と長いこと自ら封じてきた感情の発露。
それはきっと、ごしゅじんをいい方向へと変えてくれるはずで。

だが、憂うべきことを口にしてしまったが最後、それは旗となって具現化するらしい。
おれっちたちのやってきた洞窟のあるその崖上。
ぽつんと佇む三角架つきの、お墓のようなもの。

そこには、時期悪く一人の少女がいた。
おそらく、お墓参りか何かに来ていたのだろう。
だが今は、そんな当初の目的を忘れ、ぽかんとこちらを見上げている。



「ティカ、ティカってば、第一異世界人がこっちをみてるよ」

見つかっちゃったものはもう仕方ない。
おれっちはできる限りの声をあげ、ぱたぱたと尻尾を振り回してごしゅじんに眼下を促す。


「……っ」

とたん、不安と恐怖に駆られたようなごしゅじんの気配。
踵返しその場から逃げ出そうとする。
おれっちはそれにやれやれとため息をつき、最早自由自在とまではいかずとも得意の聖域抜けで、自らの身体を中空に投げ出す。


「あっ」

悲鳴のような声を上げるごしゅじんに涙をのんで。
構わずおれっちは正しくも猫族の身体能力を主張するみたいにくるくると回転しながら落ちていった。

もともと高さはそれほどなく、おれっちは対した労もなく呆然自失とする少女の元へと降り立って。


「こんにちは。可愛らしいお嬢さん。お近づきの印にもふもふしていかないかい?」

おれっちはピンと背筋を伸ばし、すまし顔でそんなことを言う。
本来、もふもふしたいならば言葉なぞ介せずに猫撫で声でみゃーみゃー言えば事足りるのだが、そもそもの目的はそれではない。

猫がしゃべるのはきっと珍しいことだろうと期待しての、注目の分散だ。
案の定、その少女はおれっちへとその熱い視線を向けてくれている。

ごしゅじんがその身に最後の楽園を秘めし、極上の美少女ならば。
目の前の彼女は嗜虐心をそそる、可愛い系の女の子、といった感じだろうか。
流れるような真珠色の髪に、どこかおどおどしているようにも見える琥珀の瞳。

なんていうかこう、ごしゅじんとは別の意味で、目を離すと何かしでかしそうな子だが、なんて言えばいいのか、沸き立つ『水(ウルガヴ)』の魔力が少し強すぎる気がした。

それは剛の者というより、おれっちたちのような、魔力により構成された生き物に感じる感覚に近い。

彼女は人間族ではないのだろうか?

それともあるいは……。



「ね、猫が喋ってる」

そんな事を内心でおれっちが考えていたことを、少なからず感じ取ったのかそうでないのか。
栄えある第一異世界人である彼女は、その常に纏っているおどおどした雰囲気を一層強くして、そんな呟きをもらした。

どうやら我らがユーライジアの世界と比べて、それほどかけ離れた世界でもないらしい。
言葉が通じるのは勿論、『猫』と呼ばれる生き物が存在していて、その皆から愛される物の怪が、そうそう言葉を介するものでは無いらしいところから、その事が伺える。


「ああ、その通りさ。ま、言葉を介し読み書きができるのは、魔法の力に拠るところが大きいがね」

何もかも知らない(ごしゅじんにとってみればそうではないのだろうが)世界において、まずすべき事は情報を得ることだろう。

こう見えておれっちは、ごしゅじんの飼い猫になる前まで、世界を又にかけ旅する猫だったから、その事の重要性は重々承知している。

まぁ、情報を集めることに関して言えばさほど問題はないのだろう。
おれっちは、『虹泉』自体にその力があるとにらんでいるが、お互いの言葉を理解でき、意思疎通ができるのだから。

 
「魔法? そ、それじゃあやっぱり……」

慄きを一層深くし、真珠色の髪の少女はおれっちに、あるいはごしゅじんに向けてどこか確信を持った言葉を紡ごうとする。

「ぐみゃっ」

だがそれは、おれっちの背後に降り立ったごしゅじんのその行動によって止められた。

所謂一つの、自らの所有物である事を誇示する行動。
後頭部にある、子猫のための猫持ち箇所……首上の柔らかい部分を掴まれ、あれよあれよという間におれっちはごしゅじんの腕の中に。
そして、相対するみたいに、ごしゅじんは目の前の少女をじぃっと見つめる。
 

「……」

初めまして、うちのおしゃが突然すいません。
ちょっとお時間よろしいでしょうか、私の名前はティカ、あなたの名前を聞いても?

……なんて。
無言の奥には、そんな当たり障りのない言葉が列挙されていたかどうかは、ごしゅじんにしか分からないのだろう。

結局、人見知りの気があり、かつ対人関係に疎いごしゅじんの口から、それらの一文字も出てくることはなかった。

かの妹ちゃんならばもう既に肩を組み合うくらいの仲になっていたかもしれない。
まぁ、おれっちからしてみれば、どちらにしても世話の焼けるって感じだけど。
 

「……っ」

ごしゅじんの無言の威圧をもろに受け、びくりとなる少女。
いや、それはもしかしたら、ごしゅじんが常時押さえ込んでいる、埒外の魔力の深遠を垣間見たのかもしれない。
こりゃあいかんとおれっちは身を乗り出して言葉を紡ごうとして。


「ご、ごめんなさいぃ、今すぐむっ……」
「……あ」
「なっ?」

瞬間、蝋燭が消える瞬間燃え盛るみたいに、爆発的に高まる『水(ウルガヴ)』の魔力。
それに驚き、防御体勢に入ったから対応に遅れてしまった。


それは、魔法か。

あるいは、最初からそういう存在であったのか。
呆然としたごしゅじんの呟きを余所に、気付けば彼女はその場から跡形もなく消え去っていたのだ。
 
同時に、おれっちは納得する部分もあった。
彼女は、おそらく魔法で作られた分体のようなものだったのだろう。
故に、存在が希薄な割に魔力に溢れ、人のようには見えなかったのだと。
 
それが、正確に魔法であるかどうかはまだわからないが。
こちらでも魔法が日常的に使われているのならば、ヨースのやつも探し易いのは確かで。

 

「……っ」

そんな事を考えていると、頭上から降ってきたのは、しゅんとうなだれているどうにも身をつまされるごしゅじんのため息。

まぁ、ごしゅじんにしてみれば挨拶をしようと頑張って何か言葉を口にしようとした矢先での相手の逃亡? だ。
出鼻をくじかれた、という意味ではダメージも大きかったのだろう。
 

「ああ、その、あれだ。たぶんあの子は、引っ込み思案で臆病な子なんだよ。ティカと挨拶したかったんだけど、それも恥ずかしかったのかもしれない。おれっちもでしゃばっちゃったしな」

ほとんど言い訳みたいな、おれっちのそんな言葉。


「でも……」

案の定、そんな言葉だけでごしゅじんが納得するはずもなく。

「でも……知ってる人、だったから……」

続いたのは、少し予想外のそんな言葉だった。
 

「知ってる人、だって……?」

それはすなわち、相手もごしゅじんの事を知っているということになるわけで。
もしあの少女が、ごしゅじんの魔人族としての力のことまで知っているとするなら、急に消えてしまったことにも、別の意味合いが孕んでくる。

大げさに考えすぎかもしれないが、あのまま逃がすべきではなかったかもしれない、なんて思って。


「うん。小さい頃、この世界でお世話になったお姉さん……だと思うの」
「その人は、信頼が置けるのか?」

その思いを、そのまま口にするように言葉を返すと、きょとん、と目をしばたかせた後、ごしゅじんは大丈夫だよ、と安心させるみたいにおれっちの背中を撫でた。


「大丈夫……お母さんのお友達、だから」
「そう言う割には、自信なさそうだけど?」
「うん。魔力の感じは、知ってるんだけど……何か小さいっていうか、似てる人なのかも……」

迷い迷い答えるのは、ごしゅじんにも確信が持てないからなのだろう。
本人に聞ければ一番手っ取り早いのだが、ない袖は触れないのだから仕方がない。


「消えちまったしな。本人は別にいるのかも、ありゃあ魔力で作られた分体っぽかったし。ティカ、その人の名前とか、知ってるか? 居場所とか分からない?」

知り合いがいるのなら、訪ねてみるのもありだろう。
そう思い聞くと、ごしゅじんは少しばかり考える仕草をして見せた後、それに答えてくれる。


「……ファイカ・ユーミルさん。よく遊んでもらってたひとで、こっちのお家にいてくれると思う。一応、こっちに来たら行くつもりだったんだけど……」
 
つまるところ、小さい頃ごしゅじんが過ごしたというこの世界の実家にいる、ということなのだろう。

ごしゅじんの一族が、一国一城の主レベルの家持ちであることを考えると、侍女のような存在だったのかもしれない。
ごしゅじんとしても、あるいはこの世界でヨースを探すための拠点として当てにしていた部分もあったんだろう。

こちらに来ていきなり会えたところまでは幸運だったと言えるかもしれないが。
結局ろくな会話もできなかったからなのか、ごしゅじんは何だか落ち込んでいるようだった。
 

「……あ」

しかし、ふいに顔を上げ、断崖の先にある石碑、あるいはお墓のようなものの前に立つ。
案の定、周り込むと、それには何やら文字が刻まれている。

「ん~? お約束というかなんというか、言葉は通じるのに、やっぱり文字は読めないのか」

識字の魔法もあるにはあるけど、あいにくのところおれっちは覚えていない。
となるとこの世界では、ただのしゃべる猫になってしまうわけだが。


「偉大なる魔……アスカ……この世の礎となり、ここに眠る」

だが、何やら掠れてて読めない部分もあったが、ごしゅじんにしてみればその限りではないらしい。

「なるほど、それであの娘は、ここに来てたのか。案外出会ったのは偶然じゃなかったのかもな」
 「……うん」


アスカは、ごしゅじんと妹ちゃんのお母さんの名前。
二人の母は、この世界ではなく、ユーライジアにて天寿を全うしている。
おそらく、その情報を知りえた誰かが、ユーライジアの世界に繋がるこの場所にこれを建てたのだろう。

あるいは、ここがこの世界から剥離した場所であるが故か。

どちらにせよ、今こうして娘であるごしゅじんがここに訪れたように。
残されたものを繋げるための大事なもの、だったのかもしれない……。


             (第六話につづく)



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